原発に対する姿勢の難しさ

公害問題のむずかしさは、突きつめて考えれば、だれでもが被害者であって加害者でもある、という相互背反的二面性が随所にみられるところにある。自動車に乗る者はすべて排気ガスの共犯者でもあるといった関係が、そこにはつきまとっている。ちょうど現在の私たちの政治的自由がぎりぎりのところでは日米安保体制下の軍事的暴力によって世界状況の「暴力の海」から匿われているように、私たちの今日の経済的福祉は、日本の高度工業機構のメカニカルな、したがってまた「自然破壊的」な動きに支えられている。私たちは現憲法体制下の政治的自由の空間の中に呼吸しながら、その軍事的暴力的基底を全的に否定することはできない。それと同じように、私たちは今日の工業文明下の経済的福祉を享受しながら、その「自然破壊的」メカニズムを全的に否定することはできない。そういうジレンマを、私たちは私たちの限界状況として生きているのである。(「例外者の社会思想 ‐ヤスパース哲学への同時代的共感‐」武藤光朗著、創文社刊、S58/222頁~223頁)

この文言は原発問題にも同様のことが言えると考える。電力という全体で考えれば誰もが加害者であるだろうし、また全国に散らばった原発というものを考えれば被害者でもあり得る(東京で放射能の影響が懸念されたが、実際時間軸と被害規模の大小を考えなければ、決して懸念レベルではないはずだ)。ヤスパースが核兵器と収容所の実存的ジレンマに対して「原爆と人間の将来」で考察したアンビバレンツなそれを「最終的には、ただひとりの個人によって、原子爆弾の使用が決定されなければならない危機的瞬間が、おそらく突然に、やってくる可能性がある。他のもろもろの可能性に対しては、もう後の祭りである。」(前掲書184頁)と述べたように、それは突然の破局を内包するものとして考えられよう。
収容所の恐怖がナチスのそれに留まらず、またソルジェニーツィンの指摘からもさらに水平化し、また垂直化して、ベトナムにおける政治犯の、ポル・ポト派による大量殺戮へと展開したように(ナチスのそれがある種のシステマチックさを備えていたのに対して、ポル・ポト派はあの大量虐殺を鉈などで行い、またそれはルワンダでも繰り返された)、原爆のそれもまた、より原子力発電という、より日常へと水平化・垂直化した形で世界へと拡散し、今回の福島原発の破局を齎した、と言える。ただし、その破局は日本へと原発導入を推進した中曽根康弘という、ある意味では「ただひとりの個人」あるいは正力松太郎らを含めた「ごく少数」の積極性が、ヤスパースの言う「原子爆弾の使用」決定という意味合いを持ち、原爆と原発の構造的システム的相違は別として、「放射能」という意味での破局としては遅滞して発生したに過ぎない、とも言えるかもしれない(もちろん被害の程度、様相は核兵器使用時とは異なる)。あるいは決定の「瞬間」とそれによる「破局」の時間差故に、「核の平和利用」という名目が成り立った、とは言えよう(場合によっては被害が生じるのは永続的未来のこととして想定し得るからだ。実際に存在したかは別として、喧伝されている安全神話のように)。
中曽根氏が原発の導入を推進した際(決定した際)、そこに核武装への意識があったかは分からない。少なくとも同氏は過去には「日米安保の破棄に備えて核武装を検討すべきだ」という趣旨のことを言った形跡があり、また昨年1月には「日本が核(兵器)を持たないでいくという政策は非常に賢明な政策」とも述べている(発言時期として、福島原発の事象後に広がった「核武装」を目指して原発を導入したのだ、という言説に対するカウンターとしての発言ではない)。従って、原発=核武装という論はひとまず除外するとする。

話を転換して、ツイッターとデモ実践者の間における認識の相違について考えてみる。
しばしばデモ実践者(これは活動家とイコールではない)がツイッター上での批判は現場を見ない空論の批判であり、運動はさらに先を行っている、と言う指摘が成されている。
一方で、ツイッター上での言説においては、しばしば福島県民を例として、それを代弁するかのように「デモは被災者のことを考えていない」という言説も成されている。
この相違は、主としてデモが「広汎に市民を巻き込む」ことをもって、そのポリティカルな主張を「実践」の場で実現しようとしているのに対して、ツイッター上でのそれに対するカウンターは、主として「玉」の取り合いとして為されている節がある点で、そもそも位相が違うのだ、とは感じられる。
もちろん両者のどちらにも被災地の人もいれば、そうではない人もいるだろうし、それに対しての自分の見解の表明が、極めてポリティカルなものになるであろうことは理解している。
その運動・言動の中に「弁証法的理性批判」で描かれる「同胞性(友愛)=恐怖(テロル)の弁証法」を見出すことは、ある意味では容易いのかもしれない。

裏切り者と推定されるか、あるいは本当に裏切ったメンバーに対する死刑宣告が、集団の永続性を確保するための「正当な暴力」として、「各人に対する全員の絶対的権利」となる。(中略)裏切り者はあくまで集団のメンバーとして、つまり同胞として、抹殺されるのであり、集団はそうすることによって自己を再構成する。(前掲書114頁)

これは左翼の内ゲバ傾向を念頭に置かれた言葉だが、しばしば「福島」「被災者」と引き合いに出されるそれが、他者との対地における自己の「正義」と、それを確認するための集団(これは特定の集団でも固有的なものでもなく、時間的瞬間的集団である)の再構成作用を果たしていないと言い切ることはできないだろう。
それは時に「御用学者」の炙り出しであったり、また運動内の「トンデモ」批判をすべきか否かであったり、また「運動が被災地のことを考えていない」という言説であったり、様々な形を取って表れているように思える。
もちろんトンデモ言説を容認したり、はたまた金銭によって科学的知見を捻じ曲げることがあるべきだとは考えないが、一方で、その批判行為がそれ自体として自己の再構成に資する形になれば、容易に「同胞性=恐怖」の陥穽へと落ちるようにも思える。原発を推進するのは国民ではない(≒市民の側ではない)といった形の批判もまた、市民社会(または国民国家)の同胞性がもたらす恐怖を内包している可能性もあるかもしれない。
もちろん利権的、または構造的問題が無いとは決して言えないだろうし、それへの批判は当然為されて然るべきものだと考えるが、一方でベニィ・レヴィが言うところの「革命の観念がテロリズムの観念と一致してしまったらおしまいだ。」(前掲書115頁)と言う指摘もまた、念頭に置かなければならないように思える。
フランソワ・ポンショーが述べるところの「この全面的粛清は、何よりも、人間に対する特定のヴィジョンを実行に移したものである。そのヴィジョンとは、腐敗した政権によってスポイルされた人物を矯正することはできず、そうした人たちを、純粋な同胞の中から肉体的に除いてしまわなければならない、というものである。」(前掲書145頁)という言葉もまた、レヴィの指摘をより実際的に表したものだろう(これはカンボジアにおけるそれを指摘したものである)。
この「腐敗した政権によってスポイルされた人物」のところに、「東電」でも「政府」でも「学者集団」でも「トンデモ」でも、あるいは「福島の農家」でもなんでも代入することは可能だろうし、「肉体的」除去と言わぬまでも、「社会的」抹殺をし兼ねない状況を齎すべきではないだろう。
再びレヴィの言葉を借りるならば「透明な国家、ガラスの社会、絶対的な光明の世界を作ろうという企て、それが全体主義国家の最も恐るべき定義だ」と言う、ここに表されたそれは、法的人格(社会の中における個人)を捨て、全く権力の前にむき出しに晒すことの危険性の指摘でもあるだろう。東電の役員を死刑にしろ、あるいは福島の農家は殺人者であり敵だ、といった言説の中に、自分はそういったものを見出してもいる。そのような言説は権力者たる個人の前に、相手をむき出しにして晒し、攻撃する行為であるように思えるからだ(法犯は別の問題である)。
「カンボジアには収容所も刑務所もないのです。どんな罪に対しても、罰は死しかありません。異議を唱える人物は、この社会に加わりたくない人間だ、ということになるのです。そして、この社会に加わりたくない者は、誰でも撃たれるべきだという考えなのです。赦されるということはありません。」(前掲書146頁)というカンボジア難民の言葉が、まさにそういった状況を表しているのではないだろうか。
このような状況において、上記に代入され得るようなその全てがあたかも社会的状況によってスクリプトされているかのように振る舞う言説それ自体が、恐らくは危険性を孕むものであって、「国民」あるいは「社会」という全体集団の中における特定の小集団が、一定のアイデンティティを帯びる時(社会的位置づけを持つ時)、その小集団に属するもの全てに一定のスクリプトを強制する作用を持ちかねないだろう。

実際はそういった単純なものではなく、より複雑で混沌とした状況において、個々人の立ち位置は非常に多様であるだろうし、実際に扱うべき問題が冒頭に述べたような根源的問いとしての相互背反的二面性を持っている以上、極めて難しい問題であるだろうし、その中で両極から広がるグラデーションの「何処を自己の主張として採るべきか」という問題にもなるだろう。
もちろんどの立ち位置を取ろうがそれはポリティカルなものだし、また傍観的現状追認主義も同様にポリティカルなものなので、その意味でのノンポリは「在り得ない」わけだが、それはあくまで「ポリティカル」であることであって、「踏み絵を迫る」ものであってはならないだろう(それに対して「問題と向き合え」と問うことは踏み絵ではないが)。
よく使われる「当事者の前でそれが言えるか」という言葉は、自分も嘗てはよく使っていた言葉でもあるのだが、少なくともそれが「自己の主張」というものを「当事者」というものを盾として、あたかも袞竜の袖に隠れるが如き振る舞いであることに気付き、それ以来極力使わないようにしている。
もちろん当事者を前に「当事者のことを考えていない」と批難した挙句に、当事者だとわかった瞬間「お前らは郷里に砂をかけている」と恥じることなく言えるような言説が、真っ当なものだとは到底思わないが、それは個々人が突き付けられる問題であって、他者が当事者を盾として持ち出すものでもないように思える。

「私は、私の立っている場所で、みずから決断すべきである。無数の個人の内面にこのような転回が起こるのでなければ、破局は避けられないだろう。」あるいは「人間は彼が自分について知っている以上のもの、また知りうる以上のものなのです。」とはヤスパースの言葉であるが、それぞれの主張・行動に対して、それ自体への批判はあったとしても、その全人格を否定すること、または法的ペルソナを踏み越えて、他者の内面の闇(あるいは闇の中に生じる光)に踏み込むことは、一抹の不安を感じざるを得ない。
自分は自分として、原発の持つジレンマの中で何らかの答えを出すだろうし、またそれは時にグラデーションの中で動くこともあるだろう。そしてそれは時に批判もされるだろうし賛同されることもあるかもしれない。
しかし、その答えは「私は、私の立っている場所で、みずから決断」していくだろうし、仮にも「被災地」「被災者」を代弁したり、またそれを総体として忖度することは、できるだけ避けたいとも思う。
自分の「良かれ」が当事者にとって「良かれ」であるとは限らないし、また当事者の「良かれ」が別の当事者の「良かれ」であるとも限らないのだから。
その上で、だからこそ、あるものには批判も加えようし、またあるものには賛同もしよう。それは「みずから決断」として。
あまりできてはいないかもしれないが、だからこそ自覚して。

例外者の社会思想―ヤスパース哲学への同時代的共感 (1983年)

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