「史学」と「物語」と「騙り」と「歴史」を巡って

Mukke氏のところに久しぶりにコメントを残したところ、示唆的なレスを頂いたのでお返事。
「逆右翼」と反中主義者たちをめぐって――梶ピエール氏への応答(元エントリ)

「イデオロギーフリーな学知は存在しないわけで,問題はそのイデオロギーがどのように用いられているかなんじゃないかなーとは。イデオロギー的に偏ってはいるけれども独創的で堅実な実証研究と「イデオロギーフリー」なクソ研究だったら前者の方が遙かにマシなわけで。」(Mukke氏レスより抜粋)

これについてはベルンハイムをわざわざ引用した理由を特段書かなかったので、この示唆自体は興味深いお返事でした。
ベルンハイムの「歴史とは何ぞや」(以下断りない限り岩波文庫1976年版第36刷を参照)の第一章第一節において“「史学」における意義で用いれば”から始まる一節における“ギリシア語から出た外国語Historieで、この語はもともと「探求獲得した知識」を意味するが”(同書P.19)からの抜粋簡略な引用として「史学=ヒストリエは探求獲得した知識」という表現を用いたわけですが、ベルンハイムはそのよく批判されるところの「史料操作」(これは史料分類や精査といったテクニカル=技術的手法を意味するので、誤解なきよう)についてに多くを割き、その批判も「史料批判」としてのみ捉えているのに対して、セーニョボスが「歴史的理解のすべてが批判的に貫かれなければならぬ」(同書P.267訳者解説より)とそれを批判し、また「ベルンハイムの方法論の欠陥は、その叙述の大部分が史料操作の技術論にあてられ、歴史理論にかんしては、最初の部分に歴史哲学の諸類型がごく簡単に羅列・紹介されているにすぎず、しかもそれが技術論との必然的な連関において論じられていない」(同書P.270)と指摘されている、まさにその「欠陥」こそが「歴史学」における基礎となり、歴史哲学はその基礎の「上」に築かれる、という意味合いにおいて、所謂最近一般に言われるところの「歴史認識」がMukke氏の指摘の通り「イデオロギーフリー」ではなく、歴史認識が「歴史哲学」において争われる(か最早歴史とは関係ないイデオロギー政争の具に供されるに至る)場として現出した時、むしろセーニョボスが批判するところの「ベルンハイムは方法論ばかりではないか」というその焦点こそが、立ち返るべき起点となるだろう、と考えるのです。
史観がイデオロギーフリーでは有り得ない、という点においては同意するわけですが、その史観の根本の基礎となるべきテクニカルな部分を十分に備えていなければ、その史観はすなわちイデオロギーが「先に立つ」ことにはなりはしないでしょうか。
ベルンハイムは史料そのものの信頼性から内容についての信頼性、果ては「史料の属する時代と場所すなわち環境全体の諸影響を考慮する」(同書P.200)ことまで求めて史料の精査を行うべきとし、また「政党の間では、たとえばある階級または党派の一員の犯した道徳上の過失を摘発すると、この過失がただちに当該階級または党派の道徳的素質全体を表すものであるかのように主張する類のことがある。歴史家こそそういうふうにしてはならない。」(同書P.235~236)と指摘しています。
唯物史観に留まらず、自虐史観(東京裁判史観)だろうがなんだろうが、その史観がそれらのベルンハイムの求めるそれによる批判に十分に耐えられるものであれば、それはそれで一定の価値もありましょう。その点において「実証」の重要性は言うまでもなく、それは党派の如何を問わずに求められるだろう、という点では、Mukke氏の言うところの「「公正さ」という,多少なりとも普遍性を訴えることのできる基準」(同エントリ)という部分に合致するのではないか、と考えます(当該引用が本論と異なる趣旨においての記載であることは理解しております)。
同書の第三章第二節が史学ではなく「史料学」と題され、本書でもっとも多くの副題が配されていることもまた多く批判されるところではありますが、それこそが「公正さ」を担保するものでもあるでしょう。
逆に言えば、エントリ本論(または当該エントリの大本のエントリや引用元)における「逆右翼」(または「逆左翼」)において、歴史とはしばしばベルンハイムの言う史料学的要素(本来は史学の基礎となるべきテクニカルな部分)について無視するか逸脱するか不十分というにも及ばない程度のものである、という指摘は、場合によっては可能でしょう。「歴史の真実」といった類の「宣伝文句」が多くの場合碌な検証もされず史料根拠さえ怪しい代物であることが、それを雄弁に物語っているとさえ感じることもあります。
 
たとえば、ここに「歴史教科書への疑問」(H9/展転社刊/日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編)があります。ここの「慰安婦・教科書問題」と題された末部における各議員のコメント(安倍晋三、衛藤晟一、自見庄三郎、下村博文、菅義偉、高市早苗、中川昭一、中山成彬、平沢勝栄など「錚々たる」諸氏のコメント)が載っているわけですが、どのコメントも総じて「誇り」だの「君が代」だの「左翼教師」だの、イデオロギー満載なわけですが(朝日の例の慰安婦報道の妥当性や吉田清治の著述の妥当性への批判については、当然になされるべくしてなされている批判があるとしても)、また「教育」というのが極めてイデオロギーや統治の問題と密接であればこそ、歴史観というよりは歴史哲学というべきかもしれませんが、そういった視点は常にベルンハイム的批判にされされ、検証されなければならないと考えます。そこに立脚しなければ、歴史とイデオロギーは転倒するからです。イデオロギーの為に歴史を求める、それこそが「逆右翼」しかり「逆左翼」しかり、批判されねばならない点でもありましょう。
その点において、自分が注目している與那覇潤氏が「日本の起源」(太田出版)や「日本人はなぜ存在するのか」(集英社インターナショナル)などの著述において、しばしば歴史を語りながら、それが同時にそれを後者の著述を借りれば「「日本人」をローコンテクスト化する」というイントロダクション部分における表記の有り様は、実際に「語られている」歴史に対する史料面からの「批判」ないしは「再構築」という点でセーニョボス的要素もあり、同時にその依拠する史料の同時代における背景に注意深く配慮しつつ持ち出す点ではベルンハイム的要素もある、とは思います。
ごく一般論として、権威・権力、またはそれの正統性を担保するための歴史「叙述」に対して、逆張りしておけば良し、とするいわゆる「逆右翼」の「語る歴史」と、それに対する反動とも言える「左翼」に逆張りしておけば良し、とするいわゆる「逆左翼」の「語る歴史」というのは、セーニョボス的要素もベルンハイム的要素も、そのどちらも大きく欠落し、その上でイデオロギーが先に立つ、という点において(“反”というのがいかに皮相的立ち位置であるとしても)、それは「史学」「史料学」の文脈においては、それは「歴史」を扱っているのではなく「道具」としている、と指摘するのが妥当と考えます。
神話が神話として、「文化」の文脈で重要な諸要素の一つであることはそれとして、それは「神話」であることそれ自体が持つ「文化」としての意味合いであって、必ずしも「史学」においてはその神話記述が「真実性」を有していなかったとしても、それが同時代に、また研究対象となる時代に、あるいは現代において果たしている「史学上の役割」として決して意味がないことでも価値がないことでもないでしょう。一方でそれがイデオロギーの「装置」としての役割を求められ、それに供された時、それは「史学」ではなく装置としての「歴史」としての意味しか有さなくなります。この時、それはベルンハイムの言うところの「物語風歴史」(冒険譚や民族伝承、あるいは宗教的物語といったそれ)でさえなく、「物語られる歴史」という史学から一歩離れたところにならざるを得なくなると考えます。
統治という行為がすなわち政治であり、政治というそれがイデオロギーと無縁では有り得ず、イデオロギーにおいて歴史の作用というのは寧ろ「重要」でさえあるわけですが、そこから「史学」「史料学」的営為を学問的側面としてすっかり取り払ってしまった場合、それはしばしば「物語られる」どころか「物騙られる歴史」になるわけです。最近も「江戸しぐさ」などといった、まったくもって史料根拠がないそれがあたかも「歴史」であったかのように騙られているわけですが、これもまた相似形を成す一つの立ち現れのようには思います。そしてそれらは「物語られる歴史」ではあるかもしれませんが、決して「史学」では有り得ない(もしくは批判に耐えるどころか批判するまでもないレベルであることも多い)代物でもあるわけです。
一周回ってベルンハイムに戻って参りましたが、「イデオロギーとは無縁の歴史哲学がある」とは自分も考えませんが、同時に「歴史哲学に先立つべき史学的技術があるだろう」という意味において、多くの欠陥を指摘されていることを承知の上でなお、「多少なり普遍性を持つ」という意味において、與那覇氏の指摘するところの「ローコンテクスト化」の必要性(これは「歴史」ではなく「教養」としての有り様に関する概念的一般論的記述でもありますが、同時に著述が「日本人はなぜ存在するのか」であることで自明のように「歴史」とは不可分の指摘でもある)とは、ベルンハイム的技術手法としての普遍性を担保すべきものは「どうあるべきか」に対する指摘と理解すべきと考えます。
そして、それは同時に「どのような立場であれ党派であれ歴史を語る、それを史学的文脈のように装う」場合においては、それこそ「普遍性の担保のために」こそ求められる、「誠実さの態度」であるように考える次第です。
その意味では「そんな奴と手を組むな」や「こいつと手を組め」というのは「史学的誠実さ、普遍性」の問題ではなく「政治的戦略、妥当性」の問題として捉えるべきと考えますので、エントリ自体の内容には本論としては踏み込んでいない点、ご容赦のほど。

P.S.もっとも「歴史修正主義」のように、政治的文脈においては一定の党派性を指し示す用語であり、同時に史学的文脈においてはむしろ「定見」とされる歴史理解(または学術成果)に対する別見解・新史料による修正を図る意味で用いるような用語もあるため、こと史学と政治というのは厄介な代物であります。本稿に引用しているベルンハイムの同書がもともと1905年に書かれたものであるにも関わらず、追補としてわざわざ1933年のナチスの掲げる民族史観について補足を加えているなど、同氏もまた「歴史哲学」という点においては、政治の文脈から必ずしも無縁であったわけではない点、難しい問題ではありますが(同氏は1942年に逝去しているわけですが、敗戦を迎えた際にその追補とどのように向き合ったのだろうか、と考えると、いささか興味深くもあり、残念でもあります)。

参考・引用文献

「歴史とは何ぞや」ベルンハイム著/1966/岩波文庫

「歴史教科書への疑問」日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編/1997/展転社

「日本の起源」東島誠、與那覇潤著/2013/atプラス叢書05

「日本人はなぜ存在するのか」與那覇潤著/2013/知のトレッキング叢書

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