セクシャリティを巡る情報と適切さの問題 ~成宮氏からマクドナルドCMまで~

 少し気が重たいのだが、久しぶりに記事を書いておくことにする。

 ここのところセクシャリティ関係の話題が立て続けに出ている。
アッコ 成宮の芸能界引退に釈然とせず「自筆で書いたってことは…」
元フィギュア村主がヌードになったワケ 極貧生活をTV告白
ホリエモン“新恋人”はカリスマ「女装男子」
マクドナルドがキャンペーン動画削除「罰ゲームは男性同士のキス」に疑問の声

 まことにウンザリするような情報量であるが、これは全て今月に入ってからの情報だ。

最初の記事は成宮氏の引退に関するものだが、薬物疑惑についてはここでは触れないことにする。とはいえ

「この仕事をする上で人には絶対知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまい」と記載されていることについても言及。「今は(世の中の人は)気にしないんじゃないか。そんなことで事務所、芸能界をやめるのは…」と不思議そうに語った。

 という部分はやはり引っ掛かる。過去まったく否定され問答無用で病理や社会悪扱いだった時代と比べれば、セクシャリティ関連については確かに受け入れられつつあるようには思う。しかし、「他者が暴く」ことと「自身で公言する」こととは、天と地ほどの差がある。「気にしない」かどうかという点については、その人の置かれた環境で判断するしかない。身近な周囲に理解が無ければ真っ先にその一番身近なコミュニティから排除されるのだし、セクシャルマイノリティにとって最大の課題は自身の身内の無理解であることがしばしばだ。本人が知られたくない(クローゼットでいたい)と求めるプライバシーに対して、「別に大したことではない」かのように扱える性質の情報ではないはずだ。この発言は一見理解あるように受け取れそうだが、実際のところは無神経の極致でしかない。「そんなこと」どころか「自身の最もクリティカル」な場合でさえあるというのは、推測でもなんでもなく現実でしかない。 

 次の村主氏の記事についてはこのように書かれている。

恋愛の話になり、男性と付き合ったのは大学1年の頃だけで、それ以降は無いと語った。レズビアン疑惑があることを問われると、「別に相手が女性だからダメということは全然ないです」と認めた。(中略)こうした番組内容にネット上では、「好きだったのに何があったんだよ…」「落ちぶれすぎやろ」「この人は引き際を完全に誤った」などといった驚きが広がった。

 相変わらず異性交際の話が出てこないと「疑惑」として同性愛が扱われるメディアの無神経さは今更驚くには値しない。そこに続けて書かれている拾われたネットのコメントが、このセクシャリティ関係に対して向けられたものなのか、それともそれ以前の部分で言及されている貧しい生活を指しているのか、或は仕事としてヌード撮影等を引き受けていることを指しているのかは判然としない部分ではある。とはいえ、成宮氏の引退に関して「ゲイであることが分かればイメージダウンになるのは当然」といったコメントが付されている点を考慮すれば、まったくセクシャリティの部分と無関係にこれらのコメントが出ているとも思えない。全部とは言わないが一部はセクシャリティの部分に向けられているように思われる。
 
 その次の堀江氏の記事では以下のやりとりが記載されている。

――堀江さんとはどのような関係ですか?
「曖昧な関係というか……。この前会ったときは、彼も好意を示してくれました」
――男性同士の愛情ということですか?
「同性でも愛情はあります。そこでセックス出来るか、出来ないかの違いだと思います」
――ホテルに入って行かれましたが、セックスはしているのですか?
「……そうですね」

 異性関係であれば、相手が回答している内容に対してわざわざ「セックスはしているのですか?」という念押しの質問が出たかは疑問も残る。もしかしたら「男女の関係だということですか?」という質問になったのかもしれない。とはいえ、そこで念押しせずともその前段の回答でほぼ答えは出ているのに、わざわざセックスしているのかどうかをダメ押しして聞くことにさほど意味があるとは思えない。また、成宮氏の件では異議を唱えている人の一部は、堀江氏のこちらの情報に関しては寧ろ楽しんでいたように感じられる(或は堀江氏の時には好奇の目で言及し、成宮氏の時には言及しないといったようなケースもあるだろう)。堀江氏は以前から性やセックスに関してはおおらかな印象があるが、セックスしたかしていなかを露悪的に聞いてくるような記者や媒体からの電話が名乗った瞬間に切られるのは、当然といえば当然でもあろう。「人のセックスを笑うな」である。同タイトルの作品は男女関係を描いているが、作者自身はこのタイトルを「同性愛の本の棚の前でクスクス笑っている人を見たときに思ったことばである」と述べている。
 
 最後のマクドナルドのCMの件での反応もいささか気になるものであった。いろいろな批判はあるが、「同性同士のキスを罰ゲームとして表現している」ことが問題かと言うと、私は少し違う印象を受けている。そもそもこのCMに出てくるカズレーサー氏はバイセクシャルであることを公言しているので、それを知っている人にとっては同性同士であることそれ自体は大きな問題ではないかもしれない。

諸外国のCMのように、LGBTはとにかくポジティブ!素晴らしい!なんていうCMは今の日本には似合わないし受けいれられないとは思います。しかし、情報発信の最先端である広告業界であれば、「この演出は、知らないところで誰かを傷つけるかもしれない」ということを敏感に察知してもらいたかったと思います。

とコメントされているが、これは至ってポリティカルコレクトネスに配慮されたコメントである。しかし、このCMは本当にそこが問題なのだろうか?殊更に同性同士を表現したものであることからLGBTに関連させた言及ばかりがされている。

ゲームに負けたナゲッツは突如「罰ゲーム」を受けることになり、両脇を漫才コンビ、メイプル超合金の安藤なつさんに羽交い締めにされる。そして、安藤さんの相方のカズレーザーさんがナゲッツの頬にキスをし、その写真が撮影されるという内容になっている。

 そもそもこの問題は「突如」の罰ゲームとして「羽交い絞め」にして「キスをし、その写真が撮影される」という点ではないだろうか。同性だろうが異性だろうが、不意打ち的に嫌がる相手に無理矢理キスをするというのは、どちらかと言えばセクハラや強制猥褻の類の話である。つまるところ、同性同士であろうが異性であろうが、罰ゲームとしてこういった行為を「相手が嫌がっている」表現の下で行うことを気軽に奨めてしまうような表現になってしまっていることの方が問題ではないだろうか。同性での表現だったためにそこばかりがクローズアップされているが、「嫌がる相手に無理矢理そういった行為を行う」ということそれ自体が問題の本質であるように思われてならない。

 セクシャルマイノリティの置かれている立場は決して強いものではないが、同時に私自身は「政治的に正しいセクシャルマイノリティ」のようなものも「イロモノとしてのセクシャルマイノリティ」と同様にどうでも良いとも考えている。異性であれ同性であれ、人間関係でしかない以上、個人個人に落とし込まれればさして大きな違いはない。特にマクドナルドのCMでは、これが異性間でのそれであったら批難されたろうか?されなかったのではないだろうか?公平さ、公正さと特権化とは異なるはずだ。これは異性間の表現であったとしても、やはり相応に批難されるべき性質は含んでいたように思えてならない。

 性を巡る表現や、それがどのように扱われるべきかは、デリケートな問題である反面、モラルの問題については特にその属性の種類によって批判される基準がしばしば異なり、それが妥当であるかのように自明視されることさえある。難しい問題ではある。言及される個人の問題、当事者としての属性集団としての問題、個の全集合としての社会の問題、様々な側面があり、「知らないところで知らない誰かが傷つくかもしれない」といった曖昧な話でまとめてしまっては、結局「誰も傷つかないようにあたりさわりなく、社会・道徳・倫理的に正しいとされる表現」だけしか残らなくなってしまう。報道と表現とでの差異は当然にあるとしても、性表現を巡る「正しさ」の問題を考えた時に、この問題はそう簡単には答えは出ないだろう。BL=差別表現だと言う人もいれば、何かある度に異性愛規範の押し付けのように感じられるような様々な「多数にとっての当たり前」の表現もあり、またあれも差別これも差別とやっていって挙句に「正しい少数者」や「保護されるべき少数者」という、逆説的には「そうではない少数者」を区別していくような論考もまた数多存在する。
 
 性を巡る表現、報道の問題は、異性愛・同性愛・両性愛に関係なく、多義的問題を孕んでいる。下劣な情報に下劣だと憤ることは容易いし、成宮氏のように人生そのものを壊されてしまうケースさえある。最善という選択は無いとしても、常によりマシな社会であるためには適切な批判と適切な許容が必要であるようには思う。そしてその適切さの線引きこそ、社会における倫理規範という極めて厄介な代物と対峙することを余儀なくされることでもある。個人個人が尊重され、また自身の意思によってその生き方を決めていくためにも、この問題は恐らく継続的永続的に考えていかなければならない問題でもあるのだろう。

 まとまりもなくとりとめない文章を書いてしまっているが、ここのところあまりに立て続けにこの種の話題が氾濫し、またそれに対して様々な意見が交わされているのを見て、思いつくままに書いているので、結論らしき結論もないことはご容赦頂きたい。

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