回顧、またはヘイトスピーカーからの帰還、そして

前回のエントリはだいぶいろいろ反響を頂いたようだが、できれば「日本統治下の朝鮮半島を見る」などもあわせて参照頂きたい。日本がいかに半島に資本を投下し、それがどのように経済・社会に立ち現われたかが簡潔ではあるが見てとれるだろう。それと、自分がIDによる原稿記載を行っているからといって、「実名じゃない」という短絡した向きには、ちょっと調べれば自分の実名はウェブ上に晒してるわけだから、調べれば?とだけ。だいたい自分はこのIDでかれこれ10年以上通してきたのである。匿名実名論争に乗るつもりはないが、このIDは自分そのものであり、またそれを自負もしている。

 さて、ここで改めて“現在の”スタンスを確認しておくと、以下のような感じとなる。
1:在留外国人への差別はいかなる人種・民族であれ反対
2:犯罪の取り締まりは厳に成すべきで、それは人種・民族の如何を問わない
3:北朝鮮、中国は潜在敵国であり、同時に中国は不可欠の貿易相手国でもある
4:韓国は国としては好悪で言えば好きではないが、安全保障上必要でもあり連携すべきでもある
5:歴史的経緯については政治的判断・好悪感情を別として、まず事実を知るべきである
6:国家の政策に対して国籍保有者は一定の責任を負うが、同時にその政策に賛同するしないについては個々で判断が異なることを認めるべきである
7:一般に戦争責任と言われているものに植民地責任を被せる者がいるが、これには反対であり、両者は区分され、それぞれに評価すべき問題である(従って中国に対するそれと、韓国・北朝鮮に対するそれは、当然異なる位相の問題である)
8:日韓の賠償問題については原則として所謂日韓基本条約とそれに付随する取り決めにより解決された、と考えるべきだが、その中で抜け落ちている部分・棚上げした部分があれば、それについては別途解決のための算段が取られるべきである(この解決とは必ずしも賠償を意味しない)

ここまでを前提として、以下の自己分析へ入るとする。

■自らの存在を求め、それを安定させんが為に
少なくともtwitterフォロワーの多くや、過去から自分のBlog等を閲読頂いている諸氏は十分知っているであろうことで、再び書くのも重複した話で申し訳ないのだが、ここから始めないと何も始まらないので記載することにすると、自分は両性愛者である。他にもいくつかあるが、簡単に話を進めるために、ここではこれのみに絞って記載する。
 世の同性愛等の事例を調べればすぐ分かるように、このセクシャリティの相違というのは幼少期においては特に表に出すことが難しく、自分もまたそうであった。それは排除への恐れであり、また保身のためでもあった。
 意識としてのそれを自覚するようになったのは恐らく小学校高学年になるあたりだっただろうか。その頃より、何か現実から逃避するかのように、科学やSFなどへと関心を深めることとなった。自分の読書癖は恐らくここから来ている。
 中学に入ると、それ以前とは格段に情報の流入が増え(といってもまだウェブはまるで普及しているとは言い難く、主にテレビ・雑誌・新聞・書籍等がその経路であった)、同時に関心の領域も広がっていくことになる。
 自分の、今で言うところの「ネットウヨク」的ヘイトスピーカーというのは、恐らくこの頃を基点として据えることができるだろう。それは性への意識が周囲においても確立されていく過程で、それに話を合わせ、また自身のことはできるだけ表には出さず、当然親や教師などに言える訳も無く、また自分と同じような存在に巡り会うこともなかった中で、思春期という不安定な意識の中、自己のアイデンティティを保つために、何らかの代償を必要とした、ということでもあったと、今にして思えば考える。当時はそんなことは考えなかったが。御多分に漏れず、日本を批判して止まない韓国政府(または報道にて出てくる過激な抗議行動)に対しての嫌悪を抱いたわけだ。
 高校に入る頃には歴史への関心も少しずつ高まり、また、シミュレーションゲームなどもゲームそのものではなくテーマ・内容について関心を抱くようになった。しかし、その頃はまだまだ手を伸ばす範囲も狭く、当然のことながら自らが“望むような”傾向のものしか手に取らなかったことから、ヘイトスピーカーとしての傾向は一層強まった。
 一方で、この頃になると、主にナチス関連の書籍などで、同性愛等の虐殺の歴史を垣間見るようにもなった。ここで立ち返れば良かったものの、その排除への恐れは無意識化に刻まれたのであろう、より一層ヘイトスピーカーの傾向に拍車をかけることとなった。これはまさに、「排除されないために、より“正しい”日本人であらねば」という意識が働いたためだ。では“正しい”日本人とは何か。当然日本人なのだから「日本を攻撃する者は敵である」。まさに今のネットウヨクのそれそのものだ。
 大学に入っても引き続きこの傾向は続くわけだが、そこでふとある言葉に出会うことになる。「小林というのは“林”という字が入っているから過去遡れば朝鮮系だ」と。その時は「そんな話もあるんだな」という感じで流してしまっていたわけだが、よくよく考えればおかしな話でもある。自分は今までその「小林」という人間を「日本人」として接してきたわけで、そこに「朝鮮系だ」という情報が入ってきたとしても、その人自身の何が変わるわけでもないのだが、人によってはそうではない、ということなのだろうか、と。
 大学も中盤に差し掛かると、ようやくウェブが一般の手に届く形となり、当時はダイヤルアップ形式での接続ではあったが、様々な「自分の生活範囲からは遠く離れた、また様々な職・立場・年齢の人」と出会うようになった。
 その中で、一人のゲイの友人ができたのだが、そこで初めて「自らを抑圧・否定することなく存在することができる場がある」と認識するに至った。周囲へ公知することになるのはもっとずっと後のことになるが、当時としてはこれが非常に大きな支えになった。そこのコミュニティは小さなものだったが、ゲイは一人だけで、他は極めて“普通”のマジョリティであり、またヘテロでもあり、それらは相手をただ“人”として認識し、それとして接していた。立場も何も関係ないし、出自だなんだを気にすることもないものであった。
 同時期に別のコミュニティで、こちらは別の趣味を通じて知り合った友人がいた。知り合った当初は当然HNのみでの付き合いであったが、何かのきっかけでお互いの本名を明かすこととなり、返ってきた名前は朝鮮名であった。しかし、全く気にすることは無かった。自分はその友人の書く作品は良いものだと思っていたし、今でも思っている。別に何人だろうが良いではないか、と。その人はいわゆる“在日”であるが、今でも友人として仲良くさせてもらっている。
 事ここに至って、至極当たり前の結論として、「人は人であって、何人であろうが善良な人は善良であり、犯罪を犯すものは犯罪を犯すものであり、そこに何等の差異は無い」ということ。そして自らが何かを否定することでアイデンティティを確立しようとせずとも、その居場所を作ることができれば自然と憎悪は薄れていくものだ、ということ。何より、「もしかしたら、自分の知っていることというのは極めて浅薄で、また上っ面なものなのではないか」ということ。読書癖を持っていた人間としては、この最後の問いは自分の中で極めて深刻なもので、「事実はどうであったのか」ということへの探求は、歴史に関してはここが基点となった可能性が極めて高い(その前に一部三国志の演義と正史の違い、などにも興味があり調べたりもしたが、それ以外の項目でそこまで突っ込むこともまたしなかった)。
 この認識に至るまで実に20年以上かかっていることになる。

■疑問から生まれる様々な更なる疑問の連鎖
 そこからは様々な歴史関係の書籍などに当たっていくことになるのだが、そこでまたいろいろな疑問が生まれてくることになった。まずそもそも教科書に書かれていることが全くの表面的なことばかりで、場合によってはそこからアップデートしていないばかりに、研究成果によって否定されていることが自分としては「事実」として認識されていたことなどだ(当たり障りの無い例で言うと、各種の肖像画が実は別人の者だった、等)。
 また、朝日などにおける「平和」「反省」といった戦争への視点の据え方が、これもまた極めて一面的で、また場合によっては事実を無視したような逆説的美辞麗句になっているのではないか、といった疑問もあった。
 結果として、自分は“正しい日本人”であろうとあれだけ嫌悪した相手をロクに知らないばかりか、“正しい”を担保するはずの自国のことさえもロクに知らない、という現実をまざまざと見せつけられる羽目になった。
 疑問が疑問を生み、その検証でまた別のことが書いてあり、なんと多様な世界であることか、史学の世界は、と思ったものだ。
 Aという評価があり、それに対してBという反証がなされ、またその反証がCという研究で否定され、結果としてAとCの中間あたりが妥当なように思われる。そんなものは山ほどあり、当然のことながらそれは先の大戦、そこに至る経緯、さらに源流となる明治維新、また続きとしての戦後、そういった様々な事項へと波及していった。
 そういった探求の中で、いつしかヘイトスピーカーの要素は薄くなり、また自身がそれとしてあることを担保できるのは、「人は人である」という根本的なところまで立ち返ることとなり、その悪癖から脱却するのは実に30歳頃までの時間を要したのである。政治への本格的関心というのもその中で生まれ、またそこでの試行錯誤、疑問と応答、それらが今の自分を形成していると言えるだろう。

■根拠のないものを根拠とする愚かしさ
 ここまでの中で、自分を自分たらしめている一つの要素であるところの(そして不可欠の要素でもある)、両性愛というアイデンティティを公知し始めたのは、概ね大学の後半から卒業直後くらいのタイミングであることは、推察しているであろうと思うが、その中で直面したのは、「それを公知することで排除され、または嘲笑されるという現実」であった。
 中には変わらずに接してくれる者もいたが、逆にそれをそのまま排除・嘲笑のネタにする連中は少なくなかったのである。
 多少頭が回ればわかるだろうが、自分はそういった連中から、それを公知する以前は「全くそういったことの対象になっていなかった」ということであり、逆に「公知することでそれを招いた」という現実が、まさに厳然として存在した、ということだ。
 自分があれだけ嫌悪して止まなかった存在が目の前に立ち現われたとき、自分はそれに対して特段態度を変えることがなかった(それは上記の通りである)。逆に自分がそれを公知した時、格別に態度を変える連中もまた存在した。
 ここから導き出されるのは、ただ一点しかない。それは、自分の嫌悪がいかに薄弱な、事実の前に覆される程度の表層的観念的なものであったか、ということであり、逆説的に言えば、その表層的観念的ヘイトがその人の内に存在する限り、そこに合致するような記号を与えれば、容易にそれを適用する人間もいる、ということだ。そこで態度を変えられる、というこの事実が、いかにそれが思想や信条などという大層なものではなく、浅薄で、また愚かしいことであるか、ということを如実に表している。それを考えれば、「後ろめたくなければ実名を名乗ればいいではないか」というのは、当事者からすれば(犯罪への悪用を別とすれば)「公知した瞬間嘲笑と侮蔑をするであろう人間に対してそんなことできるか」という返し方もできるのであって、そのあたりを勘案すべきだ。
 事実の前に態度を変えることができる(またはその考えが事実の前に安易に覆る)、ということはそもそもその考え方自体が根本的におかしいのだ。
 敢えて問う。自らの戸籍を調べて、果たして戸籍上在日だったとき、ヘイトスピーカーたる貴方達は、自分自身を排斥の対象とすることができるのか?また、知りもせず、言葉も通じず、生活の基盤もなく、頼るものとていない書類上の母国に帰ることを望むのか?
 恐らくしないだろうし、ほぼできないだろう。圧倒的事実の前に、そういった観念上のものが、いかに脆く崩れていくか。別にそれが過去に密航して渡ってこようが(それも今や三~四世代も前である)、志願して兵役につき日本に居座ったものだろうが、徴用で渡ってきたものだろうが、そういったことは一切合財別として、その現在における事実が仮にそうだったとしたら、ヘイトスピーカーは自らにその刃を突き付けることができるのか?そのことは一度自問自答した方がいいだろう。何、自分もできたことなのだ、誰にだってできるはずだ。

■基点、または起点
 前回のエントリについては、靖国神社における絵馬の一件があり(朝鮮人は出ていけ、の件)、また在日が今の差別的待遇であるのは自身がブランディングをしてこなかったからだ、という言説に対しての応答が主であるので(そこまで言うなら過去の功績に関して正当な評価を下したのか、という点)、決して「通名の是非」を問うことは主目的ではなかったため、Blogosのトップページリンクから辿って読んだ人や、それらの経緯を知らない人については、唐突感もあったろうし、歴史の郷愁に浸っても解決しない、というのは優れて正鵠を得ている批判ではあるので、それはそれとして受け止めるが、それ以外の言説の少なからずが、まさに絵に描いたように自らが犯した、そして直面した過ちであったことは、それとして炙り出しとしても、また自らに対して問いかける意味でも、意味があった記事になったと考える。
 もちろん、いわゆる「反日ナショナリズム」という点については、自分も嫌悪するし、さっさと自律したナショナリズムへと昇華して欲しいとも思う。また竹島などの問題は、現在のところどう考えても日本側に主権があるとするのが妥当であろう、とも考える(ただし政治的妥結をどこで結ぶべきか、というのは別の問題でもある)。「従軍慰安婦」という「言葉」の出てきた経緯も承知しているし、半島支配の過程で莫大な資本投下をしてきた事実も知っている(この点で、前時代的ステレオタイプな「日本性悪説」は採らないし、そういった短絡的評価もまた批判に値すると考えている)。
 個々人として追及されるべき問題、組織として抱えてきた問題、国家として抱えてきた問題、様々な問題はあろう。例えば、日韓基本条約における金銭が韓国においてどのように使われたのか、という点について、韓国政府はその行為・判断と結果を正しく同国民に伝えるべきであろうし、それを踏まえた上で、言うべきことがあれば言って貰えば良い話でもある。
 一事が万事ではないが、それぞれの問題を、あたかも民族性に起因するものとして捉えるのは根本的に誤りであるし、ましてそれが観念的なそれであったり印象論的なそれであったり、はたまた論破し尽くされている根拠なき扇動に基づくものであったり、そういったことは、それが「どの国の人であれ、どの民族であれ」考え方として「間違っている」わけで、それは相手が如何なる国であれ民族であれ人であれ、それとして自分は「間違っている」と言うだろう。
 自分がそれとして実践し、直面してきたものでもあるからこそ、間違っている、と言うべきだとも考えるし、また問いかけもする。
 当然、隣国間での利害など当たり前のことであり、また歴史に対する評価が異なるのもまた当然ではあるので、そこについては事実の積み上げを行っていくしかないだろう。その中で、欺瞞・詐術はそれとして暴かれねばならないだろうし(これは日本であれ韓国であれ中国であれ、はたまた米国であれロシアであれ、どこに対しても、だ)、中には過去は正当として行われ、現在の価値観で見れば悪辣だと考えられるものもあるだろう。
 例えば国際法上植民地が完全に非合法とされたのは戦後のことであり、戦前は列強という強者のみの理屈の中でその合法性が問われたことを考えれば、当時としては日本の韓国併合は国際的に認められたものでもあった。非合法論の入る余地などどこにも無い。脅されたから違法だ、という理屈が通らないのは、当時としてそれが「当たり前」に行われていた、という「事実」(これはやったことの是非の評価ではなく、事実評価として)であり、だからこそあれだけ躍起になって日本は不平等条約の改正に邁進した、というのもまた「事実」でもある。
 それらの事実と向き合うことは、当然日本だけではなく韓国や北朝鮮、中国にとっても「不都合」かつ「不愉快」な現実が立ち現われることにもなるだろうし、また従来低い評価であったものが、逆に肯定的に評価し直されるものもあるだろう。
 大日本帝国として成したことの全てを否定することも、また肯定することも、どちらも愚かしく、また馬鹿らしい行為であって、ましてや「当時」の資料にロクにあたることなく、売文屋が書いた文書やアジテーターの書いた文書(これは右翼だろうが左翼だろうが関係ない)を鵜呑みにして、あたかもそれが自らの考察の結果であるかのように振り回しても、そこには確固たる芯もなければ、また心も真も信も無い。
 別に自分は人間が皆分かりあえる、といった楽天的幻想を抱くつもりもない。ただ、それとして不当だと考える言動には、繰り返し「間違っている」と言うだろう。しかし、「日本人の意識にあるアジア人蔑視」などと言うつもりも毛頭ない。前回の記事で敢えて「民族」という括りを用い、個々人のそれに触れなかったのは、そういった「懺悔主義」に対するアンチテーゼでもあるのだが、釣りだか何だか知らないが、案の定そういった連中も出てきたようで、自分の意図したところはその点でも概ね達成されたと考える。
 蔑視も差別も悉く個々の意識の問題であって、「日本人はアジアを蔑視している」という言い方もまた、「韓国人は皆犯罪者だ」というのと全く同じ構造をもって否定されるべき言説であり、揃いも揃ってそんなことを言い合っているから、正対することなく繰り返すことができるのだ、ということにいい加減気付くべきだ。
 そして、それは「相手も同じことをしているではないか」ということではなく、相手とは無関係に自ら進めるべき問題であって、お互いが「相手もこうだから」と言って現実から逃げ回っていては、何も見えないだろう(この問いかけは当然日本だけではなく、半島や中国にも向けられるべき問いである)。
 それに対して「日本だけがそんなことをする必要があるのか」という問いも成されるだろうが、そうではない。これらの論点に意識が向いているのであれば、そういった個々人がやっていく問題で、「韓国が」「日本が」というのは、その総体が立ち現われるものでしかない。
 大丈夫、いかに自己を振り返り、自国の歴史を振り返ったところで、全否定されることなどあり得ないし、また美化する必要もない。日本にしても半島にしても、それだけの歴史の深さがあるのだから、堂々とそれに正対すれば良いことだ。何を恐れることがあろうか。誇れるものは誇れば良い、過ちは過ちで繰り返さなければ良い、それだけのことだ。事実誤認の誇りは滑稽でもあるし、事実無視の理解は過ちの反復を生むのだから。

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回顧、またはヘイトスピーカーからの帰還、そして」への1件のフィードバック

  1. 全文読みました。
    (前の記事も読んでます)
    時間をおいてまた読みたいと思います。

    すぐに感想が形成されるような内容ではないと思いますし、
    そういうのも自分にとっては自然なことだと思っているので。
    では、次の記事を楽しみにしております(`・ω・)ノ

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