時代に合わない企業なんて早く潰れて欲しい

 エイベックス松浦氏が労基署の是正勧告に対して挑戦状と言うべき性質のことを公言しているようだ。

労働基準法 是正勧告とは

 少なくとも是正勧告に対する報道を見る限り、「残業代を適正に払っていない、実労働時間を管理していないなどの指摘を9日に受けた。」とのことなので、そもそもまともに労務管理を行っていたのかも怪しい限りではある。エイベックス、長時間労働で労基署が是正勧告

 松浦氏の公言している内容を読む限り「望まない長時間労働を抑制する事はもちろん大事だ。」との意識はあるらしいのだが、そもそも「実労働時間を管理していない」と指摘されている状態で「長時間労働を抑制する」ような措置がどこまで取られていたのか疑問が残る。
 加えて、「労働基準監督署は昔の法律のまま、今の働き方を無視する様な取り締まりを行っていると言わざるを得ない。」とも公言しているが、そもそも「残業代を適正に払っていない」ということは、取り締まり以前にそもそも現在の法制をまともに守ってさえいないのだ。五十歩百歩譲って「36協定があってもそれへ残業上限のキャップをかけよう」とする現在の労働法制関連の改定への方向性を批判するならまだ解る。しかし、それであってもそもそも労働基準法では法定労働時間を超える範囲について割増して賃金を支払うことを規定している(労働基準法第37条)。労働時間の管理がそもそも出来ていないようであれば、同法の定める深夜業務の割増賃金の規定も守られていたかどうか怪しいところである。
 少なくとも様々な情報を勘案すると、同社が多少なり労務環境の改善に努めつつあったことは理解できる(真偽の程は社員や元社員の様々なクチコミの信頼の度合に拠るだろうが、悪化する一方だった訳ではないようだ。スタート地点がマイナス過ぎたかどうかは別であるが)。
 とはいえ、だ。

病院で働いている人は労働時間と治療とどちらを優先するべきか。美容師の人達、学校の先生、、、自分の夢を持ってその業界に好きで入った人たちは好きで働いているのに仕事を切り上げて帰らなければならないようなことになる。

 そもそも病院の特に看護業務等は過重労働が問題視されている業種の一つではあるし、美容師も薄給と過重労働が横行している業種の一つでもある(だから美容師は皆独立して自身の店を構えるか体を壊して退職を余儀なくされる事例が少なくない)。教師に至っては雑務の多さ等でそもそもその労務環境が問題視されている最たるものであるし、松浦氏が他に例示している官公庁も同様だ。中央官庁の国会会期中の対応に伴う深夜問わずの環境はそもそも問題視されざるを得ない問題でもある。

望まない長時間労働を抑制する事はもちろん大事だ。ただ、好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない。好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。僕らの業界はそういう人の「夢中」から世の中を感動させるものが生まれる。それを否定して欲しくない。

 実労働時間の管理も出来ていない状態で抑制も何も無いし、そもそも超過労働時間に対して適正な残業に伴う賃金清算をしていないことが指摘されているのだから、論外でしかない。私も経験上クリエイティブに関わる人達の、時として尊敬にさえ値する集中力や心身を消耗しつつ物凄い物事をやってしまう才能などは理解も出来るつもりではいる(実際そういう人はいるのだし、事実その通りなのだから)。しかし、そういった人に対して労務管理をしなくて良いかと言えばそんなことは無い。雇用関係とは契約であり、契約は法に則って行われるものである。尾ひれがついて悪評になっていると言うのであれば、そもそも最低限「法を守っていれば是正勧告など受けずに済んだ」のであり、その上で裁量労働等の対象について苦言なり諫言なりを呈するなら話を聞く道理もあるかもしれない。

好きで仕事をやっている人の制限をし、日本企業の海外競争力を弱める事にもつながる。

などと書いているが、至極当たり前の話として、「その国の法律を破らない」というのは当然であり、だからこそ様々な企業が真っ先にやることと言えば進出先の国の法規制や場合によっては宗教文化や慣習等の調査なのであって、それが出来ない企業は進出に失敗する(実際小売業の他国への進出は日本で通用したやり方をやろうとして失敗し、日本へ入ってこようとした小売業も同様の理由で失敗している)。

 多様性という言葉がいたくお気に入りのようだが、多様性とは無理や無茶或は少なくとも現行法上の法制を破る理由にはならないのであって、以下は論外と言う外にない。

今はとにかく矛盾だらけだ。
僕の法律知識なんて乏しいから間違っていることを書いているかもしれない。しかし、納得できないことに納得するつもりはない。
戦うべき時は相手が誰であろうと僕らは戦う。それが僕らの業界とこの国の未来のためだと思うからだ。

 間違っていることを書いている以前にそもそも「違法行為」として是正勧告を受けている状態で、よくこのようなことを書けたものである。私も現行の様々な法体制や法規制に様々な疑問や問題を提起することに吝かではないが、同時に「納得できなから破って構わない」という話では済まないのが法律である。戦うべき時は相手が誰であろうと戦うのは大いに結構だろう。法律も万全十全ではないし、時代に合わないものもあるだろう。しかし、そもそもそれを私企業の、株主の胸算用で破って開き直って良いということには、当然ならないのだ。

僕らの仕事は自己実現や社会貢献みたいな目標を持って好きで働いている人が多い。だから本人は意識してなくても世の中から見ると忙しく働いている人がいるのは事実。

 自己実現や社会貢献といった言葉はしばしば「違法行為」を正当化する際に多用される言葉だ。体罰から洗脳紛いの研修まで、自己実現だの自己啓発だのという言葉で虚飾されてきた。社会貢献という言葉に至っては論外だ。企業は従業員の雇用と生活、それらを契約と法の範囲において守らなければならず、従業員は紛れも無いステークホルダーでもある。企業が社会における重要な位置付けである以上(少なくとも資本主義社会においては非常に重要であろう)、適切な契約の清算(法の下における労働契約上の履行義務)を怠っていたことについて、そういった美辞麗句を駆使して開き直る言動が許されるべきか否か。自ずと明らかだ。

会社の中にすぐ利用できる病院を作ったり、定期的にメンタルチェックをしたり、時間に限らない社員の労働環境をそれなりに考えてきたつもりだ。

 これらは何等の免罪符にならないし、メンタルチェックに至ってはそもそも法でそのように規定されていることでもあるので、胸を張る要素でさえない。ストレスチェックはそもそも従業員50人以上の企業には義務付けられたのだ(H27以降労働安全衛生法改定、施行)。法で定められた「最低限」について、考えるも何も無いのであって、たとえそれが法の義務規定に先駆けて実施したことであったとしても、それが義務になっただけのことであって、それ以上でも以下でもない。

 労基法違反の摘発は、昨今電通を始め大手企業で相次いでいる。それが見せしめ的意味合いがあることを否定は出来ないであろう。しかしながら、

是正勧告を受けたほぼ全ての企業の名前を世の中の人が知ることはないけど、ごく一部の目立つ企業だけは何故か見せしめのような報道をされること。

 に対して苦言を呈するのであれば、そもそも日本の企業の大半は名も知れない中小企業であり、恐らくほぼ間違いなくエイベックスという企業のビジネスを支える提携先や業務委託先或は様々な、それこそライブなどで販売するグッズ制作を請け負う企業やイベント時にアルバイトスタッフを手配する企業などは、名も知られず報道価値の無い企業であろう。それらの企業が仮に公表されたとして、ではそれらの状況を鑑みて「取引条件を改善します」などと言うだろうか。残念ながらそんなことは無い。現実を盾に取るなら、せいぜい株主の手前そういった企業に皺寄せした挙句に公表されたら取引を打ち切る程度で済ませるだろう。そのことに想像も推測も要しない。しかし同時に、そういった企業はそもそも何かを成し遂げたとしても、報道もされず名も知られず、目立つところは全て「名の知れた」企業が持って行くのだ。例えばエイベックスが関与するライブイベントに関与する企業の名を列挙したところで、大半は「何処それ?」という話にしかならない。報道で取り上げられるのは「何処それ?」でなくエイベックスというブランドである。そもそもメディアの使い方、その効果を最大に活かしてきたのがエイベックスという企業そのものではないか。「誤った時だけ報道されるのは不公平だ」というのであれば、そもそもその不公平さを最大に利用してきた企業の一つが他ならないエイベックスであろう。
 同社と契約関係の浜崎あゆみの動向一つが株価の上下に影響し、もっと言えば松浦氏自身がエイベックスという企業の株価の動向に大きな影響を与えてきた。名も知らない町工場が是正勧告を受けることと、どれほどの違いがあるか、身を以て知ってるはずであるし、そこを気にしたこともなければ知りもしなかったというのであれば、論外という外ない。2004年の一連の騒動を皆忘れていると思ったら甚だしい勘違いでしかない。

この状況を見ていると、今検討されている高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の範囲拡大案が多様性にきちんと対応できて使いやすい制度になるかも甚だ心配だ。

 私も極めて心配である。このように開き直った挙句に法を守ることを意識もせず、破った挙句に自身の考えと法が合わないからという理由で「法律で決められた時間しか働けなくなる可能性があるようだ。」とそもそも「最低限」として設定されている労基法の規定を欠片も遵守する建前さえ放棄している企業が跋扈することは憂慮に値するだろう。「使いやすい制度」は「手前勝手に都合の良い制度」を意味しないことは、労働法制に限らず当然のことでしかない。

僕らのやってきた事おかまいなしに一気にブラック企業扱いだ。

 法を守る気が欠片も無く実際に守ってもいない企業がそう呼ばれることについて、ここまで開き直ることを是とするほど、社会も法も甘くはない。そもそも横紙破りをやっておいて、「やってきた事」とは何か。目に余る違法行為そのものではないか、やってきた事が。
 時代は国を挙げて、賃上げ、労働生産性向上、余暇の確保と消費である。だからこそ労使協定があっても残業の上限を設けようとしているのであって、過労死ラインの残業時間が明示され、「健康と労働」のバランスを取ろうとしているのだ。過去大目に見られてきたかもしれない脱法違法の類が摘発されたとして、それは適法化の過程であって、間違っても「法を破る企業のために法を変える」ことではない。

75%以上が何かしらの違反とみなされている状況。

 確かに憂慮に値するし実情の酷さに値する事実であろう。それは「法が時代に合っていない」のではない。そもそも「法を守ってさえいない」企業の多さに対して、である。労働基準法はあくまで「最低限」の基準である。ここまで守られていない事実は、いかに酷かった現実が横行していたかを示すことでしかない。労働安全衛生法や労働契約法然りである。「海外競争力」という理由で国内法の最低限をも遵守する気が欠片もないのであれば、そもそも海外に進出して堂々とその国の法を破り、堂々と「法がおかしい」と主張すると良いだろう。恐らく日本の労働法制よりも重い懲罰が飛んでくるであろう。残念ながら日本の労働法制は「破ったところで大して重い懲罰にならない」程度の量刑であって、営業停止処分などそうそう下りないし、その穴埋めを「社会的制裁」とやらで埋め合わせているに過ぎない。
 その点についてだけは、松浦氏に同情もする。そもそも社会的制裁やら報道量に拠らず、懲罰をもっと重くし実態に対して有効なものとすべきなのだから。そこまで法整備が進めば、「法で定める以上の社会的制裁は不当だ」という主張は首肯もしよう。

 まったく個人的見解としては、僅か10日ほど前に「真摯に受け止め、社内調査を含め是正に着手している」とステートメントを出していた関連部署は今頃大層頭を抱えた挙句に善後策の奔走に「より大きな業務負担」を背負わされているであろうことが想像できる点であろうか。広報担当は胃に穴が開くかもしれないし、コールセンターやその窓口は自身に責の無いクレームや罵倒の嵐に晒されるかもしれないし、イベントやライブ担当者は施設利用のキャンセルのリスクを勝手に負わされることになるかもしれず、株主や出資・融資元は今後の価値毀損に対しての試算をせなばならなくなるかもしれない。巻き込まれた人には同情もしよう。

 いずれにしろ、

戦うべき時は相手が誰であろうと僕らは戦う。それが僕らの業界とこの国の未来のためだと思うからだ。

 この点は同感である。労働者の権利と従業員の得るべき報酬、そして現時点で有効であるところの労働関連法制の履行に奔走しているであろう労基署の職員にとって、業界と国の未来のために、戦うべき相手は自明過ぎる。

時代に合わない企業なんて早く潰れて欲しい」への3件のフィードバック

  1. 内容はもっともだけど「そもそも」多用で文に違和感。

  2. エリチカ

     おっしゃる通りです。「俺たちはすばらしい価値を生みだしてきたんだ!それを邪魔する法律が悪いんだ!すばらしい価値を生み出す俺たちをブラック企業呼ばわりする社会が理不尽なんだ!」と叫ぶ松浦氏と同様のメンタリティをお持ちの企業経営者は、日本にはけっこう多いような気がします。だから、労働基準法に限らず、日本の労働法制はロクに守られない。
     以前、渡邉美樹氏が「ワタミはブラック企業じゃない!」と言っていましたが、松浦氏もあれと似たようなメンタリティです。こういうのって、割と根が深いと思います。内田良氏の『ブラック部活動―子どもと先生の苦しみに向き合う』(東洋館出版社、2017年)によると、1980年代後半あたりから旧日本陸軍の内務班を思わせるような際限なき部活動のブラック化が進み、現在では、日本全国津々浦々の小・中・高で半ば徴兵制のような半強制的な不条理が行われている、と。
     ブラック部活動を推進する学校内外の当事者たちは、松浦氏が掲げるロジックと同型の、「勝つことはすばらしい!勝つために無茶苦茶努力して成長するのはすばらしい!」という疑似宗教的な信念で正当化し、批判や異論を封殺する傾向がある、と内田氏は指摘しています。
     日本の公教育が挙げてブラック的メンタリティを教職員、子どもやその保護者たちに植え付けているのだから、ワーク・ライフバランスとか公正な働き方などという概念が社会的に育つはずはありません。

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