2年

あれから2年。
忘れない、忘れまい。
では何を?
「あれだけ節電したことを」?
「たくさんの死者が出たことを」?
「原発事故があったことを」?
 
追悼も大事だし、犠牲者や被災者、救援者にボランティア、多くの人のそれぞれの物語があり、それは今も続いている。
それぞれにそれぞれの「忘れない」があり「忘れまい」があり、同時に「忘れたい」もあるのだろう。
 
こういう日だからこそ「馬鹿騒ぎしたい」という気分の人もいるだろうし、「静かに弔いを」という人もいると思う。
 
いろいろと思うことはある。
考えなければいけないこともある。
区切りがつくどころか問題山積であることもまた、事実だろう。
 
しかし、こういう日だからこそ、それぞれの思うように過ごし、思うように意識するのが、良いようにも思う。
「こうでなければならない」
「こうあるべきだ」
あの党は、この党は、あの首相は、この議員は、はたまたあの国は、この国は。
いろいろ飛び交ってはいるものの、被災地・被災者・避難者、そしてそこへの視線、またそこから問われる言葉。
それこそが、今日という日の、それぞれの意味なのだろうと思う。
それを当事者が、第三者が、どう感じるか、を含めて。
 
自分には何ができたのか。
自分は何をしてきたのか。
 
2年は短いようで長いようで、それでもやはりそれぞれの時間として、確実に過ぎてきた2年である。
3年経った時、果たして何がどう変わっているのか、変わっていないのか。
それを考えられるのは生者にのみ与えられた機会だ。
その機会を生かすも使うも、それぞれの内にある。

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