カテゴリー別アーカイブ: 外交・国境

「日本政府と国民へのメッセージ」について一日本国民より

 我が国の首相はカイロにおいて、人道支援やインフラ整備に25億ドルの経済支援を表明しました。「非軍事的分野」での支援であり、そのうち2億ドルは他ならない「イスラム国」が生み出した難民に対して必要な支援であり、喫緊且つ重要な支援となりましょう。
 或は我が国の政策が、過去から今に至るまで全て正しかったことは無いかもしれません。あなた方が国を持ちたいと願い、或は実現したいと願う社会は、その動機において正しいものもあるかもしれません。しかし、テロルを否定するという一点において、その手段を放棄しない限り、我が国の歴史を振り返って我が国はそれの国家承認という選択をしないでしょう。曾てその横行で自らの国の政策を過ち、世界を相手に戦争するまでに至った狂気への道は、決して褒められたものではないでしょう。同時に、そのテロルが貧困や社会不満を背景とし、正義の実現を願って引き起こされたものであることも、それが独善に過ぎない動機であったことも、我が国の歴史に刻まれています。
 如何に規模を広げても、手段をエスカレートさせても、テロルによって政策を変更する要求は、拒否されるでしょう。如何なる主張であれ、その手段という一点においてのみ、徹頭徹尾否定されるべきです。今現在行われているそれも、過去に行われてきたそれも、そうであるという一点において、否定されるでしょう。
 人質は解放されるべきであり、解放すべきであり、解放することによってのみ、初めて対話の回路も拓けましょう。あなた方が居る場所が、国が不条理に塗れ、その不条理の一端に我が国の政策が関与していたとしても、その告発はテロルによることなく成されるべきであり、原則であり、如何なる正義に拠っても、テロルの横行は決して認めないでしょう。そして認めない政府を、支持するでしょう。
 その上で、その不条理の告発が正しいものであるなら、その調停に政府の政策を傾けることもまた、支持するでしょう。それはテロルを放棄し、紛争を停止し、それが履行されることによってのみ、支持されるものです。その履行は、あなた方を敵視する側にも等しく要請されるべきであり、それを要請するにはその手段を放棄することが大前提となるはずです。
 第二次大戦とその結果として、中東には多くの国が生まれ、それが多くの場合それ以前の都合により出来たものであり、それらの政府が時に自国民をも攻撃し、都合勝手で戦争を引き起こしてきたことも知っています。それらに様々な国や集団が様々な思惑で介入し関与してきたことでしょう。どのような政府であれ無謬ではない以上、その時代、その瞬間に取られた政策は、後日誤りだったとされることもあるでしょう。そうだとしても、人質を取り強迫し、それによって政治的主張どころか身代金という戦闘資金を得ようとする行為は、否定されます。その手段という一点に拠って、絶対に、絶対に、絶対に。
 我が国が「聖戦」という名の「十字軍」に参加することを、望みません。しかし、今やその「十字軍」はどちらが積極的に組織しているのでしょうか。我が国はアメリカでもイギリスでもフランスでも無く、エジプトでもリビアでもイラクでもヨルダンでもありません。必要であれば、曾て中東で戦争の嵐が吹き荒れていた際、アメリカがイスラエルを支持し、我が国が中東に寄ったように、或はそれが思惑と打算の産物であれ、異なる政策も取りましょう。そして、それは平和的手段により国民によって支持された政府により、実行されるでしょう。イスラエルにもパレスチナにも非があればそれとして対峙しましょう。しかし、それはテロルという手段によって果たされるべきものでは、決してないでしょう。我が国の政策は「対テロ戦争」という名の政策であるが故に支持されているわけではなく、「テロル」という手段を否定する故に支持されるものであって、その逆であることを望みません。
 我が国の憲法は、前文において「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と宣言しました。専制と隷従、圧迫と偏狭は、教義やイデオロギーによって正当化されるものではないでしょう。国民は、それが建前であれ綺麗事であれ、この宣言を崇高なものと確信し、永遠に達成されないものだとしても、それを希求し続ける限りにおいて、支持するでしょう。安易に捨てるようなことは、しないものと信じます。だからこそ、専制と隷従、圧迫と偏狭によって生み出される難民に対して、1億ドルでも2億ドルでも支出し、その支援政策を、それが非軍事的手段である限りにおいて支持するでしょう。同時にそれを支持するが故に、人質の無条件かつ速やかな解放以外の選択を、支持しないでしょう。我が国の政策に誤りがあるとしても、それは平和的手段によって修正されるべきであり、それ以外の手段による修正は、それが譬えどのような正義であれ動機であれ、支持しないでしょう。
 我が国の政策はテロルを認めず、それがテロルにより変更されることを求めません。如何なる愚劣な政策であれ政府であれ、そのような卑劣な手段によって果たされる変更を認めません。曾ての過ちがあれば、それは改められるべきでしょう。しかしそれは、今回のような手段によってではありません。過去の過ちを改めるべきであるならば、それは改めるべき理由そのものにより、今回の行為を容認できないでしょう。あなた方が難民を更に増やし、支援がさらに必要となるならば、我が国が政府としてそこに更なる支援を充てることを、支持するでしょう。それは、あなた方の主張を否定する動機によってではなく、その教義を否定する動機によってではなく、他ならないその地に住む人々の平和と安全と将来をあなた方自身の手で選択できるよう祈ればこそ、政策として支持されるでしょう。
 今回の支援を敵視し、政策の変更を迫りたいのであれば、難民を減らせば良いのであって、難民を多数生み出し、数多の市民に犠牲を強いる、その地における行為を無条件に止めるべきであり、そうすることで実現できる道がありましょう。曾て多くの国でテロルが横行し、それはしばしば独立や革命、或は反独立や反革命の名で行われてきました。我が国の政策が、そのような手段を否定し、それによって生み出される難民を支援する限りにおいて、それは思想や信条、政治形態の有無ではなく、そこに難民が存在するという事実を以て、そこに支援を行うことを、国民は否定しないでしょう。否定する場合でも、必ず平和的手段によってのみ否定するでしょう。
 人質が速やかに解放されることを願います。我が国の政策が、人質と身代金という手段によって変更されることを望みません。その政策が誤りであったとしたら尚の事、そのような手段による変更を認めないでしょう。我が国の政策が変更されることを望むなら、その要求は今回の行為によって達成されるものではなく、変更の要求がテロルや戦争ではない手段によって提示されることを求めるでしょう。我が国の政府は我が国の国民を保護する責任を持ちます。国民もそうであることを望んでいます。そうであればこそテロルは認めないでしょう。そして、その選択は等しくその地においても共有され、実現されることを強く希求して止みません。
 その動機や思想が崇高であるならば、そのような手段を使わずとも、必ずや果たされる日は来るでしょう。それが崇高であるならば、或は我が国の政府もそれを支持し、その政策を国民が支持する日が来るかもしれません。しかし、それは今ではありません。今この瞬間、行われている行為は、動機や思想とは関係なく、その手段を以てのみ否定されることを望みます。それ故に、人質の解放を望みます。我が国は、その政策が誤ったとしても、平和的手段によって、国民の手によってのみ変更される国であることを望み、そうであることは国民からも支持されるでしょう。賢明賢慮な判断と事態の速やかな解決を祈ります。

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9.11とシリアとアメリカ ~中東に対する雑記~

9.11がアメリカにもたらした影響は甚大で、それについては異論は無いであろう。
ちょうど10年前のイラク戦争の遠因になったとも言われ、現在まで続く対テロ戦争の発端でもある。
しかし、イラクが当時アル・カーイダを支援していたかどうかについては、06年の報告書で明確に否定され、イラク戦争開戦の主因とされる大量破壊兵器の存在についても04年に明確に否定された。
様々な陰謀論はひとまず置いておくとして(とはいえ9.11事件についての独立委員会報告書についてもいくつかの重大な疑義が提示されていることは事実である)、この事件を契機に「テロに対する先制攻撃」を容認し、またその攻撃そのものへの反対を抑制する傾向が生まれたことは事実である。
さて、では当のアル・カーイダはどうかと言えば、ウサーマ・ビン=ラーディンは既にアメリカの手によりこの世を去っている。
ウサーマ・ビン=ラーディンはアル・カーイダの精神的指導者とも言われていたが、彼を本格的なイスラム闘争へ引き入れたのは、ナンバー2とされていたアイマン・ザワヒリであり、ザワヒリが本格的なイスラム闘争へ足を踏み入れたのは、サイイド・クトゥブの影響が大きいとされる。
クトゥブはアメリカに対して極めて辛辣ではあったものの、その影響は主として著述に拠るものであり、テロ活動に拠るものではなかった。
アメリカでの知見を経て、アメリカの「物質主義」「暴力主義」「差別主義」から「個人の自由」に至るまで多方面に渡り批判を加えるようになった。クトゥブ自身は当初エジプトにおいて、ナーセルらの王政打倒のエジプト革命を支持したものの、その後政府へ批判の姿勢に転じることになるが、それは軍首脳が新政府のイスラム化を進めるわけではなかった点や、恐らくはアメリカの中に見たものをエジプト革命の結果に対して見出したからであろうと思われる。
その後クトゥブも所属していたムスリム同胞団がナーセル暗殺未遂事件を起こした後、クトゥブ自身も投獄され、主犯格として処刑されることになる(実際には後に事件に関与していなかったことが判明している)。
ザワヒリはこのクトゥブの処刑に衝撃を受け、急進的になったと言われる(ザワヒリの旧知の人間が「まったく別人になり、冷淡な性格にもなった」と証言するほど性格・思考が激変したようである)。
アル・カーイダの自爆攻撃についても「本来イスラム的ではない自殺を伴う攻撃の結果殉教者へ」という論理や、攻撃の巻き添えになったイスラム教徒についての「犠牲者は殉教者。殉教者になれない犠牲者は背教者」という無茶苦茶な論理は、ザワヒリが生み出したとされている。彼がビン=ラーディンに接近したのは、彼が財力というザワヒリにないものを持っていたからであるとされ、ビン=ラーディン自身にとってもザワヒリとの出会いが大きな転機になったようである。

クトゥブは幼少期にはイスラムの教義しか教えてもらえない状況に反発していたとも言われるが、それが渡米を通じアメリカ批判が生じ、その結果イスラム国家を目指す政治活動に展開したことは皮肉である。そしてその後を継いだとも言えるザワヒリの生み出した理論がそのイスラムと必ずしも合致しないものへと変容してしまっている結果となったことは、さらに皮肉である。
自由将校団と袂をわかって以降、軍主導の政府と同胞団は対峙することとなるが、その自由将校団が推し進めた民族社会主義政策とも呼ぶべき政策を推進したエジプトと、一時アラブ連合を構成したのが、現在のシリアである。
なお、このアラブ連合に挟まれる形となったヨルダンが選択したのがイラクとのアラブ連邦である。アラブ連邦はイラクの王政打倒クーデターにより崩壊するが、そもそもこのクーデターの発端はイラク軍をヨルダン王政支援のために派遣しようとしたことがクーデターの機会を生んだとも言われている。
なお、ヨルダン王政が不安定化した理由の一端は中東戦争においてヨルダン川西岸を自国領に編入したことなどで、パレスチナ難民と呼ばれる一群の強烈な反発を招いた点も指摘されるところである。
構図としては中東戦争の結果ヨルダンが不安定化し始め、その状況とアラブ連合の形成に危機感を抱いたイラクがヨルダンに手を差し伸べようとしたところ、イラク自身の王政が崩壊したような流れである。
そもそも中東戦争自体が第二次世界大戦時のイギリスの外交政策の結果招いたものとも言え、エジプト王政が決定的に凋落したのも、戦中に親英政権を樹立したことが決定打になったとも言われている(それに焦った結果中東戦争に手を出して、敗戦に伴い軍自体の離反を招いている)。
シリア自体は第二次大戦後に独立した国ではあるが、現在のアサド政権については、もともと大統領就任当初、比較的開明的であったとされるアサド大統領が、政治改革や欧米諸国との関係改善などで「ダマスカスの春」と呼ばれる政策を主導したものの、軍を中心とした守旧派の抵抗や、同じバアス党政権のイラクがアメリカの圧倒的力により粉砕されたことに危機感を覚え、体制引き締めのために急速に反動政策を進めるようになったとも言われている。

クトゥブというアル・カーイダの原点とも言える存在に対してアメリカという存在が与えた影響、そしてそこから連綿と9.11に連なるアル・カーイダという組織の存在(明確に組織だっているわけではない、との指摘もある)。そして9.11が呼び水となったイラク戦争。イラク戦争の結果反動を強めたとされるシリア政府。クトゥブは当初王制時代にアメリカに教育行政視察のために訪れていた、という事実などを考えても、いかにアメリカという存在がこの地において大きな影響を及ぼしていることか。この影響は何も軍事介入や政府・反政府組織の支援といった明確なコミットメントだけではなく、一見無関係にも見えるところで生じた事象の遠因となっている点も含めて、ではあるが。アメリカがイギリスを支援しなかったらイギリスはドイツに勝てたのか、という架空戦記は除外するとしても、イギリスの継戦を支えたのもまたアメリカであり、イギリスが戦中のエジプトで半ば強引に親英政権を樹立させたのは、ドイツがエジプトに迫った時期に反英運動が高まったからでもあり、連鎖的影響として捉えると、アメリカの行動の一つ一つ、またアメリカという存在そのものが、もしかしたら直接植民地支配をしたイギリスやフランスといった国家よりも、大きな影響を与えている可能性さえ想起させるものがある。

現在シリアで反政府勢力の主とされるシリア国民連合であるが、その母体がもともとはアメリカの支援を受けていたにも関わらずアメリカから見放された国民評議会であり、シリア政府の反体制運動に対する厳しい締め付けがイラク戦争を遠因とし、その弾圧対象がアメリカが当初支援していた国民評議会を母体の一つとした国民連合であり、弾圧しているシリア政府を非難しているアメリカ、という構図もまたマッチポンプ的皮肉さがあるが、シリア国内の状況はヒューマン・ライツ・ウォッチなどからも最悪水準と批判される状況となっていることもまた事実ではある。
そういったことを考え合わせると、アメリカにとってシリアの現状は9.11から続く対テロ戦争の余波でもあり、過去の反政府運動支援の結果の帳尻合わせでもあり、同時にその遠因を作ったのがアメリカそのものでもあると指摘されてもおかしくはない、という状況に陥っているようにも見える。

9.11とシリアとアメリカ。
アメリカ自身、9.11の直後ほどに無理押しして介入に突っ走るほどではなくなってきている状況にあるようには見えるが、同時に9.11以降のアメリカの介入はほかならない中東諸国から「自由の押し売り」とも非難され、アメリカ国内からも「行き詰まったアメリカの輸出」とも皮肉を言われる現状もあり、どのような選択をするにしても、結局はアメリカ自身の過去の行動の結果に対して、どのように結論を出すのか、という点は一つの考察のテーマにもなるだろう。
同時に、シリアに介入すべきかどうか、という点において、確かに非難に値する状況でもあり、英米のみならずエジプトやリビアといった中東諸国との外交も途絶状態に陥っていることは考慮すべきでもあり、最大の支援国とされるロシアとイランのうち、イランは立場的に調停には入りづらいこともあり、ロシアの調停というのは介入を回避するとすれば最後の提案になるとも思われる。
今回のアメリカの動きは介入する場合でも大規模な地上軍を伴うものではないと想定されることから、介入の状況は限定的になるだろうとは思われる。ただし、アメリカとロシアという存在がアフガニスタンで演じた役割を考え合わせると、この調停自体はやはり米露間の影響力のオセロの一貫でもあろうし、アメリカが本格的な介入をしない選択をする場合、現在の反政府運動を母体とする限りにおいて、仮に現政府が倒れても決してアメリカにとって好ましい政府ができる状況ではないだろうことは念頭においておくべきようには思う。
9.11以降、イスラム過激派と呼称される総体を主対象として、テロとの戦いを演じてきたアメリカではあるが、シリアへの態度は過去の中東におけるアメリカの矛盾と現在の政策の行き詰まりが頂点に達しつつあるようにも思える。同時にまた、これは本邦がアメリカの中東における「現政策」をどこまで支持すべきなのか、について改めて考え直す契機にはなるだろう。
恐らくアメリカは介入をしてもしなくても批判にさらされることにはなるだろうし、その場合同調すれば日本も同様の批判は受けることもあろう。一方で、日本は中東戦争時にはアメリカ=イスラエルという構図とは一線を画した外交を展開したことも過去にはある。そして昨今ではアメリカの中においてさえ、イスラエルを無条件に支持・支援することに批判的声も大きくなりつつある。
9.11以降変わったとされるアメリカであるが、中東政策においてシリア情勢への対応を契機に、再び政策を転換する可能性はゼロではなく、同時に中東における一連の革命騒ぎ(いわゆるアラブの春)が、結局のところ壮大な失敗に終わり混沌が増しただけの現状を考慮すると、アメリカによる自由の輸出に対して、自由と平和を掲げる我が国の政策が、果たしてどこまで現地において「自由」で有り得るのか、「平和」をもたらし得るのか、について、一層慎重な検討が必要となろう。
そして、その検討は結局のところ、9.11以降の日本の原則として対米協調であった「対テロ政策への支持」という政策について、今後どのように舵を切るべきか、を判断することにもなる。

9.11は、いまだ終わっていない。

排外主義反対に対する賛同表明

20130217排外主義反対デモ
2月17日予定の新大久保「反韓デモ」に対し、差別反対の意思表示をしませんか。

という次第であります。
昨今排斥運動(差別運動)も公然堂々と、あろうことか一般市民を標的として展開されるようになり、その言動も「殺せ」「殺される」といった憎悪のインフレーションを起こしている有様で、醜悪にして心やすからぬ状況であります。
その主義主張そのものは、あるいは政治主張のつもりでありましょうし、あるいは実際にはそのつもりがなく憤懣晴らす標的として選び易いものを選んだだけなのかもしれず、またその場にいる高揚感こそがそれを一層過激へと追いやっているのかもしれません。
しかしながら、あまりに見るに堪えないそれは、愛国の美名の下に許されるものではないと考えます。
その意味において、上記の動きについては全面的にではないにしても、その趣旨において賛同を表明しておきます(全面的に、でない点については割愛しますが)。

さて、過去にも散々いろいろなことを書いてきましたが、改めて下記にいくつかの点において排外主義に与し得ない理由を挙げておくことにします。

壱:隣国との係争
遺憾ながら本邦は隣国との間に少なからぬ摩擦を抱えている状況ではありますが、それは「何処の国であってさえ」生じ得るものであり、特にその領域が歴史的に行き来、重複するような場合には、時に深刻にさえなり得ます。独仏、波露などの例を引く必要さえないでしょう。
それに加え、本邦は時に「スパイ天国」と称されるほどにそれらが跋扈していることも、また既にいくつもの指摘がなされていることではあります。そしてそれに(特に過去において)総連等の組織の一部が関与していたと考え得る事例もあります。
しかしながら、十把一絡げに「朝鮮人」だの「中国人」だのといって、その出自を以ってすべてそれに該当する、と考えるのは滑稽も良いところであり、更に言えば実態としてのそれを騒々しい声によって覆い隠す偽装にさえ成り得ることを理解すべきです。
自分は栄光ある第442連隊戦闘団に、格別の敬意を示すものでありますが、それはその部隊創設がいかにアメリカ政府の思惑と在米日本人の状況とによる偶然的経緯が作用したものであったにしても、彼らがその持てる信念と、生まれた地、アメリカという祖国のために全力を尽くしたことに対して、であり、「日本民族」「日系人」として、先の大戦では本邦の同盟国たる独伊を主とした戦場にし、「敵国」アメリカのために尽くした彼等を非難するような格別な理由などないからでもあります。
しかしながら、現下において万一隣国との係争が深刻且つのっぴきならない状況になった際、排外主義が蔓延し、常日頃から敵視して止まない状況を推移させた場合、果たして彼等のような存在が本邦に現れるでしょうか。
もちろん当時アメリカにおいて、彼等が差別的待遇であったことは事実であり、結局彼等の活躍があってなお、その解消は公民権運動期まで待たねばならなかった、という歴史はあります。
しかし、現在は時代背景が全く異なることを理解せねばならないでしょう。当時のように優生思想や帝国主義が最盛期であった状況とは大きく異なるのであり、また同時に彼等は「アメリカ」という国に生きる者として、戦ったのであります。
国籍などの相違はあるでしょう。しかし、排外主義の蔓延によって「日本」という国に生きる者として、同様の状況になった際に手を取り立ち上がるのか、というと甚だ疑問であります。
もちろん共に戦う必要などない、という意見もありましょう。それに対しては一言、「そうであるなら尚のこと有事に利敵行為を行なうに足る動機と土壌を積極的に醸成するそれは、一体何の益があるのか」と考えます(もちろん大多数はそのどちらにも与さない可能性、ということも考慮の上で、ですが)

弐:国籍論において
彼等排外主義集団がしばしば口にする「住みたいなら国籍を変えろ」論については、それ単体として多少の理解がないわけではありません。しかしながら、同時に展開される「帰化人が」といった蔑視が同一言論として抱き合わされているうちは、それに一片の理解を示す必要も感じません。結局のところ国籍がどうあれ、その「血」によって断罪されるのであれば、国籍相違などは問題ではないはずであり、都合よく切り貼りしながら相矛盾する言動を展開し、あまつさえそういった言動をさせる要因が「被攻撃側」にあるかのような話を、一体誰がよく理解を示すものでありましょうか。
加えて、しばしば悪意を以って混同される「朝鮮籍」は「朝鮮人民民主主義共和国国籍」を意味しないのであり、ニアリーイコールの実態が仮にあったとしても尚、そのような排撃の方法を認めるわけにはいかないでしょう。
朝鮮籍はあくまで「出身地」を現す大日本帝国統治下における「朝鮮戸籍」の延長であり、もし彼等に対して「国に帰れ」などと言うのであれば、彼等にとっての「国」は本来は「大日本帝国」であり、その「領域下としての半島」であるはずです。朝鮮籍の人がそれを求めるか望むかは別問題として、経緯と過程を踏まえ、尚且つ当該放棄地域に成立した別国家への帰属転換を行なわない場合、引き続き「縮小した領域下における後継国家」へと移るのは、自然なことでもあり、帰るも何も「此処だ」と主張するに足る背景を抱えている、という事実は厳然と存在します(繰り返しますが、その当事者の意向は別問題です)。
それを頭から否定する場合、それは他でもない、排外主義者が肯定的に捉える「大日本帝国」という国家領域における「半島統治」ということの意味と歴史を、頭から否定することでもあり、もしその当時においてなお半島は国家領域としては認めず植民地であった、というのであればそれは「対等な“併合”」を否定するものであり、逆に対等な併合であり大日本帝国の領域下における臣民であった、という立場を取るのであれば、彼等が国籍を変えない以上、帰る国は「日本国」をおいて他にはないことになるでしょう(あくまで筋論の上では)。
さて、では韓国籍はどうか。中国籍はどうか。はたまた他の国籍は。
大日本帝国という国家において、領土として組み込んだか、あるいは一時的占拠・占領を行なったか、という点でいくつかの背景相違はあるでしょう。しかし、共通するのは過去の本邦前身国家の政策遂行過程において、本邦とは少なからぬ関係を望む望まないに関わらず有した地域であり(これは移民排出先となった南北米大陸なども含めて)、その歴史的関係性故に、その系譜を引く諸民族が本邦へ定住することは、これもまた自然なことでありましょう。定住から帰化に至るかどうか、という点については別の問題となるでしょうが、そもそも排外主義者が国籍を上記の理由により都合の良い場面でしか行使しない要素としている以上、ここで深く議論するのはあまり意味もないと考えます。

参:大日本帝国後継国家として
本邦は紛れも無い帝国主義国家として、また亜細亜の覇権を争う国家として、大日本帝国としての短い期間を経て今に至っています。そのことに異論はないでしょう。
当然のことながら、実態として植民地であった半島・台湾など、対等平等な国家領域としての存在であったわけではないこともまた事実です(何より大日本帝国憲法が適用されず、総督府体制が布かれたことからもそれは明らかです)。
一方で、自分は大日本帝国統治下における周辺諸地域の施策、また大日本帝国という存在そのものについて、全否定するつもりも全肯定するつもりもありません。
支配地域に対して大々的資本投下を行い近代化を進めたことも事実ですし、様々な旧弊を、時に強権的に、時には親切心から行なったであろうことも、また否定しません。
同時に、それらに対して「感謝がない」だのといったあさましい言動も「感謝もできない民度の低い存在」だのといった言説については足下に否定します。
果たして我等の先達が為したそれは、「感謝されるためにやった」ことなのか。そんなことはないでしょう。
時に自己のために(自国のために)、時に利他のために(現地のために)やったこととして、殊更に「感謝しろ」などと言う必要も感じません。
同時に負の政策があったために、それらを全て無視して全否定しろ、ということにも意味を感じません。
片方に与さないからといって、もう片方の極論に走ることにまるで意味も価値も感じませんし、それは結局どちらの立場にしろ歴史的事実の一部を切り捨てることになると考えるからです。
また、先の大戦が果たして「亜細亜開放の聖戦」であったというのであれば、真っ先に為されなければならなかったのは他ならない「大日本帝国領域下における外地の独立」であるはずであり、対中政策などにおいてもその要求において厚顔無恥もいいところの内容であり、加えて戦中支配した地域の一部を政府内において本邦領域へ併合しようと画策していたことなども指摘すれば十分反論になりましょう。
同時に、半島や台湾においては、支配後期においては純然たる独立運動が比較的低調だった事情もあり、体制内自治、体制内自立、体制内平等を求める傾向が出てきていたこともまた事実であり、その意味において、実際に兵力不足もあり1945年~46年にかけて、徴兵制と選挙権が対として施行される方向で進んでいたことなどを考え合わせると、それらの地域は「戦勝国」どころか、「文字通りの敗戦国」扱いとなった可能性が厳然と存在していたこともまた事実でしょう。
半島において、また台湾においてそれが望まれたか、という点は論を分かつところでありましょうが、先の大戦を肯定的に捉えるのであれば、本邦があと1年戦争を続けていれば、志願兵どころか「徴兵=国民兵」としてそれら地域の人が「共に前線に立つ」兵士であった可能性について、より真剣に、また深刻に考えるべきだと考えます。
本邦は大日本帝国の後継国家として、それらの進行していた、また実際に遂行された政策の、その意味合いもまた引き継いで成立している国家なのであり、社会なのであります。同時にそれは、その内包する限界によって破綻した亜細亜主義、脱亜主義において、果たしてどこを正に、どこを負として評価すべきか、という問題もまた内在すると考えます。
それらの諸要素をすっ飛ばして、「真実はネットにある」だのあからさまな捏造デマを、時にそれと分かっていながらプロパガンダとして活用する(朝鮮進駐軍)など、歴史に対する冒涜でさえあり、何が「保守」だ、という話でしかありません。歴史への洞察、考察、自省、展開なくして、保守の成立する余地などどこにありましょう。

とまぁ長々書いてきましたが、総じて「考え方が間違ってる」と判断しているからこそ、排外主義に与しない、という以上でも以下でもないわけで、理由はいくらでも出てきますし、それを説明すればグダグダながながと、時に論旨がまとまっていないことを書く羽目になるので、恥晒しはこの辺りで。

さて、とはいえ冒頭にリンクを貼ったそれが、概ね左派の側からの提起であることが気に食わない方には、下をお勧めしたいと思います(ぇ
保守による排外主義反対

なお、冒頭の運動に当日参加するかどうかは目下未定であることを書き添えておきます。