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大統領予備選に見るアメリカ社会の変化の兆し

とてもお久しぶりです。アメリカの大統領選挙予備選が大変混沌とした状況になっています。現時点での雑感をまとめてみたいと思います。

共和党はトランプ氏が圧勝、ブッシュ氏惨敗で撤退決定となりました。ブッシュ氏支持層は今後はルビオ氏に流れるでしょうからトランプ氏vsルビオ氏という枠が基本的枠組みとなるでしょう。クルーズ氏は本命にはならないでしょうし福音派の票が少なからずトランプ氏へ流れているのでこれ以上の浮上は無いでしょう。共和党は党としてはトランプ氏を避けたいでしょうからルビオ氏にどこまで集中できるかが問われるでしょう。
共和党主流派はもう選択肢はルビオ氏しか残っていないので、次の予備選でルビオ氏が何処までトランプ氏の勢いを抑えられるかが注目です。クリスティ氏、ブッシュ氏、ケーシック氏あたりが本来の共和党主流派だったはずなのですが、クリスティ氏がルビオ氏への攻撃へ注力した結果トランプ氏を利する形となり既に撤退、今回ブッシュ氏が撤退となりました。
ルビオ氏は以前の討論会の醜態をある程度挽回した形とはなりましたが、ブッシュ氏も討論会でのパフォーマンスは下手な印象で、主流派と目された候補が軒並みトランプ氏のパフォーマンスに押されている印象です(ブッシュ氏の撤退決断が早かったことからもしかしたらルビオ氏大統領、ブッシュ氏副大統領という線での主流派集約が図られる可能性はあります)。

一方の民主党はヒラリー氏が薄氷の勝利といった感じでサンダース氏の善戦が際立ちました。半月くらいで一気に追い上げた印象です。ヒラリー氏は本来黒人層の支持が厚いと言われていたにも関わらず、前回のニューハンプシャーに続いて接戦となりました。というよりサンダース氏への支持は恐らく当初のヒラリー氏の予想をはるかに超えるものになっていることが改めて示されたと言えるかもしれません。
実際、ニューハンプシャー戦の後に行われた調査では黒人層でも若年・中年層の相当の比率がサンダース氏支持へ流れていることが明らかになっていました。サンダース氏の今回の僅差の敗北は実質的には「ニューハンプシャーの接戦はまぐれではない」ということを如実に表している結果であり、ヒラリー氏と対等に勝負できる候補であることを見せたという点で敗北とは言い切れないものがあります。
次の予備選はヒラリー氏の勝利は手堅いところですが、サンダース氏の追い上げ方次第ではスーパーチューズデーでも候補が確定できない可能性が出てきました。サンダース氏はそもそも大統領候補になるなど有り得ないとされてきた中での出馬でここまで票を集めており、トランプ氏の地滑り的集票と合わせてアメリカの政治基盤の変化が表れているように感じます。

トランプ氏とサンダース氏の支持は重なっていないとの指摘もありますが、どちらも「既存の民主党共和党のワシントン政治、ウォール街への大きな反発」で支持が集まっていることから、このままトランプ氏が共和党候補として勝ち抜けして民主党が本命ヒラリー氏となった場合「反ワシントン」票として民主党・共和党の枠を超えてトランプ氏へ支持が傾く可能性さえ考慮する必要が出て来た気もします。トランプ氏・サンダース氏が勝ち抜けた場合ブルームバーグ氏の出馬が取り沙汰されていますが、万一にもブルームバーグ氏には勝ち目はないでしょう。
いずれにしても恐らく両党の予備選前の当初の思惑を超えた「反主流派」票が表れてきているのは紛れもない事実で、このことは予備選開始前の選挙予測が悉く外れていることからも理解できます。民主党・共和党という二大政党に特化した政治体制になっているアメリカですが、長期的には第三の政党が組織される可能性が生じてきた印象があります。それくらい反ワシントン、反ウォール街の勢いが強いと感じます。そして民主党・共和党の両党と異なる第三の勢力が実際に組織された場合、それは恐らく民主党的リベラルよりも左派で、また国際的位置付けとしての「世界の警察」アメリカを放棄する政策が打ち出されることになると思われます(実際サンダース氏はそういった主張を頻繁に繰り返しています)。また、従来南部福音派の動向が大統領選を左右するという指摘がしばしばありましたが、今回福音派の票からクルーズ氏ではなくトランプ氏へも票が流れている点、長期的にムスリムがクリスチャンに匹敵する母集団になることが予測されている点を考慮すると、白人系タカ派共和党vs黒人系リベラル民主党といった(ある意味では安直とも言える)枠組みは人口構成の点からも宗派勢力の点からも崩れる可能性を秘めています。加えて白人人口が「少数派」へ転落することも予測されており、第三の左派勢力が組織された場合、福音派・ティーパーティー勢力が一層先鋭化する可能性もあります。

今回の選挙戦はまだまだ予断を許さない状況となっていますが、長期的に視た場合、オバマ氏が初のブラックプレジデントになった選挙以上にアメリカ政治史の中で大きなターニングポイントになった選挙という歴史評価になる可能性もあるように感じます。日本で丸山参議院議員の迂闊な発言がアメリカで報道された際、「アメリカは劇的に政治を変化させることができるが日本の制度は硬直化している」とも指摘されていました。この劇的変化は既に「起きつつある現実」と言えるかもしれません。今回の大統領選がルビオ氏vsヒラリー氏という、現状考慮し得る「従来の枠組みで考えれば妥当」な大統領選になったとしても、変化は確実にアメリカの市民社会で構成されつつあるように感じられます。それは自由主義の後退ではなく、「資本主義」に対する一つのアンチテーゼとして、経済的観点から社会矛盾を突くものと言えるかもしれません。

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9.11とシリアとアメリカ ~中東に対する雑記~

9.11がアメリカにもたらした影響は甚大で、それについては異論は無いであろう。
ちょうど10年前のイラク戦争の遠因になったとも言われ、現在まで続く対テロ戦争の発端でもある。
しかし、イラクが当時アル・カーイダを支援していたかどうかについては、06年の報告書で明確に否定され、イラク戦争開戦の主因とされる大量破壊兵器の存在についても04年に明確に否定された。
様々な陰謀論はひとまず置いておくとして(とはいえ9.11事件についての独立委員会報告書についてもいくつかの重大な疑義が提示されていることは事実である)、この事件を契機に「テロに対する先制攻撃」を容認し、またその攻撃そのものへの反対を抑制する傾向が生まれたことは事実である。
さて、では当のアル・カーイダはどうかと言えば、ウサーマ・ビン=ラーディンは既にアメリカの手によりこの世を去っている。
ウサーマ・ビン=ラーディンはアル・カーイダの精神的指導者とも言われていたが、彼を本格的なイスラム闘争へ引き入れたのは、ナンバー2とされていたアイマン・ザワヒリであり、ザワヒリが本格的なイスラム闘争へ足を踏み入れたのは、サイイド・クトゥブの影響が大きいとされる。
クトゥブはアメリカに対して極めて辛辣ではあったものの、その影響は主として著述に拠るものであり、テロ活動に拠るものではなかった。
アメリカでの知見を経て、アメリカの「物質主義」「暴力主義」「差別主義」から「個人の自由」に至るまで多方面に渡り批判を加えるようになった。クトゥブ自身は当初エジプトにおいて、ナーセルらの王政打倒のエジプト革命を支持したものの、その後政府へ批判の姿勢に転じることになるが、それは軍首脳が新政府のイスラム化を進めるわけではなかった点や、恐らくはアメリカの中に見たものをエジプト革命の結果に対して見出したからであろうと思われる。
その後クトゥブも所属していたムスリム同胞団がナーセル暗殺未遂事件を起こした後、クトゥブ自身も投獄され、主犯格として処刑されることになる(実際には後に事件に関与していなかったことが判明している)。
ザワヒリはこのクトゥブの処刑に衝撃を受け、急進的になったと言われる(ザワヒリの旧知の人間が「まったく別人になり、冷淡な性格にもなった」と証言するほど性格・思考が激変したようである)。
アル・カーイダの自爆攻撃についても「本来イスラム的ではない自殺を伴う攻撃の結果殉教者へ」という論理や、攻撃の巻き添えになったイスラム教徒についての「犠牲者は殉教者。殉教者になれない犠牲者は背教者」という無茶苦茶な論理は、ザワヒリが生み出したとされている。彼がビン=ラーディンに接近したのは、彼が財力というザワヒリにないものを持っていたからであるとされ、ビン=ラーディン自身にとってもザワヒリとの出会いが大きな転機になったようである。

クトゥブは幼少期にはイスラムの教義しか教えてもらえない状況に反発していたとも言われるが、それが渡米を通じアメリカ批判が生じ、その結果イスラム国家を目指す政治活動に展開したことは皮肉である。そしてその後を継いだとも言えるザワヒリの生み出した理論がそのイスラムと必ずしも合致しないものへと変容してしまっている結果となったことは、さらに皮肉である。
自由将校団と袂をわかって以降、軍主導の政府と同胞団は対峙することとなるが、その自由将校団が推し進めた民族社会主義政策とも呼ぶべき政策を推進したエジプトと、一時アラブ連合を構成したのが、現在のシリアである。
なお、このアラブ連合に挟まれる形となったヨルダンが選択したのがイラクとのアラブ連邦である。アラブ連邦はイラクの王政打倒クーデターにより崩壊するが、そもそもこのクーデターの発端はイラク軍をヨルダン王政支援のために派遣しようとしたことがクーデターの機会を生んだとも言われている。
なお、ヨルダン王政が不安定化した理由の一端は中東戦争においてヨルダン川西岸を自国領に編入したことなどで、パレスチナ難民と呼ばれる一群の強烈な反発を招いた点も指摘されるところである。
構図としては中東戦争の結果ヨルダンが不安定化し始め、その状況とアラブ連合の形成に危機感を抱いたイラクがヨルダンに手を差し伸べようとしたところ、イラク自身の王政が崩壊したような流れである。
そもそも中東戦争自体が第二次世界大戦時のイギリスの外交政策の結果招いたものとも言え、エジプト王政が決定的に凋落したのも、戦中に親英政権を樹立したことが決定打になったとも言われている(それに焦った結果中東戦争に手を出して、敗戦に伴い軍自体の離反を招いている)。
シリア自体は第二次大戦後に独立した国ではあるが、現在のアサド政権については、もともと大統領就任当初、比較的開明的であったとされるアサド大統領が、政治改革や欧米諸国との関係改善などで「ダマスカスの春」と呼ばれる政策を主導したものの、軍を中心とした守旧派の抵抗や、同じバアス党政権のイラクがアメリカの圧倒的力により粉砕されたことに危機感を覚え、体制引き締めのために急速に反動政策を進めるようになったとも言われている。

クトゥブというアル・カーイダの原点とも言える存在に対してアメリカという存在が与えた影響、そしてそこから連綿と9.11に連なるアル・カーイダという組織の存在(明確に組織だっているわけではない、との指摘もある)。そして9.11が呼び水となったイラク戦争。イラク戦争の結果反動を強めたとされるシリア政府。クトゥブは当初王制時代にアメリカに教育行政視察のために訪れていた、という事実などを考えても、いかにアメリカという存在がこの地において大きな影響を及ぼしていることか。この影響は何も軍事介入や政府・反政府組織の支援といった明確なコミットメントだけではなく、一見無関係にも見えるところで生じた事象の遠因となっている点も含めて、ではあるが。アメリカがイギリスを支援しなかったらイギリスはドイツに勝てたのか、という架空戦記は除外するとしても、イギリスの継戦を支えたのもまたアメリカであり、イギリスが戦中のエジプトで半ば強引に親英政権を樹立させたのは、ドイツがエジプトに迫った時期に反英運動が高まったからでもあり、連鎖的影響として捉えると、アメリカの行動の一つ一つ、またアメリカという存在そのものが、もしかしたら直接植民地支配をしたイギリスやフランスといった国家よりも、大きな影響を与えている可能性さえ想起させるものがある。

現在シリアで反政府勢力の主とされるシリア国民連合であるが、その母体がもともとはアメリカの支援を受けていたにも関わらずアメリカから見放された国民評議会であり、シリア政府の反体制運動に対する厳しい締め付けがイラク戦争を遠因とし、その弾圧対象がアメリカが当初支援していた国民評議会を母体の一つとした国民連合であり、弾圧しているシリア政府を非難しているアメリカ、という構図もまたマッチポンプ的皮肉さがあるが、シリア国内の状況はヒューマン・ライツ・ウォッチなどからも最悪水準と批判される状況となっていることもまた事実ではある。
そういったことを考え合わせると、アメリカにとってシリアの現状は9.11から続く対テロ戦争の余波でもあり、過去の反政府運動支援の結果の帳尻合わせでもあり、同時にその遠因を作ったのがアメリカそのものでもあると指摘されてもおかしくはない、という状況に陥っているようにも見える。

9.11とシリアとアメリカ。
アメリカ自身、9.11の直後ほどに無理押しして介入に突っ走るほどではなくなってきている状況にあるようには見えるが、同時に9.11以降のアメリカの介入はほかならない中東諸国から「自由の押し売り」とも非難され、アメリカ国内からも「行き詰まったアメリカの輸出」とも皮肉を言われる現状もあり、どのような選択をするにしても、結局はアメリカ自身の過去の行動の結果に対して、どのように結論を出すのか、という点は一つの考察のテーマにもなるだろう。
同時に、シリアに介入すべきかどうか、という点において、確かに非難に値する状況でもあり、英米のみならずエジプトやリビアといった中東諸国との外交も途絶状態に陥っていることは考慮すべきでもあり、最大の支援国とされるロシアとイランのうち、イランは立場的に調停には入りづらいこともあり、ロシアの調停というのは介入を回避するとすれば最後の提案になるとも思われる。
今回のアメリカの動きは介入する場合でも大規模な地上軍を伴うものではないと想定されることから、介入の状況は限定的になるだろうとは思われる。ただし、アメリカとロシアという存在がアフガニスタンで演じた役割を考え合わせると、この調停自体はやはり米露間の影響力のオセロの一貫でもあろうし、アメリカが本格的な介入をしない選択をする場合、現在の反政府運動を母体とする限りにおいて、仮に現政府が倒れても決してアメリカにとって好ましい政府ができる状況ではないだろうことは念頭においておくべきようには思う。
9.11以降、イスラム過激派と呼称される総体を主対象として、テロとの戦いを演じてきたアメリカではあるが、シリアへの態度は過去の中東におけるアメリカの矛盾と現在の政策の行き詰まりが頂点に達しつつあるようにも思える。同時にまた、これは本邦がアメリカの中東における「現政策」をどこまで支持すべきなのか、について改めて考え直す契機にはなるだろう。
恐らくアメリカは介入をしてもしなくても批判にさらされることにはなるだろうし、その場合同調すれば日本も同様の批判は受けることもあろう。一方で、日本は中東戦争時にはアメリカ=イスラエルという構図とは一線を画した外交を展開したことも過去にはある。そして昨今ではアメリカの中においてさえ、イスラエルを無条件に支持・支援することに批判的声も大きくなりつつある。
9.11以降変わったとされるアメリカであるが、中東政策においてシリア情勢への対応を契機に、再び政策を転換する可能性はゼロではなく、同時に中東における一連の革命騒ぎ(いわゆるアラブの春)が、結局のところ壮大な失敗に終わり混沌が増しただけの現状を考慮すると、アメリカによる自由の輸出に対して、自由と平和を掲げる我が国の政策が、果たしてどこまで現地において「自由」で有り得るのか、「平和」をもたらし得るのか、について、一層慎重な検討が必要となろう。
そして、その検討は結局のところ、9.11以降の日本の原則として対米協調であった「対テロ政策への支持」という政策について、今後どのように舵を切るべきか、を判断することにもなる。

9.11は、いまだ終わっていない。

2012年を振り返る

■2012年はこんな一年でした(月別一覧海外/国内/訃報順)
1月
イタリアで貨客船座礁事故/台湾総統選挙馬英九再選/エジプト総選挙で自由公正党(ムスリム同胞団)第一党/平田信容疑者逮捕(オウム事件関与容疑)/新党きずな結成/東日本大震災関連会議中10議会で議事録未作成発覚/友部達夫元参議院議員死去(オレンジ共済事件、日本国憲法下で初の議員辞職勧告対象者)
2月
イエメンでサーレハ政権退陣/復興庁設置/オリンパス粉飾決済で旧経営陣逮捕/西日本で全ての原発が稼動停止/河村名古屋市長南京事件否定発言/VHSレコーダー生産終了
3月
ロシア大統領選プーチン再選/福島復興再生特別措置法成立/コナミがハドソンを吸収合併/AIJ投資顧問強制捜査/吉本隆明死去/コプト教会教皇シェヌーダ3世逝去
4月
ビルマ補欠選挙NLD候補者の大半当選/朝鮮民主主義人民共和国金正恩第一書記就任、ミサイル実験、金日成生誕100周年記念行事/スマトラ島地震/原発再稼動のための新たな安全基準策定/福島第一~第四原発の廃炉決定/陸山会事件で東京地裁で小沢氏無罪判決/亀井元代表国民新党離党/李進熙死去(広開土王碑碑文改竄説主張)
5月
フランス大統領選オランド勝利/ギリシャ総選挙極左躍進、極右も議席確保/金環日食/北海道泊原発停止により日本全体で原発稼動停止/沖縄本土復帰40周年/ヴィダル・サスーン死去/邱永漢死去/ドナ・サマー死去
6月
エジプトムバラク前大統領に終身刑/部分月食/中国有人宇宙船神舟9号打ち上げ/スペインEUへ金融支援要請/菊地直子容疑者、高橋克也容疑者逮捕(オウム事件関与容疑)/NTTドコモがタワーレコード子会社化/ビックカメラがコジマ子会社化/大飯原発3、4号機再稼動決定/原子力規制委員会設置法成立/東京電力実質上国有化承認/消費税法改正案衆院可決/朝鮮総連本部競売/寛仁親王逝去/レイ・ブラッドベリ死去/ロジェ・ガロディ死去(元フランスレジスタンスでアウシュビッツ懐疑論者)
7月
アフガン支援で東京宣言採択/インド大統領選ムカルジー当選/ロンドン五輪/食品衛生法で牛レバ刺禁止/小沢一郎以下49名が民主党離党届/大飯原発3号機再稼動/国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書公表/出入国管理法改正(旧来の外国人登録制度廃止)/新党国民の生活が第一結党/cdmaOneサービス終了/東京電力値上げ認可/明治天皇崩御100周年/東京電力へ1兆円の公的資金投入で国が筆頭株主
8月
アメリカ無人探査機キュリオシティ火星着陸/ロシアWTO加盟/韓国李明博大統領竹島上陸、天皇謝罪発言/野田内閣不信任案提出、否決/消費税法改正案参議院可決成立/香港活動家尖閣諸島上陸、強制送還/アルフレッド・ラヴェル死去(イギリス電波天文学者)/イスラエル元首相イツハク・シャミル死去
9月
エジプト・リビアでアメリカ在外公館襲撃/中国反日デモ激化/尖閣諸島国有化/原子力規制委員会発足/野田民主党代表再選/自民党総裁選安倍氏選出/文鮮明死去
10月
ベネズエラ大統領選チャベス再選/ノーベル賞発表、山中教授受賞/アメリカでハリケーンサンディ直撃/著作権法改正/東京駅丸ノ内庁舎竣工/日本郵便株式会社設立/オスプレイ普天間飛行場配備/在日米兵夜間外出禁止令/カンボジア元国王シハヌーク逝去/丸谷才一死去
11月
アメリカ大統領選オバマ再選、下院は民主党敗北/中国共産党中央委員会習近平を国家主席に選出/皆既日食/新党太陽の党結党、日本維新の会へ合流/造幣局バングラディシュの硬貨製造受注(戦後初)/新党日本未来の党結党/北海道で吹雪による大規模停電
12月
韓国大統領選朴槿恵当選/京都議定書08年からの温室効果ガス年平均削減目標期限/笹子トンネル崩落事故/衆議院総選挙で自民党絶対安定多数を確保/第二次安部内閣発足/双葉町議会町長不信任決議可決、町議会解散/日本未来の党内紛で分裂、旧国生一側が生活の党と党名変更して存続、阿部・嘉田氏は新たに日本未来の党結党(みどりの風側は両氏の合流拒否)、先に離党した亀井氏はみどりの党へ合流/地球滅亡せず

■個人的には
2月に手伝っていた友人の会社が破産し、6月に今の会社に転職、とまぁ自分個人としてもいろいろあった一年ではありました。
来年はどのような年になるのでしょうか。
今年よりはマシな一年にしたいものです。

リアリズムとアイディアリズム

「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 を契機としたリアリズムとアイディアリズムについて拙稿を書く次第。

リアリズムとアイディアリズム(またはユートピアニズム)は国際関係学(国際政治学)において、最もポピュラーな2つの考え方である。
しかし、この2つの考え方は、短絡的にまとめればまとめられなくもないわけだが、一方で時代に合わせた変遷、それぞれの思想が抱える欠陥とその克服の試みにより、あまり短絡的理解をするべきではない状況ではある。

さて、ここで一つ断っておくと、アイディアリズムもユートピアニズムも、いずれも邦訳する際は「理想主義」と訳されるわけだが、これはいろいろと問題もありそうにも思える。確かにいずれも「あるべき理想像」を据え、それへ向けての思想、とはなるのだが、アイディアリズムとユートピアニズムでは程度の差はありそうである。ここでは極端な理想を掲げるものをユートピアニズム、それほど極端ではないが、やはり現状を踏まえれば理想的に過ぎるものをアイディアリズムとしておきたい。

リアリズムもアイディアリズムもいずれも古く古代世界にまで思想的源流を辿ることはできるが、本稿では主として論理体系として一定の確立が成される前後のあたりまでを遡る射程としたい。
この二つの思想体系が概ね学問・論理体系として確立されてくるようになるのは国家体制というものが一定の確立を見てから、という風に捉えても大きな過ちはないように思う。もちろんそれ以前にも、例えばリアリズムの源流をマキャベリに比すようなことは多々行われているのだが、もっと前にも遡ることもできるし、一方でこの二つの思想が「国家」をその主的要素として捉える考え方を機軸として大きな発展を遂げたことから、主にヨーロッパ世界においてキリスト教が国家体制からある程度離れた状況が訪れた後からのものを考えれば十分であろう。

ここで、二つの思想が「国家」をその主的要素として、と書いたことに違和感を感じる方もいるかもしれない。
例えば、アイディアリズムはしばしば「国際社会、国際協調」を基調とし、「汎国家的枠組み」を論じることが多いことから「国家」という概念を思想的に軽視しているように捉える見方も少なくない(これがしばしばユートピアニズムに一括りにされる原因でもある)。しかしながら、この「国際社会、国際協調」の基本となるのがしばしば「国際法」であり、また時に発展して「世界政府論」へと発展することからもわかるように、アイディアリズムは決して「国家」という概念を蔑ろにしているわけではない。むしろ「主権国家」という体制の仕組みを大きく拡張して考える思想と捉えることもできる。いわゆる「法の統治」や「政府」という概念が、基本的には国家体制の中で語られるものであるからだ。
また、アイディアリズム(ユートピアニズム)はしばしば「実際にうまくいったことがない」といった語られ方をするが、これもまた過ちである。確かに理想を追求した(という意味では理想主義的な)実験国家たるソビエト連邦が壮大な失敗に終わったことや、国際連盟の無力さ、また国際連合の脆弱さを引き合いに出せば、それはそれで一面事実ではあるかもしれない。しかし、これは見方としては薄っぺらいものではあろう。その理由は後述する。
同時に、アイディアリズムの影響が少なくないと思われる存在としてEUなどは挙げることができるだろう(最もこれを成功例と見るかどうかは疑問もあるが)。また、政治的枠組みだけではなく、経済的協力体制はいくつも存在するし、それは「国家の枠組みを超えた人・物の移動が協調体制を生むはずだ」というアイディアリズムの素朴な理念の基礎には合致するとも言える。
リアリズムはしばしば「パワーポリティクス」として批判されるわけだが、その意味では「国家」を主的要素として捉えていることは疑いようもない。一方で、その「国家」を主体的プレイヤーと見ることからしばしば非政府組織の役割増大などの現実を踏まえ「論理的欠陥を抱えている」と指摘されることもあるが、1970年代以降このような欠陥に対して、それらの非国家組織をも射程に納めようとする新たな思想的発展を模索し続けているのもまたリアリズムの現状である。
また、この「パワーポリティクス」という用語の持つ「パワー=軍事力」という意味合いのみを過度に誇張し,リアリズムは軍拡と戦争を招来する、と捉える考え方は短絡的である。
有名な「安全保障のジレンマ」(ジョン・ハーツ他)に見られるように、必ずしも「軍備拡張」を志向するわけではなく、リアリズムは十分にその内包する危険性を意識しているのであり、そこから派生的にディフェンシブ・リアリズムという考えが生まれるのである(同時に恐怖の均衡といったオフェンシブ・リアリズムに近い考えもあるが)。

この二つの理論であるが、これを単純に二項対立と捉えるのは根本的に誤っている、と言うことはできるだろう。
もちろん歴史的にはこの二つの考えはしばしば対立し、時に相互に激しい攻撃を加えていたわけではあるが、同時に現在の国際社会・国家群を分析・説明する際、いずれか一つの考え方では容易に説明できないどころか、ほぼ不可能とさえ言えるほどである。
ジョン・ハーツが「リアリスト・リベラリズム(リベラリズムはアイディアリズムを内包する、と考えて差し支えない)」という境地に達したことや、1970年代~80年代のイギリス・アメリカの対外政策が、概ね前者はアイディアリズムをベースとして、後者はリアリズムをベースとして分析されることで一定の成果を収めたことなどを見ても、択一的論理でないことは明らかとも言えよう。
同時に、国際連盟・国際連合が時に無力で機能しないのは、逆に言えば国際法を「強制的」に主権国家へと適用するだけの「パワー」を欠くからでもあり、この現状は極めてリアリズム的でさえある。「パワー」が主権国家の「内向き」にも発揮され得るからこそ、その国家の法治が実現するのであり、「国際法」がその強制力を持たないが故にしばしば主権国家の独善により無視され、また都合よく利用される現実もまたそこが一つの大きな要因でもある。
そして、これは裏を返せば一定の成果を挙げているPKO、PKFといった行動が、その「パワー」故に成果を挙げ得たことも例証とすることができよう。
これが意味するところはどういうことか。
一つには、アイディアリズムはその理想を現実へと適用し始めた瞬間、それは現実を基点とするリアリズム的分析を不可避的に受け容れざるを得ず、またリアリズムはその政策を実行へと移すにあたって、ある意味での「現実ではなく漸進的に目指すべき理想」を追求せざるを得ない、と言う点にある。
二つには、アイディアリズムにおいて「戦争なき平和」という概念そのものが、現実に適用した瞬間に「現状固定主義」へと陥りやすい点も挙げることができよう。国際連盟の協調体制が極めて「現状固定主義」的考えであり、その体制下での軍縮条約(というある意味での戦争なき平和への追求)が、その現状固定的であるが故に「持たざる国」の暴発を招いた、という点において、やはりリアリズム的視点の導入は不可避であるようにも思える。「戦争がない」という状況を目指すが故に「現状固定」に成らざるを得なかったことに対して、リアリズムは容易に反駁し得るように思える点は、まさにこの点であるとも言える。
三つには、他ならない協調体制、対談による平和が、ナチスの台頭に対して「小国を大国の犠牲として」成し遂げることを目指し、挙句に破綻したことや、アイディアリズムの基本となる「人、物の交流」や「経済的結びつき」が戦争を回避するという考え方では、大日本帝国の戦争は到底説明できない点も挙げることができるだろう。逆に、裏を返せば、その際に連合国と呼ばれる存在がアイディアリズムを全く考慮せず、多分にリアリズム的覇権体制のみを目指したならば、到底国際連合の成立は見ることができず、またその後の冷戦体制が結果としてリアリズム的要素における平和(と同時にアイディアリズム的第三世界の台頭)を見ることもできなかったであろう。
四つには、ロシアや中国に見られるようなセキュリティマインディットな膨張主義は極めてリアリズム的ではあるのだが、同時にそれを抑止し得るのが「国際世論」といったアイディアリズム的要素を含んでいる(全てとは言えない)点なども挙げることができるだろうし、英仏の中東への介入がアメリカの反対があったとは言え、結果として「国際世論」に屈する形で挫折したことなども挙げられるだろう。同時にこれはイスラエルのように、自国のセキュリティに対して国際世論といったものをある程度「無視」するだけの行動を取る国家に対して、アイディアリズム的国際世論はそれに「パワー」がない限り無力であるといったものも考慮する必要があるだろう。

そもそも現代社会、国際社会において、「どちらかを選択するなら」といった前提がそもそもユートピアニズムであり、アイディアリズムもリアリズムもどちらも不可欠な分析・考察・政策立案のための要素でもある。
その意味において、リアリズム、アイディアリズムのいずれの立場であれ、それは程度の問題であり、「どちらか」という選択を迫るものほど「非現実的」「非論理的」であるという意味においては極めてユートピアニズムと言わざるを得ないだろう。

蛇足ではあるが、このとき日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というアイディアリズムを担保するのが、その公正と信義を担保するためのリアリズムを必要とする、という歴史を思わざるを得ない。日本が戦後戦争に巻き込まれず(朝鮮戦争やベトナム戦争といった間接的関与は別として)、曲がりなりにも「平和国家」を名乗れるのは、他ならないリアリズム的側面がそれを担保し得てこそであった、という現実は、まさに厳然と歴史に刻まれているのである。
それはGDP費で先進国中稀に見る「低軍事費」という「安全保障のジレンマの回避」を元とした周辺国の警戒感の回避と同時に、日米安保というリアリズム的均衡を実現していて「初めて」成り立っていたものであり、決して「憲法九条」というアイディアリズムだけで実現されたものではない。そして同時に、前文や九条というアイディアリズムがあったからこそ、リアリズム的側面があるベトナム戦争や朝鮮戦争に「直接的に参加せずに済ませることができた」という僥倖をも得たのである。
そして、竹島や尖閣諸島における、保守派と称される(自分は認めないが)政治家や団体の、安易に「安全保障のジレンマ」を無視してしまう言説や政策を危惧すると同時に、リアリズムを敵視し軽視するが故に韓国や中国のリアリズム(国権拡張)をも容認してしまうアイディアリスト(とはこれも認めたくないが)のあまりに安直な言動をも危惧するのである。
そして同時にこれはリアリズムとアイディアリズムをうまく包摂することができなかった大日本帝国の過ちや、アイディアリズム的要素を踏まえつつ時にリアリズム的でもあるポストコロニアリズムを否定するものでもないことは明言し、本稿を終えることとする。