保守主義論考 エドマンド・バークと本邦保守主義者の態度

 保守主義。
 この言葉ほど本邦において適当に用いられている言葉も無いだろう。同様に左翼という言葉もまたそうではあるのだが。曰く「文化と伝統を守る」、曰く「国を愛する」、曰く「右翼」、曰く「歴史修正主義者」、曰く「軍国主義者」、曰く「尊皇派」等々。果たして、そのどれもが適当に都度自認として、また批判の言葉として用いられている。昨今では「排外主義者」とも同義に用いられることさえある。しかし、そもそもその「保守主義」という用語について、どの程度の思慮を働かせて用いているだろうか。
 1955年のいわゆる政党合同以降、「保守・革新」という言葉で括られることにより、「保守政党=自民党」「革新政党=社会党・共産党」といった区分がなされ、その分類において一般に進歩的文化人と呼ばれた一群が社会党ないし共産党寄りの発言を繰り返し、また自民党がしばしば戦前について、または先の大戦に対してともすれば是認的言動を行ってきたこともあり、「保守=戦前・大戦容認」であったり、「保守=新しい考えを認めないこと」であったり、といった認識も広がったようには考える。確かに「保守主義」というものの源流を欧州の革命時代におけるアンチテーゼとして確立されてきた経緯を適用すれば、そのような認識も一面では正しかろう。一方で、アメリカを伝統・文化の破壊者として見る立場に立てば、自民党は「親米政党」であり「いつまでも占領期同様の基地体制を維持し続けている」わけであり、「親米保守はおかしい。保守こそ反米であるべき」という見方も立てられよう。その部分だけを見れば、この理屈で言えば「共産党・社民党」も立派な保守であるのかもしれない。しかし、反米保守の立場であってもさすがに共産党や社民党を「保守政党」と呼ぶことは無いであろうことを踏まえると、この立場は「保守主義」の必要要件ではなく、主義の帰結として導かれているひとつの解でしかない、とは言えるだろうし、そうであれば「親米保守」という立場もまた成立する余地はあろう。斯様に「保守」という言葉の定義や運用は個々の主張と結びつきこそすれ、本邦においては体系的に確立した概念では”ない”のではないか、と思えてならない。

 保守主義と呼ぶ際、真っ先に思い浮かぶのがエドマンド・バークであることは異論の無いところであろう。保守主義の父とも呼ばれ、フランス革命に反対の立場を取った人物である。自分も保守主義の原点として彼を位置づけることに異論は無いし、また同時に「保守主義とは何か」を考える際、そこを抜きにしては語れないとも考える。しかし、バークもまた矛盾を孕み、同時に本邦において恣意的引用が繰り返されてきた人物でもあろう。バークがフランス革命を否定した理由のひとつは、それが社会契約論的思考を基盤に置いて展開されたからであるが、バークにとって社会契約論は忌むべきものであった。バークの指摘が正しければ、であるが、社会契約論的方法で構成された統治体系の場合、人民はそれ自身の性向・思想・罪の有無などに関わらず、任意に統治体系を選択することができるのに対して、統治者=君主(当時の統治者)は統治の義務はあれ、人民が気ままに処断できる存在となってしまう。バーク自身は極めて貴族的人物であって、彼が保守したいと切望したそれが「王」「貴族」の権利であり地位であったことは想像に難くない。いわゆる「世襲」がイギリスにおいて封建制・王制の中で特に重要な「財産」であり「権利」であったからこそ、その侵害は「歴史的継承」にあたるのであり、それ故にフランス革命に猛烈な反発を見せ、社会契約論を徹底して批判したのである。一方で、バークはアメリカ独立においては、イギリスではなくアメリカの独立運動を支持している。バークによれば、それはイギリスが「植民地統治権」といったものを振りかざして横暴に振舞っているからという理由であるのだが、そもそも独立しようとした「アメリカ」とは先住民のそれではなく、入植者による「独立」であり、確かにバークが危惧してやまなかったイギリス王族・貴族が「世襲的相続」を行ってきたような財産などがなく、正統に守るべき理由はなかったのであろうが、同時にこのあたりはバークの限界であり、同時に当時の「人間とは何か」という概念的問題の限界でもあっただろう。
 バークの言う「偏見」の尊重、「歴史」の尊重とは、古来より受け継がれてきた習慣・因習であったり、また明確化できないもの(もしくは理論化できないもの、と言っても差し支えないように思う)に対しての肯定であるのだが、これは当時のイギリスにおける「相続」概念(権利)を抜きにして考察することはできないのであり、そこを無視して無理に表面だけを本邦に適用するのはまた過ちをもたらすであろう。そもそもイギリスにおいて「権利の章典」でさえ、その自由の要求は「古来より相続されてきた英国臣民の権利・自由」であるが故に「国王はそれを尊重すべきである」という論理構成となっているため、しばしば本邦においてフランス革命のそれやアメリカ独立戦争のそれと同様に「自由希求の象徴」として捉えられがちであるものの、その根本はあくまで「相続権利を尊重する」という形式であり社会契約論的自由・人権思想とはまるで異なる性質のものである。そもそも「権利章典」自体、「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」という名称であり、そこに「臣民の相続的権利」として規定される自由である、という事実こそ、いかに「相続」が重要且つ根源となっていたかが理解できよう。そして、人民主権が相続的権利ではないが故にフランス革命に反対し、同時に相続的財産でないが故にアメリカ独立においてイギリスを批判する側に立ったのである。
 
 本邦において、しばしばバークを保守主義の父として取り上げ、またその思想を革新思想(所謂左翼的思考)へのアンチテーゼの玉条の如く持ち出すことがあるが、果たしてバークのそれを正しく理解しているであろうか。民族という用語をここで用いることは避けるが、敢えて言うならば、バークがアメリカ独立に際して取った態度をこそ、帝国期の半島支配に対して取るべきだろうし、もう少し手前のところで同じくバークのインド統治に対して見せた「文化の尊重」というバークの理論的骨子の部分における態度と同じように、その支配のあり方を批判的に捉えるべきであろう。しかし、一方で左翼批判の文脈においてバークの理論を振りかざしながら、一方でそのバークの理論の骨子に反するかのように半島支配を「経済発展したのだから」「近代化してやったのだから」と発言するのは、論理的一貫性として欠ける態度と言えよう。もちろんバークの理論を援用したからといって、それを全面的に肯定する必要もなく、同時に一部を用いて発展させ新たな理論に昇華させることは十分に有り得ることではあるが、理論の根幹の部分で背反する論立てを並行して公言するのは、バークの理論を理解していないのではないか、と思えてならない。
 

 そして同時に、自民党がバークの唱える意味においての保守主義かといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。自民党が反革新という意味においては「保守派」の系譜として、ある種の正統な後継であるのかもしれないが、政治的ポジションとしてのそれが思想的それと必ずしも合致するわけではない。社会党と共産党が同じように「革新」に分類されながら決定的に相容れない点があったことは歴史の示す通りだが、思想的意味よりも実践的行動に対しての思想の具現化においての相克でもあった。自民党の場合はそのような対立はしばしば派閥抗争や政策論争の形で党内で行われたわけだが、その程度には党内でさえ相違はあったのであり、中には社会民主主義に近い、保守主義からはいささか距離を置くような政策も見られた。だから自民党を「保守政党ではない」と言いたいのではなく、「保守主義とは何か」を考えずに「反革新だから」と言って安易に「保守主義であるかのような錯覚」を起こすべきではない、ということを忘れてはならないだろう。例えば吉田茂が、岸信介が、佐藤栄作が、田中角栄が、保守主義者であったかどうか。また、その政策を行った自民党という政党が保守主義的であったか、という点については、いろいろと再考の余地があるように思う。
 改憲論議にしても同様で、「押し付け憲法論」というのは確かに移植し縫合した結果としての日本国憲法に対するひとつの態度ではあろうが、それが日本国憲法の「内容」ではなく「手続き」や「経緯の一部」のみを以って不当としながら、同時に「万世一系の皇統こそ日本の伝統」という場合、形式的には日本国憲法は大日本帝国憲法の改憲手続きを経て、陛下の詔書を以って、陛下臨席の下での大日本帝国衆議院・貴族院において採択・公布されている事実に対して、どのような態度と言えるだろうか。「皇統」という点においてはバークの偏見論に沿った保守主義的態度と言えるかもしれないが、同時に先帝陛下が関与する形式を経て公布されたものを軽視する、というのはその皇統に対しての態度と矛盾しないだろうか。もちろん「皇統」という系譜が重要なのであって、「天皇」という「個」「一代」のそれは誤ることもあるのであるからそれほど重要ではない、という立場もあろう。しかし、自分の見ている限り、そのような論立てで「押し付け憲法論」を正当化する論は見たことがない。恐らく、ではあるが、「陛下を戴く国体」と「自身の主張」との間で整合性が取れないからであろう。天皇の過ちを正す、ということは輔弼する臣の態度として必要な態度でもあるだろうが、昨今の「保守」を標榜する集団が「皇統」「天皇」は尊重し敬愛されるべきであり、よもや「過つ」などという批判は想像の埒外であるか、そうでもなければそこを切り離すことでしかこの問題を存立させ得ない、といういずれかではないか。もうひとつ反米だから、という理由も立てることができるし、また一方で左翼的だから、という理由も立てることができるが、保守主義者であるならば、そのいずれの論を採るにしても、日本国憲法制定過程における形式的手続き的意味における先帝陛下の関与を避けて通ることはできないのである。日本国憲法の社会契約論的性質をバークの理論によって批判することは容易いし、またバークの言う偏見論としての意味合いにおいて批判することもできるだろうが、同時にバークの理論において最も重要な「相続的権利」という点においてはどうか。本邦の国体において、そのような意味合いにおける最も象徴的相続継承は他ならない皇統であるわけだが、その一代の御世において行われ、他ならない先帝陛下が関与したそれが過ちであったとするならば、先帝陛下そのものも批判されねばならないだろう。この撞着には自民党でさえも囚われていると言えるだろう。
 また、日本国憲法と合わせて大きく手を加えられたものに皇室典範があるが、ここで最も重要な改正事項は「皇族会議」に代えて「皇室会議」を規定したことである。これは戦前の皇室会議を「国民の代表機関的意味合いも含めた」会議へと転換するものであったが、「天皇」という憲法上の位置づけは統治体系の主権者による改変としてその選択に委ねられるとしても、皇位継承といった問題はどうなのか、という大きな問題を孕んでいる。皇族会議は本質的には「皇室」という、語弊を承知で言うならば一族内の会議であったのに対して「皇室会議」はまったく異なる性質を持つものである。そもそも皇室会議において出席できる皇族の員数規定から、会議の決定は皇族の意向は無視しても可能であるものとなっている。天皇の「憲法上の位置づけ」としての問題からこの規定を妥当することもできるだろうが、こと「皇統」を最重要視し絶対護持を声高に叫ぶ者が、恐らくは日本国憲法よりもより重要であろう皇室典範におけるこの会議の存在に対して、あまりにも無視していることをどう考えれば良いだろうか。原則として不文律で長嫡子順の継承を基本とはしているが、「皇室会議」においてこれを覆すことは不可能ではない。バーク的に言えば、保守主義の根幹たる「相続的権利」に対する侵害とも言える。皇室財産に対する皇室外からの関与も同様である。とかく第九条ばかりを槍玉とし、問題視し、それが故に本邦の根幹が揺らいでいるかのように叫びながら、この態度は不可解でさえある。さらに言えば、この皇室典範改正についてはGHQ主導というよりは、寧ろ本邦の側が主導して行ったことでもある。明治帝からの伝統、という点に限ってさえ、このような問題は不可分に付き纏っている。

 もちろん人間である以上矛盾は孕むものではあるし、必ずしも首尾一貫することがあるとは限らない選択が必要になる局面もあるわけなので、それそのものがあることが必ずしも問題であるとは限らないこともある。しかしながら、昨今の保守主義を標榜する一群の中で、バークを論拠に据えて論じる一部の論者があまりにも恣意的無理解にバークを流用し、似ても似つかない主張を繰り返しているのではないか、と思えてならない。自分がしばしば「保守主義の原点は古典的保守主義にあり」というのは確かにバークを念頭に置いてはいるが、さりとてバークの理論をそのまま直接に本邦に適用できるとは考えないし、補助線としての原点にはなり得ても、全面的に適用するのは愚でさえあるとも考える。然しながら、バークのそれを主張の論拠に据えるならば、せめてバークの理論は極めて欧州君主・貴族的それが「前提」となって論じられていることを念頭に、果たしてその論が自身の主張根拠になり得るのか、ということをよくよく考えるべきであろう。自身の主張根拠のために表面的にバークの理論を継ぎ接ぎするのでは、結論ありきの話であり、まともな論にならないことは自明でさえある。もっとも、日本国憲法を否定し大日本国憲法に立ち返って再度自主憲法を制定すべき(もしくは大日本帝国憲法を復旧適用すべき)、と言う論者は、大日本帝国にバークの理論が影響を与えているという指摘が一部にあることは再考すべき点であろう。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中