9.11とシリアとアメリカ ~中東に対する雑記~

9.11がアメリカにもたらした影響は甚大で、それについては異論は無いであろう。
ちょうど10年前のイラク戦争の遠因になったとも言われ、現在まで続く対テロ戦争の発端でもある。
しかし、イラクが当時アル・カーイダを支援していたかどうかについては、06年の報告書で明確に否定され、イラク戦争開戦の主因とされる大量破壊兵器の存在についても04年に明確に否定された。
様々な陰謀論はひとまず置いておくとして(とはいえ9.11事件についての独立委員会報告書についてもいくつかの重大な疑義が提示されていることは事実である)、この事件を契機に「テロに対する先制攻撃」を容認し、またその攻撃そのものへの反対を抑制する傾向が生まれたことは事実である。
さて、では当のアル・カーイダはどうかと言えば、ウサーマ・ビン=ラーディンは既にアメリカの手によりこの世を去っている。
ウサーマ・ビン=ラーディンはアル・カーイダの精神的指導者とも言われていたが、彼を本格的なイスラム闘争へ引き入れたのは、ナンバー2とされていたアイマン・ザワヒリであり、ザワヒリが本格的なイスラム闘争へ足を踏み入れたのは、サイイド・クトゥブの影響が大きいとされる。
クトゥブはアメリカに対して極めて辛辣ではあったものの、その影響は主として著述に拠るものであり、テロ活動に拠るものではなかった。
アメリカでの知見を経て、アメリカの「物質主義」「暴力主義」「差別主義」から「個人の自由」に至るまで多方面に渡り批判を加えるようになった。クトゥブ自身は当初エジプトにおいて、ナーセルらの王政打倒のエジプト革命を支持したものの、その後政府へ批判の姿勢に転じることになるが、それは軍首脳が新政府のイスラム化を進めるわけではなかった点や、恐らくはアメリカの中に見たものをエジプト革命の結果に対して見出したからであろうと思われる。
その後クトゥブも所属していたムスリム同胞団がナーセル暗殺未遂事件を起こした後、クトゥブ自身も投獄され、主犯格として処刑されることになる(実際には後に事件に関与していなかったことが判明している)。
ザワヒリはこのクトゥブの処刑に衝撃を受け、急進的になったと言われる(ザワヒリの旧知の人間が「まったく別人になり、冷淡な性格にもなった」と証言するほど性格・思考が激変したようである)。
アル・カーイダの自爆攻撃についても「本来イスラム的ではない自殺を伴う攻撃の結果殉教者へ」という論理や、攻撃の巻き添えになったイスラム教徒についての「犠牲者は殉教者。殉教者になれない犠牲者は背教者」という無茶苦茶な論理は、ザワヒリが生み出したとされている。彼がビン=ラーディンに接近したのは、彼が財力というザワヒリにないものを持っていたからであるとされ、ビン=ラーディン自身にとってもザワヒリとの出会いが大きな転機になったようである。

クトゥブは幼少期にはイスラムの教義しか教えてもらえない状況に反発していたとも言われるが、それが渡米を通じアメリカ批判が生じ、その結果イスラム国家を目指す政治活動に展開したことは皮肉である。そしてその後を継いだとも言えるザワヒリの生み出した理論がそのイスラムと必ずしも合致しないものへと変容してしまっている結果となったことは、さらに皮肉である。
自由将校団と袂をわかって以降、軍主導の政府と同胞団は対峙することとなるが、その自由将校団が推し進めた民族社会主義政策とも呼ぶべき政策を推進したエジプトと、一時アラブ連合を構成したのが、現在のシリアである。
なお、このアラブ連合に挟まれる形となったヨルダンが選択したのがイラクとのアラブ連邦である。アラブ連邦はイラクの王政打倒クーデターにより崩壊するが、そもそもこのクーデターの発端はイラク軍をヨルダン王政支援のために派遣しようとしたことがクーデターの機会を生んだとも言われている。
なお、ヨルダン王政が不安定化した理由の一端は中東戦争においてヨルダン川西岸を自国領に編入したことなどで、パレスチナ難民と呼ばれる一群の強烈な反発を招いた点も指摘されるところである。
構図としては中東戦争の結果ヨルダンが不安定化し始め、その状況とアラブ連合の形成に危機感を抱いたイラクがヨルダンに手を差し伸べようとしたところ、イラク自身の王政が崩壊したような流れである。
そもそも中東戦争自体が第二次世界大戦時のイギリスの外交政策の結果招いたものとも言え、エジプト王政が決定的に凋落したのも、戦中に親英政権を樹立したことが決定打になったとも言われている(それに焦った結果中東戦争に手を出して、敗戦に伴い軍自体の離反を招いている)。
シリア自体は第二次大戦後に独立した国ではあるが、現在のアサド政権については、もともと大統領就任当初、比較的開明的であったとされるアサド大統領が、政治改革や欧米諸国との関係改善などで「ダマスカスの春」と呼ばれる政策を主導したものの、軍を中心とした守旧派の抵抗や、同じバアス党政権のイラクがアメリカの圧倒的力により粉砕されたことに危機感を覚え、体制引き締めのために急速に反動政策を進めるようになったとも言われている。

クトゥブというアル・カーイダの原点とも言える存在に対してアメリカという存在が与えた影響、そしてそこから連綿と9.11に連なるアル・カーイダという組織の存在(明確に組織だっているわけではない、との指摘もある)。そして9.11が呼び水となったイラク戦争。イラク戦争の結果反動を強めたとされるシリア政府。クトゥブは当初王制時代にアメリカに教育行政視察のために訪れていた、という事実などを考えても、いかにアメリカという存在がこの地において大きな影響を及ぼしていることか。この影響は何も軍事介入や政府・反政府組織の支援といった明確なコミットメントだけではなく、一見無関係にも見えるところで生じた事象の遠因となっている点も含めて、ではあるが。アメリカがイギリスを支援しなかったらイギリスはドイツに勝てたのか、という架空戦記は除外するとしても、イギリスの継戦を支えたのもまたアメリカであり、イギリスが戦中のエジプトで半ば強引に親英政権を樹立させたのは、ドイツがエジプトに迫った時期に反英運動が高まったからでもあり、連鎖的影響として捉えると、アメリカの行動の一つ一つ、またアメリカという存在そのものが、もしかしたら直接植民地支配をしたイギリスやフランスといった国家よりも、大きな影響を与えている可能性さえ想起させるものがある。

現在シリアで反政府勢力の主とされるシリア国民連合であるが、その母体がもともとはアメリカの支援を受けていたにも関わらずアメリカから見放された国民評議会であり、シリア政府の反体制運動に対する厳しい締め付けがイラク戦争を遠因とし、その弾圧対象がアメリカが当初支援していた国民評議会を母体の一つとした国民連合であり、弾圧しているシリア政府を非難しているアメリカ、という構図もまたマッチポンプ的皮肉さがあるが、シリア国内の状況はヒューマン・ライツ・ウォッチなどからも最悪水準と批判される状況となっていることもまた事実ではある。
そういったことを考え合わせると、アメリカにとってシリアの現状は9.11から続く対テロ戦争の余波でもあり、過去の反政府運動支援の結果の帳尻合わせでもあり、同時にその遠因を作ったのがアメリカそのものでもあると指摘されてもおかしくはない、という状況に陥っているようにも見える。

9.11とシリアとアメリカ。
アメリカ自身、9.11の直後ほどに無理押しして介入に突っ走るほどではなくなってきている状況にあるようには見えるが、同時に9.11以降のアメリカの介入はほかならない中東諸国から「自由の押し売り」とも非難され、アメリカ国内からも「行き詰まったアメリカの輸出」とも皮肉を言われる現状もあり、どのような選択をするにしても、結局はアメリカ自身の過去の行動の結果に対して、どのように結論を出すのか、という点は一つの考察のテーマにもなるだろう。
同時に、シリアに介入すべきかどうか、という点において、確かに非難に値する状況でもあり、英米のみならずエジプトやリビアといった中東諸国との外交も途絶状態に陥っていることは考慮すべきでもあり、最大の支援国とされるロシアとイランのうち、イランは立場的に調停には入りづらいこともあり、ロシアの調停というのは介入を回避するとすれば最後の提案になるとも思われる。
今回のアメリカの動きは介入する場合でも大規模な地上軍を伴うものではないと想定されることから、介入の状況は限定的になるだろうとは思われる。ただし、アメリカとロシアという存在がアフガニスタンで演じた役割を考え合わせると、この調停自体はやはり米露間の影響力のオセロの一貫でもあろうし、アメリカが本格的な介入をしない選択をする場合、現在の反政府運動を母体とする限りにおいて、仮に現政府が倒れても決してアメリカにとって好ましい政府ができる状況ではないだろうことは念頭においておくべきようには思う。
9.11以降、イスラム過激派と呼称される総体を主対象として、テロとの戦いを演じてきたアメリカではあるが、シリアへの態度は過去の中東におけるアメリカの矛盾と現在の政策の行き詰まりが頂点に達しつつあるようにも思える。同時にまた、これは本邦がアメリカの中東における「現政策」をどこまで支持すべきなのか、について改めて考え直す契機にはなるだろう。
恐らくアメリカは介入をしてもしなくても批判にさらされることにはなるだろうし、その場合同調すれば日本も同様の批判は受けることもあろう。一方で、日本は中東戦争時にはアメリカ=イスラエルという構図とは一線を画した外交を展開したことも過去にはある。そして昨今ではアメリカの中においてさえ、イスラエルを無条件に支持・支援することに批判的声も大きくなりつつある。
9.11以降変わったとされるアメリカであるが、中東政策においてシリア情勢への対応を契機に、再び政策を転換する可能性はゼロではなく、同時に中東における一連の革命騒ぎ(いわゆるアラブの春)が、結局のところ壮大な失敗に終わり混沌が増しただけの現状を考慮すると、アメリカによる自由の輸出に対して、自由と平和を掲げる我が国の政策が、果たしてどこまで現地において「自由」で有り得るのか、「平和」をもたらし得るのか、について、一層慎重な検討が必要となろう。
そして、その検討は結局のところ、9.11以降の日本の原則として対米協調であった「対テロ政策への支持」という政策について、今後どのように舵を切るべきか、を判断することにもなる。

9.11は、いまだ終わっていない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中