「朝鮮人をガス室に送れ」が愛国者の言動なものか

続く「嫌韓デモ」 国会で排外・人種侮蔑デモ抗議集会開催

ここのところ新大久保やら関西方面やらで”愛国者”と自称するレイシストどものデモが劣化の一途を辿っていることは度々報じられていることであるが、とりあえず表題の「朝鮮人をガス室に送れ」は看過しがたいにも程がある(それ以外にも座視し難いものは多多あるが)。

「ガス室」がナチスの民族絶滅政策のひとつであったことは論を俟たないところではあるが、この言動はそれをモチーフにしている点に異論はあるまい。
かつてより自分はナチスの戦争犯罪(及び国内犯罪 ※ユダヤ絶滅政策は国内政策の意味合いも強い)と日本の戦争犯罪(及び植民地政策の瑕疵 ※ナチスドイツは植民地を基本的には持たなかった点で大きく異なる)の差異において、例えば南京事件や半島統治政策において、ナチスの絶滅政策と日本の統治政策・戦争犯罪とは異なる位相であることを度々表明してきた。これについては今でもそう考えているし、同一視することや同一列線に並べることは、ホロコースト犯罪の重さを一般戦争犯罪や他の植民地政策の瑕疵と同様の位相に落としてしまう点において、否定してきたのであり、左派・人権派がそのような同一視を行ってもそれには否、としてきた。
確かに文化政策・民族政策において、民族アイデンティティの根幹にかかわる政策がまるで無かったとは言わないが、それにしてもそれは存在そのものを許容しない絶滅政策ではなかった、と。これは大日本帝国を後継し、その責を負うものとしても、否というべきものであると考える(同一化政策の是非は別。もちろん慰安婦とホロコーストを同列視するような言動はホロコーストを軽視し過ぎている)。

然るに、未だに過去の戦争犯罪・統治政策に対して様々に言われることが頻発し(それは隣国の政治政略上の要因も大きい)、より積極的にカウンター戦略を展開していかなければならない局面に入っているにも関わらず、上述のようなホロコーストを彷彿どころか「そのまま」展開させるような言説など、百害あって一理もなければ、ますます隣国の政治政略に「反省していないどころか悪化しているし復活もしようとしている」という謂れのない批難に論拠を与えることにも成りかねない。
そうでなくとも特定民族への排斥政策は、「追放政策」であっても民族差別、人種排斥政策と言われる時代にあって、ホロコーストを想起させるシュプレヒコールなど、語るに落ちる。
相手が道義に悖ることを行えば、それを逆手に倫理的・政治的優位を図り、以って国際世論において本邦に優位・有利な状況を構築するのが、国際政略上の要諦であるにも関わらず、である。

自分も中国の膨張する帝国主義・覇権主義政策や韓国の極端で歪なナショナリズム、また北朝鮮の拉致・核政策等の無法・不法・国際決議違反・恫喝外交には決して賛同もしなければ、左派崩れの阿呆のように本邦が何がなんでも悪い、陛下・天皇という存在が全ての元凶、といった腐った論に与するものではないが、さりとてこのような後弾全開の本邦の品格・道義・倫理を貶める言説を公然と、しかも悦に入って声高に叫ぶものなど、それこそ排斥されて然るべき言説であろうと考える。
自分等のルサンチマンのために本邦全体のそれを貶める言説を繰り返すそれは、どちらが一体「反日売国」の類なのか。
隣国に媚びるのは亡国の道だが、国際社会の中で、最早単独でどうこうできる時代ではないにも関わらず、本邦は愚か「自分」だけが気持ちよければ良い、といった言動で、斯様な言説を行うことに何の「国益」があろうか。

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「朝鮮人をガス室に送れ」が愛国者の言動なものか」への4件のフィードバック

  1. おまえあほか?笑

  2. 旭日旗を掲げて過激な言動をする自称愛国者は日本の愛国者というより、旭日旗や日本を陥れようとする某隣国の工作員なのではないかとすら思えてくる。

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