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日章旗、ナショナリズム、レイシズムなどなど

自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 
書く経緯となった発端はこのツイート。

もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。

■「日本」と「太陽」と「日章旗」
日章旗について触れる前にこれについて触れておく。
「日本」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。天岩戸伝説に見てもわかるように太陽神である。農耕が広がった社会において、世界中で見られる太陽信仰の一種と言えるだろう。
皇祖神としてのそれは別としても、もともと「日本」において広く太陽は信仰の対象であった。
「大日女(おおひるめ)」という別名からもわかるように、豊穣祈願にも関係する女性神である。
こういった風土的背景もあり、いわゆる「日輪(現代の日章旗ではない)」の意匠は定着しやすい土壌があったものと考えられる。
いわゆる源平合戦期において「赤地に金輪」「白地に赤輪」が用いられたと言われているが、一般に「錦の御旗」と呼ばれるものは「赤地に金輪、銀輪」である(日之御旗、月之御旗)。
その意味で、本来「専制国家体制」としての「国旗」を設けるとしたら、「赤地に金の日章」という選択肢もあったはずだが、明治国家体制の中でいわゆる「日章旗(白地に赤の日章)」が用いられることになる。
これは、戦国期には船籍を表すものとして「白地に赤の日章」が普及したことや、江戸期において、いわゆる「旭日(赤の日章)」が意匠の定番として用いられるようになったことなども関係しているのではないか、というのは自分の推測である。
なお、琉球においても日章の意匠は船舶や石碑などに用いられているとされるが、これが国旗としての意味を持っていたか、については定かではない。おそらくは太陽信仰の一貫として、だったのではないだろうか。
しかし、これは近代的意味での「国旗」という明確な位置づけのものが存在しなかった前近代という時代を考慮すれば、無理に国旗と位置づける必要もないものであろう。そもそも江戸期においても「くに」と言えば一般には「藩」だったのであり、「日本国」というより広い領域を意識するのは、対外関係上が主であったと考えられるので、琉球に限った話ではない。
江戸も末期となるまで「国旗」と明確に位置づけるものがあったとは現段階では考えづらいが、少なくとも安政期には「日本総船印は白地に日之丸幟」「大船には御国総標日之丸幟」と徹底するよう幕府が決定していることから、これを実質的に「国旗としての表れ」と考えることはできるだろう。安政期はいわゆる「異国船」の来航が相次ぐ時期でもあり、他国船との識別の重要性は喫緊の問題であったであろうことは容易に想像される。
このことを考えると、「日章旗」が帝国主義国家としての「大日本帝国」の国旗としての象徴ではあっても、そもそも日章旗が国旗としての意味・位置を確立していくのは、むしろ帝国主義・覇権主義に「曝されていた時期」と考えることはできるように思う。
もっとも、幕末期において「植民地化の危機」がどの程度存在したか、については現代では「それほどの危機はなかった」とする研究結果も出てきてはいる。これは現実的危機と感覚的危機との間の乖離はあろうが、当時においてはそれらの危機も相俟って、「異国」に対しての「日本」が意識されるようになりつつあった時期でもあり、その意味では「国家」が大きく意味を持ち始める時代であったことも確かではある。
このような流れを見る限り、明治~昭和初期における帝国主義的拡張の時代に“も”掲げられた日章旗ではあったが、同時にそれ“以前”から用いられたものでもあるとは言えるのではないだろうか。

■「日本」と「日本人」と「日章旗」
明治維新を経て大日本帝国が成立していく過程で、いわゆる「琉球処分」や「旧土人保護法」などが政策となるが、これはそれらの地域・民族が当初成立時の「日本」という領域の「外」であり「異」であると認識されていたからに他ならない。琉球処分時においては、果たして「琉球」とは「日本なのか」という点は議論された点でもある。
また「旧土人」という呼称からして、果たしてアイヌは「日本なのか(日本人なのか)」についても、その認識の程は伺えよう。
この点において、「日本」という「国家領域」と「日本民族(大和民族)」という「民族範囲」は、既にそのズレを生じていたと言える。その意味で、「単一民族国家」というのは極めて幻想の産物であるわけで、「国籍としての日本人」と「民族としての日本民族」は、大日本帝国成立の当初より差異が生じることになる。
この「日本とはどこまでか」「日本人とはどこまでか」を巡る議論は、その後半島への進出においても「日鮮同祖論」が立ち現れ、また満州進出においては「満鮮史」として立ち現れるなど、その拡張先を「歴史を一つにするもの」として「日本」を拡張していく中での口実にもなっていった。
「朝鮮籍」「台湾籍」といった本籍制度と「日本国」という国籍、いわゆる「国」「属地」「民族」の微妙な位相の差異は十分に認識しておかなければならないだろう。
その上で、一周して、「日章旗は日本の象徴である」に戻した際、その射程は「どの位相を指して『日本』と規定するのか」という問題はついて回ることになるだろう。
また、確かに植民地としての朝鮮、台湾という視点が存在する一方で、志願兵制度を通じた朝鮮人日本兵や台湾人日本兵の存在もあり(最末期には徴兵制も在り)、当然彼らは戦中「日本」の軍や軍属などとして、時に大きな犠牲を出しながらも、確かに「日章旗」を国旗とする大日本帝国の「臣民」として存在した。また、独立運動が一巡した後の、必ずしも独立を謳わない自治運動は、果たしてそれを「日本」としてのナショナリズム(国民化)の一部としてみるべきか、それとも「朝鮮」または「台湾」としてのナショナリズム(民族自立)の一部としてみるべきか、非常に微妙な問題でもある(もしくはパトリオティズムなのかリージョナリズムなのか、といった認識も在り得る)。
半島では「親日協力者」といった痛烈な非難が浴びせられることもあるが、「臣民」としては「大日本帝国」の領域において、また「民族」としては自治を求める傾向はエスニシズム(民族)としての側面とナショナリズム(大日本帝国帰属)としての側面を持つであろうし、その中でまた支配民族としての大和民族(日本民族)が持つエスノセントリズムとしての自民族優位・優越主義とは競合する側面を持ちつつ、逆に「日本」という領域の延伸としての植民地の「同化政策(皇民化政策)」は、別の意味合いとしてのナショナリズムであるだろうし、同時にそれは汎アジア主義(大アジア主義)の変質・変容の結果としての「アジアの盟主たる日本」という存在の「内における境界」と「外における境界」の相違による緊張を齎したとも言えるかもしれない。
このとき、「日章旗」が象徴する「日本」という「存在(≠土地としての領域)」は、果たしてどこまでを指し示すことになるのだろうか。

■ナショナリズムとパトリオティズムと
明治維新において、またその後の政策において、「日本」という形而上的アイデンティティを上からの国民国家として形而下へ規定していく過程は、民衆革命を経ての国民国家形成とは異なるように思われるが、その際に作用したのは「日章旗」よりもむしろ「国体観」ではなかっただろうか。
人為的強制的に構築されていく「日本人」という「皇民化」は、内においては大逆事件を経て概ね頂点に達すると見ることはできるかもしれない。佐藤春夫の「愚者の死」における「日本人でなかった誠之助。立派な気ちがいの誠之助。有ることか、無いことか、神様を最初に無視した誠之助。大馬鹿な誠之助。ほんにまあ、皆さん、いい気味な。その誠之助は死にました。誠之助と誠之助の一味が死んだので、忠良な日本人は之から気楽に寝られます。おめでとう。」というフレーズにおける「日本人」は、少なくとも当時において、「共和主義者」「社会主義者」などは排除されるべき存在として、ここで「日本人ではなかった」と表現されることにより、逆説的に「(天皇に※筆者補足)忠良な日本人」として規定されることになる。大逆事件で被告弁護を行った平出修は、これを日本の思想史上最も重要な事項として認識していたそうである。まさにその通りであると言えるように思う。
いわゆる「国民」の「創造」過程において、イデオロギーとしてのナショナリズムは、必要に迫られたものでもあり、また自発的発生を見たものでもあり、同時に大きな弊害を持つものでもあった、とは言えるだろう。
例えば、「生まれ育った地」への愛着と言う点でパトリオティズム(愛郷主義)は人として抱いたとしてもおかしくはないのであり(もちろんそれを持てないからといって負い目を感じる必要もない)、同時にパトリオティズム自体は、むしろ旧来の「民族」「文化」「言語」「宗教」といったナショナリズムがしばしばそれを利用する装置を有する同質化としてのそれとは異なり、「自由」「平等」といった「共同体を支える価値」を共通理念とした共同体主義としての意味合いを与えられる場合もある。この意味合いにおいて、例えば「在日」と呼ばれる存在が「生まれ育った日本(もしくは日本の中の一部)」へ愛着を持ってもごく当たり前のことであるし、同時に「民族的ルーツ」として、「日本ではない存在」を規定しても少しも不思議ではない。それは同時に並立し得るものであると言えよう。
ただし、である。この場合のパトリオティズムは概ね「市民共同体主義」と言えるだろうとは考えるが、結局のところ、多かれ少なかれ何らかの「同質化」の要請から免れることはできない、という点は認識されねばならないだろう。例えば、「アメリカ人」は「作られる」ということを挙げれば良いだろうか。というよりも、そもそも「自由」「平等」もしくは「人権」というコンテクスト自体は、西欧文化・歴史を背景として成立している側面もあり、その意味においては、「文化」「民族」「言語」「宗教」といった、ナショナリズム的背景を「一切持たない」共同体を貫く平準なコンテクストは存在し得るのか、といったより本質的問題に突き当たらざるを得ない。
ソビエト連邦や中華人民共和国の実際がそれにあたるのか、という点は考慮から外すとしても、近代国家の超克を目指した共産主義の理念が現実に展開された結果、「共産主義」というコンテクストを軸とした国家は、市民共同体主義的パトリオティズムに通底するものはあるだろうが、それらは結果として「民族」概念をしばしば抑圧し、また「宗教」を否定してきたことは、歴史的事実でもある。共産主義にとって「国家」という存在自体が「過程」の存在であり終着点ではない、という反論は有り得るし、それらの国家は共産主義を「体現しなかった」と抗弁することももちろん可能ではあるが。

■ひとつのナショナリズムの否定がナショナリズムでないことを意味しない
今年沖縄に「琉球民族独立総合研究学会」なる団体が発足した。これは敗戦~アメリカ占領期~本土復帰の過程において、一部ではかなり深刻な葛藤を生じた「日本」は果たして「復帰する先」なのか、という問題の、ある意味での終着点ではあろう。
これは当然ながら「日本」という領域からの離脱の可能性の検討であると同時に「日章旗」の否定をも意味することは疑いようもない。この学会自体は政治運動というよりも学術目的である組織であるようではあるが、趣意書には「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族」「日本人は、琉球を犠牲にして「日本の平和と繁栄」を享受し続けようとしている。」といった文言が踊る。疑いようもなく「琉球ナショナリズム」と言って差し支えないように思う。もちろんこれは現状において「日本」という「領域」の「内」における問題であり、「国民」という意味では「日本」に含まれる部分におけるそれではあるので、「在日」の問題とはイコールでは、もちろんない。それと同時に「帰属する共同体」という意味において、金明秀氏の言うところの「一般的なナショナルアイデンティティ」としての問題でもあるだろうと思う。「琉球民族」という用語の持つ意味合いにおいて、それを積極的に用いている状況は、それをナショナリズムの発露として意識しているのかいないのか、定かではないが、自覚的に用いているにしろ無意識に用いているにしろ、やはりナショナリズムの一形態ではあると判断して差し支えないようには思う。
「国家の解体」「国家の否定」と言うのは易しいが一方で「地球市民」なる概念が、国家を超えるある種のコンテクストを持った共同体概念であるならば、それは時に「国家を超える」さらなる「同質化」を齎す可能性さえあるだろう。場合によっては、「国家の否定」が極端な「グローバリズム」を具現化してしまうことさえあるかもしれない。逆にアナキズム的権威権力否定においても、しばしば「民族アナキズム」に陥ってしまうように、なんらかの共同体を有さざるを得ず、まったくの個人で孤立しての存在というのはある意味で人間性の否定でさえあるだろう。「ヒトは社会的動物である」故に。そして、「共同体」である以上、なんらかの権威・権力というのは、その多少はあれ発揮されざるを得ないのは、本質的に同一思考同一感情の人間が一人として存在しない以上、何らかの調停ないし妥協は、生存の上で必ず必要となる点で自明であるだろう。
本質的問題として、「地域共同体」としての地域社会の構成員が必ずしも国籍者に限らない現状があるわけではあるが、一方ではその地域社会の上部構造として国家の法体系があり、国家の法体系をどう求めるか、という点は、その一点において、とても「ナショナル」なものでもあるだろう。
例えば、日章旗の否定を、あくまで「権力の象徴の否定」として捉えるのであれば、それは「日章旗」に限らずあらゆる国旗なり国家なり、より小さい領域での象徴であれば校旗なり校歌なり(または社歌や社旗でも良い)、あらゆる権威の表出たる象徴の否定はできるだろうが、「“日本”の象徴としての否定」であるならば、それは優れて「ナショナル」な問題であって、その時点である種の「政治的共同体の成員として、その共同体の統治機構に対する要求」として表出せざるを得ないのではないか。そのとき、否が応でも「共同体の構成員」とは果たして「何」なのか、という問題は生じるだろう。コンテクストの中におけるアイデンティファイの問題として、その言動を「どの立ち位置で行うか」という問題は極めて重要なものにならざるを得ない。少なくとも現状ではそうだろう。
「在日」と呼ばれる存在が「日章旗」を否定する場合と、「日本国民」が「日章旗」を否定する場合と、それぞれにその意味合いは自ずと異なるものにならざるを得ないのは、たとえその意図が同一であれ、そもそもの「共同体」の「内」なのか「外」なのかの違いは、好むと好まざると存在する。それは「日章旗」が先般「法律」として慣習法を脱して制定されたように、その「改廃の権利」を有するのは「内」の存在でしか有り得ないからだ。
日章旗を「踏み絵」として利用する場合、それは極めて「ナショナル(≠ナショナリズム)」な問題にならざるを得ないのは、そういった点が指摘されることにはなろう。
確かに地域共同体構成員としての「在日」という存在は、その共同体として確かに構成員ではあるが、同時に「政治的権利」としての発議を、現実的現状的場において実践的に行い得るのは「日本国民」だけであって、自由権としての表現において「否定」することは自由ではあるが、政治的法律的にそれを左右するのは、現在時点において「日本国民」だけなのであって、それは否定し得ない。
ナショナリズムを国家主義、国民主義はたまた別の意味合いとして用いるか、によってその認識が異なる点はあろうが、例えば「国籍外」の「あらゆる居住者」に国民と同等の政治的権利を認める、という政策を実施するとした場合、その政策は極めてナショナルな問題ではある。もちろん「ナショナル」な問題にコミットすることが「ナショナリズム」を意味するわけではない、のではあるが、そういった政策を実施することは実質的には二重国籍を持たせて政治的権利を「付与する」ことと変わらない状況にはなるだろう。その場合、「国」という領域に対する政治的参画という意味合いにおいては実質的「国民化」ではあるわけで、「国民化」という包摂は、その意味合いにおいて「ナショナリズム」足り得るだろう。
「健全な」ナショナリズムが存在し得るのかどうか、という提起は当然あるとしても、国連憲章における自決権原則も基本的には国民国家の存在を前提としている以上、現状においてそれを有意に超越し実践的足り得る論理構造と実践形態を持たないのであれば、ナショナリズムという「用語」をいくら否定したところで、現実的には「ナショナリズムの過たない実践」を目指す方が建設的なのではないか、という疑念は否定し得ない。
また、日章旗の否定が半島におけるナショナリズムと結合した際、それもまたひとつのナショナリズムの表出ではある。しかし、「在日」という存在は必ずしも半島におけるナショナリズムに包摂されるとは「限らない」という点において、結局のところ「日章旗」を踏み絵とした運動が、「日本であれ韓国または北朝鮮であれ」その対象から「在日」という存在を都合よく取捨選択できる存在となることはしばしばあるだろう。

■日章旗とレイシズム
国民や民族といった共同体構成要素の各規定が人為的にならざるを得ないのは、国家形態の抱える内在的問題ではあるのだが、同時に不可避の問題でもあり、加えて国家形態を無くさない限りは解決不能とも思える問題ではある。
このとき、日章旗が日本社会を統治する政府の象徴であるとして(それは同時に主権者たる国民が引き受けるべきそれではあるが)、過去に自省すべき歴史がある場合、それは象徴として否定されるべきなのか、という問題の提起については疑問ではある。現在、敗戦を境として明治維新以後の歴史は帝国主義の歴史とほぼ同じ期間を「日本国憲法」を憲法とした歴史として「日章旗を掲げて」きたのである。
ひとつの国家において、なんらの恥ずべき点もなく自省すべき問題も存在しない、といったことは、それが人間の営みである以上有り得ないのであり、その度ごとに国旗を改廃していくべきなのだろうか。それとも国旗を廃止すればそれで自省の「象徴」になるとでも言うのだろうか。
日章旗を拒絶し廃止しない限り反省があったと見做さない、という態度は、それはそれで有り得る態度だろうとは思うが、個人的にはそこには「王の首を刎ねれば全てが良くなる」といった言説と同じ類のものを感じ取ってしまう(そしてしばしば日章旗を踏み絵にする言動は天皇廃止論とリンクすることがある)。
それは問題の本質が何なのか、ではなく「目の前から排除すれば事足りる」という、どちらかというと本質を蔽う態度にもなりかねないだろうとも思う。同時にそこに自覚的である場合、そこから先は主張なり運動なりの「構成」と「要素」を巡る包摂と拒絶の「境界」の問題にはなるだろうけど、その主張自体はなんら否定されるべきものでもない。そこに同意するかどうかは別の問題となる。
ここでひとつの問題として、「日本」における近代以降とレイシズムの問題は植民地(この場合沖縄やアイヌをここに加えても良いだろう)を巡るそれに加えてそこにもうひとつの位相が存在する。
差別問題の”象徴”とも言える被差別部落の問題である。先に大逆事件が内的皇民化のひとつの頂点として挙げたが、『愚者の死』を書いた佐藤春夫は「熊野、紀州新宮が経験した戦争とはあの大逆事件でしかない」(「文学者たちの大逆事件と韓国併合」P.116)とまで言い切っている。これは戦後生まれであることを留保した上での言説だが、近代以降のいわゆる「国民化」は実際における差別の問題と、常に接しながら行われてきたとは言えるだろう。新宮の事件は、大逆事件と連動した部落出身者への敵視と攻撃であった。
そのような「忠良な国民」の創造の過程を経ながら、おそらくは「国民とは何か」について、あまり真剣に自己の問題として引き受けてこなかったのではないか、という問題の提起は十分に有り得る。敗戦時の現地居留方針や半島出身者の帰還事業に付随する問題、半ば棄民政策とも言える海外移民の問題。これらはしばしば都合よく切り分けられ、時に切り捨てられ、時に利用されてきた事実がある。
愛国者を自称する連中が部落差別を平然と持ち出した点において、あの集団が「特定の民族」を対象とする行動に留まらず、日本国憲法への広範な攻撃として認めざるを得ない状況ではあった。人権理念、「平等」としての国民概念への攻撃である。
日本国憲法改正が遡上に乗っている時勢はひとまず今後の問題として、あの集団が「日章旗」を「国家主義」としてのナショナリズムの表意として用いるのに対して、「日本国憲法」を有する「国民主義」としてのナショナリズムを対置しそこに「日章旗」を掲げる、という理屈は、少なくともそれを「ナショナリズム」の問題として捉えた場合、十分に成立し得るように思える。
もちろん「日本国憲法」の理念を、その理念を十全に実際化しているか、という点での問題提起はあるだろうが、だからといって日本国憲法下で日章旗を掲げて経た歴史に対して「日章旗を否定しなければ」という投げかけは、結局のところ「象徴があろうがなかろうが十全には実践し得ない」日本国憲法というところに帰着しはしないだろうか。「日章旗を否定しないから駄目なのだ」という問いは、果たして「象徴に囚われて本質を実践し得ないことの言い訳」にさえ成り得るように思えてならない。
「中韓の感情が」「在日が包摂されない」という「理由」によって日章旗を否定せねばならない、とやってしまうことが、結局は日本社会における「差別」というより広汎な問題を隠蔽しかねない危惧は指摘されるべきだろうし、そもそも「どのような旗を掲げるべきか」「掲げないべきか」といった問題は、その象徴するところが日本社会であり統治機関としての日本政府であるとするならば、そこに主権外の存在を「象徴として」都合よく剽窃するような行為は、その当事者から逆の意味で拒絶されてしかるべきだろうし、それこそ「お前のナショナリズム闘争に巻き込むな」ということにも成り得るとも思う。
「日章旗」が「煽り」の意味を持つのは、もともと「旗」という象徴性記号性故でもあり、逆にそれに×をつけようがそれが「旗」である限りにおいて、逆説的意味での「煽り」の効果を持つのであり、扇動的だから排除すべき、という言説において「旗を掲げる」という行為のそれ自体は滑稽にも思える。否定する方向で固執するあまり、結果として反転しているだけではないか、と。
仮に現在の国旗が「戦後に日章旗から変更された」と仮定しても、結局掲げられる旗が異なる結果になっただけ、というオチは十分に想像できるのであり、「日章旗だからレイシズムと連結するのだ」とか「日章旗があるからレイシズムがなくならないのだ」といった話には到底乗れるものではない。同時に「日章旗を改廃する」という主張と意思表示については、それを「他者に強制しない場合」において、十分に尊重されねばならいだろう。それが民主主義の基本原則でもあるからだ。議論の封殺、主張の封殺は最大限排除されるべき、民主主義足り得るための制約というのもまた、日本国憲法における理念の一つではあろう。同時に差別する側が「される側に原因が」と言って出自などを理由に挙げることのそれ自体もまた、日本国憲法の理念に対する重大な挑戦である。このとき、それを法規制すべきかどうか、について「される側」の被害の問題があるとしても、慎重でありたいとも思う。これに対して「ではそれをなくすために何の努力をしたんだ/するんだ」という反論は甘受して、それでもなお。これは利己主義的であることもまた自覚はしているが、それでも。

■まとまらないまとめ
個人的には日章旗の改廃は、求めていない。それを自分に納得させてくれるだけの論拠を提示されているとも考えない。
冒頭に書いたように、元来この島で文明を育ててきた遠い昔の同胞が、素朴な太陽信仰を持っていたことも否定したくはないし、否定しようもない。その上で、帝国主義と浪漫主義がある種の共犯性を持った部分があったように、その象徴するものが内包する「物語」の問題として捉えるのであれば(歴史とは常に「語られる」存在でもある)、そこに新たな意味を持たせ、物語を紡ぐこともできるだろう。むしろ、日本国憲法を有し日章旗を掲げながら、その理念を十分に実践化し得ないからこそ、いまだに日章旗に「歴史」としての物語のみが付与されてしまうのではないか、とさえ感じる。
自分は保守主義を称してはいるが、同時に排外主義にも否定的である。日本生まれの日本育ちであり、その意味においてマジョリティである(他の属性は無視する)。そして、国家主義としてのナショナリズムではなく共同体に緩やかに包摂するものとしての国民主義的ナショナリズムについては、その活用を誤らなければ十分に理念の問題として有用だろうとも考えるし、「日本」という概念への対峙は、引き受けるべき問題だろうとも考える。
もちろん日章旗が意匠として優れている、といった点や、生まれてこの方掲げられてきた旗をそう易々と放棄してたまるか、といった心情的問題も当然に持ち合わせてもいる。同時に過去の過ちを「断絶させない」が故に、象徴を変えるべき「ではない」とも考えている。象徴を断絶して「変わりました」「改心しました」などという言説を信じるほどにはお人よしではない、というのもある。
確かに権威権力の強制性の発露としての象徴=旗、というのはあるのかもしれないが、自分としては象徴を「変えない」が故に過去の問題を「連綿と続いてきた歴史の蓄積」として捉えることから免れ得ない、という意味でも日章旗を「掲げ続ける」ことに積極的意味はあろう、と思うのである。象徴を改廃して「過去とは決別しました」という態度が是とされた社会に生まれた場合、今と同じように「免れ得ない問題」として捉えられるかどうか自信がない、とも言えるかもしれない。

P.S.ところで自分のツイッターのアイコンは金明秀氏の嫌悪するところの日の丸アイコン(通称梅干)なのだが、これについては自分がナショナリズムに十分に絡めとられている自覚があるということと、日章旗をあの集団が掲げていることに対しての、ナショナリズムの発露としての嫌悪の表出であることは断っておきます(誰に?いや、なんとなく)。

以下参照・参考文献。

「<日本人>の境界」小熊英二


「文学者たちの大逆事件と韓国併合」高澤秀次


「日本イデオロギー論」戸坂潤

日本神話 (1970年) (岩波新書)
「日本神話」上田正昭


「本音の沖縄問題」仲村清司

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政友会と民政党 – 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

本年11月22日発刊という、かなり急いで間に合わせた感が否めない同書ではあるが、得るものは少なくなかった、とも思う。

個人的には政友会(というか晩年の犬養毅と鈴木喜三郎、鳩山一郎)に対しての辛い評価と民政党(というより最後の総裁町田忠治)への相対的に高い評価もあって、そこのところにはいくつか疑問を抱かせるに足る示唆が得られた。
また、まったく不勉強な大政翼賛会の実態的部分の政党側・党人派の動向については、簡潔な記述ながら、気づかされる点も多く、まだまだ勉強が足らんな、と思った次第。

「戦前の二大政党制が失敗に終わったのはなぜか。その成立・展開・崩壊の軌跡をたどり、日本で二大政党制が機能するための条件を探る。」というテーマと、売らんがな、な帯(野田首相、安倍総裁の写真)で引っかかると、その点については結構微妙。あくまで二大政党の誕生から崩壊までを、党という要素に絞ってまとめたものなので、その他の要素(当時としては軍部・貴族院・枢密院・宮中・革新官僚・メディア)などの部分は間接的に触れる程度なので、現下の日本において自民党・民主党の二大政党制(と呼ばれるもの)が機能するための条件云々については、どちらかというとあまり内容もなくオマケ。
政友会が民政党に惨敗した後の自党の存在意義を見出すための奮闘ぶりや、逆に民政党政権が必ずしも十分に機能しなかった点、また大政翼賛会という存在の「中」における党人派の存在や行動については、数多の専門書を読むよりは、感覚的に掴みやすい記載も少なくないように感じた。

読み方によってはいろいろな(真逆なものも含めての)結論を出せそうな内容ではあるものの、投票前に一読しておくのも損はないと思う。