「同性愛が感染して増える」的言動見てつらつらと思う

あまりに酷いものを見たので、一応本を読む気はあるようなので、引用を主に書いておくことにする。

さて、ではまず「性的自由について/学生への手紙」(リチャード・ヘトリンガー著/小池和子訳/勁草書房/1983)より。
「彼等のうちの何人かは、同性愛者が若い男の子にとって危険だという、よくある思いちがい-学校の先生がゲイだとわかるたびに、あるいはホモセクシャルの誘惑が関連する殺人事件が新聞の見出しになるたびに、公衆の大騒ぎをひきおこす恐怖心-を共有しているのかもしれない。だがこうした懸念には根拠がありません。(中略)第二に、平均的な子供(異性愛志向です)が、同性愛との大人との接触によって、たとえその人物が性的接触をはじめるとしても、それに「感染」する傾向はどうみてもない。」(P.133~134)
「ゲイの男性の擬似女性としての排斥(記事主注:男性同性愛者を女性に擬制することで男権社会=家父長社会における男性優位性を堅持するために行われることは別途本文記載有り)は、(中略)偏執狂的不安や同性愛いじめの説明になりません。あなたの友人ジョンが経験している不当な差別を生みだすのは、この性差別主義者の態度と同様に間違った第二の仮説です。この仮説方程式の第二項は、ホモセクシャリティは伝染するという間違った信念です。」(P.137)
「しかしながら重要なことは、個々の要素がどう作用するにせよ、“同性愛の好みは六~七歳までに確立される”という事実上の一致があることです(記事主注:その前段で遺伝的影響、胎内でのホルモンの影響、幼少期の経験や家族関係の不安定さなどの諸要因への言及を受けての結論)。(中略)同性愛だからといって誰かを非難するのは、不公正、無知というものです。」(P.140)
ここでさらに注記を重ねるとすると、 ショウジョウバエの実験で遺伝的人為的に同性愛を生み出したように扱われる事例があることは付記しておく。この実験は特定の遺伝子を操作することで、雄の雌化、雌の雄化を人為的に引き起こした実験例である。この場合の雌化とは雄に関心を示すようになる、雌化は雄を誘惑するようになる、というものだが、当然ながら「伝染」するような代物ではない。これは主として脳の性行動に対する作用を巡る研究の流れで位置づけられるもので、当然ながら「疫学」の話ではない。脳科学、生理学または遺伝学に関する分野の研究である。

続いて別の書よりいくつか引用しよう。
次は「ゲイ・スタディーズ」(キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也著/青土社/1997)より。
「エリス・ハンソンは「不死(Undead)」という論文でマスメディアにおける同性愛者のエイズ患者の仕方と吸血鬼のイメージの連続性について論じている。同性愛者のエイズ患者は悲恋の病人の死であるよりも、他人にも「自分たち」の病気を移そうとしている「歩く死(Undead)」そのものとして描かれるとハンソンが指摘する。ハンソンが書いているように、これはエイズ出現の前から存在していた表出なのである。」(P.127)
「実際には異性愛者と同性愛者の力関係において圧倒的に脆弱なはずの「あなた」であるにもかかわらず、この小説(記事主注:浜尾四郎著、S4「悪魔の弟子」)においてはほぼ妄想的に、ひ弱い「異性愛者」である主人公の運命まで決定する魔力のある「この世に於いて、もっとも危険な人間」だと規定するのだ。しかし、この読者が持つだろうこれらの反応はすべてが浜尾の巧みさに起因するものではない。むしろこの小説は、その劇的効果を生み出すために、当時の社会に既に存在していた同性愛者への嫌悪感を、動員しているのである。つまり、同性愛者を女性(この場合は、即ち家族や生殖=生)と無関係な、「非社会的」で不気味な、ひいては殺人的な「悪魔」のように捉える同性愛嫌悪を。」(P.130)
「同性愛嫌悪の社会において「無知」は単純な知識の欠如ではない。無知とは、セジウィックが述べたように「空洞としてもでも空白としてでもない、重みのある、領有された影響力のある場」なのである。ハルブリンが述べるように「中立的で、平静な、あるいは政治的には無害な『無知』ではなく、一連の殺人的効果」として現れるのである。」(P.184~185)
「一九九一年二月、東京都教育委員会の「青年の家」利用拒否決定を違法として提訴した直後、アカーは東京・霞ヶ関の東京地方裁判所司法記者クラブで記者会見を行った。会見で、居並ぶ報道メディアの記者たちに対して、一連の活動の主旨の一つとしてメディア向けに「反・ゲイ差別キャンペーン趣意宣言」を配布し、同性愛者に対する差別や偏見の解消に向けて正確な知識や情報の普及に努めることも説明した。この記者会見および提訴に対してTBSの夕方のニュースは「『禁色』?ゲイ裁判」という見出しテロップとともに報じた。さらにアカーの名称「動くゲイとレズビアンの会」は「動くホモとレズビアンの会」と変えられた。四月には日本テレビで「おかま特集」なるものが組まれた。その中での物言いは「日本でも、ある事件を契機に立ち上がったおかまたちがいる。おかまの権利を守るために、東京都を相手に裁判を起こしたのである。そのおかまたちは「動くゲイとレズの会(アカー)」同性愛者が始めて大胆なアクションを起こしたこの裁判の今後に注目したい」というものだった。」(P.207)
青年の家を巡る訴訟はそれこそ同性愛者のみならず、一般的に大々的に報道されたものであり、有名でもあるが、「禁色」や「おかま」「ホモ」など、社会的に嫌悪と侮蔑の文脈で用いられる用語(または刷り込まれた誤解そのまま)が乱舞し、内容はおろか団体名称さえ正しく報道されない始末だったことを、これは示している。少なくとも当事者ならなぜ「ゲイ」や「レズビアン」(≠レズ)という呼称を用い、「ホモセクシャル」や「レズ」を用いなかったのか、については当然に差別的文脈から選択されたことは自明であるわけだが、報道段階ではものの見事にその意図は、報道関係者によって粉砕されている。

さて、次は別の書から引用してみよう。
「性と死」(ジャック・リュフィエ著/仲澤紀雄訳/国文社/1990)より。
「疑う余地もない同性愛者が結婚し、子供を持つ例もある。自覚すると、同性愛者は受けた教育、社会の制約の影響で自分の素性を恥じ、罪悪感を覚え、結婚と生殖でこれを打開しようと試みる。しかし、ときには長い苦しい戦いののちに自分の性向についに負けることもある。このような状況では、同性との最初の性交ののち神経衰弱症候群が現われ、自殺を企てることがある。」(P.292)
「今日では、同性愛者はもはや「罪人」「変質者」ではなく、他のひとびとと同じように自分の相違を保持する権利のある「違った者」とみなされている。同性愛を社会疎外から救い出そうとする法律の進展についてはすでに言及した。しかし、社会の圧力はなお重く、大衆が心から素直に受け入れるにはまだ多くの時を必要としよう。現在のところ、男性の同性愛者は、日常生活では職場の同僚、隣人、友人たちからあいかわらず差別の対象とされている。よくて笑いもの、悪ければ隔離だ。多少無意識のうちに、周囲から排斥されている。相互援助と連帯の組織がほとんどいたるところで日の目を見ているにもかかわらず、当人にとって生活は決して容易ではない。」(P.294)
注記しておくと、これは日本の話ではない。人権一般に本邦よりもより広く普遍的に受け入れられているとされる欧州等での話である。

次に「差別と排除の〔いま〕⑥セクシャリティの多様性と排除」(好井裕明編/明石書籍/2010)より。
「1970年代以降の、全世界的な性的マイノリティの解放運動の影響もあり、また同じ時期に日本で起こったゲイスタディーズや当事者たちの異議申し立て運動の成果もあり、確かに以前のような露骨で素朴な排除や差別は影を潜めているかもしれない。これは性的マイノリティをめぐる私たちの常識を変革していく一つの大きな成果と言えるだろう。しかし、こうした成果が世の中に確実にある意味を与えていく一方で、私たちの多くは、性的マイノリティのことを自分はよく理解していくのだということを外に向かって伝える“受容の作法”を習得しているのである。そして、この“作法”の内実が問題なのである。自分と性的な嗜好が異なる人々が存在することは受容する。ただし、それは彼らが自らの日常生活世界を具体的に侵犯してこないかぎりにおいて、なのである。男性同性愛、女性同性愛を生きる人々の存在を認めたとしても、自分が生きている根底に流れている異性愛主義や異性愛が問う当然という意識やそれをめぐる実践的な処方知を一切見直そうという志向じゃ、そうした受容には欠落しているのである。荒っぽく言えば、素朴に排除や差別をしていた頃よりも、なまじ相手がわかった風に振る舞い、当事者を理解していることを外に示すような“受容の作法”を身につけたうえで、自分が生きている生活世界からは、しっかりと理屈をつけ、排除していく現代のほうが、より繊細で陰湿な排除が日常に息づいていると言えないだろうか。」(P.10)

さて、他にも性と身体を巡るそれは同性愛に限らず多々あるのだが、越境者、異質者としてのそれをどのように捉えるか、というのは極めて文化的、社会的視点でもある、ということを付記して筆を置く。
冒頭初っ端で引用した「同性愛の感染」についての話や、後段で引用した「同性愛者団体」の一連の訴訟を巡っての記者会見の後の惨憺たる状況など、諸々を考慮すると、いかに「同性愛者はその偏見を解消する努力をしろ」という言説が、そもそもの最初から間違っているかがよくわかろうというもので、団体名さえまともに報道してもらえなかったのはつい最近まであったことなんですよ。最も、今それをやると抗議がはるかにされやすく、またそれがウェブ上の炎上騒動にもなるため、当然に「作法」は身につけつつあるのでしょうが。

■参照文献
性的自由について/学生への手紙 (1983年)
リチャード・ヘトリンガーは宗教学者でもあり、性教育指導者でもあります。


キース・ヴィンセントは日本におけるエイズとホモフォビアに対する源流を近代日本で見出そうとした著述もある日本文学専攻者で、風間孝や河口和也は多数の同性愛者と運動に関する著述があります。

性と死
リュフィエは本書にて性を生命科学、生物学の立場から取り上げた大著で、本書出版時は当時のシラク・パリ市長、デスタン元大統領も賛辞を送られました。血液学や遺伝学、免疫学にも多くの論考があります。


好井裕明は社会学に加え、オーラルヒストリー学会や障害学会会員も勤め、差別論考を主とした著述が多数あります。

筆者・編者に対する記事主注は、念の為。

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