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マルクス・レーニン・共産主義についての拙稿

 犬沼氏から下記を頂戴したので拙稿を投下しておくことにする。

マルクスの搾取論が間違ってたわけ

 大元はこれ。口は滑らせるもんじゃないですね、という好例であります(汗

 さて、予め断っておくと、「進歩史観を憎悪する問題 ツイート追加」ここのコメント欄にも書いたように、未来決定的(あるいは予言的)歴史観というのは、まったく個人的理由と動機により賛同しないので、決定論的階級闘争史観はまったくどうでも良いし評価もしていません。
 同時に、マルクスが想定しレーニンが継承した(ことにしておく)「労働」と「価値」の設定についても、「現代」においてまったく現状に合致していないとも考えるし、或は「暴力革命論」のようなものに至っては唾棄さえしています。
 と、ここまで読んで頂ければご理解頂けると思いますが、個人的にはマルクス「経済学」といった幻想はまったく評価もしていません。まぁソ連や東欧、或は中国人民共和国やら北朝鮮人民共和国やらの「人民共和国」という名の高度官僚集中独裁体制もまた評価していません。もっとも、それらの政体が実現した「人民共和国」における官僚制度が、マルクスやレーニンが当初想定したような解体をまったく伴っていなかったので、それらは「共産主義」の実現どころか、下手したら「共産主義へ向けた第一段階すら実現しなかった」と、その信奉者から批判もされるでしょうが、そもそも「共産主義」そのものが到底現実適用不能なものだと考えていますので、座学は座学で頑張りましょう、という結論であります。

 その前提の上で、上記の発端のツイートに戻ってみることにします。
 実のところ、その共産主義「理論」が言うほど完結的または論理的だとも考えませんし、いろいろと矛盾も孕みまた相当に夢想なものだとも判断しているので、その意味で「不要、遺物」とすることに、些かの躊躇もありません。
 というか、そもそもマルクス「主義」の実践が、権力の発露の一様態でしかない、という点において、革命夢想家の諸氏にはまったく申し訳ないことながら、「政治的イマジネーションの貧困化、涸渇化という現象のその要因として、マルクス主義が存在しているからであり、これを考えるにはマルクス主義なるものが、基本的な意味で権力の一様態にほかならぬという点をおさえておく必要がある」(吉本隆明著「世界認識の方法」/中央公論社1984/P.18)というフーコーの言葉に大いに同意もしますし、「そのディスクールは、単に過去ばかりではなく、人類の未来に対しても、ある真理の拘束力を波及させるという予言的科学でもあるわけです。つまり、科学性と予言性とが、真理をめぐる拘束力として機能しているという点が重要です」(同著P.19)という点にもフーコーの言に大いに同意であり、同時にそれであればこそ否定もし、だからこそ実践し得なかった(予言的拘束ほど理論は現実に適用するには不可能性が内在されていた)、とも考えます。

 さて、では何故、それでもなお「マルクス」や「レーニン」は色褪せずに済む可能性は何処にあるのか。
 ここからはまったく個人的見解であり、或は研究者諸氏や実践者には、ある意味での噴飯物になるであろうことを承知で書いていくが、自分が個人的にそこに見出す可能性は、「主義」やまたは「経済学」、 或は「歴史観」や「階級概念」では「まったくない」ことは断言しておく。上述の通り、自分はそれら総体にはまったくもって賛同も納得もしていないし、また同意もしない。そういうことではまったくなしに、枝葉の部分にこそ、その着目し見直されるべき点もあるだろう、という意味で、「マルクス主義」或は「マルクス=レーニン主義」或は「共産主義」との決別と遺物化と平行して、その枝葉に立ち現れる原点的問題意識こそ焦点になる、とも考えます。そしてそれらの言は今なお、或は他の「主義」として、或は別の「行動」の中に立ち現れる言でもあり、珍しい物では決してありません。
 たとえば、バーゼルにおける国際社会党臨時大会の宣言において「とくに大会は、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、ギリシア間の旧敵対関係の再生に反対するばかりでなく、現在別の陣営に属しているバルカン民族、すなわちトルコ人、アルバニア人に対するどのような迫害にも反対すべきことを、バルカンの社会主義者たちに要求する。だから、バルカンの社会主義者は、これらの諸民族のどのような権利剥奪ともたたかい、ときはなたれた国民的排外主義に反対して、アルバニア人、トルコ人、ルーマニア人をもふくめた全バルカン民族の友好を宣言する義務をおうている。」(レーニン著、宇高元輔訳「帝国主義」/岩波書店1956/P.211)といった、その原理原則をまず率先して自らに「義務」として課そうとする態度は肯定します(その後の進展は別として)。この態度はそれが実践されている限りにおいて、否定すべきではないだろうし、何よりこういった理念はその後の人権の進展にも寄与したはずでしょう(当人達が望む形であったか否かを問わず)。
 また、プロレタリア「階級」というものが、理論上の幻想であったとしても、「機械装置が次第に労働の差異を消滅させ、賃金をほとんどどこにおいても一様の低い水準に引き下げるので、プロレタリア階級の内部における利害、生活状態はますます平均化される。」(マルクス・エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳「共産党宣言」/岩波書店1951/P.51)と述べられたそれのうち、一部は実際に現出している点は考慮されてよいようには思う(実際には一様の低い水準に引き下がったわけではなく、機械装置はおろか職能そのものにおいてさえ置換可能なものが低くなり、置換不可能なものは高くなるといった「利害の深化」が発生しているので、あくまで「一部」ではある)。また、「現存社会内の多かれ少なかれかくれた内乱を追求して、それが公然たる革命となって爆発する点まで達した。」(同著P.55)といった、顕在化しない軋轢が限界を超えるといかに社会不安を惹起するかという点において「それをさせてしまうとさらに酷いものがやってくる」という反面教師的意味で、意味がないわけではないようにも思えます。そういった「革命」騒ぎになる前に社会はその軋轢を「発見」し「向かい合い」なんらかの「妥結点」を見つけるべきで、放置し黙認しあるいは無視するのではなく。
 或は、ラッサールの社会主義に対して述べられた「マルクスは言う、ここには実際「平等の権利」があるにはあるが、しかし、これはやはり「ブルジョワ的権利」であって、他のすべての権利と同じく不平等を前提している。すべて権利とは、実際にはひとしくなく、たがいに平等でない種々の人間に、同じ尺度を適用することである。「平等な権利」が平等の侵害である不公正であるのは、このためである。」(レーニン著、宇高元輔訳「国家と革命」/岩波文庫1957/P.130)と述べられた際に気を付けるべきは権利が「ブルジョワ的か否か」といったマルクスやレーニンが掲げた命題の根幹の部分「ではなく」、形式的権利が平等であったとしても、それが不平等を内在することは実際に存在し得るものであり、同時に「平等でない種々の人間に同じ尺度を適用する」ことの意味合いを推し量ることでもあるでしょう。ただ、個人的にはここから革命やらに展開することは求めもしない。同時にこういった着眼において重要なのは「民主主義」における「形式的平等」であったり、「自由主義」における「外形的権利」というものが、それであるが故に内在的不平等を惹起する、という点を考慮の上で、それが実質面で是正される方向で指向「され続ける」必要がある、というに留めたい。完全に民主主義的平等を、レーニンの言うような形で(武装した人民・兵士により「すべての人」が国家的機能を遂行し、或は順番に統治する形で)実現するのは夢想どころか悪夢でもあり、ましてやそれを「自主的に参加」するなど、理想ではあり得ても現実にはあり得ないでしょう(強制されない限り)。一方で「社会主義のもとでは、「原始的」民主主義のうちの多くのものが、不可避的にふたたび活気づくであろう。」(同著P.163)といった、原則論としての「国民すべてがその「民主主義」に自発的に参加すべき」という理想そのものは「永遠に実現しないが常に求め続けるべき」ものであろうし、それは同時に「民主主義」の本質でもあるでしょう。

 まったくもって身も蓋もない話にはなるものの、個人的には、そう、まったく個人的には、マルクスやレーニンが打ち立てた「理論」そのものではなく、彼らが「民主主義の理想形」として思い描いたもの(それは永遠に実現もせず、また共産主義革命を経るものでもないもの)を、その枝葉の部分で現代になお有効な部分を「摘み食い」することはできるだろう、という意味において、マルクス・レーニン「主義」ではなく、また「マルクス経済学」でも「階級史観」でもなく、その「発端」なり「問題意識」のみをリサイクルすることができる「程度」には無価値ではないだろう、と。
 摘み食いの結果、当然にマルクスやレーニンが追い求めた「共産主義」は永遠に実現しない、ということにはなるわけですが。

 犬沼氏の問いかけに対して妥当な応答になっているようには思わないので恐縮なのだが、マルクスやら(或はエンゲルスやら)からレーニン或は帝国主義や資本論、或は労働と価値をめぐる彼らの誤謬はまったく「どうでも良い」ことではないか、と。それを「思索するに至った意識」という、理論や実践以前の、或は思索・哲学の根源を射程にする、という意味において「のみ」は、まだ捨てなくても良いのではないだろうか、と。いみじくも前部で引用した吉本隆明の「世界認識の方法」において吉本とフーコーとの対談で合意点となっている「縁を切るべき対象としてマルクスとマルクス主義を区別する」(同著P.17)といった感じで、且つマルクス(レーニンでも良いです)が「何を考えていて、何処に欠点があり、何処が着眼点としてあれだけの影響を及ぼしたのか」という点を「のみ」は、有効とは言わないまでも、無効ではないのではないでしょうか。同著で「<プロレタリアートと資本家>という概念なのですが、吉本さんは、この概念と現実とを混合してはならないと明言されています。」(P,130)とフーコーが語った際、同時にそれが「いわゆる<マルクス主義>者とは完全に異なる解釈」と指摘しているのは示唆的ではありますが、その主義主張が「実践的」あるいは「構築された論理的」という意味において、まったく無価値或は誤謬であったとしても、彼の人達が思索した位相が、或は深層が何処にあり、それはどの程度現在も資本主義或は民主主義或は自由主義において内在され是正され「続ける」ものなのか、といったものを考慮する場合において、無価値ではないのではないか、と考える次第です。

P.S.これ共産主義者や研究者から盛大に不勉強なり日和見主義なり剽窃者なりと言われるんだろうなぁ

■参考・引用文献(注:上記引用と増刷・発刊年が異なるものがあります)

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先の大戦とは何であったのか

■開戦の詔書より

「中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ」
「重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ」
「米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ」
「帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ」
「經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス」
「帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ」

詔書自体は長々書かれているものの、根本は対支戦の泥沼に対する恨み辛みと、その現況と「看做した」米英への不満、結果として引き起こした経済制裁の打破であって、まさしく「自存自衛」のためであって、東亜解放などというものはここでは一言も触れられていない。
詔書に見る「東亜の平和と安寧」とは、日本の対支政策において英米が介入ないし相手方を支援しないことを指すのであって、それ以外は悉く付随的事項に過ぎないとさえ言える。

このことは開戦後の数日、この戦争に対する呼称が「決まらなかった」ことを見ても明らかであって、「大東亜戦争」のほかにも「太平洋戦争」「対米英戦争」といった呼称が提案されていた。
戦争呼称の決定は12月12日だが、それにおいても内閣情報局の発表においては「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず。」であって、12月8日に開戦したものがまさしく「対米英戦」であってことを示唆している。
この呼称決定までの間の経過的呼称は「対米英蘭蔣戦争」が仮称となっている。

なお「大東亜共栄圏」の呼称については、公文書上は1941年2月1日上奏の「対仏印・泰施策要綱」が初出とされているが、そもそもこの要綱は止むを得ない場合の仏印への武力行使や泰が日本の要求を拒否する場合は協定や威圧により英米につかないように圧力をかけるといった内容であり、そもそもここで「大東亜共栄圏」の呼称は、杉山メモを主として理解する限り、1940年7月の「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」から「帝国の現状は「大東亜共栄圏」建設の途上」にあるとの指摘においてであり、この時局処理要綱自体が「支那事変の解決」「南方(仏印、泰)への施策」「対英米戦を辞せず」「情勢が有利になれば対ソ戦」であって、大東亜共栄圏なんてものがいかなるものかがわかろうと言うものである。

そもそも開戦の詔書における経済関係においては、米の経済制裁を含め、たとえばそれまでにおいての仏印政策や蘭印との貿易について、相手方が「自国と干戈を交えている国の同盟国(英・仏・蘭と対峙する独とその同盟国日本)」に対して重要資源を(たとえそれが地勢的に直接は現在交戦国の利にならなかったとしても)易々と喜んで売るわけもないのであって、そんなことを理由にして「資源を輸出しないのが悪い」などというは外交も政治もわからぬものの逆切れに近いものがある。

■大戦中の動向

1943年の大東亜政略指導大綱においては、独立を促進(ないし設定)する相手はあくまで「対緬」「対比」であって、逆に「「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム」であった。どこが解放と独立のための戦争なのか。
また、対緬方策についても、一部地域を「民族・風土が異なる」と理由を付けて「日本領」へ編入しようと画策しビルマ側の抵抗で断念するといった一幕もあり、これまた独立という名のそれがいかに「日本側の都合の良し悪しだけで領域から政体から指導者に至るまでの与奪を決定されかねないか」ということを示している。
また、大東亜共栄圏の建設という名分は公文書に正式に記載されていなかったにしても、1939年~40年頃には一般化されていた用語ではあった。しかし、その具体的内容・企図が日本政府の政策として立案を検討されるのは1942年の大東亜建設審議会からである。
そのように中身もなく方策もロクにないものを「戦争目的」として開戦したというのは到底考え難いものであり、帝国主義国家間の闘争における「自存自衛」の方がはるかに理解も納得もできようというものである。実際にそういう時代ではあったのだから。

ちなみに、1942年11月に設置された大東亜省は拓務省や興亜院などを統合したものであるが、前者は「植民地の統治」と「海外移民行政」の統括でり、後者は主として大陸における「占領地行政」を統括するものであり、実際に大東亜省の顧問には大量にそれら組織から人間が送り込まれている。
二代目以降原則として外務大臣兼務の役職となったものの、省設置時において東郷が二元外交懸念と合わせて「植民地支配を画策していると受け取られかねない」といった理由を挙げて外務省を辞任していることは自然と頷けるものではある。東郷自身外務省の省益を代弁する故の抗議であったことは疑いようもないが、後者の理由については省の母体となった組織が何を主任務とする組織かを見れば自ずと明らかになろうというものである。

なお、ビルマに関して言えば、日本は対英開戦前から同地における反英運動を陸軍が主として支援しており、その中にはビルマ建国の父アウンサンもいた。アウンサンらは泰で独立義勇軍を組織すると日本陸軍から装備などを受領し、ビルマ侵攻にも参加させているが、結局のところ独立はすぐには認められず、バー・モウの自治政府を作るとともに、今度は邪魔になりつつあった独立義勇軍を解散させ、1943年8月に形式上ビルマを独立させたものの、新たに編成されたビルマ国民軍は、1945年3月に前線投入が日本要請の元決定されたものの、出陣式から2週間足らずで全面離反の上日本軍へ攻撃を加える有様であった。アウンサンらは義勇軍解散後、抗日闘争に身を投じ、その組織は他ならないイギリスの諜報機関と接触する状態で、「日本の意に沿うよう」「都合よく動くよう」組織を作れば作るだけ、それらは日本支配からの脱却を目指す方向へと動く結果となり、如何に日本が「与えた」独立が価値も意義もないものとして不満を招いたかがよくわかろうというものである。

また、同じく東南アジア方面で著名なインド国民軍に関してはインパール作戦などへの比較的積極的な参加などがあるものの、実際にインドの一角乃至一部でも日本が本格的占領に及んだ場合、それに対する政策がビルマに対するそれを異なるものになった、という確証はどこにもない。なにしろ、インド国民軍からの日本軍と対等の立場に、という要求に対して、日本政府はまともに回答していないのだから(これが結果としてインド国民軍は日本の傀儡である、との宣伝に根拠を与えるものになる)。

■帝国主義戦争の果てに

これらの状況を総論で見る限り、12月8日に始まる一連の戦争は東亜解放などというものは後付、文字だけの感を脱せず、本質的には帝国主義戦争(植民地争奪戦とブロック経済の確立)にあったというのが妥当な判断であろうと考えるし、その結果として敗れたのだ、という方が理に適ってもいる。大東亜戦争の完遂だなんだと言っても、敗戦時の唯一たる条件は「国体護持」であって、東亜解放など考慮もされていない。それは戦争に敗れるということが植民地の喪失を必然意味するものであり、東亜解放などという名分は植民地拡大の算段が立たなくなった状況では、何らの価値も持ち得ないものに過ぎなかったからでもあろう。
結果として民族自決を促し独立を果たしたではないか、というのは結果論としてはそうだが、果たしてそれを促進し育てたのは日本の「占領政策そのもの」であったとさえ言えそうである。当然日本側は「日本に反抗的な独立」など当然として弾圧したわけであるが。
また、人種差別撤廃を謳ったとされる大東亜共同宣言については、そもそもの部分において大西洋憲章の焼き直しともされ、さらには日本が勝手に書いた草案に対しての修正要求は全て拒絶した上での宣言であり、大東亜共栄圏の各国と言っても所詮その程度の扱いに「過ぎなかった」のである。大東亜会議や同宣言において、特に日本を高く評価しているとされるチャンドラ・ボースやバー・モウは、結局のところその独立運動において主導的役割を果たすことはなく、時には日本の傀儡を招くものとして非難もされたのであって、そこを抜きにして親日だの好評価だのを語るのは、これまた幻想の中の一駒に過ぎないだろう。彼らにとって頼るものはたまたま日本だっただけであり、他の政治勢力との抗争(親英派や距離をおく独立派)の関係の上でその軌道を修正する術を持たなかったに過ぎないとさえ言えるかもしれない。

帝国主義戦争の極地という意味での対英米戦は、日露戦争と異なり大国の後ろ盾(資金的意味にしろ陰陽の支援にしろ)なく大国と戦うという、最初にして最後の、そして最も愚劣でもあり挑戦的でもあった戦争であって、その意味で「自存自衛」という言葉はそのまま帝国主義闘争において「敗残すれば脱落する」という限界的意味合いとしては正しいのであって、やったことの結果はそれとして、戦争の意義としてそうであったことについて、卑下する必要があるかどうか、については十分に考える必要はあるだろう。同時にそこに被せる「東亜解放」がいかに都合のよい机上の用語であったか、という点については、ソ連のポーランド侵攻における「国家崩壊が差し迫ったポーランドにおけるウクライナ系・ベラルーシ系住民の保護」「西ウクライナの解放」といった大義名分ほどではないかもしれないが、実態と目的に対しての大義名分の度合いとしてはいい勝負のように思える。なお、ソ連のポーランド侵攻は完全な国際法違反であり、ソ連・ポーランド二国間の不可侵条約の一方的破棄という意味で何重にも名分と実態が異なる点は指摘しておいて良いかもしれない。
敗戦となった以上、大義名分が立派であった、と慰めるのはそれとして、その慰めをいつしか実態そのものであったと取り違える具は犯したくないものである。

日章旗、ナショナリズム、レイシズムなどなど

自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 
書く経緯となった発端はこのツイート。

もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。

■「日本」と「太陽」と「日章旗」
日章旗について触れる前にこれについて触れておく。
「日本」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。天岩戸伝説に見てもわかるように太陽神である。農耕が広がった社会において、世界中で見られる太陽信仰の一種と言えるだろう。
皇祖神としてのそれは別としても、もともと「日本」において広く太陽は信仰の対象であった。
「大日女(おおひるめ)」という別名からもわかるように、豊穣祈願にも関係する女性神である。
こういった風土的背景もあり、いわゆる「日輪(現代の日章旗ではない)」の意匠は定着しやすい土壌があったものと考えられる。
いわゆる源平合戦期において「赤地に金輪」「白地に赤輪」が用いられたと言われているが、一般に「錦の御旗」と呼ばれるものは「赤地に金輪、銀輪」である(日之御旗、月之御旗)。
その意味で、本来「専制国家体制」としての「国旗」を設けるとしたら、「赤地に金の日章」という選択肢もあったはずだが、明治国家体制の中でいわゆる「日章旗(白地に赤の日章)」が用いられることになる。
これは、戦国期には船籍を表すものとして「白地に赤の日章」が普及したことや、江戸期において、いわゆる「旭日(赤の日章)」が意匠の定番として用いられるようになったことなども関係しているのではないか、というのは自分の推測である。
なお、琉球においても日章の意匠は船舶や石碑などに用いられているとされるが、これが国旗としての意味を持っていたか、については定かではない。おそらくは太陽信仰の一貫として、だったのではないだろうか。
しかし、これは近代的意味での「国旗」という明確な位置づけのものが存在しなかった前近代という時代を考慮すれば、無理に国旗と位置づける必要もないものであろう。そもそも江戸期においても「くに」と言えば一般には「藩」だったのであり、「日本国」というより広い領域を意識するのは、対外関係上が主であったと考えられるので、琉球に限った話ではない。
江戸も末期となるまで「国旗」と明確に位置づけるものがあったとは現段階では考えづらいが、少なくとも安政期には「日本総船印は白地に日之丸幟」「大船には御国総標日之丸幟」と徹底するよう幕府が決定していることから、これを実質的に「国旗としての表れ」と考えることはできるだろう。安政期はいわゆる「異国船」の来航が相次ぐ時期でもあり、他国船との識別の重要性は喫緊の問題であったであろうことは容易に想像される。
このことを考えると、「日章旗」が帝国主義国家としての「大日本帝国」の国旗としての象徴ではあっても、そもそも日章旗が国旗としての意味・位置を確立していくのは、むしろ帝国主義・覇権主義に「曝されていた時期」と考えることはできるように思う。
もっとも、幕末期において「植民地化の危機」がどの程度存在したか、については現代では「それほどの危機はなかった」とする研究結果も出てきてはいる。これは現実的危機と感覚的危機との間の乖離はあろうが、当時においてはそれらの危機も相俟って、「異国」に対しての「日本」が意識されるようになりつつあった時期でもあり、その意味では「国家」が大きく意味を持ち始める時代であったことも確かではある。
このような流れを見る限り、明治~昭和初期における帝国主義的拡張の時代に“も”掲げられた日章旗ではあったが、同時にそれ“以前”から用いられたものでもあるとは言えるのではないだろうか。

■「日本」と「日本人」と「日章旗」
明治維新を経て大日本帝国が成立していく過程で、いわゆる「琉球処分」や「旧土人保護法」などが政策となるが、これはそれらの地域・民族が当初成立時の「日本」という領域の「外」であり「異」であると認識されていたからに他ならない。琉球処分時においては、果たして「琉球」とは「日本なのか」という点は議論された点でもある。
また「旧土人」という呼称からして、果たしてアイヌは「日本なのか(日本人なのか)」についても、その認識の程は伺えよう。
この点において、「日本」という「国家領域」と「日本民族(大和民族)」という「民族範囲」は、既にそのズレを生じていたと言える。その意味で、「単一民族国家」というのは極めて幻想の産物であるわけで、「国籍としての日本人」と「民族としての日本民族」は、大日本帝国成立の当初より差異が生じることになる。
この「日本とはどこまでか」「日本人とはどこまでか」を巡る議論は、その後半島への進出においても「日鮮同祖論」が立ち現れ、また満州進出においては「満鮮史」として立ち現れるなど、その拡張先を「歴史を一つにするもの」として「日本」を拡張していく中での口実にもなっていった。
「朝鮮籍」「台湾籍」といった本籍制度と「日本国」という国籍、いわゆる「国」「属地」「民族」の微妙な位相の差異は十分に認識しておかなければならないだろう。
その上で、一周して、「日章旗は日本の象徴である」に戻した際、その射程は「どの位相を指して『日本』と規定するのか」という問題はついて回ることになるだろう。
また、確かに植民地としての朝鮮、台湾という視点が存在する一方で、志願兵制度を通じた朝鮮人日本兵や台湾人日本兵の存在もあり(最末期には徴兵制も在り)、当然彼らは戦中「日本」の軍や軍属などとして、時に大きな犠牲を出しながらも、確かに「日章旗」を国旗とする大日本帝国の「臣民」として存在した。また、独立運動が一巡した後の、必ずしも独立を謳わない自治運動は、果たしてそれを「日本」としてのナショナリズム(国民化)の一部としてみるべきか、それとも「朝鮮」または「台湾」としてのナショナリズム(民族自立)の一部としてみるべきか、非常に微妙な問題でもある(もしくはパトリオティズムなのかリージョナリズムなのか、といった認識も在り得る)。
半島では「親日協力者」といった痛烈な非難が浴びせられることもあるが、「臣民」としては「大日本帝国」の領域において、また「民族」としては自治を求める傾向はエスニシズム(民族)としての側面とナショナリズム(大日本帝国帰属)としての側面を持つであろうし、その中でまた支配民族としての大和民族(日本民族)が持つエスノセントリズムとしての自民族優位・優越主義とは競合する側面を持ちつつ、逆に「日本」という領域の延伸としての植民地の「同化政策(皇民化政策)」は、別の意味合いとしてのナショナリズムであるだろうし、同時にそれは汎アジア主義(大アジア主義)の変質・変容の結果としての「アジアの盟主たる日本」という存在の「内における境界」と「外における境界」の相違による緊張を齎したとも言えるかもしれない。
このとき、「日章旗」が象徴する「日本」という「存在(≠土地としての領域)」は、果たしてどこまでを指し示すことになるのだろうか。

■ナショナリズムとパトリオティズムと
明治維新において、またその後の政策において、「日本」という形而上的アイデンティティを上からの国民国家として形而下へ規定していく過程は、民衆革命を経ての国民国家形成とは異なるように思われるが、その際に作用したのは「日章旗」よりもむしろ「国体観」ではなかっただろうか。
人為的強制的に構築されていく「日本人」という「皇民化」は、内においては大逆事件を経て概ね頂点に達すると見ることはできるかもしれない。佐藤春夫の「愚者の死」における「日本人でなかった誠之助。立派な気ちがいの誠之助。有ることか、無いことか、神様を最初に無視した誠之助。大馬鹿な誠之助。ほんにまあ、皆さん、いい気味な。その誠之助は死にました。誠之助と誠之助の一味が死んだので、忠良な日本人は之から気楽に寝られます。おめでとう。」というフレーズにおける「日本人」は、少なくとも当時において、「共和主義者」「社会主義者」などは排除されるべき存在として、ここで「日本人ではなかった」と表現されることにより、逆説的に「(天皇に※筆者補足)忠良な日本人」として規定されることになる。大逆事件で被告弁護を行った平出修は、これを日本の思想史上最も重要な事項として認識していたそうである。まさにその通りであると言えるように思う。
いわゆる「国民」の「創造」過程において、イデオロギーとしてのナショナリズムは、必要に迫られたものでもあり、また自発的発生を見たものでもあり、同時に大きな弊害を持つものでもあった、とは言えるだろう。
例えば、「生まれ育った地」への愛着と言う点でパトリオティズム(愛郷主義)は人として抱いたとしてもおかしくはないのであり(もちろんそれを持てないからといって負い目を感じる必要もない)、同時にパトリオティズム自体は、むしろ旧来の「民族」「文化」「言語」「宗教」といったナショナリズムがしばしばそれを利用する装置を有する同質化としてのそれとは異なり、「自由」「平等」といった「共同体を支える価値」を共通理念とした共同体主義としての意味合いを与えられる場合もある。この意味合いにおいて、例えば「在日」と呼ばれる存在が「生まれ育った日本(もしくは日本の中の一部)」へ愛着を持ってもごく当たり前のことであるし、同時に「民族的ルーツ」として、「日本ではない存在」を規定しても少しも不思議ではない。それは同時に並立し得るものであると言えよう。
ただし、である。この場合のパトリオティズムは概ね「市民共同体主義」と言えるだろうとは考えるが、結局のところ、多かれ少なかれ何らかの「同質化」の要請から免れることはできない、という点は認識されねばならないだろう。例えば、「アメリカ人」は「作られる」ということを挙げれば良いだろうか。というよりも、そもそも「自由」「平等」もしくは「人権」というコンテクスト自体は、西欧文化・歴史を背景として成立している側面もあり、その意味においては、「文化」「民族」「言語」「宗教」といった、ナショナリズム的背景を「一切持たない」共同体を貫く平準なコンテクストは存在し得るのか、といったより本質的問題に突き当たらざるを得ない。
ソビエト連邦や中華人民共和国の実際がそれにあたるのか、という点は考慮から外すとしても、近代国家の超克を目指した共産主義の理念が現実に展開された結果、「共産主義」というコンテクストを軸とした国家は、市民共同体主義的パトリオティズムに通底するものはあるだろうが、それらは結果として「民族」概念をしばしば抑圧し、また「宗教」を否定してきたことは、歴史的事実でもある。共産主義にとって「国家」という存在自体が「過程」の存在であり終着点ではない、という反論は有り得るし、それらの国家は共産主義を「体現しなかった」と抗弁することももちろん可能ではあるが。

■ひとつのナショナリズムの否定がナショナリズムでないことを意味しない
今年沖縄に「琉球民族独立総合研究学会」なる団体が発足した。これは敗戦~アメリカ占領期~本土復帰の過程において、一部ではかなり深刻な葛藤を生じた「日本」は果たして「復帰する先」なのか、という問題の、ある意味での終着点ではあろう。
これは当然ながら「日本」という領域からの離脱の可能性の検討であると同時に「日章旗」の否定をも意味することは疑いようもない。この学会自体は政治運動というよりも学術目的である組織であるようではあるが、趣意書には「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族」「日本人は、琉球を犠牲にして「日本の平和と繁栄」を享受し続けようとしている。」といった文言が踊る。疑いようもなく「琉球ナショナリズム」と言って差し支えないように思う。もちろんこれは現状において「日本」という「領域」の「内」における問題であり、「国民」という意味では「日本」に含まれる部分におけるそれではあるので、「在日」の問題とはイコールでは、もちろんない。それと同時に「帰属する共同体」という意味において、金明秀氏の言うところの「一般的なナショナルアイデンティティ」としての問題でもあるだろうと思う。「琉球民族」という用語の持つ意味合いにおいて、それを積極的に用いている状況は、それをナショナリズムの発露として意識しているのかいないのか、定かではないが、自覚的に用いているにしろ無意識に用いているにしろ、やはりナショナリズムの一形態ではあると判断して差し支えないようには思う。
「国家の解体」「国家の否定」と言うのは易しいが一方で「地球市民」なる概念が、国家を超えるある種のコンテクストを持った共同体概念であるならば、それは時に「国家を超える」さらなる「同質化」を齎す可能性さえあるだろう。場合によっては、「国家の否定」が極端な「グローバリズム」を具現化してしまうことさえあるかもしれない。逆にアナキズム的権威権力否定においても、しばしば「民族アナキズム」に陥ってしまうように、なんらかの共同体を有さざるを得ず、まったくの個人で孤立しての存在というのはある意味で人間性の否定でさえあるだろう。「ヒトは社会的動物である」故に。そして、「共同体」である以上、なんらかの権威・権力というのは、その多少はあれ発揮されざるを得ないのは、本質的に同一思考同一感情の人間が一人として存在しない以上、何らかの調停ないし妥協は、生存の上で必ず必要となる点で自明であるだろう。
本質的問題として、「地域共同体」としての地域社会の構成員が必ずしも国籍者に限らない現状があるわけではあるが、一方ではその地域社会の上部構造として国家の法体系があり、国家の法体系をどう求めるか、という点は、その一点において、とても「ナショナル」なものでもあるだろう。
例えば、日章旗の否定を、あくまで「権力の象徴の否定」として捉えるのであれば、それは「日章旗」に限らずあらゆる国旗なり国家なり、より小さい領域での象徴であれば校旗なり校歌なり(または社歌や社旗でも良い)、あらゆる権威の表出たる象徴の否定はできるだろうが、「“日本”の象徴としての否定」であるならば、それは優れて「ナショナル」な問題であって、その時点である種の「政治的共同体の成員として、その共同体の統治機構に対する要求」として表出せざるを得ないのではないか。そのとき、否が応でも「共同体の構成員」とは果たして「何」なのか、という問題は生じるだろう。コンテクストの中におけるアイデンティファイの問題として、その言動を「どの立ち位置で行うか」という問題は極めて重要なものにならざるを得ない。少なくとも現状ではそうだろう。
「在日」と呼ばれる存在が「日章旗」を否定する場合と、「日本国民」が「日章旗」を否定する場合と、それぞれにその意味合いは自ずと異なるものにならざるを得ないのは、たとえその意図が同一であれ、そもそもの「共同体」の「内」なのか「外」なのかの違いは、好むと好まざると存在する。それは「日章旗」が先般「法律」として慣習法を脱して制定されたように、その「改廃の権利」を有するのは「内」の存在でしか有り得ないからだ。
日章旗を「踏み絵」として利用する場合、それは極めて「ナショナル(≠ナショナリズム)」な問題にならざるを得ないのは、そういった点が指摘されることにはなろう。
確かに地域共同体構成員としての「在日」という存在は、その共同体として確かに構成員ではあるが、同時に「政治的権利」としての発議を、現実的現状的場において実践的に行い得るのは「日本国民」だけであって、自由権としての表現において「否定」することは自由ではあるが、政治的法律的にそれを左右するのは、現在時点において「日本国民」だけなのであって、それは否定し得ない。
ナショナリズムを国家主義、国民主義はたまた別の意味合いとして用いるか、によってその認識が異なる点はあろうが、例えば「国籍外」の「あらゆる居住者」に国民と同等の政治的権利を認める、という政策を実施するとした場合、その政策は極めてナショナルな問題ではある。もちろん「ナショナル」な問題にコミットすることが「ナショナリズム」を意味するわけではない、のではあるが、そういった政策を実施することは実質的には二重国籍を持たせて政治的権利を「付与する」ことと変わらない状況にはなるだろう。その場合、「国」という領域に対する政治的参画という意味合いにおいては実質的「国民化」ではあるわけで、「国民化」という包摂は、その意味合いにおいて「ナショナリズム」足り得るだろう。
「健全な」ナショナリズムが存在し得るのかどうか、という提起は当然あるとしても、国連憲章における自決権原則も基本的には国民国家の存在を前提としている以上、現状においてそれを有意に超越し実践的足り得る論理構造と実践形態を持たないのであれば、ナショナリズムという「用語」をいくら否定したところで、現実的には「ナショナリズムの過たない実践」を目指す方が建設的なのではないか、という疑念は否定し得ない。
また、日章旗の否定が半島におけるナショナリズムと結合した際、それもまたひとつのナショナリズムの表出ではある。しかし、「在日」という存在は必ずしも半島におけるナショナリズムに包摂されるとは「限らない」という点において、結局のところ「日章旗」を踏み絵とした運動が、「日本であれ韓国または北朝鮮であれ」その対象から「在日」という存在を都合よく取捨選択できる存在となることはしばしばあるだろう。

■日章旗とレイシズム
国民や民族といった共同体構成要素の各規定が人為的にならざるを得ないのは、国家形態の抱える内在的問題ではあるのだが、同時に不可避の問題でもあり、加えて国家形態を無くさない限りは解決不能とも思える問題ではある。
このとき、日章旗が日本社会を統治する政府の象徴であるとして(それは同時に主権者たる国民が引き受けるべきそれではあるが)、過去に自省すべき歴史がある場合、それは象徴として否定されるべきなのか、という問題の提起については疑問ではある。現在、敗戦を境として明治維新以後の歴史は帝国主義の歴史とほぼ同じ期間を「日本国憲法」を憲法とした歴史として「日章旗を掲げて」きたのである。
ひとつの国家において、なんらの恥ずべき点もなく自省すべき問題も存在しない、といったことは、それが人間の営みである以上有り得ないのであり、その度ごとに国旗を改廃していくべきなのだろうか。それとも国旗を廃止すればそれで自省の「象徴」になるとでも言うのだろうか。
日章旗を拒絶し廃止しない限り反省があったと見做さない、という態度は、それはそれで有り得る態度だろうとは思うが、個人的にはそこには「王の首を刎ねれば全てが良くなる」といった言説と同じ類のものを感じ取ってしまう(そしてしばしば日章旗を踏み絵にする言動は天皇廃止論とリンクすることがある)。
それは問題の本質が何なのか、ではなく「目の前から排除すれば事足りる」という、どちらかというと本質を蔽う態度にもなりかねないだろうとも思う。同時にそこに自覚的である場合、そこから先は主張なり運動なりの「構成」と「要素」を巡る包摂と拒絶の「境界」の問題にはなるだろうけど、その主張自体はなんら否定されるべきものでもない。そこに同意するかどうかは別の問題となる。
ここでひとつの問題として、「日本」における近代以降とレイシズムの問題は植民地(この場合沖縄やアイヌをここに加えても良いだろう)を巡るそれに加えてそこにもうひとつの位相が存在する。
差別問題の”象徴”とも言える被差別部落の問題である。先に大逆事件が内的皇民化のひとつの頂点として挙げたが、『愚者の死』を書いた佐藤春夫は「熊野、紀州新宮が経験した戦争とはあの大逆事件でしかない」(「文学者たちの大逆事件と韓国併合」P.116)とまで言い切っている。これは戦後生まれであることを留保した上での言説だが、近代以降のいわゆる「国民化」は実際における差別の問題と、常に接しながら行われてきたとは言えるだろう。新宮の事件は、大逆事件と連動した部落出身者への敵視と攻撃であった。
そのような「忠良な国民」の創造の過程を経ながら、おそらくは「国民とは何か」について、あまり真剣に自己の問題として引き受けてこなかったのではないか、という問題の提起は十分に有り得る。敗戦時の現地居留方針や半島出身者の帰還事業に付随する問題、半ば棄民政策とも言える海外移民の問題。これらはしばしば都合よく切り分けられ、時に切り捨てられ、時に利用されてきた事実がある。
愛国者を自称する連中が部落差別を平然と持ち出した点において、あの集団が「特定の民族」を対象とする行動に留まらず、日本国憲法への広範な攻撃として認めざるを得ない状況ではあった。人権理念、「平等」としての国民概念への攻撃である。
日本国憲法改正が遡上に乗っている時勢はひとまず今後の問題として、あの集団が「日章旗」を「国家主義」としてのナショナリズムの表意として用いるのに対して、「日本国憲法」を有する「国民主義」としてのナショナリズムを対置しそこに「日章旗」を掲げる、という理屈は、少なくともそれを「ナショナリズム」の問題として捉えた場合、十分に成立し得るように思える。
もちろん「日本国憲法」の理念を、その理念を十全に実際化しているか、という点での問題提起はあるだろうが、だからといって日本国憲法下で日章旗を掲げて経た歴史に対して「日章旗を否定しなければ」という投げかけは、結局のところ「象徴があろうがなかろうが十全には実践し得ない」日本国憲法というところに帰着しはしないだろうか。「日章旗を否定しないから駄目なのだ」という問いは、果たして「象徴に囚われて本質を実践し得ないことの言い訳」にさえ成り得るように思えてならない。
「中韓の感情が」「在日が包摂されない」という「理由」によって日章旗を否定せねばならない、とやってしまうことが、結局は日本社会における「差別」というより広汎な問題を隠蔽しかねない危惧は指摘されるべきだろうし、そもそも「どのような旗を掲げるべきか」「掲げないべきか」といった問題は、その象徴するところが日本社会であり統治機関としての日本政府であるとするならば、そこに主権外の存在を「象徴として」都合よく剽窃するような行為は、その当事者から逆の意味で拒絶されてしかるべきだろうし、それこそ「お前のナショナリズム闘争に巻き込むな」ということにも成り得るとも思う。
「日章旗」が「煽り」の意味を持つのは、もともと「旗」という象徴性記号性故でもあり、逆にそれに×をつけようがそれが「旗」である限りにおいて、逆説的意味での「煽り」の効果を持つのであり、扇動的だから排除すべき、という言説において「旗を掲げる」という行為のそれ自体は滑稽にも思える。否定する方向で固執するあまり、結果として反転しているだけではないか、と。
仮に現在の国旗が「戦後に日章旗から変更された」と仮定しても、結局掲げられる旗が異なる結果になっただけ、というオチは十分に想像できるのであり、「日章旗だからレイシズムと連結するのだ」とか「日章旗があるからレイシズムがなくならないのだ」といった話には到底乗れるものではない。同時に「日章旗を改廃する」という主張と意思表示については、それを「他者に強制しない場合」において、十分に尊重されねばならいだろう。それが民主主義の基本原則でもあるからだ。議論の封殺、主張の封殺は最大限排除されるべき、民主主義足り得るための制約というのもまた、日本国憲法における理念の一つではあろう。同時に差別する側が「される側に原因が」と言って出自などを理由に挙げることのそれ自体もまた、日本国憲法の理念に対する重大な挑戦である。このとき、それを法規制すべきかどうか、について「される側」の被害の問題があるとしても、慎重でありたいとも思う。これに対して「ではそれをなくすために何の努力をしたんだ/するんだ」という反論は甘受して、それでもなお。これは利己主義的であることもまた自覚はしているが、それでも。

■まとまらないまとめ
個人的には日章旗の改廃は、求めていない。それを自分に納得させてくれるだけの論拠を提示されているとも考えない。
冒頭に書いたように、元来この島で文明を育ててきた遠い昔の同胞が、素朴な太陽信仰を持っていたことも否定したくはないし、否定しようもない。その上で、帝国主義と浪漫主義がある種の共犯性を持った部分があったように、その象徴するものが内包する「物語」の問題として捉えるのであれば(歴史とは常に「語られる」存在でもある)、そこに新たな意味を持たせ、物語を紡ぐこともできるだろう。むしろ、日本国憲法を有し日章旗を掲げながら、その理念を十分に実践化し得ないからこそ、いまだに日章旗に「歴史」としての物語のみが付与されてしまうのではないか、とさえ感じる。
自分は保守主義を称してはいるが、同時に排外主義にも否定的である。日本生まれの日本育ちであり、その意味においてマジョリティである(他の属性は無視する)。そして、国家主義としてのナショナリズムではなく共同体に緩やかに包摂するものとしての国民主義的ナショナリズムについては、その活用を誤らなければ十分に理念の問題として有用だろうとも考えるし、「日本」という概念への対峙は、引き受けるべき問題だろうとも考える。
もちろん日章旗が意匠として優れている、といった点や、生まれてこの方掲げられてきた旗をそう易々と放棄してたまるか、といった心情的問題も当然に持ち合わせてもいる。同時に過去の過ちを「断絶させない」が故に、象徴を変えるべき「ではない」とも考えている。象徴を断絶して「変わりました」「改心しました」などという言説を信じるほどにはお人よしではない、というのもある。
確かに権威権力の強制性の発露としての象徴=旗、というのはあるのかもしれないが、自分としては象徴を「変えない」が故に過去の問題を「連綿と続いてきた歴史の蓄積」として捉えることから免れ得ない、という意味でも日章旗を「掲げ続ける」ことに積極的意味はあろう、と思うのである。象徴を改廃して「過去とは決別しました」という態度が是とされた社会に生まれた場合、今と同じように「免れ得ない問題」として捉えられるかどうか自信がない、とも言えるかもしれない。

P.S.ところで自分のツイッターのアイコンは金明秀氏の嫌悪するところの日の丸アイコン(通称梅干)なのだが、これについては自分がナショナリズムに十分に絡めとられている自覚があるということと、日章旗をあの集団が掲げていることに対しての、ナショナリズムの発露としての嫌悪の表出であることは断っておきます(誰に?いや、なんとなく)。

以下参照・参考文献。

「<日本人>の境界」小熊英二


「文学者たちの大逆事件と韓国併合」高澤秀次


「日本イデオロギー論」戸坂潤

日本神話 (1970年) (岩波新書)
「日本神話」上田正昭


「本音の沖縄問題」仲村清司

排外主義反対に対する賛同表明

20130217排外主義反対デモ
2月17日予定の新大久保「反韓デモ」に対し、差別反対の意思表示をしませんか。

という次第であります。
昨今排斥運動(差別運動)も公然堂々と、あろうことか一般市民を標的として展開されるようになり、その言動も「殺せ」「殺される」といった憎悪のインフレーションを起こしている有様で、醜悪にして心やすからぬ状況であります。
その主義主張そのものは、あるいは政治主張のつもりでありましょうし、あるいは実際にはそのつもりがなく憤懣晴らす標的として選び易いものを選んだだけなのかもしれず、またその場にいる高揚感こそがそれを一層過激へと追いやっているのかもしれません。
しかしながら、あまりに見るに堪えないそれは、愛国の美名の下に許されるものではないと考えます。
その意味において、上記の動きについては全面的にではないにしても、その趣旨において賛同を表明しておきます(全面的に、でない点については割愛しますが)。

さて、過去にも散々いろいろなことを書いてきましたが、改めて下記にいくつかの点において排外主義に与し得ない理由を挙げておくことにします。

壱:隣国との係争
遺憾ながら本邦は隣国との間に少なからぬ摩擦を抱えている状況ではありますが、それは「何処の国であってさえ」生じ得るものであり、特にその領域が歴史的に行き来、重複するような場合には、時に深刻にさえなり得ます。独仏、波露などの例を引く必要さえないでしょう。
それに加え、本邦は時に「スパイ天国」と称されるほどにそれらが跋扈していることも、また既にいくつもの指摘がなされていることではあります。そしてそれに(特に過去において)総連等の組織の一部が関与していたと考え得る事例もあります。
しかしながら、十把一絡げに「朝鮮人」だの「中国人」だのといって、その出自を以ってすべてそれに該当する、と考えるのは滑稽も良いところであり、更に言えば実態としてのそれを騒々しい声によって覆い隠す偽装にさえ成り得ることを理解すべきです。
自分は栄光ある第442連隊戦闘団に、格別の敬意を示すものでありますが、それはその部隊創設がいかにアメリカ政府の思惑と在米日本人の状況とによる偶然的経緯が作用したものであったにしても、彼らがその持てる信念と、生まれた地、アメリカという祖国のために全力を尽くしたことに対して、であり、「日本民族」「日系人」として、先の大戦では本邦の同盟国たる独伊を主とした戦場にし、「敵国」アメリカのために尽くした彼等を非難するような格別な理由などないからでもあります。
しかしながら、現下において万一隣国との係争が深刻且つのっぴきならない状況になった際、排外主義が蔓延し、常日頃から敵視して止まない状況を推移させた場合、果たして彼等のような存在が本邦に現れるでしょうか。
もちろん当時アメリカにおいて、彼等が差別的待遇であったことは事実であり、結局彼等の活躍があってなお、その解消は公民権運動期まで待たねばならなかった、という歴史はあります。
しかし、現在は時代背景が全く異なることを理解せねばならないでしょう。当時のように優生思想や帝国主義が最盛期であった状況とは大きく異なるのであり、また同時に彼等は「アメリカ」という国に生きる者として、戦ったのであります。
国籍などの相違はあるでしょう。しかし、排外主義の蔓延によって「日本」という国に生きる者として、同様の状況になった際に手を取り立ち上がるのか、というと甚だ疑問であります。
もちろん共に戦う必要などない、という意見もありましょう。それに対しては一言、「そうであるなら尚のこと有事に利敵行為を行なうに足る動機と土壌を積極的に醸成するそれは、一体何の益があるのか」と考えます(もちろん大多数はそのどちらにも与さない可能性、ということも考慮の上で、ですが)

弐:国籍論において
彼等排外主義集団がしばしば口にする「住みたいなら国籍を変えろ」論については、それ単体として多少の理解がないわけではありません。しかしながら、同時に展開される「帰化人が」といった蔑視が同一言論として抱き合わされているうちは、それに一片の理解を示す必要も感じません。結局のところ国籍がどうあれ、その「血」によって断罪されるのであれば、国籍相違などは問題ではないはずであり、都合よく切り貼りしながら相矛盾する言動を展開し、あまつさえそういった言動をさせる要因が「被攻撃側」にあるかのような話を、一体誰がよく理解を示すものでありましょうか。
加えて、しばしば悪意を以って混同される「朝鮮籍」は「朝鮮人民民主主義共和国国籍」を意味しないのであり、ニアリーイコールの実態が仮にあったとしても尚、そのような排撃の方法を認めるわけにはいかないでしょう。
朝鮮籍はあくまで「出身地」を現す大日本帝国統治下における「朝鮮戸籍」の延長であり、もし彼等に対して「国に帰れ」などと言うのであれば、彼等にとっての「国」は本来は「大日本帝国」であり、その「領域下としての半島」であるはずです。朝鮮籍の人がそれを求めるか望むかは別問題として、経緯と過程を踏まえ、尚且つ当該放棄地域に成立した別国家への帰属転換を行なわない場合、引き続き「縮小した領域下における後継国家」へと移るのは、自然なことでもあり、帰るも何も「此処だ」と主張するに足る背景を抱えている、という事実は厳然と存在します(繰り返しますが、その当事者の意向は別問題です)。
それを頭から否定する場合、それは他でもない、排外主義者が肯定的に捉える「大日本帝国」という国家領域における「半島統治」ということの意味と歴史を、頭から否定することでもあり、もしその当時においてなお半島は国家領域としては認めず植民地であった、というのであればそれは「対等な“併合”」を否定するものであり、逆に対等な併合であり大日本帝国の領域下における臣民であった、という立場を取るのであれば、彼等が国籍を変えない以上、帰る国は「日本国」をおいて他にはないことになるでしょう(あくまで筋論の上では)。
さて、では韓国籍はどうか。中国籍はどうか。はたまた他の国籍は。
大日本帝国という国家において、領土として組み込んだか、あるいは一時的占拠・占領を行なったか、という点でいくつかの背景相違はあるでしょう。しかし、共通するのは過去の本邦前身国家の政策遂行過程において、本邦とは少なからぬ関係を望む望まないに関わらず有した地域であり(これは移民排出先となった南北米大陸なども含めて)、その歴史的関係性故に、その系譜を引く諸民族が本邦へ定住することは、これもまた自然なことでありましょう。定住から帰化に至るかどうか、という点については別の問題となるでしょうが、そもそも排外主義者が国籍を上記の理由により都合の良い場面でしか行使しない要素としている以上、ここで深く議論するのはあまり意味もないと考えます。

参:大日本帝国後継国家として
本邦は紛れも無い帝国主義国家として、また亜細亜の覇権を争う国家として、大日本帝国としての短い期間を経て今に至っています。そのことに異論はないでしょう。
当然のことながら、実態として植民地であった半島・台湾など、対等平等な国家領域としての存在であったわけではないこともまた事実です(何より大日本帝国憲法が適用されず、総督府体制が布かれたことからもそれは明らかです)。
一方で、自分は大日本帝国統治下における周辺諸地域の施策、また大日本帝国という存在そのものについて、全否定するつもりも全肯定するつもりもありません。
支配地域に対して大々的資本投下を行い近代化を進めたことも事実ですし、様々な旧弊を、時に強権的に、時には親切心から行なったであろうことも、また否定しません。
同時に、それらに対して「感謝がない」だのといったあさましい言動も「感謝もできない民度の低い存在」だのといった言説については足下に否定します。
果たして我等の先達が為したそれは、「感謝されるためにやった」ことなのか。そんなことはないでしょう。
時に自己のために(自国のために)、時に利他のために(現地のために)やったこととして、殊更に「感謝しろ」などと言う必要も感じません。
同時に負の政策があったために、それらを全て無視して全否定しろ、ということにも意味を感じません。
片方に与さないからといって、もう片方の極論に走ることにまるで意味も価値も感じませんし、それは結局どちらの立場にしろ歴史的事実の一部を切り捨てることになると考えるからです。
また、先の大戦が果たして「亜細亜開放の聖戦」であったというのであれば、真っ先に為されなければならなかったのは他ならない「大日本帝国領域下における外地の独立」であるはずであり、対中政策などにおいてもその要求において厚顔無恥もいいところの内容であり、加えて戦中支配した地域の一部を政府内において本邦領域へ併合しようと画策していたことなども指摘すれば十分反論になりましょう。
同時に、半島や台湾においては、支配後期においては純然たる独立運動が比較的低調だった事情もあり、体制内自治、体制内自立、体制内平等を求める傾向が出てきていたこともまた事実であり、その意味において、実際に兵力不足もあり1945年~46年にかけて、徴兵制と選挙権が対として施行される方向で進んでいたことなどを考え合わせると、それらの地域は「戦勝国」どころか、「文字通りの敗戦国」扱いとなった可能性が厳然と存在していたこともまた事実でしょう。
半島において、また台湾においてそれが望まれたか、という点は論を分かつところでありましょうが、先の大戦を肯定的に捉えるのであれば、本邦があと1年戦争を続けていれば、志願兵どころか「徴兵=国民兵」としてそれら地域の人が「共に前線に立つ」兵士であった可能性について、より真剣に、また深刻に考えるべきだと考えます。
本邦は大日本帝国の後継国家として、それらの進行していた、また実際に遂行された政策の、その意味合いもまた引き継いで成立している国家なのであり、社会なのであります。同時にそれは、その内包する限界によって破綻した亜細亜主義、脱亜主義において、果たしてどこを正に、どこを負として評価すべきか、という問題もまた内在すると考えます。
それらの諸要素をすっ飛ばして、「真実はネットにある」だのあからさまな捏造デマを、時にそれと分かっていながらプロパガンダとして活用する(朝鮮進駐軍)など、歴史に対する冒涜でさえあり、何が「保守」だ、という話でしかありません。歴史への洞察、考察、自省、展開なくして、保守の成立する余地などどこにありましょう。

とまぁ長々書いてきましたが、総じて「考え方が間違ってる」と判断しているからこそ、排外主義に与しない、という以上でも以下でもないわけで、理由はいくらでも出てきますし、それを説明すればグダグダながながと、時に論旨がまとまっていないことを書く羽目になるので、恥晒しはこの辺りで。

さて、とはいえ冒頭にリンクを貼ったそれが、概ね左派の側からの提起であることが気に食わない方には、下をお勧めしたいと思います(ぇ
保守による排外主義反対

なお、冒頭の運動に当日参加するかどうかは目下未定であることを書き添えておきます。

リアリズムとアイディアリズム

「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 を契機としたリアリズムとアイディアリズムについて拙稿を書く次第。

リアリズムとアイディアリズム(またはユートピアニズム)は国際関係学(国際政治学)において、最もポピュラーな2つの考え方である。
しかし、この2つの考え方は、短絡的にまとめればまとめられなくもないわけだが、一方で時代に合わせた変遷、それぞれの思想が抱える欠陥とその克服の試みにより、あまり短絡的理解をするべきではない状況ではある。

さて、ここで一つ断っておくと、アイディアリズムもユートピアニズムも、いずれも邦訳する際は「理想主義」と訳されるわけだが、これはいろいろと問題もありそうにも思える。確かにいずれも「あるべき理想像」を据え、それへ向けての思想、とはなるのだが、アイディアリズムとユートピアニズムでは程度の差はありそうである。ここでは極端な理想を掲げるものをユートピアニズム、それほど極端ではないが、やはり現状を踏まえれば理想的に過ぎるものをアイディアリズムとしておきたい。

リアリズムもアイディアリズムもいずれも古く古代世界にまで思想的源流を辿ることはできるが、本稿では主として論理体系として一定の確立が成される前後のあたりまでを遡る射程としたい。
この二つの思想体系が概ね学問・論理体系として確立されてくるようになるのは国家体制というものが一定の確立を見てから、という風に捉えても大きな過ちはないように思う。もちろんそれ以前にも、例えばリアリズムの源流をマキャベリに比すようなことは多々行われているのだが、もっと前にも遡ることもできるし、一方でこの二つの思想が「国家」をその主的要素として捉える考え方を機軸として大きな発展を遂げたことから、主にヨーロッパ世界においてキリスト教が国家体制からある程度離れた状況が訪れた後からのものを考えれば十分であろう。

ここで、二つの思想が「国家」をその主的要素として、と書いたことに違和感を感じる方もいるかもしれない。
例えば、アイディアリズムはしばしば「国際社会、国際協調」を基調とし、「汎国家的枠組み」を論じることが多いことから「国家」という概念を思想的に軽視しているように捉える見方も少なくない(これがしばしばユートピアニズムに一括りにされる原因でもある)。しかしながら、この「国際社会、国際協調」の基本となるのがしばしば「国際法」であり、また時に発展して「世界政府論」へと発展することからもわかるように、アイディアリズムは決して「国家」という概念を蔑ろにしているわけではない。むしろ「主権国家」という体制の仕組みを大きく拡張して考える思想と捉えることもできる。いわゆる「法の統治」や「政府」という概念が、基本的には国家体制の中で語られるものであるからだ。
また、アイディアリズム(ユートピアニズム)はしばしば「実際にうまくいったことがない」といった語られ方をするが、これもまた過ちである。確かに理想を追求した(という意味では理想主義的な)実験国家たるソビエト連邦が壮大な失敗に終わったことや、国際連盟の無力さ、また国際連合の脆弱さを引き合いに出せば、それはそれで一面事実ではあるかもしれない。しかし、これは見方としては薄っぺらいものではあろう。その理由は後述する。
同時に、アイディアリズムの影響が少なくないと思われる存在としてEUなどは挙げることができるだろう(最もこれを成功例と見るかどうかは疑問もあるが)。また、政治的枠組みだけではなく、経済的協力体制はいくつも存在するし、それは「国家の枠組みを超えた人・物の移動が協調体制を生むはずだ」というアイディアリズムの素朴な理念の基礎には合致するとも言える。
リアリズムはしばしば「パワーポリティクス」として批判されるわけだが、その意味では「国家」を主的要素として捉えていることは疑いようもない。一方で、その「国家」を主体的プレイヤーと見ることからしばしば非政府組織の役割増大などの現実を踏まえ「論理的欠陥を抱えている」と指摘されることもあるが、1970年代以降このような欠陥に対して、それらの非国家組織をも射程に納めようとする新たな思想的発展を模索し続けているのもまたリアリズムの現状である。
また、この「パワーポリティクス」という用語の持つ「パワー=軍事力」という意味合いのみを過度に誇張し,リアリズムは軍拡と戦争を招来する、と捉える考え方は短絡的である。
有名な「安全保障のジレンマ」(ジョン・ハーツ他)に見られるように、必ずしも「軍備拡張」を志向するわけではなく、リアリズムは十分にその内包する危険性を意識しているのであり、そこから派生的にディフェンシブ・リアリズムという考えが生まれるのである(同時に恐怖の均衡といったオフェンシブ・リアリズムに近い考えもあるが)。

この二つの理論であるが、これを単純に二項対立と捉えるのは根本的に誤っている、と言うことはできるだろう。
もちろん歴史的にはこの二つの考えはしばしば対立し、時に相互に激しい攻撃を加えていたわけではあるが、同時に現在の国際社会・国家群を分析・説明する際、いずれか一つの考え方では容易に説明できないどころか、ほぼ不可能とさえ言えるほどである。
ジョン・ハーツが「リアリスト・リベラリズム(リベラリズムはアイディアリズムを内包する、と考えて差し支えない)」という境地に達したことや、1970年代~80年代のイギリス・アメリカの対外政策が、概ね前者はアイディアリズムをベースとして、後者はリアリズムをベースとして分析されることで一定の成果を収めたことなどを見ても、択一的論理でないことは明らかとも言えよう。
同時に、国際連盟・国際連合が時に無力で機能しないのは、逆に言えば国際法を「強制的」に主権国家へと適用するだけの「パワー」を欠くからでもあり、この現状は極めてリアリズム的でさえある。「パワー」が主権国家の「内向き」にも発揮され得るからこそ、その国家の法治が実現するのであり、「国際法」がその強制力を持たないが故にしばしば主権国家の独善により無視され、また都合よく利用される現実もまたそこが一つの大きな要因でもある。
そして、これは裏を返せば一定の成果を挙げているPKO、PKFといった行動が、その「パワー」故に成果を挙げ得たことも例証とすることができよう。
これが意味するところはどういうことか。
一つには、アイディアリズムはその理想を現実へと適用し始めた瞬間、それは現実を基点とするリアリズム的分析を不可避的に受け容れざるを得ず、またリアリズムはその政策を実行へと移すにあたって、ある意味での「現実ではなく漸進的に目指すべき理想」を追求せざるを得ない、と言う点にある。
二つには、アイディアリズムにおいて「戦争なき平和」という概念そのものが、現実に適用した瞬間に「現状固定主義」へと陥りやすい点も挙げることができよう。国際連盟の協調体制が極めて「現状固定主義」的考えであり、その体制下での軍縮条約(というある意味での戦争なき平和への追求)が、その現状固定的であるが故に「持たざる国」の暴発を招いた、という点において、やはりリアリズム的視点の導入は不可避であるようにも思える。「戦争がない」という状況を目指すが故に「現状固定」に成らざるを得なかったことに対して、リアリズムは容易に反駁し得るように思える点は、まさにこの点であるとも言える。
三つには、他ならない協調体制、対談による平和が、ナチスの台頭に対して「小国を大国の犠牲として」成し遂げることを目指し、挙句に破綻したことや、アイディアリズムの基本となる「人、物の交流」や「経済的結びつき」が戦争を回避するという考え方では、大日本帝国の戦争は到底説明できない点も挙げることができるだろう。逆に、裏を返せば、その際に連合国と呼ばれる存在がアイディアリズムを全く考慮せず、多分にリアリズム的覇権体制のみを目指したならば、到底国際連合の成立は見ることができず、またその後の冷戦体制が結果としてリアリズム的要素における平和(と同時にアイディアリズム的第三世界の台頭)を見ることもできなかったであろう。
四つには、ロシアや中国に見られるようなセキュリティマインディットな膨張主義は極めてリアリズム的ではあるのだが、同時にそれを抑止し得るのが「国際世論」といったアイディアリズム的要素を含んでいる(全てとは言えない)点なども挙げることができるだろうし、英仏の中東への介入がアメリカの反対があったとは言え、結果として「国際世論」に屈する形で挫折したことなども挙げられるだろう。同時にこれはイスラエルのように、自国のセキュリティに対して国際世論といったものをある程度「無視」するだけの行動を取る国家に対して、アイディアリズム的国際世論はそれに「パワー」がない限り無力であるといったものも考慮する必要があるだろう。

そもそも現代社会、国際社会において、「どちらかを選択するなら」といった前提がそもそもユートピアニズムであり、アイディアリズムもリアリズムもどちらも不可欠な分析・考察・政策立案のための要素でもある。
その意味において、リアリズム、アイディアリズムのいずれの立場であれ、それは程度の問題であり、「どちらか」という選択を迫るものほど「非現実的」「非論理的」であるという意味においては極めてユートピアニズムと言わざるを得ないだろう。

蛇足ではあるが、このとき日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というアイディアリズムを担保するのが、その公正と信義を担保するためのリアリズムを必要とする、という歴史を思わざるを得ない。日本が戦後戦争に巻き込まれず(朝鮮戦争やベトナム戦争といった間接的関与は別として)、曲がりなりにも「平和国家」を名乗れるのは、他ならないリアリズム的側面がそれを担保し得てこそであった、という現実は、まさに厳然と歴史に刻まれているのである。
それはGDP費で先進国中稀に見る「低軍事費」という「安全保障のジレンマの回避」を元とした周辺国の警戒感の回避と同時に、日米安保というリアリズム的均衡を実現していて「初めて」成り立っていたものであり、決して「憲法九条」というアイディアリズムだけで実現されたものではない。そして同時に、前文や九条というアイディアリズムがあったからこそ、リアリズム的側面があるベトナム戦争や朝鮮戦争に「直接的に参加せずに済ませることができた」という僥倖をも得たのである。
そして、竹島や尖閣諸島における、保守派と称される(自分は認めないが)政治家や団体の、安易に「安全保障のジレンマ」を無視してしまう言説や政策を危惧すると同時に、リアリズムを敵視し軽視するが故に韓国や中国のリアリズム(国権拡張)をも容認してしまうアイディアリスト(とはこれも認めたくないが)のあまりに安直な言動をも危惧するのである。
そして同時にこれはリアリズムとアイディアリズムをうまく包摂することができなかった大日本帝国の過ちや、アイディアリズム的要素を踏まえつつ時にリアリズム的でもあるポストコロニアリズムを否定するものでもないことは明言し、本稿を終えることとする。