言論・表現の自由を巡るとある一例

 断っておくが、今回の3Dプリンターのそれとは切り離して、以下を書く。
 
 引用はすべて「全検証 ピンクチラシ裁判 言論・表現の自由はこうして侵害された」(清水英夫編著/一葉社/1993)より。

1986年7月18日、朝日新聞の夕刊社会面を見て驚いた。
「売春広告で荒稼ぎ」「組幹部ら5人逮捕」「印刷業者も書類送検」(P.20)

 
 この印刷業者は1979年に歌舞伎町にプリントショップを開店した。場所柄「こワイおニイさんも来るし、外国人の水商売の客も多い(P.23)」一方で、「「警察署」からの注文もある。もちろん、超特急、最優先だ(P.23)」だったそうだ。創業7年にして、ようやく事業が安定してきた矢先に上記の新聞記事が出された。この業者はどの顧客にも価格等を弄ることなく、対等平等に接していたそうである。警察からの注文が入ることで、「ピンクチラシ」の注文を断る口実ができたとさえ喜んでいたそうだ。
 

A印刷が”ピンクチラシ”を受注していた当時、顧客としてかなり大勢の警察官が出入りしていたが、刷り上がったばかりの印刷物を見て、「こういうモノを印刷するのは犯罪だ」と指摘したりした警察官は誰一人いなかった。(P.27)

 実際にこの印刷業者はこの種の仕事は嫌がり、それらしき文言が隠喩でさえあれば断り、判断がつかないものは警察に判断を仰ぐよう押し問答をした挙句に客として来たそれを怒らせて帰らせてしまったこともあったそうだ。この時摘発された業者は二社あったが、一社はしっかりと納税もし、もう一社は新聞の切り抜きを持ってやってきた税務署の職員が“ピンクチラシ”と指摘されたそれで「荒稼ぎ」どころかむしろ損をしていることを確認して同情したほどであったそうだ(未収額等の方がよほど大きかったらしい)。後社はこの新聞記事を契機として、廃業に追い込まれることになる。
 この摘発(?)の時期はちょうど死刑廃止運動(といっても講演程度)から反原発運動、市民運動系に大量の無差別ガサ入れが入っていた時期であり、あの福島瑞穂氏がまだ弁護士活動をしていた時期でもある。この時に「理由なくガサられた」として六十人近い人間が国家賠償訴訟を起こした(P.40)が、その時には既にガサ入れがあった、という理由だけで退職に追い込まれるなど、家庭崩壊・生活基盤の崩壊を起こした人も少なくないようだ。この部分(P.40)の記述を担当している丸山友岐子氏は、一面識もない人物の住所録に記載があったこと(なお相当公に入手可能な名前・住所)と、死刑廃止の講演に行った一回のそれで「過激派」としてマークした人が居た、の二点でガサ入れされている。なお、このガサ入れは「日本赤軍」を名乗って活動したこともある丸岡が旅券法違反で逮捕され、それに関連したものである。たまたま集会に誘われ、日程があったので参加し、回覧されてきた署名に記名しただけ、である。丸岡氏が日本赤軍を名乗って活動したことがあったかどうか、丸山氏は恐らくガサ入れされるまで気付かなかったようだ。この時の朝日新聞の報道の酷さ(自身のだけではなく、知己にも巻き込まれた人がいたようだが、日本赤軍とは無関係)はP.44~46あたりに簡潔に記載されているが、その理不尽さへの怒りは推し量れる(朝日だけではないいくつかの紙面が明示されているが、もっとも辛辣に批判されている)。
 上記の二社のうち後者の一社は、新聞記事のおかげで倒産・失業の挙句に、書類送検した当の検察から「早く認めて謝る」よう何度も忠告されたそうで、「すぐ謝って有罪になってもいいと思っているんです」とすっかり参っていたそうだ。なお、新聞が「印刷業者も書類送検へ」と報道を飛ばした時は、まだ「取り調べ中」だったようである。
 なお、相談に行った先の弁護士には「でも刷ったんでしょ?」と言われたそうだが、それをきっかけに「売春情報」を出版物を探して回ったそうだが、当然に呆れるほどあっさり多数「週刊誌」がそれを掲載していて、それらの出版物は大手出版社だったそうだ(社名は記載無し)。なお、協力者に恵まれたようで、いろいろな事例が回収できたようだが、「ANAL SEX ONLY」と書き「当店は買春をやっておりません」と御丁寧に記載されたチラシもいくつも見つかったようである(P.56)。なお、売春防止法では「性器と性器の結合」が対象であり、巧妙に法の抜け道を潜り、「やっておりません」と法に適った文言を書いたわけである。悪法も法なりとはよく言ったものだ。なお、戦前の事例も調べたようだが、治安維持法下でも「刷る」ことだけをもって「幇助罪」に問われた例はなかったそうである(P.57)。
 なお、書類送検の対象となった”ピンクチラシ”の印刷物というのは、二社のうちの一社が黒いユニフォームの一団に店を占拠され、拒み続けたもののほとほと困り果て、もう一社が「これっきりということであれば」と助け舟を出したのが徒となった代物であった。この二社がちょうど第一審判決の出る直前に、別件同容疑で起訴されていた別の印刷業者が懲役四ヵ月執行猶予二年の判決を喰らっている。
 弁護団の憲法判断闘争も実らず、「チラシを見た。見たからには売春用と認識していたはずだ」との判決文とともに、懲役三か月執行猶予二年の判決が下る。この判決が午前中より三日間にわたり連日テレビがガンガン実名報道を繰り返し、ご丁寧に店舗を隠し撮りまでして垂れ流したお蔭で、遠い場所にいる実家には本件のことは告げていなかったにも関わらず、「まるで連続殺人犯みたいな騒ぎじゃないか」(P.69)と、こっぴどく「叱られた」そうである。
 
 この第一審判決の後、さすがにあまりに酷いとのこともあり、77人にも及ぶ大弁護団が半ば任意に結成され高裁に臨むことになった。憲法の専門家、先般裁判官を退任されたばかりの弁護士、風俗問題を主として扱う弁護士から、アメリカ人弁護士など、凡そ零細業者には望外な豪華な弁護団である。海外で同種の「刷る」ことによっての有罪事例がないこと、戦前の治安維持法下でもそのような事例がないこと、刑法運用の観点から問題が多いことなど、およそあらゆる方面からその不当性を告発し、判決に臨んだ。結果は高裁も一審同様の判決であった。判決公判に先立って、この事案の持つ意味合いなどを一通り記者会見でレクチャーした後、一審判決時のテレビ報道における報道姿勢や内容がいかに無関係の人間をも巻き込む大事であるかを声を大にして訴えたところ、今度は二審有罪の事実さえも今度は報じず、却って新聞が大きく取り上げるといった事態に至る(P.75)。

 一審・二審と結審した二ヵ月後の1991年2月、表現規制界隈では有名な「有害コミック一斉摘発」が始まり、書店員、零細印刷・出版業者を中心に、70名以上が書類送検されることになる(P.77)。そして最終的に1993年、最高裁で有罪が確定するに至った。
 なお、この当時の売春防止法では管理売春罪(置屋等)、ソープランドなどは場所提供罪、愛人バンク等は周旋罪、ビラまきやポン引きは誘引罪等である。看板や印刷の類を規制するような法律はなく、売春防止法は売春に及ぶ当事者は処罰対象外となっている。なお、1960年代~90年代にかけて、本邦からの「売春ツアー」はその行先を変えつつ各国で都度批難されることにもなっていたが、まさにその流れの中で、売春防止から最も「遠い」印刷業者がその印刷行為を以て「幇助」とされた判例が残ることになったのである。1990年代以降、1994年に「児童の権利に関する条約」を批准した僅か2年後の1996年にはそれまで隠語として使われていた「援助交際」なる言葉が流行語大賞に入賞することになる。まことに滑稽なことである。
 この後、同著では延々と各氏が日本国憲法上の疑義、自由権の問題から各国での同種問題での司法判断や世論傾向、戦前でも為されなかったような「幇助罪」適用の重大性などを各方面から指摘を加えている。是非一読されたい。証言内容がどのようなものであったのか、それに対してどのような判決が下されたのかも網羅している。
 同著の結びは、日本国憲法・売春防止法・刑法出版法の各該当法令の引用と、一連の経緯年表で締めくくられている。

 
 
 同著を読んで、それでもなお「愛国ポルノの出版」または「店頭配荷そのもの」が「悪であり法規制されるべき」と判断できるとしたら、個人的には相当現状の司法運用への信頼が高いのだろうな、と思いつつ、暗澹たる気持ちになる次第である。

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