大衆運動としてのナチス、

 大衆の無関心がファッショを呼び寄せる、という言動がしばしば聞かれるが、これが誤りであることを以下に簡単にまとめてみよう。
 
 もともとワイマールドイツの議会制移行後の投票率は常に極めて高い水準で推移している。1919年の83.o%をスタートに、もっとも落ち込んだ時期で1928年の75.6%、ナチスが本格的に勃興する1930年代は常に80%以上、1933年は過去1年間で3回目の選挙にも関わらず、88.8%と最高値を示している。※史料により小数点以下の差異があるがどの史料も概ねこの数値
 そして、1919年の選挙において、ボイコット戦術を展開した共産党に対して、社会民主党は37.9%の得票を得ることになった。明らかにワイマール期のドイツは「革命」でも「労働者政権」でもなく、「議会制統治」を選択している。事実社会民主党は明らかに労働者代表政党と言うよりは、大衆政党としての性格を持っていた。「抑圧する独裁権力機関」対「抑圧される労働者階級」といった状況が生起したわけではなく、寧ろ資本主義化・工業化の進展によって勃興した「大衆」という名の存在を、共産党は明らかに最初の選挙で見誤っていた。大衆は議会制を求めたのである。
 共産党は選挙ボイコットから戦術を転換し、1920年選挙の2.1%を皮切りに得票を次第に伸ばし、1932年の年内2回目の選挙では寧ろ16.9%と社会民主党に迫る勢いを見せ、30年代は常にカトリック中央党を上回る勢いを見せていた。このことも議会制という体制における体制内政党(合法政党)として支持されたことを意味するだろうし、ナチスが1924年の得票6.5%から1928年の2.8%へと下落した後、1930年代の選挙で躍進することになる。1920年代後半は好景気により支持が落ち、資金難で党大会が中止に追い込まれる有様であったが、1924年選挙から1928年選挙までの間、共産党もまた12%から10%へ伸び悩みを見せていることから、好景気が過激・先鋭な主張を望まなかったことが窺える。
 その点に於いて、共産党同様ナチスが合法的に政権を「獲りに行く」と判断したヒットラーの決断は、大衆政党として「正しかった」判断と言えるだろうし、また、そのような選択をしたからこそ大衆はナチスを「選択できた」とも言える。1930年代初頭のナチスと共産党の伸張は、明らかに1929年に波及した世界恐慌による大衆生活の窮乏が大きな要因になっていると考えることができる。右傾化・左傾化以前に、職の問題であった。1929年に失業率8.5%を記録して以降、加速度的に失業が増大し、1932年には29.9%が失業者となっている。
 

 この時期に何が進行していたかは以下が参考になる。「ドイツ近代史/木谷勤・望田幸男編著/ミネルバ書房」より引用する。
1928年末のルール鉄鋼争議が示しているように、労働争議は妥協のできない「勝利か敗北か」が問われる争議となり、それは同時にワイマール共和国の正統性が問われることを意味していた。だからヘルマン・ミュラー内閣の失業保険引上げをめぐる対立は、彼の退陣の原因ではなく契機であって、保守勢力と産業界の1924年以降の一貫した政治的意図の結果である。
 社会国家とともに公衆衛生、医療行政、社会的矯正などの制度や理論が発展していったが、社会国家の正当性が危機に瀕するについれ、社会改善のための制度や理論は社会防衛論に転化し、「異常」者や「異質」分子を共同社会から排除するイデオロギーに、そして最後はナチの人種イデオロギーにも根拠を与えることになった。(P.114)

 この後ブリューニングがその経済政策において、景気回復よりも全体主義統制経済への布石や、憲法上の大統領権限を毀損するような政策に打って出たことは、当時のワイマールドイツにおいて、ナチスがそれを変容させたのではなく、寧ろそれ以前から土壌に存在したものであるとも言える。また、従来の「保守勢力」と指摘されているのは、ユンカーや官吏等であって、ナチスはそれとは明らかに異質な、労働者をも含む広汎な層を支持基盤としていた。確かに労働者層は相対的には社会民主党や共産党の支持が強かったものの、それでも1930年には党員構成で最多を占めたのは労働者であり、他に手工業者や農民なども相当の比率を占めていた。ナチスの党員構成は明らかに党員の年代構成が若く、単に「新しい」政党であるだけでなく、「若い」政党であり、1920年代後半の混乱期にその基盤が広がっていったことは、確かに大衆政党であったことを意味するだろうし、同時に従来の「保守勢力」への叛乱でもある。
 ワイマールドイツで特筆すべき点は女性解放であるが、従来は「女性に相応しくない」とされたスポーツや、様々な職種への社会進出が進んだのは事実である。戦前は「女性を働かせるのは恥」とされ花嫁修業に充てられた婚前期間は、ワイマール期はそのインフレの加速とその後の不況により「養う余裕がない」こともあって「婚姻退社」を前提とした社会進出を促進していったのである。この過程で平行して「性と生殖の分離(婚外交渉・婚前交渉)」が広がり、また堕胎数増も進んだ。離婚件数も伸び、離婚を恥とする旧来概念への挑戦として、寧ろ好意的に受け止められもした。このような女性の解放は、同時に「性モラルの低下」「家族崩壊」として保守勢力や教会関係者からは攻撃の対象ともなったが、ナチスの「母性像」はこのような背景があったところに後乗りしただけ、とも言える。事実ナチスは女性の人権や母の尊厳など顧慮もしなかったが、上記の女性解放に「批判的」な女性団体・保守勢力とは明らかに手を組める主張であったし、母性賛美の点ではその主張は大差あるものでもなかったのである。このあたりは同著の第三章を丸々参照頂くと、理解が進むだろう。ナチスの価値観・思想はある意味では雑多な寄せ集めで支離滅裂ではあったが、それは確かに大衆の様々な運動の「ある局面」「ある主張」とは共同できるものでもあり、また大衆の政治的熱狂により、そこに収斂していったのである。そのような雑多で支離滅裂な主張・思想を超克する、およそ唯一といっても良い原理が「指導者原理」であり、それに必要だったのがヒットラーそのものの存在と言える。
 ナチスは当初より旧来の保守勢力(ユンカー等)からは寧ろ嫌悪の目で見られることもあった程度に「急進的過激派」であり、決してその保守勢力を基盤として登場したわけではない。ファッショがそもそも大衆運動に立脚する所以であり、議会制への移行と平行して登場した「大衆」は、寧ろ旧来の保守勢力とは異なる存在でさえあった。「皇帝は去ったが将軍は残った」という言葉があるが、これはいささか簡略に過ぎる。正しくは「皇帝は去ったが将軍・官僚・ユンカーは残り、大衆が生まれた」というべきだろう。1919年~1930年に至るわずか10年の激動の変化は、旧来の保守層を激しく動揺させたと同時に、新たな大衆は政治には一貫して高い関心を示していた。社会主義系統の新聞に加えて大規模なマスメディアとしての新聞・ラジオが普及することで労働者「階級」にさえそれが浸透することで、寧ろそれらの「階級」においてさえ選択肢は確実に増えていった。その中に、ナチスも存在したのである。
 
 ユンカーはまだしも「官僚」と書くとあまりピンと来ない向きもあろうが、ここでもう一冊ご紹介したい。「ファシズムへの道 ワイマール裁判物語/清水誠著/日本評論社」である。この著者の言葉として、まえがきに記載された「それらの訴訟において、旧帝政以来のイスに座りつづける裁判官たちは、おおむね、旧貴族・軍人・政治的テロ犯人に対しては寛容な、そして、民主主義者・共和主義者・労働者に対しては苛酷な態度を取り続けた」(P.3/1971年朝日新聞夕刊への寄稿より引用)との評価は、同著を読めば概ね「正しい評価」と言うことができるだろう。
 憲法は変わったが、司法官僚・裁判官はそのまま残り、それらは帝政期から引き続き残っていたが故に、当然に「革命勢力」や「共和主義者」へは、寧ろ憎悪を持っていた。その結果、憲法の精神以前に、司法の場ではワイマールドイツの発足当初より、しばしば「保守勢力」を擁護する判決がくだされ、結果としてそれは「背後からの一突き」論を補強し、また「反共イデオローグ」としての勃興勢力であるナチスを利する結果にもなったのである。「我が闘争」が収監とは言い難いような収監期に記述されたことは有名であるが、そもそもナチスのファッショを支えたヒットラーをそのようにしたのは、ナチスだから「ではなく」、もともと保守勢力が反共という点で、また新しい女性といった「旧来保守勢力」を嫌悪する体質を帝政期のまま引きずっていたことに起因するものであり、それはナチスの浸透に伴って、同著で以下のように記載されるような状況となる。

 だが、この「法的基準」はその名に値しなかった。それは規範として定着し事前に名宛人に明示されるものではありえなかったから。そこでは「裁判」が行われるのではなく、裁判官による政治的処分が存在したに過ぎない。(P.270)

 
 ファッショを生み、育てたのは、確かに大衆運動であり大衆の積極的政治参画であり、同時にそれを見事にアシストしたのは、本来それとは相容れなかったはずの「保守勢力」であったのであり、それは「右傾化」や「保守化」とは到底言い難いものであった、とさえ言えるかもしれない。いかに「民主的」憲法であれ、それを擁護する基盤となるべき司法がこの有様で、その体制で政治を決すべき有権者たる大衆がナチスを結果として選択したことで、ワイマールドイツは崩壊したのである。

■引用文献
ドイツ近代史―18世紀から現代まで

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