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保守主義論考 エドマンド・バークと本邦保守主義者の態度

 保守主義。
 この言葉ほど本邦において適当に用いられている言葉も無いだろう。同様に左翼という言葉もまたそうではあるのだが。曰く「文化と伝統を守る」、曰く「国を愛する」、曰く「右翼」、曰く「歴史修正主義者」、曰く「軍国主義者」、曰く「尊皇派」等々。果たして、そのどれもが適当に都度自認として、また批判の言葉として用いられている。昨今では「排外主義者」とも同義に用いられることさえある。しかし、そもそもその「保守主義」という用語について、どの程度の思慮を働かせて用いているだろうか。
 1955年のいわゆる政党合同以降、「保守・革新」という言葉で括られることにより、「保守政党=自民党」「革新政党=社会党・共産党」といった区分がなされ、その分類において一般に進歩的文化人と呼ばれた一群が社会党ないし共産党寄りの発言を繰り返し、また自民党がしばしば戦前について、または先の大戦に対してともすれば是認的言動を行ってきたこともあり、「保守=戦前・大戦容認」であったり、「保守=新しい考えを認めないこと」であったり、といった認識も広がったようには考える。確かに「保守主義」というものの源流を欧州の革命時代におけるアンチテーゼとして確立されてきた経緯を適用すれば、そのような認識も一面では正しかろう。一方で、アメリカを伝統・文化の破壊者として見る立場に立てば、自民党は「親米政党」であり「いつまでも占領期同様の基地体制を維持し続けている」わけであり、「親米保守はおかしい。保守こそ反米であるべき」という見方も立てられよう。その部分だけを見れば、この理屈で言えば「共産党・社民党」も立派な保守であるのかもしれない。しかし、反米保守の立場であってもさすがに共産党や社民党を「保守政党」と呼ぶことは無いであろうことを踏まえると、この立場は「保守主義」の必要要件ではなく、主義の帰結として導かれているひとつの解でしかない、とは言えるだろうし、そうであれば「親米保守」という立場もまた成立する余地はあろう。斯様に「保守」という言葉の定義や運用は個々の主張と結びつきこそすれ、本邦においては体系的に確立した概念では”ない”のではないか、と思えてならない。

 保守主義と呼ぶ際、真っ先に思い浮かぶのがエドマンド・バークであることは異論の無いところであろう。保守主義の父とも呼ばれ、フランス革命に反対の立場を取った人物である。自分も保守主義の原点として彼を位置づけることに異論は無いし、また同時に「保守主義とは何か」を考える際、そこを抜きにしては語れないとも考える。しかし、バークもまた矛盾を孕み、同時に本邦において恣意的引用が繰り返されてきた人物でもあろう。バークがフランス革命を否定した理由のひとつは、それが社会契約論的思考を基盤に置いて展開されたからであるが、バークにとって社会契約論は忌むべきものであった。バークの指摘が正しければ、であるが、社会契約論的方法で構成された統治体系の場合、人民はそれ自身の性向・思想・罪の有無などに関わらず、任意に統治体系を選択することができるのに対して、統治者=君主(当時の統治者)は統治の義務はあれ、人民が気ままに処断できる存在となってしまう。バーク自身は極めて貴族的人物であって、彼が保守したいと切望したそれが「王」「貴族」の権利であり地位であったことは想像に難くない。いわゆる「世襲」がイギリスにおいて封建制・王制の中で特に重要な「財産」であり「権利」であったからこそ、その侵害は「歴史的継承」にあたるのであり、それ故にフランス革命に猛烈な反発を見せ、社会契約論を徹底して批判したのである。一方で、バークはアメリカ独立においては、イギリスではなくアメリカの独立運動を支持している。バークによれば、それはイギリスが「植民地統治権」といったものを振りかざして横暴に振舞っているからという理由であるのだが、そもそも独立しようとした「アメリカ」とは先住民のそれではなく、入植者による「独立」であり、確かにバークが危惧してやまなかったイギリス王族・貴族が「世襲的相続」を行ってきたような財産などがなく、正統に守るべき理由はなかったのであろうが、同時にこのあたりはバークの限界であり、同時に当時の「人間とは何か」という概念的問題の限界でもあっただろう。
 バークの言う「偏見」の尊重、「歴史」の尊重とは、古来より受け継がれてきた習慣・因習であったり、また明確化できないもの(もしくは理論化できないもの、と言っても差し支えないように思う)に対しての肯定であるのだが、これは当時のイギリスにおける「相続」概念(権利)を抜きにして考察することはできないのであり、そこを無視して無理に表面だけを本邦に適用するのはまた過ちをもたらすであろう。そもそもイギリスにおいて「権利の章典」でさえ、その自由の要求は「古来より相続されてきた英国臣民の権利・自由」であるが故に「国王はそれを尊重すべきである」という論理構成となっているため、しばしば本邦においてフランス革命のそれやアメリカ独立戦争のそれと同様に「自由希求の象徴」として捉えられがちであるものの、その根本はあくまで「相続権利を尊重する」という形式であり社会契約論的自由・人権思想とはまるで異なる性質のものである。そもそも「権利章典」自体、「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」という名称であり、そこに「臣民の相続的権利」として規定される自由である、という事実こそ、いかに「相続」が重要且つ根源となっていたかが理解できよう。そして、人民主権が相続的権利ではないが故にフランス革命に反対し、同時に相続的財産でないが故にアメリカ独立においてイギリスを批判する側に立ったのである。
 
 本邦において、しばしばバークを保守主義の父として取り上げ、またその思想を革新思想(所謂左翼的思考)へのアンチテーゼの玉条の如く持ち出すことがあるが、果たしてバークのそれを正しく理解しているであろうか。民族という用語をここで用いることは避けるが、敢えて言うならば、バークがアメリカ独立に際して取った態度をこそ、帝国期の半島支配に対して取るべきだろうし、もう少し手前のところで同じくバークのインド統治に対して見せた「文化の尊重」というバークの理論的骨子の部分における態度と同じように、その支配のあり方を批判的に捉えるべきであろう。しかし、一方で左翼批判の文脈においてバークの理論を振りかざしながら、一方でそのバークの理論の骨子に反するかのように半島支配を「経済発展したのだから」「近代化してやったのだから」と発言するのは、論理的一貫性として欠ける態度と言えよう。もちろんバークの理論を援用したからといって、それを全面的に肯定する必要もなく、同時に一部を用いて発展させ新たな理論に昇華させることは十分に有り得ることではあるが、理論の根幹の部分で背反する論立てを並行して公言するのは、バークの理論を理解していないのではないか、と思えてならない。
 

 そして同時に、自民党がバークの唱える意味においての保守主義かといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。自民党が反革新という意味においては「保守派」の系譜として、ある種の正統な後継であるのかもしれないが、政治的ポジションとしてのそれが思想的それと必ずしも合致するわけではない。社会党と共産党が同じように「革新」に分類されながら決定的に相容れない点があったことは歴史の示す通りだが、思想的意味よりも実践的行動に対しての思想の具現化においての相克でもあった。自民党の場合はそのような対立はしばしば派閥抗争や政策論争の形で党内で行われたわけだが、その程度には党内でさえ相違はあったのであり、中には社会民主主義に近い、保守主義からはいささか距離を置くような政策も見られた。だから自民党を「保守政党ではない」と言いたいのではなく、「保守主義とは何か」を考えずに「反革新だから」と言って安易に「保守主義であるかのような錯覚」を起こすべきではない、ということを忘れてはならないだろう。例えば吉田茂が、岸信介が、佐藤栄作が、田中角栄が、保守主義者であったかどうか。また、その政策を行った自民党という政党が保守主義的であったか、という点については、いろいろと再考の余地があるように思う。
 改憲論議にしても同様で、「押し付け憲法論」というのは確かに移植し縫合した結果としての日本国憲法に対するひとつの態度ではあろうが、それが日本国憲法の「内容」ではなく「手続き」や「経緯の一部」のみを以って不当としながら、同時に「万世一系の皇統こそ日本の伝統」という場合、形式的には日本国憲法は大日本帝国憲法の改憲手続きを経て、陛下の詔書を以って、陛下臨席の下での大日本帝国衆議院・貴族院において採択・公布されている事実に対して、どのような態度と言えるだろうか。「皇統」という点においてはバークの偏見論に沿った保守主義的態度と言えるかもしれないが、同時に先帝陛下が関与する形式を経て公布されたものを軽視する、というのはその皇統に対しての態度と矛盾しないだろうか。もちろん「皇統」という系譜が重要なのであって、「天皇」という「個」「一代」のそれは誤ることもあるのであるからそれほど重要ではない、という立場もあろう。しかし、自分の見ている限り、そのような論立てで「押し付け憲法論」を正当化する論は見たことがない。恐らく、ではあるが、「陛下を戴く国体」と「自身の主張」との間で整合性が取れないからであろう。天皇の過ちを正す、ということは輔弼する臣の態度として必要な態度でもあるだろうが、昨今の「保守」を標榜する集団が「皇統」「天皇」は尊重し敬愛されるべきであり、よもや「過つ」などという批判は想像の埒外であるか、そうでもなければそこを切り離すことでしかこの問題を存立させ得ない、といういずれかではないか。もうひとつ反米だから、という理由も立てることができるし、また一方で左翼的だから、という理由も立てることができるが、保守主義者であるならば、そのいずれの論を採るにしても、日本国憲法制定過程における形式的手続き的意味における先帝陛下の関与を避けて通ることはできないのである。日本国憲法の社会契約論的性質をバークの理論によって批判することは容易いし、またバークの言う偏見論としての意味合いにおいて批判することもできるだろうが、同時にバークの理論において最も重要な「相続的権利」という点においてはどうか。本邦の国体において、そのような意味合いにおける最も象徴的相続継承は他ならない皇統であるわけだが、その一代の御世において行われ、他ならない先帝陛下が関与したそれが過ちであったとするならば、先帝陛下そのものも批判されねばならないだろう。この撞着には自民党でさえも囚われていると言えるだろう。
 また、日本国憲法と合わせて大きく手を加えられたものに皇室典範があるが、ここで最も重要な改正事項は「皇族会議」に代えて「皇室会議」を規定したことである。これは戦前の皇室会議を「国民の代表機関的意味合いも含めた」会議へと転換するものであったが、「天皇」という憲法上の位置づけは統治体系の主権者による改変としてその選択に委ねられるとしても、皇位継承といった問題はどうなのか、という大きな問題を孕んでいる。皇族会議は本質的には「皇室」という、語弊を承知で言うならば一族内の会議であったのに対して「皇室会議」はまったく異なる性質を持つものである。そもそも皇室会議において出席できる皇族の員数規定から、会議の決定は皇族の意向は無視しても可能であるものとなっている。天皇の「憲法上の位置づけ」としての問題からこの規定を妥当することもできるだろうが、こと「皇統」を最重要視し絶対護持を声高に叫ぶ者が、恐らくは日本国憲法よりもより重要であろう皇室典範におけるこの会議の存在に対して、あまりにも無視していることをどう考えれば良いだろうか。原則として不文律で長嫡子順の継承を基本とはしているが、「皇室会議」においてこれを覆すことは不可能ではない。バーク的に言えば、保守主義の根幹たる「相続的権利」に対する侵害とも言える。皇室財産に対する皇室外からの関与も同様である。とかく第九条ばかりを槍玉とし、問題視し、それが故に本邦の根幹が揺らいでいるかのように叫びながら、この態度は不可解でさえある。さらに言えば、この皇室典範改正についてはGHQ主導というよりは、寧ろ本邦の側が主導して行ったことでもある。明治帝からの伝統、という点に限ってさえ、このような問題は不可分に付き纏っている。

 もちろん人間である以上矛盾は孕むものではあるし、必ずしも首尾一貫することがあるとは限らない選択が必要になる局面もあるわけなので、それそのものがあることが必ずしも問題であるとは限らないこともある。しかしながら、昨今の保守主義を標榜する一群の中で、バークを論拠に据えて論じる一部の論者があまりにも恣意的無理解にバークを流用し、似ても似つかない主張を繰り返しているのではないか、と思えてならない。自分がしばしば「保守主義の原点は古典的保守主義にあり」というのは確かにバークを念頭に置いてはいるが、さりとてバークの理論をそのまま直接に本邦に適用できるとは考えないし、補助線としての原点にはなり得ても、全面的に適用するのは愚でさえあるとも考える。然しながら、バークのそれを主張の論拠に据えるならば、せめてバークの理論は極めて欧州君主・貴族的それが「前提」となって論じられていることを念頭に、果たしてその論が自身の主張根拠になり得るのか、ということをよくよく考えるべきであろう。自身の主張根拠のために表面的にバークの理論を継ぎ接ぎするのでは、結論ありきの話であり、まともな論にならないことは自明でさえある。もっとも、日本国憲法を否定し大日本国憲法に立ち返って再度自主憲法を制定すべき(もしくは大日本帝国憲法を復旧適用すべき)、と言う論者は、大日本帝国にバークの理論が影響を与えているという指摘が一部にあることは再考すべき点であろう。

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日章旗、ナショナリズム、レイシズムなどなど

自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 
書く経緯となった発端はこのツイート。

もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。

■「日本」と「太陽」と「日章旗」
日章旗について触れる前にこれについて触れておく。
「日本」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。天岩戸伝説に見てもわかるように太陽神である。農耕が広がった社会において、世界中で見られる太陽信仰の一種と言えるだろう。
皇祖神としてのそれは別としても、もともと「日本」において広く太陽は信仰の対象であった。
「大日女(おおひるめ)」という別名からもわかるように、豊穣祈願にも関係する女性神である。
こういった風土的背景もあり、いわゆる「日輪(現代の日章旗ではない)」の意匠は定着しやすい土壌があったものと考えられる。
いわゆる源平合戦期において「赤地に金輪」「白地に赤輪」が用いられたと言われているが、一般に「錦の御旗」と呼ばれるものは「赤地に金輪、銀輪」である(日之御旗、月之御旗)。
その意味で、本来「専制国家体制」としての「国旗」を設けるとしたら、「赤地に金の日章」という選択肢もあったはずだが、明治国家体制の中でいわゆる「日章旗(白地に赤の日章)」が用いられることになる。
これは、戦国期には船籍を表すものとして「白地に赤の日章」が普及したことや、江戸期において、いわゆる「旭日(赤の日章)」が意匠の定番として用いられるようになったことなども関係しているのではないか、というのは自分の推測である。
なお、琉球においても日章の意匠は船舶や石碑などに用いられているとされるが、これが国旗としての意味を持っていたか、については定かではない。おそらくは太陽信仰の一貫として、だったのではないだろうか。
しかし、これは近代的意味での「国旗」という明確な位置づけのものが存在しなかった前近代という時代を考慮すれば、無理に国旗と位置づける必要もないものであろう。そもそも江戸期においても「くに」と言えば一般には「藩」だったのであり、「日本国」というより広い領域を意識するのは、対外関係上が主であったと考えられるので、琉球に限った話ではない。
江戸も末期となるまで「国旗」と明確に位置づけるものがあったとは現段階では考えづらいが、少なくとも安政期には「日本総船印は白地に日之丸幟」「大船には御国総標日之丸幟」と徹底するよう幕府が決定していることから、これを実質的に「国旗としての表れ」と考えることはできるだろう。安政期はいわゆる「異国船」の来航が相次ぐ時期でもあり、他国船との識別の重要性は喫緊の問題であったであろうことは容易に想像される。
このことを考えると、「日章旗」が帝国主義国家としての「大日本帝国」の国旗としての象徴ではあっても、そもそも日章旗が国旗としての意味・位置を確立していくのは、むしろ帝国主義・覇権主義に「曝されていた時期」と考えることはできるように思う。
もっとも、幕末期において「植民地化の危機」がどの程度存在したか、については現代では「それほどの危機はなかった」とする研究結果も出てきてはいる。これは現実的危機と感覚的危機との間の乖離はあろうが、当時においてはそれらの危機も相俟って、「異国」に対しての「日本」が意識されるようになりつつあった時期でもあり、その意味では「国家」が大きく意味を持ち始める時代であったことも確かではある。
このような流れを見る限り、明治~昭和初期における帝国主義的拡張の時代に“も”掲げられた日章旗ではあったが、同時にそれ“以前”から用いられたものでもあるとは言えるのではないだろうか。

■「日本」と「日本人」と「日章旗」
明治維新を経て大日本帝国が成立していく過程で、いわゆる「琉球処分」や「旧土人保護法」などが政策となるが、これはそれらの地域・民族が当初成立時の「日本」という領域の「外」であり「異」であると認識されていたからに他ならない。琉球処分時においては、果たして「琉球」とは「日本なのか」という点は議論された点でもある。
また「旧土人」という呼称からして、果たしてアイヌは「日本なのか(日本人なのか)」についても、その認識の程は伺えよう。
この点において、「日本」という「国家領域」と「日本民族(大和民族)」という「民族範囲」は、既にそのズレを生じていたと言える。その意味で、「単一民族国家」というのは極めて幻想の産物であるわけで、「国籍としての日本人」と「民族としての日本民族」は、大日本帝国成立の当初より差異が生じることになる。
この「日本とはどこまでか」「日本人とはどこまでか」を巡る議論は、その後半島への進出においても「日鮮同祖論」が立ち現れ、また満州進出においては「満鮮史」として立ち現れるなど、その拡張先を「歴史を一つにするもの」として「日本」を拡張していく中での口実にもなっていった。
「朝鮮籍」「台湾籍」といった本籍制度と「日本国」という国籍、いわゆる「国」「属地」「民族」の微妙な位相の差異は十分に認識しておかなければならないだろう。
その上で、一周して、「日章旗は日本の象徴である」に戻した際、その射程は「どの位相を指して『日本』と規定するのか」という問題はついて回ることになるだろう。
また、確かに植民地としての朝鮮、台湾という視点が存在する一方で、志願兵制度を通じた朝鮮人日本兵や台湾人日本兵の存在もあり(最末期には徴兵制も在り)、当然彼らは戦中「日本」の軍や軍属などとして、時に大きな犠牲を出しながらも、確かに「日章旗」を国旗とする大日本帝国の「臣民」として存在した。また、独立運動が一巡した後の、必ずしも独立を謳わない自治運動は、果たしてそれを「日本」としてのナショナリズム(国民化)の一部としてみるべきか、それとも「朝鮮」または「台湾」としてのナショナリズム(民族自立)の一部としてみるべきか、非常に微妙な問題でもある(もしくはパトリオティズムなのかリージョナリズムなのか、といった認識も在り得る)。
半島では「親日協力者」といった痛烈な非難が浴びせられることもあるが、「臣民」としては「大日本帝国」の領域において、また「民族」としては自治を求める傾向はエスニシズム(民族)としての側面とナショナリズム(大日本帝国帰属)としての側面を持つであろうし、その中でまた支配民族としての大和民族(日本民族)が持つエスノセントリズムとしての自民族優位・優越主義とは競合する側面を持ちつつ、逆に「日本」という領域の延伸としての植民地の「同化政策(皇民化政策)」は、別の意味合いとしてのナショナリズムであるだろうし、同時にそれは汎アジア主義(大アジア主義)の変質・変容の結果としての「アジアの盟主たる日本」という存在の「内における境界」と「外における境界」の相違による緊張を齎したとも言えるかもしれない。
このとき、「日章旗」が象徴する「日本」という「存在(≠土地としての領域)」は、果たしてどこまでを指し示すことになるのだろうか。

■ナショナリズムとパトリオティズムと
明治維新において、またその後の政策において、「日本」という形而上的アイデンティティを上からの国民国家として形而下へ規定していく過程は、民衆革命を経ての国民国家形成とは異なるように思われるが、その際に作用したのは「日章旗」よりもむしろ「国体観」ではなかっただろうか。
人為的強制的に構築されていく「日本人」という「皇民化」は、内においては大逆事件を経て概ね頂点に達すると見ることはできるかもしれない。佐藤春夫の「愚者の死」における「日本人でなかった誠之助。立派な気ちがいの誠之助。有ることか、無いことか、神様を最初に無視した誠之助。大馬鹿な誠之助。ほんにまあ、皆さん、いい気味な。その誠之助は死にました。誠之助と誠之助の一味が死んだので、忠良な日本人は之から気楽に寝られます。おめでとう。」というフレーズにおける「日本人」は、少なくとも当時において、「共和主義者」「社会主義者」などは排除されるべき存在として、ここで「日本人ではなかった」と表現されることにより、逆説的に「(天皇に※筆者補足)忠良な日本人」として規定されることになる。大逆事件で被告弁護を行った平出修は、これを日本の思想史上最も重要な事項として認識していたそうである。まさにその通りであると言えるように思う。
いわゆる「国民」の「創造」過程において、イデオロギーとしてのナショナリズムは、必要に迫られたものでもあり、また自発的発生を見たものでもあり、同時に大きな弊害を持つものでもあった、とは言えるだろう。
例えば、「生まれ育った地」への愛着と言う点でパトリオティズム(愛郷主義)は人として抱いたとしてもおかしくはないのであり(もちろんそれを持てないからといって負い目を感じる必要もない)、同時にパトリオティズム自体は、むしろ旧来の「民族」「文化」「言語」「宗教」といったナショナリズムがしばしばそれを利用する装置を有する同質化としてのそれとは異なり、「自由」「平等」といった「共同体を支える価値」を共通理念とした共同体主義としての意味合いを与えられる場合もある。この意味合いにおいて、例えば「在日」と呼ばれる存在が「生まれ育った日本(もしくは日本の中の一部)」へ愛着を持ってもごく当たり前のことであるし、同時に「民族的ルーツ」として、「日本ではない存在」を規定しても少しも不思議ではない。それは同時に並立し得るものであると言えよう。
ただし、である。この場合のパトリオティズムは概ね「市民共同体主義」と言えるだろうとは考えるが、結局のところ、多かれ少なかれ何らかの「同質化」の要請から免れることはできない、という点は認識されねばならないだろう。例えば、「アメリカ人」は「作られる」ということを挙げれば良いだろうか。というよりも、そもそも「自由」「平等」もしくは「人権」というコンテクスト自体は、西欧文化・歴史を背景として成立している側面もあり、その意味においては、「文化」「民族」「言語」「宗教」といった、ナショナリズム的背景を「一切持たない」共同体を貫く平準なコンテクストは存在し得るのか、といったより本質的問題に突き当たらざるを得ない。
ソビエト連邦や中華人民共和国の実際がそれにあたるのか、という点は考慮から外すとしても、近代国家の超克を目指した共産主義の理念が現実に展開された結果、「共産主義」というコンテクストを軸とした国家は、市民共同体主義的パトリオティズムに通底するものはあるだろうが、それらは結果として「民族」概念をしばしば抑圧し、また「宗教」を否定してきたことは、歴史的事実でもある。共産主義にとって「国家」という存在自体が「過程」の存在であり終着点ではない、という反論は有り得るし、それらの国家は共産主義を「体現しなかった」と抗弁することももちろん可能ではあるが。

■ひとつのナショナリズムの否定がナショナリズムでないことを意味しない
今年沖縄に「琉球民族独立総合研究学会」なる団体が発足した。これは敗戦~アメリカ占領期~本土復帰の過程において、一部ではかなり深刻な葛藤を生じた「日本」は果たして「復帰する先」なのか、という問題の、ある意味での終着点ではあろう。
これは当然ながら「日本」という領域からの離脱の可能性の検討であると同時に「日章旗」の否定をも意味することは疑いようもない。この学会自体は政治運動というよりも学術目的である組織であるようではあるが、趣意書には「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族」「日本人は、琉球を犠牲にして「日本の平和と繁栄」を享受し続けようとしている。」といった文言が踊る。疑いようもなく「琉球ナショナリズム」と言って差し支えないように思う。もちろんこれは現状において「日本」という「領域」の「内」における問題であり、「国民」という意味では「日本」に含まれる部分におけるそれではあるので、「在日」の問題とはイコールでは、もちろんない。それと同時に「帰属する共同体」という意味において、金明秀氏の言うところの「一般的なナショナルアイデンティティ」としての問題でもあるだろうと思う。「琉球民族」という用語の持つ意味合いにおいて、それを積極的に用いている状況は、それをナショナリズムの発露として意識しているのかいないのか、定かではないが、自覚的に用いているにしろ無意識に用いているにしろ、やはりナショナリズムの一形態ではあると判断して差し支えないようには思う。
「国家の解体」「国家の否定」と言うのは易しいが一方で「地球市民」なる概念が、国家を超えるある種のコンテクストを持った共同体概念であるならば、それは時に「国家を超える」さらなる「同質化」を齎す可能性さえあるだろう。場合によっては、「国家の否定」が極端な「グローバリズム」を具現化してしまうことさえあるかもしれない。逆にアナキズム的権威権力否定においても、しばしば「民族アナキズム」に陥ってしまうように、なんらかの共同体を有さざるを得ず、まったくの個人で孤立しての存在というのはある意味で人間性の否定でさえあるだろう。「ヒトは社会的動物である」故に。そして、「共同体」である以上、なんらかの権威・権力というのは、その多少はあれ発揮されざるを得ないのは、本質的に同一思考同一感情の人間が一人として存在しない以上、何らかの調停ないし妥協は、生存の上で必ず必要となる点で自明であるだろう。
本質的問題として、「地域共同体」としての地域社会の構成員が必ずしも国籍者に限らない現状があるわけではあるが、一方ではその地域社会の上部構造として国家の法体系があり、国家の法体系をどう求めるか、という点は、その一点において、とても「ナショナル」なものでもあるだろう。
例えば、日章旗の否定を、あくまで「権力の象徴の否定」として捉えるのであれば、それは「日章旗」に限らずあらゆる国旗なり国家なり、より小さい領域での象徴であれば校旗なり校歌なり(または社歌や社旗でも良い)、あらゆる権威の表出たる象徴の否定はできるだろうが、「“日本”の象徴としての否定」であるならば、それは優れて「ナショナル」な問題であって、その時点である種の「政治的共同体の成員として、その共同体の統治機構に対する要求」として表出せざるを得ないのではないか。そのとき、否が応でも「共同体の構成員」とは果たして「何」なのか、という問題は生じるだろう。コンテクストの中におけるアイデンティファイの問題として、その言動を「どの立ち位置で行うか」という問題は極めて重要なものにならざるを得ない。少なくとも現状ではそうだろう。
「在日」と呼ばれる存在が「日章旗」を否定する場合と、「日本国民」が「日章旗」を否定する場合と、それぞれにその意味合いは自ずと異なるものにならざるを得ないのは、たとえその意図が同一であれ、そもそもの「共同体」の「内」なのか「外」なのかの違いは、好むと好まざると存在する。それは「日章旗」が先般「法律」として慣習法を脱して制定されたように、その「改廃の権利」を有するのは「内」の存在でしか有り得ないからだ。
日章旗を「踏み絵」として利用する場合、それは極めて「ナショナル(≠ナショナリズム)」な問題にならざるを得ないのは、そういった点が指摘されることにはなろう。
確かに地域共同体構成員としての「在日」という存在は、その共同体として確かに構成員ではあるが、同時に「政治的権利」としての発議を、現実的現状的場において実践的に行い得るのは「日本国民」だけであって、自由権としての表現において「否定」することは自由ではあるが、政治的法律的にそれを左右するのは、現在時点において「日本国民」だけなのであって、それは否定し得ない。
ナショナリズムを国家主義、国民主義はたまた別の意味合いとして用いるか、によってその認識が異なる点はあろうが、例えば「国籍外」の「あらゆる居住者」に国民と同等の政治的権利を認める、という政策を実施するとした場合、その政策は極めてナショナルな問題ではある。もちろん「ナショナル」な問題にコミットすることが「ナショナリズム」を意味するわけではない、のではあるが、そういった政策を実施することは実質的には二重国籍を持たせて政治的権利を「付与する」ことと変わらない状況にはなるだろう。その場合、「国」という領域に対する政治的参画という意味合いにおいては実質的「国民化」ではあるわけで、「国民化」という包摂は、その意味合いにおいて「ナショナリズム」足り得るだろう。
「健全な」ナショナリズムが存在し得るのかどうか、という提起は当然あるとしても、国連憲章における自決権原則も基本的には国民国家の存在を前提としている以上、現状においてそれを有意に超越し実践的足り得る論理構造と実践形態を持たないのであれば、ナショナリズムという「用語」をいくら否定したところで、現実的には「ナショナリズムの過たない実践」を目指す方が建設的なのではないか、という疑念は否定し得ない。
また、日章旗の否定が半島におけるナショナリズムと結合した際、それもまたひとつのナショナリズムの表出ではある。しかし、「在日」という存在は必ずしも半島におけるナショナリズムに包摂されるとは「限らない」という点において、結局のところ「日章旗」を踏み絵とした運動が、「日本であれ韓国または北朝鮮であれ」その対象から「在日」という存在を都合よく取捨選択できる存在となることはしばしばあるだろう。

■日章旗とレイシズム
国民や民族といった共同体構成要素の各規定が人為的にならざるを得ないのは、国家形態の抱える内在的問題ではあるのだが、同時に不可避の問題でもあり、加えて国家形態を無くさない限りは解決不能とも思える問題ではある。
このとき、日章旗が日本社会を統治する政府の象徴であるとして(それは同時に主権者たる国民が引き受けるべきそれではあるが)、過去に自省すべき歴史がある場合、それは象徴として否定されるべきなのか、という問題の提起については疑問ではある。現在、敗戦を境として明治維新以後の歴史は帝国主義の歴史とほぼ同じ期間を「日本国憲法」を憲法とした歴史として「日章旗を掲げて」きたのである。
ひとつの国家において、なんらの恥ずべき点もなく自省すべき問題も存在しない、といったことは、それが人間の営みである以上有り得ないのであり、その度ごとに国旗を改廃していくべきなのだろうか。それとも国旗を廃止すればそれで自省の「象徴」になるとでも言うのだろうか。
日章旗を拒絶し廃止しない限り反省があったと見做さない、という態度は、それはそれで有り得る態度だろうとは思うが、個人的にはそこには「王の首を刎ねれば全てが良くなる」といった言説と同じ類のものを感じ取ってしまう(そしてしばしば日章旗を踏み絵にする言動は天皇廃止論とリンクすることがある)。
それは問題の本質が何なのか、ではなく「目の前から排除すれば事足りる」という、どちらかというと本質を蔽う態度にもなりかねないだろうとも思う。同時にそこに自覚的である場合、そこから先は主張なり運動なりの「構成」と「要素」を巡る包摂と拒絶の「境界」の問題にはなるだろうけど、その主張自体はなんら否定されるべきものでもない。そこに同意するかどうかは別の問題となる。
ここでひとつの問題として、「日本」における近代以降とレイシズムの問題は植民地(この場合沖縄やアイヌをここに加えても良いだろう)を巡るそれに加えてそこにもうひとつの位相が存在する。
差別問題の”象徴”とも言える被差別部落の問題である。先に大逆事件が内的皇民化のひとつの頂点として挙げたが、『愚者の死』を書いた佐藤春夫は「熊野、紀州新宮が経験した戦争とはあの大逆事件でしかない」(「文学者たちの大逆事件と韓国併合」P.116)とまで言い切っている。これは戦後生まれであることを留保した上での言説だが、近代以降のいわゆる「国民化」は実際における差別の問題と、常に接しながら行われてきたとは言えるだろう。新宮の事件は、大逆事件と連動した部落出身者への敵視と攻撃であった。
そのような「忠良な国民」の創造の過程を経ながら、おそらくは「国民とは何か」について、あまり真剣に自己の問題として引き受けてこなかったのではないか、という問題の提起は十分に有り得る。敗戦時の現地居留方針や半島出身者の帰還事業に付随する問題、半ば棄民政策とも言える海外移民の問題。これらはしばしば都合よく切り分けられ、時に切り捨てられ、時に利用されてきた事実がある。
愛国者を自称する連中が部落差別を平然と持ち出した点において、あの集団が「特定の民族」を対象とする行動に留まらず、日本国憲法への広範な攻撃として認めざるを得ない状況ではあった。人権理念、「平等」としての国民概念への攻撃である。
日本国憲法改正が遡上に乗っている時勢はひとまず今後の問題として、あの集団が「日章旗」を「国家主義」としてのナショナリズムの表意として用いるのに対して、「日本国憲法」を有する「国民主義」としてのナショナリズムを対置しそこに「日章旗」を掲げる、という理屈は、少なくともそれを「ナショナリズム」の問題として捉えた場合、十分に成立し得るように思える。
もちろん「日本国憲法」の理念を、その理念を十全に実際化しているか、という点での問題提起はあるだろうが、だからといって日本国憲法下で日章旗を掲げて経た歴史に対して「日章旗を否定しなければ」という投げかけは、結局のところ「象徴があろうがなかろうが十全には実践し得ない」日本国憲法というところに帰着しはしないだろうか。「日章旗を否定しないから駄目なのだ」という問いは、果たして「象徴に囚われて本質を実践し得ないことの言い訳」にさえ成り得るように思えてならない。
「中韓の感情が」「在日が包摂されない」という「理由」によって日章旗を否定せねばならない、とやってしまうことが、結局は日本社会における「差別」というより広汎な問題を隠蔽しかねない危惧は指摘されるべきだろうし、そもそも「どのような旗を掲げるべきか」「掲げないべきか」といった問題は、その象徴するところが日本社会であり統治機関としての日本政府であるとするならば、そこに主権外の存在を「象徴として」都合よく剽窃するような行為は、その当事者から逆の意味で拒絶されてしかるべきだろうし、それこそ「お前のナショナリズム闘争に巻き込むな」ということにも成り得るとも思う。
「日章旗」が「煽り」の意味を持つのは、もともと「旗」という象徴性記号性故でもあり、逆にそれに×をつけようがそれが「旗」である限りにおいて、逆説的意味での「煽り」の効果を持つのであり、扇動的だから排除すべき、という言説において「旗を掲げる」という行為のそれ自体は滑稽にも思える。否定する方向で固執するあまり、結果として反転しているだけではないか、と。
仮に現在の国旗が「戦後に日章旗から変更された」と仮定しても、結局掲げられる旗が異なる結果になっただけ、というオチは十分に想像できるのであり、「日章旗だからレイシズムと連結するのだ」とか「日章旗があるからレイシズムがなくならないのだ」といった話には到底乗れるものではない。同時に「日章旗を改廃する」という主張と意思表示については、それを「他者に強制しない場合」において、十分に尊重されねばならいだろう。それが民主主義の基本原則でもあるからだ。議論の封殺、主張の封殺は最大限排除されるべき、民主主義足り得るための制約というのもまた、日本国憲法における理念の一つではあろう。同時に差別する側が「される側に原因が」と言って出自などを理由に挙げることのそれ自体もまた、日本国憲法の理念に対する重大な挑戦である。このとき、それを法規制すべきかどうか、について「される側」の被害の問題があるとしても、慎重でありたいとも思う。これに対して「ではそれをなくすために何の努力をしたんだ/するんだ」という反論は甘受して、それでもなお。これは利己主義的であることもまた自覚はしているが、それでも。

■まとまらないまとめ
個人的には日章旗の改廃は、求めていない。それを自分に納得させてくれるだけの論拠を提示されているとも考えない。
冒頭に書いたように、元来この島で文明を育ててきた遠い昔の同胞が、素朴な太陽信仰を持っていたことも否定したくはないし、否定しようもない。その上で、帝国主義と浪漫主義がある種の共犯性を持った部分があったように、その象徴するものが内包する「物語」の問題として捉えるのであれば(歴史とは常に「語られる」存在でもある)、そこに新たな意味を持たせ、物語を紡ぐこともできるだろう。むしろ、日本国憲法を有し日章旗を掲げながら、その理念を十分に実践化し得ないからこそ、いまだに日章旗に「歴史」としての物語のみが付与されてしまうのではないか、とさえ感じる。
自分は保守主義を称してはいるが、同時に排外主義にも否定的である。日本生まれの日本育ちであり、その意味においてマジョリティである(他の属性は無視する)。そして、国家主義としてのナショナリズムではなく共同体に緩やかに包摂するものとしての国民主義的ナショナリズムについては、その活用を誤らなければ十分に理念の問題として有用だろうとも考えるし、「日本」という概念への対峙は、引き受けるべき問題だろうとも考える。
もちろん日章旗が意匠として優れている、といった点や、生まれてこの方掲げられてきた旗をそう易々と放棄してたまるか、といった心情的問題も当然に持ち合わせてもいる。同時に過去の過ちを「断絶させない」が故に、象徴を変えるべき「ではない」とも考えている。象徴を断絶して「変わりました」「改心しました」などという言説を信じるほどにはお人よしではない、というのもある。
確かに権威権力の強制性の発露としての象徴=旗、というのはあるのかもしれないが、自分としては象徴を「変えない」が故に過去の問題を「連綿と続いてきた歴史の蓄積」として捉えることから免れ得ない、という意味でも日章旗を「掲げ続ける」ことに積極的意味はあろう、と思うのである。象徴を改廃して「過去とは決別しました」という態度が是とされた社会に生まれた場合、今と同じように「免れ得ない問題」として捉えられるかどうか自信がない、とも言えるかもしれない。

P.S.ところで自分のツイッターのアイコンは金明秀氏の嫌悪するところの日の丸アイコン(通称梅干)なのだが、これについては自分がナショナリズムに十分に絡めとられている自覚があるということと、日章旗をあの集団が掲げていることに対しての、ナショナリズムの発露としての嫌悪の表出であることは断っておきます(誰に?いや、なんとなく)。

以下参照・参考文献。

「<日本人>の境界」小熊英二


「文学者たちの大逆事件と韓国併合」高澤秀次


「日本イデオロギー論」戸坂潤

日本神話 (1970年) (岩波新書)
「日本神話」上田正昭


「本音の沖縄問題」仲村清司

排外主義反対に対する賛同表明

20130217排外主義反対デモ
2月17日予定の新大久保「反韓デモ」に対し、差別反対の意思表示をしませんか。

という次第であります。
昨今排斥運動(差別運動)も公然堂々と、あろうことか一般市民を標的として展開されるようになり、その言動も「殺せ」「殺される」といった憎悪のインフレーションを起こしている有様で、醜悪にして心やすからぬ状況であります。
その主義主張そのものは、あるいは政治主張のつもりでありましょうし、あるいは実際にはそのつもりがなく憤懣晴らす標的として選び易いものを選んだだけなのかもしれず、またその場にいる高揚感こそがそれを一層過激へと追いやっているのかもしれません。
しかしながら、あまりに見るに堪えないそれは、愛国の美名の下に許されるものではないと考えます。
その意味において、上記の動きについては全面的にではないにしても、その趣旨において賛同を表明しておきます(全面的に、でない点については割愛しますが)。

さて、過去にも散々いろいろなことを書いてきましたが、改めて下記にいくつかの点において排外主義に与し得ない理由を挙げておくことにします。

壱:隣国との係争
遺憾ながら本邦は隣国との間に少なからぬ摩擦を抱えている状況ではありますが、それは「何処の国であってさえ」生じ得るものであり、特にその領域が歴史的に行き来、重複するような場合には、時に深刻にさえなり得ます。独仏、波露などの例を引く必要さえないでしょう。
それに加え、本邦は時に「スパイ天国」と称されるほどにそれらが跋扈していることも、また既にいくつもの指摘がなされていることではあります。そしてそれに(特に過去において)総連等の組織の一部が関与していたと考え得る事例もあります。
しかしながら、十把一絡げに「朝鮮人」だの「中国人」だのといって、その出自を以ってすべてそれに該当する、と考えるのは滑稽も良いところであり、更に言えば実態としてのそれを騒々しい声によって覆い隠す偽装にさえ成り得ることを理解すべきです。
自分は栄光ある第442連隊戦闘団に、格別の敬意を示すものでありますが、それはその部隊創設がいかにアメリカ政府の思惑と在米日本人の状況とによる偶然的経緯が作用したものであったにしても、彼らがその持てる信念と、生まれた地、アメリカという祖国のために全力を尽くしたことに対して、であり、「日本民族」「日系人」として、先の大戦では本邦の同盟国たる独伊を主とした戦場にし、「敵国」アメリカのために尽くした彼等を非難するような格別な理由などないからでもあります。
しかしながら、現下において万一隣国との係争が深刻且つのっぴきならない状況になった際、排外主義が蔓延し、常日頃から敵視して止まない状況を推移させた場合、果たして彼等のような存在が本邦に現れるでしょうか。
もちろん当時アメリカにおいて、彼等が差別的待遇であったことは事実であり、結局彼等の活躍があってなお、その解消は公民権運動期まで待たねばならなかった、という歴史はあります。
しかし、現在は時代背景が全く異なることを理解せねばならないでしょう。当時のように優生思想や帝国主義が最盛期であった状況とは大きく異なるのであり、また同時に彼等は「アメリカ」という国に生きる者として、戦ったのであります。
国籍などの相違はあるでしょう。しかし、排外主義の蔓延によって「日本」という国に生きる者として、同様の状況になった際に手を取り立ち上がるのか、というと甚だ疑問であります。
もちろん共に戦う必要などない、という意見もありましょう。それに対しては一言、「そうであるなら尚のこと有事に利敵行為を行なうに足る動機と土壌を積極的に醸成するそれは、一体何の益があるのか」と考えます(もちろん大多数はそのどちらにも与さない可能性、ということも考慮の上で、ですが)

弐:国籍論において
彼等排外主義集団がしばしば口にする「住みたいなら国籍を変えろ」論については、それ単体として多少の理解がないわけではありません。しかしながら、同時に展開される「帰化人が」といった蔑視が同一言論として抱き合わされているうちは、それに一片の理解を示す必要も感じません。結局のところ国籍がどうあれ、その「血」によって断罪されるのであれば、国籍相違などは問題ではないはずであり、都合よく切り貼りしながら相矛盾する言動を展開し、あまつさえそういった言動をさせる要因が「被攻撃側」にあるかのような話を、一体誰がよく理解を示すものでありましょうか。
加えて、しばしば悪意を以って混同される「朝鮮籍」は「朝鮮人民民主主義共和国国籍」を意味しないのであり、ニアリーイコールの実態が仮にあったとしても尚、そのような排撃の方法を認めるわけにはいかないでしょう。
朝鮮籍はあくまで「出身地」を現す大日本帝国統治下における「朝鮮戸籍」の延長であり、もし彼等に対して「国に帰れ」などと言うのであれば、彼等にとっての「国」は本来は「大日本帝国」であり、その「領域下としての半島」であるはずです。朝鮮籍の人がそれを求めるか望むかは別問題として、経緯と過程を踏まえ、尚且つ当該放棄地域に成立した別国家への帰属転換を行なわない場合、引き続き「縮小した領域下における後継国家」へと移るのは、自然なことでもあり、帰るも何も「此処だ」と主張するに足る背景を抱えている、という事実は厳然と存在します(繰り返しますが、その当事者の意向は別問題です)。
それを頭から否定する場合、それは他でもない、排外主義者が肯定的に捉える「大日本帝国」という国家領域における「半島統治」ということの意味と歴史を、頭から否定することでもあり、もしその当時においてなお半島は国家領域としては認めず植民地であった、というのであればそれは「対等な“併合”」を否定するものであり、逆に対等な併合であり大日本帝国の領域下における臣民であった、という立場を取るのであれば、彼等が国籍を変えない以上、帰る国は「日本国」をおいて他にはないことになるでしょう(あくまで筋論の上では)。
さて、では韓国籍はどうか。中国籍はどうか。はたまた他の国籍は。
大日本帝国という国家において、領土として組み込んだか、あるいは一時的占拠・占領を行なったか、という点でいくつかの背景相違はあるでしょう。しかし、共通するのは過去の本邦前身国家の政策遂行過程において、本邦とは少なからぬ関係を望む望まないに関わらず有した地域であり(これは移民排出先となった南北米大陸なども含めて)、その歴史的関係性故に、その系譜を引く諸民族が本邦へ定住することは、これもまた自然なことでありましょう。定住から帰化に至るかどうか、という点については別の問題となるでしょうが、そもそも排外主義者が国籍を上記の理由により都合の良い場面でしか行使しない要素としている以上、ここで深く議論するのはあまり意味もないと考えます。

参:大日本帝国後継国家として
本邦は紛れも無い帝国主義国家として、また亜細亜の覇権を争う国家として、大日本帝国としての短い期間を経て今に至っています。そのことに異論はないでしょう。
当然のことながら、実態として植民地であった半島・台湾など、対等平等な国家領域としての存在であったわけではないこともまた事実です(何より大日本帝国憲法が適用されず、総督府体制が布かれたことからもそれは明らかです)。
一方で、自分は大日本帝国統治下における周辺諸地域の施策、また大日本帝国という存在そのものについて、全否定するつもりも全肯定するつもりもありません。
支配地域に対して大々的資本投下を行い近代化を進めたことも事実ですし、様々な旧弊を、時に強権的に、時には親切心から行なったであろうことも、また否定しません。
同時に、それらに対して「感謝がない」だのといったあさましい言動も「感謝もできない民度の低い存在」だのといった言説については足下に否定します。
果たして我等の先達が為したそれは、「感謝されるためにやった」ことなのか。そんなことはないでしょう。
時に自己のために(自国のために)、時に利他のために(現地のために)やったこととして、殊更に「感謝しろ」などと言う必要も感じません。
同時に負の政策があったために、それらを全て無視して全否定しろ、ということにも意味を感じません。
片方に与さないからといって、もう片方の極論に走ることにまるで意味も価値も感じませんし、それは結局どちらの立場にしろ歴史的事実の一部を切り捨てることになると考えるからです。
また、先の大戦が果たして「亜細亜開放の聖戦」であったというのであれば、真っ先に為されなければならなかったのは他ならない「大日本帝国領域下における外地の独立」であるはずであり、対中政策などにおいてもその要求において厚顔無恥もいいところの内容であり、加えて戦中支配した地域の一部を政府内において本邦領域へ併合しようと画策していたことなども指摘すれば十分反論になりましょう。
同時に、半島や台湾においては、支配後期においては純然たる独立運動が比較的低調だった事情もあり、体制内自治、体制内自立、体制内平等を求める傾向が出てきていたこともまた事実であり、その意味において、実際に兵力不足もあり1945年~46年にかけて、徴兵制と選挙権が対として施行される方向で進んでいたことなどを考え合わせると、それらの地域は「戦勝国」どころか、「文字通りの敗戦国」扱いとなった可能性が厳然と存在していたこともまた事実でしょう。
半島において、また台湾においてそれが望まれたか、という点は論を分かつところでありましょうが、先の大戦を肯定的に捉えるのであれば、本邦があと1年戦争を続けていれば、志願兵どころか「徴兵=国民兵」としてそれら地域の人が「共に前線に立つ」兵士であった可能性について、より真剣に、また深刻に考えるべきだと考えます。
本邦は大日本帝国の後継国家として、それらの進行していた、また実際に遂行された政策の、その意味合いもまた引き継いで成立している国家なのであり、社会なのであります。同時にそれは、その内包する限界によって破綻した亜細亜主義、脱亜主義において、果たしてどこを正に、どこを負として評価すべきか、という問題もまた内在すると考えます。
それらの諸要素をすっ飛ばして、「真実はネットにある」だのあからさまな捏造デマを、時にそれと分かっていながらプロパガンダとして活用する(朝鮮進駐軍)など、歴史に対する冒涜でさえあり、何が「保守」だ、という話でしかありません。歴史への洞察、考察、自省、展開なくして、保守の成立する余地などどこにありましょう。

とまぁ長々書いてきましたが、総じて「考え方が間違ってる」と判断しているからこそ、排外主義に与しない、という以上でも以下でもないわけで、理由はいくらでも出てきますし、それを説明すればグダグダながながと、時に論旨がまとまっていないことを書く羽目になるので、恥晒しはこの辺りで。

さて、とはいえ冒頭にリンクを貼ったそれが、概ね左派の側からの提起であることが気に食わない方には、下をお勧めしたいと思います(ぇ
保守による排外主義反対

なお、冒頭の運動に当日参加するかどうかは目下未定であることを書き添えておきます。

リアリズムとアイディアリズム

「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 を契機としたリアリズムとアイディアリズムについて拙稿を書く次第。

リアリズムとアイディアリズム(またはユートピアニズム)は国際関係学(国際政治学)において、最もポピュラーな2つの考え方である。
しかし、この2つの考え方は、短絡的にまとめればまとめられなくもないわけだが、一方で時代に合わせた変遷、それぞれの思想が抱える欠陥とその克服の試みにより、あまり短絡的理解をするべきではない状況ではある。

さて、ここで一つ断っておくと、アイディアリズムもユートピアニズムも、いずれも邦訳する際は「理想主義」と訳されるわけだが、これはいろいろと問題もありそうにも思える。確かにいずれも「あるべき理想像」を据え、それへ向けての思想、とはなるのだが、アイディアリズムとユートピアニズムでは程度の差はありそうである。ここでは極端な理想を掲げるものをユートピアニズム、それほど極端ではないが、やはり現状を踏まえれば理想的に過ぎるものをアイディアリズムとしておきたい。

リアリズムもアイディアリズムもいずれも古く古代世界にまで思想的源流を辿ることはできるが、本稿では主として論理体系として一定の確立が成される前後のあたりまでを遡る射程としたい。
この二つの思想体系が概ね学問・論理体系として確立されてくるようになるのは国家体制というものが一定の確立を見てから、という風に捉えても大きな過ちはないように思う。もちろんそれ以前にも、例えばリアリズムの源流をマキャベリに比すようなことは多々行われているのだが、もっと前にも遡ることもできるし、一方でこの二つの思想が「国家」をその主的要素として捉える考え方を機軸として大きな発展を遂げたことから、主にヨーロッパ世界においてキリスト教が国家体制からある程度離れた状況が訪れた後からのものを考えれば十分であろう。

ここで、二つの思想が「国家」をその主的要素として、と書いたことに違和感を感じる方もいるかもしれない。
例えば、アイディアリズムはしばしば「国際社会、国際協調」を基調とし、「汎国家的枠組み」を論じることが多いことから「国家」という概念を思想的に軽視しているように捉える見方も少なくない(これがしばしばユートピアニズムに一括りにされる原因でもある)。しかしながら、この「国際社会、国際協調」の基本となるのがしばしば「国際法」であり、また時に発展して「世界政府論」へと発展することからもわかるように、アイディアリズムは決して「国家」という概念を蔑ろにしているわけではない。むしろ「主権国家」という体制の仕組みを大きく拡張して考える思想と捉えることもできる。いわゆる「法の統治」や「政府」という概念が、基本的には国家体制の中で語られるものであるからだ。
また、アイディアリズム(ユートピアニズム)はしばしば「実際にうまくいったことがない」といった語られ方をするが、これもまた過ちである。確かに理想を追求した(という意味では理想主義的な)実験国家たるソビエト連邦が壮大な失敗に終わったことや、国際連盟の無力さ、また国際連合の脆弱さを引き合いに出せば、それはそれで一面事実ではあるかもしれない。しかし、これは見方としては薄っぺらいものではあろう。その理由は後述する。
同時に、アイディアリズムの影響が少なくないと思われる存在としてEUなどは挙げることができるだろう(最もこれを成功例と見るかどうかは疑問もあるが)。また、政治的枠組みだけではなく、経済的協力体制はいくつも存在するし、それは「国家の枠組みを超えた人・物の移動が協調体制を生むはずだ」というアイディアリズムの素朴な理念の基礎には合致するとも言える。
リアリズムはしばしば「パワーポリティクス」として批判されるわけだが、その意味では「国家」を主的要素として捉えていることは疑いようもない。一方で、その「国家」を主体的プレイヤーと見ることからしばしば非政府組織の役割増大などの現実を踏まえ「論理的欠陥を抱えている」と指摘されることもあるが、1970年代以降このような欠陥に対して、それらの非国家組織をも射程に納めようとする新たな思想的発展を模索し続けているのもまたリアリズムの現状である。
また、この「パワーポリティクス」という用語の持つ「パワー=軍事力」という意味合いのみを過度に誇張し,リアリズムは軍拡と戦争を招来する、と捉える考え方は短絡的である。
有名な「安全保障のジレンマ」(ジョン・ハーツ他)に見られるように、必ずしも「軍備拡張」を志向するわけではなく、リアリズムは十分にその内包する危険性を意識しているのであり、そこから派生的にディフェンシブ・リアリズムという考えが生まれるのである(同時に恐怖の均衡といったオフェンシブ・リアリズムに近い考えもあるが)。

この二つの理論であるが、これを単純に二項対立と捉えるのは根本的に誤っている、と言うことはできるだろう。
もちろん歴史的にはこの二つの考えはしばしば対立し、時に相互に激しい攻撃を加えていたわけではあるが、同時に現在の国際社会・国家群を分析・説明する際、いずれか一つの考え方では容易に説明できないどころか、ほぼ不可能とさえ言えるほどである。
ジョン・ハーツが「リアリスト・リベラリズム(リベラリズムはアイディアリズムを内包する、と考えて差し支えない)」という境地に達したことや、1970年代~80年代のイギリス・アメリカの対外政策が、概ね前者はアイディアリズムをベースとして、後者はリアリズムをベースとして分析されることで一定の成果を収めたことなどを見ても、択一的論理でないことは明らかとも言えよう。
同時に、国際連盟・国際連合が時に無力で機能しないのは、逆に言えば国際法を「強制的」に主権国家へと適用するだけの「パワー」を欠くからでもあり、この現状は極めてリアリズム的でさえある。「パワー」が主権国家の「内向き」にも発揮され得るからこそ、その国家の法治が実現するのであり、「国際法」がその強制力を持たないが故にしばしば主権国家の独善により無視され、また都合よく利用される現実もまたそこが一つの大きな要因でもある。
そして、これは裏を返せば一定の成果を挙げているPKO、PKFといった行動が、その「パワー」故に成果を挙げ得たことも例証とすることができよう。
これが意味するところはどういうことか。
一つには、アイディアリズムはその理想を現実へと適用し始めた瞬間、それは現実を基点とするリアリズム的分析を不可避的に受け容れざるを得ず、またリアリズムはその政策を実行へと移すにあたって、ある意味での「現実ではなく漸進的に目指すべき理想」を追求せざるを得ない、と言う点にある。
二つには、アイディアリズムにおいて「戦争なき平和」という概念そのものが、現実に適用した瞬間に「現状固定主義」へと陥りやすい点も挙げることができよう。国際連盟の協調体制が極めて「現状固定主義」的考えであり、その体制下での軍縮条約(というある意味での戦争なき平和への追求)が、その現状固定的であるが故に「持たざる国」の暴発を招いた、という点において、やはりリアリズム的視点の導入は不可避であるようにも思える。「戦争がない」という状況を目指すが故に「現状固定」に成らざるを得なかったことに対して、リアリズムは容易に反駁し得るように思える点は、まさにこの点であるとも言える。
三つには、他ならない協調体制、対談による平和が、ナチスの台頭に対して「小国を大国の犠牲として」成し遂げることを目指し、挙句に破綻したことや、アイディアリズムの基本となる「人、物の交流」や「経済的結びつき」が戦争を回避するという考え方では、大日本帝国の戦争は到底説明できない点も挙げることができるだろう。逆に、裏を返せば、その際に連合国と呼ばれる存在がアイディアリズムを全く考慮せず、多分にリアリズム的覇権体制のみを目指したならば、到底国際連合の成立は見ることができず、またその後の冷戦体制が結果としてリアリズム的要素における平和(と同時にアイディアリズム的第三世界の台頭)を見ることもできなかったであろう。
四つには、ロシアや中国に見られるようなセキュリティマインディットな膨張主義は極めてリアリズム的ではあるのだが、同時にそれを抑止し得るのが「国際世論」といったアイディアリズム的要素を含んでいる(全てとは言えない)点なども挙げることができるだろうし、英仏の中東への介入がアメリカの反対があったとは言え、結果として「国際世論」に屈する形で挫折したことなども挙げられるだろう。同時にこれはイスラエルのように、自国のセキュリティに対して国際世論といったものをある程度「無視」するだけの行動を取る国家に対して、アイディアリズム的国際世論はそれに「パワー」がない限り無力であるといったものも考慮する必要があるだろう。

そもそも現代社会、国際社会において、「どちらかを選択するなら」といった前提がそもそもユートピアニズムであり、アイディアリズムもリアリズムもどちらも不可欠な分析・考察・政策立案のための要素でもある。
その意味において、リアリズム、アイディアリズムのいずれの立場であれ、それは程度の問題であり、「どちらか」という選択を迫るものほど「非現実的」「非論理的」であるという意味においては極めてユートピアニズムと言わざるを得ないだろう。

蛇足ではあるが、このとき日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というアイディアリズムを担保するのが、その公正と信義を担保するためのリアリズムを必要とする、という歴史を思わざるを得ない。日本が戦後戦争に巻き込まれず(朝鮮戦争やベトナム戦争といった間接的関与は別として)、曲がりなりにも「平和国家」を名乗れるのは、他ならないリアリズム的側面がそれを担保し得てこそであった、という現実は、まさに厳然と歴史に刻まれているのである。
それはGDP費で先進国中稀に見る「低軍事費」という「安全保障のジレンマの回避」を元とした周辺国の警戒感の回避と同時に、日米安保というリアリズム的均衡を実現していて「初めて」成り立っていたものであり、決して「憲法九条」というアイディアリズムだけで実現されたものではない。そして同時に、前文や九条というアイディアリズムがあったからこそ、リアリズム的側面があるベトナム戦争や朝鮮戦争に「直接的に参加せずに済ませることができた」という僥倖をも得たのである。
そして、竹島や尖閣諸島における、保守派と称される(自分は認めないが)政治家や団体の、安易に「安全保障のジレンマ」を無視してしまう言説や政策を危惧すると同時に、リアリズムを敵視し軽視するが故に韓国や中国のリアリズム(国権拡張)をも容認してしまうアイディアリスト(とはこれも認めたくないが)のあまりに安直な言動をも危惧するのである。
そして同時にこれはリアリズムとアイディアリズムをうまく包摂することができなかった大日本帝国の過ちや、アイディアリズム的要素を踏まえつつ時にリアリズム的でもあるポストコロニアリズムを否定するものでもないことは明言し、本稿を終えることとする。

2011年まとめ

2011年まとめ
1月
チュニジア・ジャスミン革命/エジプト反体制デモ拡大/イエメン反政府デモ/ヨルダン反政府デモ/アメリカ民主党下院議員への銃撃事件/インド大寒波/オーストラリア大洪水/スリランカ大洪水/韓国口蹄疫発生/世界華人保釣連盟結成/和田勉死去
2月
ムバーラク大統領辞任/ニュージーランド大地震発生/タイ・カンボジア国境紛争/永田洋子死去/ゲイリー・ムーア死去/
3月
東日本大震災発生/国連決議でリビアへの軍事介入容認/エリザベス・テイラー死去
4月
福島第一原発国際評価引き上げ/カストロ前議長共産党第一書記を退任/南北戦争150周年/出崎統死去
5月
ウサーマ・ビンラーディン暗殺/団鬼六死去/中村光毅死去/長門裕之死去
6月
チリ火山噴火/FIFA女子ワールドカップ/川上とも子死去
7月
南スーダン分離独立/ノルウェーオスロテロ事件/スペースシャトル全機退役/小松左京死去/オットー・フォン・ハプスブルク死去/原田芳雄死去
8月
9月
ウォール街占拠デモ
10月
タイ大水害発生/トルコ大地震発生/カダフィ大佐死亡
11月
ギリシャ、パパンドレウ内閣信認/ベルルスコーニ首相辞任/APEC、ASEAN首脳会議/立川談志死去
12月
金正日総書記死去/ロシア下院選/荒木伸吾死去/冬柴鐵三死去/柳宗理死去

2011年こんな本読んだ(今年の10冊)
今年発売の、ではなく再読含めて今年読んだ中でのお勧め本。


「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
改めて戦争を考える際、極東軍事裁判とは何だったのか、の補助線になる一冊。

右に傾くとはどういうことか (1984年)
「右に傾くとはどういうことか」須藤久著
左翼からの転向右翼である同氏の著作。左翼運動の問題点や、同氏が「右翼とは文字を手にすることが出来なかった被差別人民の前衛なのである」と宣言する経緯の一つでもある部落問題なども、現場に身を投じたからこその言葉で描かれている。

「新左翼運動の論点」戦旗社 高山亨著
Amazon取扱なし。1989年の書であるが、前掲書を読んだ後に読むと非常に味わい深い。ある意味では「何故国民的動員ができないのか」という点を如実に表しているとも言えるので、一読の価値あり。

ネオナチ―若き極右リーダーの告白
「ネオナチ 若き極右リーダーの告白」インゴ・エッセルバッハ著、野村志乃婦訳
ネオナチで一員として積極的役割を果たし、またそこから決別を果たした同氏の著。「より正しき世界をめざして闘う理想主義者」であると自認し、「不当で圧倒的な国家暴力の犠牲者」であると思い込み、憎悪と暴力に浸かった同氏が「外国人やパンクスにふるわれる暴力は不当だ」と考え、ネオナチとの決別を果たす。ネオナチ入りから決別までの行動・心情を自らの体験で描いた貴重な書。


「理想郷としての第三帝国」ヨースト・ヘルマント著、識名章喜訳
ドイツ統一期からビスマルク時代を経て第三帝国に至るまでの、未来小説・ユートピア小説などの娯楽小説200点余りから分析されたナチズムが提示したユートピアとは何か(またナチズムがユートピアを必ずしも全面的には容認せず、時に抑圧したそれは何か)を示した書。「現実の社会的な不都合を隠蔽するために「国民国家のアイデンティティ」への渇望を利用したがる政治家に、つけいる隙を与えかねないだろう」という現状分析(ドイツの、だが)を本邦に照らした時、本書の持つ意味合いはグッと重くなるように思える。


「韓国併合」100年を問う 『思想』特集・関係資料 趙景達・李成市・宮嶋博史・和田春樹編
日韓併合100年となった2010年の国際シンポジウム関連で、主に思想関連をまとめたもの。半島そのものだけでなく、関東大震災における、いわゆる「朝鮮人暴動」という誤認・拡散の発生経緯などもまとめられている。史学的側面が中心ではあるが、政治的評価の側面も持つため、読解には十分な留意が必要なものではあるが、実態を資料を基に紐解いているものも多く、参照に値する一冊。


「植民地期朝鮮の歴史教育」国分麻里著
併合時代を中心に、半島における「歴史教育」がどのような実態であったのかをまとめた書。当時の実態を知る上での貴重な書であるだけでなく、現在において「歴史教育はどうあるべきか」を考える上で、非常に参考になる一冊。


「選挙演説の言語学」東照二著
海外の名演説の解説が多い中で、本書は2009年のいわゆる「政権交代選挙」を中心に、誰が何をどのように語ったのか、それはどのような意味を持っていたのか、を「言語学」の分野で分析した書。リポート・トークとラポート・トークの違いを知る上でも読み易い一冊。当然鳩山氏が当時何を語ったか、も収められている。


「原発と原爆 「核」の戦後精神史」川村湊著
広島・長崎への原爆投下から現代に至るまで、様々な作品を引き合いに、その時代に「核」がどう捉えられてきたか、を明らかにした書。ゴジラ、鉄腕アトムから吉本隆明、広瀬隆、さらに風の谷のナウシカからAKIRAまで、引き合いに出される作品・著名人は多いが、簡潔にまとめられている。主に反、または脱原発を標榜する人にこそ読んで欲しい一冊。


「夜の鼓動にふれる 戦争論講義」西谷修著
戦争とは何であるのか、を哲学的考察を中心にまとめたもの。核兵器やアウシュビッツも考察の対象であり、これも今だからこそ再読をお勧めしたい一冊。自分は主として特攻隊論考を書く際に傍照したが、戦争における「死」という点で、靖国神社とは何か、を考える際にも参考になると思われる。

というわけで、2011年のまとめ、でした。
良いお年を。