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保守主義論考 エドマンド・バークと本邦保守主義者の態度

 保守主義。
 この言葉ほど本邦において適当に用いられている言葉も無いだろう。同様に左翼という言葉もまたそうではあるのだが。曰く「文化と伝統を守る」、曰く「国を愛する」、曰く「右翼」、曰く「歴史修正主義者」、曰く「軍国主義者」、曰く「尊皇派」等々。果たして、そのどれもが適当に都度自認として、また批判の言葉として用いられている。昨今では「排外主義者」とも同義に用いられることさえある。しかし、そもそもその「保守主義」という用語について、どの程度の思慮を働かせて用いているだろうか。
 1955年のいわゆる政党合同以降、「保守・革新」という言葉で括られることにより、「保守政党=自民党」「革新政党=社会党・共産党」といった区分がなされ、その分類において一般に進歩的文化人と呼ばれた一群が社会党ないし共産党寄りの発言を繰り返し、また自民党がしばしば戦前について、または先の大戦に対してともすれば是認的言動を行ってきたこともあり、「保守=戦前・大戦容認」であったり、「保守=新しい考えを認めないこと」であったり、といった認識も広がったようには考える。確かに「保守主義」というものの源流を欧州の革命時代におけるアンチテーゼとして確立されてきた経緯を適用すれば、そのような認識も一面では正しかろう。一方で、アメリカを伝統・文化の破壊者として見る立場に立てば、自民党は「親米政党」であり「いつまでも占領期同様の基地体制を維持し続けている」わけであり、「親米保守はおかしい。保守こそ反米であるべき」という見方も立てられよう。その部分だけを見れば、この理屈で言えば「共産党・社民党」も立派な保守であるのかもしれない。しかし、反米保守の立場であってもさすがに共産党や社民党を「保守政党」と呼ぶことは無いであろうことを踏まえると、この立場は「保守主義」の必要要件ではなく、主義の帰結として導かれているひとつの解でしかない、とは言えるだろうし、そうであれば「親米保守」という立場もまた成立する余地はあろう。斯様に「保守」という言葉の定義や運用は個々の主張と結びつきこそすれ、本邦においては体系的に確立した概念では”ない”のではないか、と思えてならない。

 保守主義と呼ぶ際、真っ先に思い浮かぶのがエドマンド・バークであることは異論の無いところであろう。保守主義の父とも呼ばれ、フランス革命に反対の立場を取った人物である。自分も保守主義の原点として彼を位置づけることに異論は無いし、また同時に「保守主義とは何か」を考える際、そこを抜きにしては語れないとも考える。しかし、バークもまた矛盾を孕み、同時に本邦において恣意的引用が繰り返されてきた人物でもあろう。バークがフランス革命を否定した理由のひとつは、それが社会契約論的思考を基盤に置いて展開されたからであるが、バークにとって社会契約論は忌むべきものであった。バークの指摘が正しければ、であるが、社会契約論的方法で構成された統治体系の場合、人民はそれ自身の性向・思想・罪の有無などに関わらず、任意に統治体系を選択することができるのに対して、統治者=君主(当時の統治者)は統治の義務はあれ、人民が気ままに処断できる存在となってしまう。バーク自身は極めて貴族的人物であって、彼が保守したいと切望したそれが「王」「貴族」の権利であり地位であったことは想像に難くない。いわゆる「世襲」がイギリスにおいて封建制・王制の中で特に重要な「財産」であり「権利」であったからこそ、その侵害は「歴史的継承」にあたるのであり、それ故にフランス革命に猛烈な反発を見せ、社会契約論を徹底して批判したのである。一方で、バークはアメリカ独立においては、イギリスではなくアメリカの独立運動を支持している。バークによれば、それはイギリスが「植民地統治権」といったものを振りかざして横暴に振舞っているからという理由であるのだが、そもそも独立しようとした「アメリカ」とは先住民のそれではなく、入植者による「独立」であり、確かにバークが危惧してやまなかったイギリス王族・貴族が「世襲的相続」を行ってきたような財産などがなく、正統に守るべき理由はなかったのであろうが、同時にこのあたりはバークの限界であり、同時に当時の「人間とは何か」という概念的問題の限界でもあっただろう。
 バークの言う「偏見」の尊重、「歴史」の尊重とは、古来より受け継がれてきた習慣・因習であったり、また明確化できないもの(もしくは理論化できないもの、と言っても差し支えないように思う)に対しての肯定であるのだが、これは当時のイギリスにおける「相続」概念(権利)を抜きにして考察することはできないのであり、そこを無視して無理に表面だけを本邦に適用するのはまた過ちをもたらすであろう。そもそもイギリスにおいて「権利の章典」でさえ、その自由の要求は「古来より相続されてきた英国臣民の権利・自由」であるが故に「国王はそれを尊重すべきである」という論理構成となっているため、しばしば本邦においてフランス革命のそれやアメリカ独立戦争のそれと同様に「自由希求の象徴」として捉えられがちであるものの、その根本はあくまで「相続権利を尊重する」という形式であり社会契約論的自由・人権思想とはまるで異なる性質のものである。そもそも「権利章典」自体、「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」という名称であり、そこに「臣民の相続的権利」として規定される自由である、という事実こそ、いかに「相続」が重要且つ根源となっていたかが理解できよう。そして、人民主権が相続的権利ではないが故にフランス革命に反対し、同時に相続的財産でないが故にアメリカ独立においてイギリスを批判する側に立ったのである。
 
 本邦において、しばしばバークを保守主義の父として取り上げ、またその思想を革新思想(所謂左翼的思考)へのアンチテーゼの玉条の如く持ち出すことがあるが、果たしてバークのそれを正しく理解しているであろうか。民族という用語をここで用いることは避けるが、敢えて言うならば、バークがアメリカ独立に際して取った態度をこそ、帝国期の半島支配に対して取るべきだろうし、もう少し手前のところで同じくバークのインド統治に対して見せた「文化の尊重」というバークの理論的骨子の部分における態度と同じように、その支配のあり方を批判的に捉えるべきであろう。しかし、一方で左翼批判の文脈においてバークの理論を振りかざしながら、一方でそのバークの理論の骨子に反するかのように半島支配を「経済発展したのだから」「近代化してやったのだから」と発言するのは、論理的一貫性として欠ける態度と言えよう。もちろんバークの理論を援用したからといって、それを全面的に肯定する必要もなく、同時に一部を用いて発展させ新たな理論に昇華させることは十分に有り得ることではあるが、理論の根幹の部分で背反する論立てを並行して公言するのは、バークの理論を理解していないのではないか、と思えてならない。
 

 そして同時に、自民党がバークの唱える意味においての保守主義かといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。自民党が反革新という意味においては「保守派」の系譜として、ある種の正統な後継であるのかもしれないが、政治的ポジションとしてのそれが思想的それと必ずしも合致するわけではない。社会党と共産党が同じように「革新」に分類されながら決定的に相容れない点があったことは歴史の示す通りだが、思想的意味よりも実践的行動に対しての思想の具現化においての相克でもあった。自民党の場合はそのような対立はしばしば派閥抗争や政策論争の形で党内で行われたわけだが、その程度には党内でさえ相違はあったのであり、中には社会民主主義に近い、保守主義からはいささか距離を置くような政策も見られた。だから自民党を「保守政党ではない」と言いたいのではなく、「保守主義とは何か」を考えずに「反革新だから」と言って安易に「保守主義であるかのような錯覚」を起こすべきではない、ということを忘れてはならないだろう。例えば吉田茂が、岸信介が、佐藤栄作が、田中角栄が、保守主義者であったかどうか。また、その政策を行った自民党という政党が保守主義的であったか、という点については、いろいろと再考の余地があるように思う。
 改憲論議にしても同様で、「押し付け憲法論」というのは確かに移植し縫合した結果としての日本国憲法に対するひとつの態度ではあろうが、それが日本国憲法の「内容」ではなく「手続き」や「経緯の一部」のみを以って不当としながら、同時に「万世一系の皇統こそ日本の伝統」という場合、形式的には日本国憲法は大日本帝国憲法の改憲手続きを経て、陛下の詔書を以って、陛下臨席の下での大日本帝国衆議院・貴族院において採択・公布されている事実に対して、どのような態度と言えるだろうか。「皇統」という点においてはバークの偏見論に沿った保守主義的態度と言えるかもしれないが、同時に先帝陛下が関与する形式を経て公布されたものを軽視する、というのはその皇統に対しての態度と矛盾しないだろうか。もちろん「皇統」という系譜が重要なのであって、「天皇」という「個」「一代」のそれは誤ることもあるのであるからそれほど重要ではない、という立場もあろう。しかし、自分の見ている限り、そのような論立てで「押し付け憲法論」を正当化する論は見たことがない。恐らく、ではあるが、「陛下を戴く国体」と「自身の主張」との間で整合性が取れないからであろう。天皇の過ちを正す、ということは輔弼する臣の態度として必要な態度でもあるだろうが、昨今の「保守」を標榜する集団が「皇統」「天皇」は尊重し敬愛されるべきであり、よもや「過つ」などという批判は想像の埒外であるか、そうでもなければそこを切り離すことでしかこの問題を存立させ得ない、といういずれかではないか。もうひとつ反米だから、という理由も立てることができるし、また一方で左翼的だから、という理由も立てることができるが、保守主義者であるならば、そのいずれの論を採るにしても、日本国憲法制定過程における形式的手続き的意味における先帝陛下の関与を避けて通ることはできないのである。日本国憲法の社会契約論的性質をバークの理論によって批判することは容易いし、またバークの言う偏見論としての意味合いにおいて批判することもできるだろうが、同時にバークの理論において最も重要な「相続的権利」という点においてはどうか。本邦の国体において、そのような意味合いにおける最も象徴的相続継承は他ならない皇統であるわけだが、その一代の御世において行われ、他ならない先帝陛下が関与したそれが過ちであったとするならば、先帝陛下そのものも批判されねばならないだろう。この撞着には自民党でさえも囚われていると言えるだろう。
 また、日本国憲法と合わせて大きく手を加えられたものに皇室典範があるが、ここで最も重要な改正事項は「皇族会議」に代えて「皇室会議」を規定したことである。これは戦前の皇室会議を「国民の代表機関的意味合いも含めた」会議へと転換するものであったが、「天皇」という憲法上の位置づけは統治体系の主権者による改変としてその選択に委ねられるとしても、皇位継承といった問題はどうなのか、という大きな問題を孕んでいる。皇族会議は本質的には「皇室」という、語弊を承知で言うならば一族内の会議であったのに対して「皇室会議」はまったく異なる性質を持つものである。そもそも皇室会議において出席できる皇族の員数規定から、会議の決定は皇族の意向は無視しても可能であるものとなっている。天皇の「憲法上の位置づけ」としての問題からこの規定を妥当することもできるだろうが、こと「皇統」を最重要視し絶対護持を声高に叫ぶ者が、恐らくは日本国憲法よりもより重要であろう皇室典範におけるこの会議の存在に対して、あまりにも無視していることをどう考えれば良いだろうか。原則として不文律で長嫡子順の継承を基本とはしているが、「皇室会議」においてこれを覆すことは不可能ではない。バーク的に言えば、保守主義の根幹たる「相続的権利」に対する侵害とも言える。皇室財産に対する皇室外からの関与も同様である。とかく第九条ばかりを槍玉とし、問題視し、それが故に本邦の根幹が揺らいでいるかのように叫びながら、この態度は不可解でさえある。さらに言えば、この皇室典範改正についてはGHQ主導というよりは、寧ろ本邦の側が主導して行ったことでもある。明治帝からの伝統、という点に限ってさえ、このような問題は不可分に付き纏っている。

 もちろん人間である以上矛盾は孕むものではあるし、必ずしも首尾一貫することがあるとは限らない選択が必要になる局面もあるわけなので、それそのものがあることが必ずしも問題であるとは限らないこともある。しかしながら、昨今の保守主義を標榜する一群の中で、バークを論拠に据えて論じる一部の論者があまりにも恣意的無理解にバークを流用し、似ても似つかない主張を繰り返しているのではないか、と思えてならない。自分がしばしば「保守主義の原点は古典的保守主義にあり」というのは確かにバークを念頭に置いてはいるが、さりとてバークの理論をそのまま直接に本邦に適用できるとは考えないし、補助線としての原点にはなり得ても、全面的に適用するのは愚でさえあるとも考える。然しながら、バークのそれを主張の論拠に据えるならば、せめてバークの理論は極めて欧州君主・貴族的それが「前提」となって論じられていることを念頭に、果たしてその論が自身の主張根拠になり得るのか、ということをよくよく考えるべきであろう。自身の主張根拠のために表面的にバークの理論を継ぎ接ぎするのでは、結論ありきの話であり、まともな論にならないことは自明でさえある。もっとも、日本国憲法を否定し大日本国憲法に立ち返って再度自主憲法を制定すべき(もしくは大日本帝国憲法を復旧適用すべき)、と言う論者は、大日本帝国にバークの理論が影響を与えているという指摘が一部にあることは再考すべき点であろう。

リアリズムとアイディアリズム

「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 を契機としたリアリズムとアイディアリズムについて拙稿を書く次第。

リアリズムとアイディアリズム(またはユートピアニズム)は国際関係学(国際政治学)において、最もポピュラーな2つの考え方である。
しかし、この2つの考え方は、短絡的にまとめればまとめられなくもないわけだが、一方で時代に合わせた変遷、それぞれの思想が抱える欠陥とその克服の試みにより、あまり短絡的理解をするべきではない状況ではある。

さて、ここで一つ断っておくと、アイディアリズムもユートピアニズムも、いずれも邦訳する際は「理想主義」と訳されるわけだが、これはいろいろと問題もありそうにも思える。確かにいずれも「あるべき理想像」を据え、それへ向けての思想、とはなるのだが、アイディアリズムとユートピアニズムでは程度の差はありそうである。ここでは極端な理想を掲げるものをユートピアニズム、それほど極端ではないが、やはり現状を踏まえれば理想的に過ぎるものをアイディアリズムとしておきたい。

リアリズムもアイディアリズムもいずれも古く古代世界にまで思想的源流を辿ることはできるが、本稿では主として論理体系として一定の確立が成される前後のあたりまでを遡る射程としたい。
この二つの思想体系が概ね学問・論理体系として確立されてくるようになるのは国家体制というものが一定の確立を見てから、という風に捉えても大きな過ちはないように思う。もちろんそれ以前にも、例えばリアリズムの源流をマキャベリに比すようなことは多々行われているのだが、もっと前にも遡ることもできるし、一方でこの二つの思想が「国家」をその主的要素として捉える考え方を機軸として大きな発展を遂げたことから、主にヨーロッパ世界においてキリスト教が国家体制からある程度離れた状況が訪れた後からのものを考えれば十分であろう。

ここで、二つの思想が「国家」をその主的要素として、と書いたことに違和感を感じる方もいるかもしれない。
例えば、アイディアリズムはしばしば「国際社会、国際協調」を基調とし、「汎国家的枠組み」を論じることが多いことから「国家」という概念を思想的に軽視しているように捉える見方も少なくない(これがしばしばユートピアニズムに一括りにされる原因でもある)。しかしながら、この「国際社会、国際協調」の基本となるのがしばしば「国際法」であり、また時に発展して「世界政府論」へと発展することからもわかるように、アイディアリズムは決して「国家」という概念を蔑ろにしているわけではない。むしろ「主権国家」という体制の仕組みを大きく拡張して考える思想と捉えることもできる。いわゆる「法の統治」や「政府」という概念が、基本的には国家体制の中で語られるものであるからだ。
また、アイディアリズム(ユートピアニズム)はしばしば「実際にうまくいったことがない」といった語られ方をするが、これもまた過ちである。確かに理想を追求した(という意味では理想主義的な)実験国家たるソビエト連邦が壮大な失敗に終わったことや、国際連盟の無力さ、また国際連合の脆弱さを引き合いに出せば、それはそれで一面事実ではあるかもしれない。しかし、これは見方としては薄っぺらいものではあろう。その理由は後述する。
同時に、アイディアリズムの影響が少なくないと思われる存在としてEUなどは挙げることができるだろう(最もこれを成功例と見るかどうかは疑問もあるが)。また、政治的枠組みだけではなく、経済的協力体制はいくつも存在するし、それは「国家の枠組みを超えた人・物の移動が協調体制を生むはずだ」というアイディアリズムの素朴な理念の基礎には合致するとも言える。
リアリズムはしばしば「パワーポリティクス」として批判されるわけだが、その意味では「国家」を主的要素として捉えていることは疑いようもない。一方で、その「国家」を主体的プレイヤーと見ることからしばしば非政府組織の役割増大などの現実を踏まえ「論理的欠陥を抱えている」と指摘されることもあるが、1970年代以降このような欠陥に対して、それらの非国家組織をも射程に納めようとする新たな思想的発展を模索し続けているのもまたリアリズムの現状である。
また、この「パワーポリティクス」という用語の持つ「パワー=軍事力」という意味合いのみを過度に誇張し,リアリズムは軍拡と戦争を招来する、と捉える考え方は短絡的である。
有名な「安全保障のジレンマ」(ジョン・ハーツ他)に見られるように、必ずしも「軍備拡張」を志向するわけではなく、リアリズムは十分にその内包する危険性を意識しているのであり、そこから派生的にディフェンシブ・リアリズムという考えが生まれるのである(同時に恐怖の均衡といったオフェンシブ・リアリズムに近い考えもあるが)。

この二つの理論であるが、これを単純に二項対立と捉えるのは根本的に誤っている、と言うことはできるだろう。
もちろん歴史的にはこの二つの考えはしばしば対立し、時に相互に激しい攻撃を加えていたわけではあるが、同時に現在の国際社会・国家群を分析・説明する際、いずれか一つの考え方では容易に説明できないどころか、ほぼ不可能とさえ言えるほどである。
ジョン・ハーツが「リアリスト・リベラリズム(リベラリズムはアイディアリズムを内包する、と考えて差し支えない)」という境地に達したことや、1970年代~80年代のイギリス・アメリカの対外政策が、概ね前者はアイディアリズムをベースとして、後者はリアリズムをベースとして分析されることで一定の成果を収めたことなどを見ても、択一的論理でないことは明らかとも言えよう。
同時に、国際連盟・国際連合が時に無力で機能しないのは、逆に言えば国際法を「強制的」に主権国家へと適用するだけの「パワー」を欠くからでもあり、この現状は極めてリアリズム的でさえある。「パワー」が主権国家の「内向き」にも発揮され得るからこそ、その国家の法治が実現するのであり、「国際法」がその強制力を持たないが故にしばしば主権国家の独善により無視され、また都合よく利用される現実もまたそこが一つの大きな要因でもある。
そして、これは裏を返せば一定の成果を挙げているPKO、PKFといった行動が、その「パワー」故に成果を挙げ得たことも例証とすることができよう。
これが意味するところはどういうことか。
一つには、アイディアリズムはその理想を現実へと適用し始めた瞬間、それは現実を基点とするリアリズム的分析を不可避的に受け容れざるを得ず、またリアリズムはその政策を実行へと移すにあたって、ある意味での「現実ではなく漸進的に目指すべき理想」を追求せざるを得ない、と言う点にある。
二つには、アイディアリズムにおいて「戦争なき平和」という概念そのものが、現実に適用した瞬間に「現状固定主義」へと陥りやすい点も挙げることができよう。国際連盟の協調体制が極めて「現状固定主義」的考えであり、その体制下での軍縮条約(というある意味での戦争なき平和への追求)が、その現状固定的であるが故に「持たざる国」の暴発を招いた、という点において、やはりリアリズム的視点の導入は不可避であるようにも思える。「戦争がない」という状況を目指すが故に「現状固定」に成らざるを得なかったことに対して、リアリズムは容易に反駁し得るように思える点は、まさにこの点であるとも言える。
三つには、他ならない協調体制、対談による平和が、ナチスの台頭に対して「小国を大国の犠牲として」成し遂げることを目指し、挙句に破綻したことや、アイディアリズムの基本となる「人、物の交流」や「経済的結びつき」が戦争を回避するという考え方では、大日本帝国の戦争は到底説明できない点も挙げることができるだろう。逆に、裏を返せば、その際に連合国と呼ばれる存在がアイディアリズムを全く考慮せず、多分にリアリズム的覇権体制のみを目指したならば、到底国際連合の成立は見ることができず、またその後の冷戦体制が結果としてリアリズム的要素における平和(と同時にアイディアリズム的第三世界の台頭)を見ることもできなかったであろう。
四つには、ロシアや中国に見られるようなセキュリティマインディットな膨張主義は極めてリアリズム的ではあるのだが、同時にそれを抑止し得るのが「国際世論」といったアイディアリズム的要素を含んでいる(全てとは言えない)点なども挙げることができるだろうし、英仏の中東への介入がアメリカの反対があったとは言え、結果として「国際世論」に屈する形で挫折したことなども挙げられるだろう。同時にこれはイスラエルのように、自国のセキュリティに対して国際世論といったものをある程度「無視」するだけの行動を取る国家に対して、アイディアリズム的国際世論はそれに「パワー」がない限り無力であるといったものも考慮する必要があるだろう。

そもそも現代社会、国際社会において、「どちらかを選択するなら」といった前提がそもそもユートピアニズムであり、アイディアリズムもリアリズムもどちらも不可欠な分析・考察・政策立案のための要素でもある。
その意味において、リアリズム、アイディアリズムのいずれの立場であれ、それは程度の問題であり、「どちらか」という選択を迫るものほど「非現実的」「非論理的」であるという意味においては極めてユートピアニズムと言わざるを得ないだろう。

蛇足ではあるが、このとき日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というアイディアリズムを担保するのが、その公正と信義を担保するためのリアリズムを必要とする、という歴史を思わざるを得ない。日本が戦後戦争に巻き込まれず(朝鮮戦争やベトナム戦争といった間接的関与は別として)、曲がりなりにも「平和国家」を名乗れるのは、他ならないリアリズム的側面がそれを担保し得てこそであった、という現実は、まさに厳然と歴史に刻まれているのである。
それはGDP費で先進国中稀に見る「低軍事費」という「安全保障のジレンマの回避」を元とした周辺国の警戒感の回避と同時に、日米安保というリアリズム的均衡を実現していて「初めて」成り立っていたものであり、決して「憲法九条」というアイディアリズムだけで実現されたものではない。そして同時に、前文や九条というアイディアリズムがあったからこそ、リアリズム的側面があるベトナム戦争や朝鮮戦争に「直接的に参加せずに済ませることができた」という僥倖をも得たのである。
そして、竹島や尖閣諸島における、保守派と称される(自分は認めないが)政治家や団体の、安易に「安全保障のジレンマ」を無視してしまう言説や政策を危惧すると同時に、リアリズムを敵視し軽視するが故に韓国や中国のリアリズム(国権拡張)をも容認してしまうアイディアリスト(とはこれも認めたくないが)のあまりに安直な言動をも危惧するのである。
そして同時にこれはリアリズムとアイディアリズムをうまく包摂することができなかった大日本帝国の過ちや、アイディアリズム的要素を踏まえつつ時にリアリズム的でもあるポストコロニアリズムを否定するものでもないことは明言し、本稿を終えることとする。

副大臣の認証問題を考える

松原仁国交副大臣の拉致担当副大臣兼務について、認証が行われていないとの報道が成されている。情報ソースとして最速と思われたのが夕刊フジ系列(zakzak)であることから、瑣末な問題として捉える向きもあるようだが、同紙の取材による内閣府総務官室特別職担当のコメントから、少なくとも認証を行っていないことは事実であるようであり、そうであれば実は大きな問題を孕んでいる。

■副大臣とは
副大臣は大臣を補佐し、政務次官に代わり、実質的な省庁間の事前調整や実力者の登用による政府機能強化、国会答弁の活性化が期待され設置された役職である。
大臣と大きく異なるのは、大臣が「国政全般」に関わる者として「国務大臣」として認証されるのに対して、副大臣は権限が各担当のみに限られる点にある。大臣と異なり副大臣は「○○副大臣」として職掌を限定した形で認証される、ということである。
つまり大臣が他の大臣を兼務する場合には、既に「国務大臣」の認証が終わっているため、新たな認証を必要とせず、辞令のみで済ませることができるが、副大臣が別の副大臣を兼務する場合、法令上「権限外」の担当となるため、新たに認証を行う必要がある。
法令根拠は「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」ならびに「国家行政組織法」などである。
なお、省庁間調整においていわゆる「事務次官等会議」を廃止し、完全に「副大臣会議」へと移行がはかられたのは2009年の鳩山内閣下においてである。

■認証を行う意味
まず、認証官に対して認証を行う意味というのは、国民がそこに権限を委ねることを確認する意味合いがある。認証を行うのは天皇であり、これは日本国憲法第7条に基づく国事行為である。天皇という存在は憲法上「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(同第1条)と規定されているため、この行為は間接的に国民がその権限を天皇という存在を通して委託することを象徴的に確認することにも通じる(ここで天皇を象徴として認めていない云々というのは無視する。現行憲法上の規定がそうなっている)。
加えて、国務大臣「ではない」以上、その権限を明確にすることが必要であり、認証式というのはそれを確認する場でもある。閣議決定権もなく、国政全般への関与が「認められていない」のであり、法令上認証官とされている以上、これを省くのは任命権者としては各種法令を無視する脱法行為であり、任命された側はその職務を行うことは明確な越権行為ともなり得る。
民主主義は基本的に法手続きを尊重し、順守することが求められる政治体制であり、このことは重要な意味を持つ。脱法・越権が安易に容認されるような状況や法が恣意的にゆがめられる状況は、民主主義国家としては致命傷に成りかねないのであり、到底容認されるべきものでもないだろう。

■遵法の精神を
副大臣の権限強化のために事務次官等会議を廃止したのは、いわゆる民主党マニフェストを実現した鳩山内閣の数少ない実績の一つではあるだろうが、その副大臣が「どのように規定されているのか」について、民主党がどこまで理解をしていたのであろうか。
そもそも今回の拉致担当副大臣が「内閣府設置法」で3人と規定され、その人数は既に埋まっているにも関わらず、さらに追加で松原氏を認証なく補任するのは、何重にも法を逸脱する行為であると言わざるを得ないだろう。
副大臣は大臣不在時にその職務を代行する職位でもある。このまま認証なく松原氏が拉致担当副大臣を続けるようなことがあり、加えて現大臣が不在で臨時とはいえ職務を代行するようなことがあった場合、これは「国務大臣」としての認証もなく、「拉致担当副大臣」としての認証もない人間が、同職を執行する形となり、法令上も由々しき問題を惹起することになるだろう。
事務次官等会議を廃止した理由は政治主導の強化に加え、同会議が法令上の根拠が曖昧であったことも指摘されていたはずである。そして、そもそも大臣として認証を行っていない場合(親任後組閣未了時等)、それは総理大臣自らが自らに対してその職務代行を発令するほど、大臣職は重く、また認証の法的位置づけも重いのであって、その認証官とされる副大臣という職に対して、そこを軽んじて良いはずもない。

■執るべき対応とそこから生じる問題
まず、今後とも松原氏を同副大臣として起用し続けたい場合、早急に認証を行うとともに、現副大臣のうち一人を罷免するか、もしくは内閣設置法を改定して副大臣職の人数規定を増加することが必要であろう。
そうではない場合は当然兼務を外す必要があり、その場合そもそも大臣に加えて副大臣を3人も抱えながら、なおかつ同氏にヘルプを求めた山岡大臣は何をやっているんだ、というかそもそも職務に相応しい人間なのかが問われることになるだろう(これは3人の現副大臣にも言える)。
兼務を外す、ということはそれだけ大臣・副大臣の起用に対して任命権者の見識にも通じる問題になる可能性はあるだろう。もちろん、松原氏を起用し現副大臣の誰かを罷免した場合も、同様にその見識は問われることになるだろうが。発足して、任命されて極めて短期で大臣・副大臣等が辞任に追い込まれ、また罷免されるという事態は近年決して珍しいことではないのだが、一体いつまでそれを繰り返すつもりなのだろうか。

追記として、その事務次官等会議が実質的に野田内閣で復活しているわけだが、民主党って一体何なのでしょうね、というのはこの際触れずにおく。