都知事選挙終わって

 「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」
 自己の生存を主張をすることは、生きとし生けるものの最高の法則である。この法則は、あらゆる生きものの自己保存本能として示されている。しかし、人間にとっては、肉体的な生存ばかりでなく、倫理的なるものとして生存することも重要であり、そのための条件の一つが権利を主張することなのである。人間は、自己の倫理的生存条件を権利という形で保持し、守るのであって、権利をもたない人間は獣に成り下がってしまう。(「権利のための闘争」イェーリング/村上淳一訳/岩波文庫/1987第9刷/P,49 ~50)

 民主主義のためには、すべての国民が教養ある自主的な人間として生活でき、生活のために自由や人格を、金力や権力に身売りする必要のないような経済的条件が必要である。自由や平等は、単に法律的、形式的に認められるだけでは足らず、ある程度まで経済的、社会的にも保障されねばならぬ。でないと民主主義は「金権支配」になってしまう。基本的人権は単に自由権だけではなく、同時に生存権を含むことを忘れてはならぬ。(「政治・民族・国家の話」/矢部貞治/講談社学術文庫/1980第1刷P.96~97)
 (略)
 しかし、ひとたび民主主義の憲法が成立し、国民意思の前に平和的な改革の扉が開かれているとき、国民の意思を無視しまたはそれに反対して、少数の独裁主義者が暴力革命に訴えることは許されない。民主主義では、目的のために手段を選ばぬということは是認されない。暴力と専制によって目的をとげようとすることは、そもそも民主主義の根本理念が許さないのみでなく、かりにそのような手段で、無理矢理にある目的を実現したところで、国民の多数が自由な心でそれを納得し理解しない限り、その目的は価値を発揮しないし、永続きもできない。それを無理に押しつけようとするから、そこにはテロとスパイの恐怖的権力政治が生まれるのである。民主主義はあくまで「人民による政治」で、たとえ「人民のため」と思ってやったことでも、自由な国民意思によるものでなく、一部の権力独占者によって押しつけられた政治は、どんなに強弁を弄してもやはり専制主義なのである。(同著P.101~102)
 (略)
 民主主義では、自覚を持つ個人個人が、改善と向上のため日常不断に主体的な努力を重ねてゆくことの中にこそ、救世主が宿っているのである。(同著P.104)

 (前略)すなわち、社会状態のあらゆる必要条件を十分に満たしうる唯一の統治は、国民全体が参加する統治であるということ、たとえ最小の公共的職務にではあっても、どんな参加も有益であるということ、その参加はどこにおいても、共同社会の改良の一般的程度の許す限り大きなものであるべきだということ、そして究極的にのぞましいのは、すべての人びとに国家の主権の分担をゆるすこと以下ではありえない、ということである。しかし、単一の小都市を超えた共同社会において、公共の業務のうちの若干のきわめて小さな部分にしか、すべての人が自分で参加することはできないので完全な統治の理想的な型は、代議制的でなければならないのである。(「代議制統治論」/J.S.ミル/水田洋訳/1997第1刷P.97~98)

 棄権も権利。それは違う。棄権とは権利の放棄であり、民主主義とは基本的に「全有権者」の「主体的」かつ「自立的」意思表明を以って、不断に努力し、また「相対的」に自己の政治的主張に沿った代議者を選び、またたとえその結果が自己の主張と異なるものであれ、協調と合議によってその実現を図る道を自ら放擲することはその根本の前提たる「主権の有権者への分担」を蔑ろにするのではなかろうか。
 また、ひとたびその主張が少数となることが明瞭になったとしても、それは尊重されるべきものであり、同時にそれは「協議」「合議」という妥結と前進を要請もするだろう。一切の妥協を許さないことは、即ち民主主義の代議制統治形態の否認でもある(矢部氏が革命思想の残る「社会民主主義」ではなく、民主主義に基づいた「民主社会主義」による階級対立の解消を求めたことも示唆的である。詳しくは前掲書)。

 都知事選挙の予想投票率が過去最低と目される中、いったい民主主義を求め、また保持するために不断の努力をする者が誰であるべきなのか、その努力は棄権や不投票という形で表すべきなのか。
 最も、票を投じたところで変わらない、というシニシズム、またはニヒリズムというべきものもあろう。たとえそうであったとしてもなお、そのような態度は「民主主義的」ではないだろう。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法<前文>)

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