カテゴリー別アーカイブ: 保守・革新(左派)

自由を憎む存在を自由を以て包囲せよ

 さて、記事化して欲しい、との要望も頂いたため、以下にまとめ直すとする。
 
 まず基本的前提与件として、対象としたものは大きく分けて二つある。「思想・良心の自由」と「集会・結社・出版の自由」という二つの自由権である。前者と後者は、基本的には不可分であるが、日本国憲法においてはいくつかの条項に個別に記述されている。もっと手前のところに「生存権」といったものが存在するが、いわゆる市民的権利=Civil Rightsと普遍的権利=Human Rightsの間の行き来をした議論になることはある。しかしここでその定義付けの線引きはしない。そういう概念がある、ということだけ念頭に置いておいて貰えれば良い。
 プログラム説とプロセス説の違いも無いわけではない。イギリスのいわゆる「権利の章典」では「合法的に,余すところなく,自由な仕方でこの王国の人民のすべての身分を代表する,ウエストミンスターに集まりたる聖俗貴顕ならびに庶民は」との書き出しで始まるように、そこに「身分」が存在することを前提とし、また貴族・王族や聖職者・庶民といった様々な諸集合に対して「聖俗貴顕ならびに庶民はそれぞれの選挙の書状に従い,今余すところなく自由にこの国民を代表するものとして集い,先に述べられた目的を達成するための最善の手段をこの上なく真剣に考慮し,まず(その父祖たちが同様な場合に通例なしたように)古来からの権利と自由を擁護し,主張するために宣言する」とあるように、全ての身分乃至代表が結果として権利と自由を享受することが「それぞれが自由であることで同時に全体の自由である」へと繋げられる。それに対してフランス革命にあるそれは、所謂「天賦人権論」とされるそれで、1791年憲法の前文に「国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。」と書かれているように、イギリスの実定法的諸身分のそれぞれの権利と自由ではなく、市民として、或は人としてそれだけで所与にある自然権として、人の権利が規定された。アメリカでは元々がイギリス的法が運用されていたところに独立戦争を展開した経緯もあり、実定法的性格が強いものであるが、同時にフランス的所与の自然権的意味合いも無いわけではない。どちらかといえば実定法的自由権を自然権として規定し直した、と言うべきかもしれない。
 しばしば本邦では自由に「権利」ばかりを主張するので社会が乱れる、自由は公の為に制限される「必要」がある、という主張が為されることがある。しかし、日本国憲法に照らせば、そのような議論は現在の憲法の規定とは大きく異なる議論であるように思える。そもそも、憲法十九条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という短い表現の中には様々なものが問われるものの、一般には「内心の自由」と呼ばれるものである。どのような思想・良心を抱こうが、それを裁くことはできず、これは絶対的に国家の介入を許さない条項として捉えるべきである。そして、それは特定の思想・良心を「強制されない」自由であると同時に、「表明する」自由が要請される。前者は十九条に規定の通りであるが、後者は別にいくつかの条項に分解されている。二十一条一項の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」及び二項の「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」或は二十三条の「学問の自由は、これを保障する。」等である。
 実際、法運用上もこの基本原則は平等に保障されていることを前提として、この憲法条項の抽象概念を民法や条例運用に適用させてきている。例えば、集会等の届出制度を見てみよう。東京都の「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」では、第三条に「公安委員会は、前条の規定による申請があつたときは、集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない。」と記載されている通り、直接且つ喫緊の危害が予測されない明白にそれと認められない限り、基本的に「許可しなければならない」のであって、それに対して制約を課す場合も、同条の一~六の規定の通り、最大限に必要条件を付す場合でも「場所又は日時」の変更を24時間前までに通告する必要があり、その場合でもその「主張」や「思想」ではなく、あくまで「暴動リスク」や、或は集会所となる場所の「職員の安全への懸念」等が理由とされる。主張・思想ではなく「行為結果が明白に直接危険を及ぼす」と予見される場合のみ、である。もちろんこれは基本原則であって、時にグレーなものが存在することはあるが、あくまでその対象は「直接的喫緊の危害」であり、その状態は明らかに現行法に抵触することをも意味する。そもそもこの集会届自体が問題視されることはあり、憲法訴訟対象にもなったことはあるが、基本的に届出に不備がない限り、そのような具体的喫緊の事態が明瞭にそれとして把握された場合、に限りそれへの制限が認められているものであり、間違っても「思想」そのものではない。都の条例でわざわざ「この条例の各規定は、第一条に定める集会、集団行進又は集団示威運動以外に集会を行う権利を禁止し、若しくは制限し、又は集会、政治運動を監督し若しくはプラカード、出版物その他の文書図画を検閲する権限を公安委員会、警察職員又はその他の都吏員、区、市、町、村の吏員若しくは職員に与えるものと解釈してはならない。」とまで記載されているのは、当該条例が個別の思想等を理由として憲法の保障する十九条や二十一条の原則に抵触しないためである。予め「差別言動が繰り返すことが解っているのだからデモを禁止しろ」というのは、都条例のこの六条の原則を大きく逸脱するものである。
 
 ここで問題になるのは他者の自由権を侵害する自由権は存在し得るのか、という点であるが、この点で唯一の憲法制約は基本的に「公共の福祉」であり、これが意味するところは個別事案の私人間の権利の衝突である。自由権は所与であり内在している、という立場である限りにおいて、そのように解されるべきである。自民党憲法草案なるものが大きな批難を浴びたのは、この権利に「公益や公の秩序」という名目で「制限し得る」という、内在的自由権を外在的自由権へ転換しようとした点であり、大日本帝国憲法の自由権が原則として外在的自由権(国家が承認し得る範囲内においてのみ自由である)であったことを念頭におけば、自明の反発でもあろう。というか、そもそもそれに反発するからこそ、自由権は常にその「線引き」と「衡量」の問題であり続ける。
 アメリカ大使館が合衆国憲法の規定する自由権について、いくつかの重要な指摘を掲載している(これを和文で載せているあたり、いかにもアメリカらしい自由の輸出ではある)。権利章典第三章の解説からいくつか引用しよう。「民主主義社会で、何よりも重んじられる権利がひとつあるとすれば、それは言論の自由である。国家から咎められることを恐れることなく、自分の意見を表明し、時の政治的な権威に異議を唱え、政府の政策を批判できることは、自由な国と独裁国家の生活の違いを示す根本的な要素である。」の書き出しで始まり、「「明白かつ現在の危険」を判断基準にしたことは、非常に道理が通っているように見える。確かに言論は自由であるべきだが、それは絶対的な自由ではない。(混雑した劇場で「火事だ!」と叫ぶ人を罰することは当然だという)良識や、戦争という切迫した状況に照らして、言論を制約することが必要になる。この「明白かつ現在の危険」という判断基準は、それから50年近くにわたり、裁判所によって何らかの形で適用されることになる。これは言論の自由の限界を超えたかどうかを判断する上で、便利でわかりやすい基準だったようだ。しかしこの基準をめぐっては、当初から疑問の声があった。米国では言論の自由の伝統は非常に強かったため、政府が反戦派たちを規制しようとしたり、裁判所がそのような措置を容認しようとしたりすることに対して、直ちに批判が噴出した。」と続き「言論の自由の歴史上、偉大な代弁者の1人が、温厚なハーバード大学法学教授ゼカリア・チェイフィー・ジュニアである。裕福で社会的に著名な一門の出である教授は、すべての国民が政府の報復を恐れることなく自分の考えを発言する権利を守るために生涯を捧げた。チェイフィー教授は、たとえ戦時体制下で国民感情が高揚しているときでも、自由な言論は守られるべきだという、多くの人々にとって当時も今も急進的と捉えられる考えを述べた。なぜなら、そういうときにこそ国民は、単に政府が国民に言いたいことだけではなく、賛否両論を聞く必要があるからである。」とされ、「ホームズ判事も、ほかの誰も、言論の自由には制限がないとは言わなかった。むしろ、この後すぐに取り上げるが、過去数十年に行われた論争のほとんどが、守られるべき言論と、守られない言論の間の、どこに一線を引くのかという問題に関するものだった。論争の核心には、「この種の言論に、なぜ憲法の保障の傘を差しのべなければならないのか」という疑問があった。意見の一致がほぼ得られている唯一の領域は、合衆国憲法修正第1条の言論の自由条項が、ほかに何を保障するにせよ、少なくとも政治的な発言を保障しているという点である。」と展開し、「憲法の起草者たちが合衆国憲法修正第1条を草案したのは、まさに多数派が、反対派を沈黙させようとするのを防ぐためだった。自由な思想の原則は、ホームズ判事が書いた有名な言葉にもあるように、「われわれに同意する人々のためではなく、われわれが嫌悪するような考え方のための自由な思想」なのである。」とされ、「悪しき言論に対抗するには、いっそう活発な言論が必要で、言論によって人々が学び、討論し、選択できる機会が与えられるのだ。この70年以上も前にブランダイス判事が残した教訓が、ここで実を結んだのである」となり、「そして国民は、ホームズ判事の考え方を常に快く感じているわけではないが、合衆国憲法修正第1条は、われわれが同意する言論ではなく、われわれが憎悪する言論を守るために存在する、という同判事の言葉には真実があることを認めている。」として結ばれる。
 果たしてアメリカがこれを実践し得ているかどうかについては、特に9.11以降揺らぎが現れてはいるものの、中途「あるいはある種の言論表現は、言論条項の保護の傘から外れるのだろうか。作家や、芸術家やビジネスマン、偏屈な人やデモ参加者、インターネットの発信者たちは、憲法上の保護を主張して、どんなに攻撃的で人々を動揺させることでも、好きなように発言していいのだろうか。これらの質問に対する簡単な回答はない。国民の合意もなければ、すべての分野の言論における連邦最高裁判所の絶対的な判断もない。国民の感情が変わるにつれて、米国がより多様化し開かれた社会になるにつれて、そしてまた新しい電子技術が米国の生活のすみずみまで行き渡るにつれて、合衆国憲法修正第1条の意味合いも、これまでもしばしばそうであったように、とりわけ政治以外の分野の言論表現をめぐり、再び流動的になっているように思われる。」と書かれているように、原則として、「どの種の表現が自由権から外れるのか」について、簡単な回答はなく、多様化し開かれた社会になる「ほど」にその線引きが問われ、より一進一退はあるにしても、相対的にはより「自由」を大きくする方向で結実してきたことは、概ね事実である。わいせつや性の問題、あるいは反戦・反政府運動に対して、あるいは公民権運動がそうであったように、ホームズ判事の示した引用先にある「民主主義は思想の自由市場で支えられているという考えが提示されたのである。思想によっては、不人気なものも、秩序を揺るがすものも、間違ったものもあるかもしれない。しかし民主主義の下では、これらすべての思想に平等な発言の機会を与えるべきである。間違ったもの、恥ずべきもの、役立たずのものは、民主的な形で進歩を促す正しい思想によって駆逐されると信じるからである。」という概念は、基本的原則であるべきだと考える。
 根本にまずもって「自由に表明される」ことがあり、その上で線引きの揺らぎがあるべきであり、 「自明に制限されて然るべき思想がある」として制限有りきで考慮することは、原則論として危険である。ベトナム戦争時の元米兵捕虜ジェームズ・H・ウォーナーの件にある「星条旗を焼く人を処罰するために、憲法を修正する必要はない。彼らが旗を焼くのは、米国を憎んでいるから、自由を恐れているからである。自由という破壊的な思想以上に、彼らを苦しめる効果的な方法はあるだろうか。自由を広めよ。・・・自由を恐れるな。それこそ、われわれが持てる最も有効な武器なのである」という言葉は、その象徴的ものと云える。昨今のヘイトスピーチ、ヘイトクライムに対してこそ、この言葉を適用すべきではないだろうか。
 
 既に周知の通り、所謂「行動する保守」と称するそれらは、主として在日韓国・朝鮮人をその対象にして展開されているが、同時に日系ブラジル人やフィリピン人にも敵意を向け、部落差別を煽り、左翼思想を嫌悪している。その行動は常に「それらの自由は制限されるべきである」であり「社会の害悪に自由など不要」である。勿論これは彼等の理路であり、同意するわけでは、決してない。そして同時にそれらが指し示す先にあるものは、そういった被差別対象者の「自由」である。前述のジェームズ元兵士が語った言葉を適用するならば、彼らが時に太極旗に嫌悪を示し、チョゴリや或はキムチを嫌悪し、侮蔑的表現を展開する際、彼らが怖れるのは何よりもそれらが「自由」であることにある。韓国政府の、いわゆる「反日政策」といった形容をされるそれでさえ、それが「自由」に展開されるからこそ嫌悪するのである。
 長らく、そういった差別は、或は部落やアイヌ、時に在日諸民族、時には性別や共産思想(いわゆるアカ)への攻撃として現れてもきた。現在進行形で推移するそれは、それらが「自由になることを怖れた」が故であって、「平等になることを怖れた」からでもある。だからこそ、「もっと自由を」と希求し、「もっと平等を」と請願することが推進されるべきである。自由の名の下に展開されるそれをさらなる自由で包囲するために。それこそが民主主義の進展であり自由の拡大である。その点において「「ヘイトスピーチの再発防止につながれば」李信恵さん、在特会・保守速報を提訴で会見【全文】」という自由に対する自由を以てする請願は支持するし、同時に「Newsweek批判への紫音さんの反論」のように、排除を以てする自由を、本来的に支持はしない。
 「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」が憲法二十一条の結社の自由に抵触するのではないか、との違憲訴訟を起こした例もある。この際に同法が一応の合理性があるとされたのは「直接には指定暴力団の構成員の具体的な暴力的要求行為が規制されることになって」いるからでもあり、指定暴力団の規定を「暴力団のうち、暴力団員が生計の維持、財産の形成又は事業の遂行のための資金を得るために暴力団の威力を利用することを容認することを実質上の目的とする団体」と相当に具体的且つ実態的制約を課したこともある。デモやヘイトスピーチ或はその種の集会での突発的トラブルではなく、直接にそれを目的とし、それによって生計を立てている団体の個別具体的それを、最低限指定したものである。この問題はさらに暴力団排除条例と称されるそれに至るにあたって、「さらに、「防止」を理由として、未だ罪を犯していない者の行動を重罰をもって規制し、人権の制限や事実上の団体規制が拡大され、憲法が保障する基本的人権と民主主義の原則を損ないかねないとの懸念も表明されている。」との指摘は参議院において社民党又市氏によって為された提起である。暴力団は一般に「反社会団体」として広く認識が共有されているが、それに対してさえも過剰に抑止されることに対してこのように提起されることそのものは、認められるべきであり、また為されるべきでもあろう。
 
 確かに国連からも種々の指摘は入ってもいる。しかし、それは今に始まったことではない。国連人権理事会の普遍的定期報告(UPR)の第一回UPR結果(日本政府に対するもののみ)にもあるように、それらの指摘は様々な国が様々な物事を指摘しているのであり、それは人種差別は勿論のこと、人身売買や児童虐待、性差別から死刑制度、代用監獄、アイヌ問題まで幅広い。それに対する日本政府の回答が十全とは言い難いのは事実であるし、指摘される点も指摘の通りと言えるものは多いが、個別の問題はそれとして、同報告では「複数の代表団から、ハンセン病患者の人権を促進する日本のイニシアチブを評価し、支持した。また、多数の代表団が公務員の人権教育を推進する日本のイニシアチブを歓迎した。多くの代表団が、社会経済分野を含む様々な分野での日本の国際協力を強調した。」とも記載されるように、一様に押しなべて差別国家だと言及するような内容では無い。これは差別が無いと言っているのでもなく、問題が無いと言っているのでもない。同時に、そこで評価側になっている各国にしても、それぞれにそれぞれの問題を抱えてもいる。
 
 確かに人権救済機関の必要性等は十分に議論されるべきだし、憲法上の抽象規定が実態上民法・刑法其の他によって「侵害時」に十分な救済措置を規定していない部分はある。「思想の自由市場」とされるそれに対して、「その思想はその市場に陳列されるべきではない」とする意見はしばしば述べられるが、それに対して「市場に陳列されるべきかどうかは市場に委ねられるべきである」という「間違ったもの、恥ずべきもの、役立たずのものは、民主的な形で進歩を促す正しい思想によって駆逐されると信じるからである。」という信念を、些かも揺るがせるべきではないだろう。それが「道徳的悪」であるならば、思想の自由市場がそれを必ず民主的な形で進歩を促す正しい思想によって駆逐するという信念は、何より日本国憲法前文において政治的自由権を「人類普遍の原理」としてフランス的自然権に近しい形で規定し、最大に配慮すべきものとし、国民がそれを自国のことのみに専念せずに普遍的原理として実践することを要請している。
 日本国憲法の擁護する政治的見解の自由表明の権利(言論・出版・集会・結社・思想・良心の自由)は、日本国憲法の各条項を否定する言動をも許容するものであるべきである。天皇制を廃止して共和制に移行することだって大いに議論すればよいし、或は共産党一党独裁の実践でさえ、大いに議論されれば良い。それらをも「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」という規定に含めるべきであろう。確かに人種差別を禁止する法律は無い。憲法上はそれを抽象的否定に留めている。それは事実である。しかし、反政府言動そのものを違法としたり、或は反戦運動をただその思想のみを以て違法としたり、する国よりはよほど自由である。同時にそれはあくまで「思想の自由市場」に於いてであり、それに私刑を加えたり議場を封鎖することではないはずだ。国会の審議時間や答弁時間でさえ、制限せずに、討議の限りを本来は尽くすべきであり、牛歩戦術などが一寸流行ったが、寧ろカストロが国内で10時間に及び、或は国連の議場で4時間以上に及ぶ演説をやったように、主張の限りを尽くし、議論すべきである。それは所与に自然権として有する「思想・良心の自由」「言論・出版・集会・結社の自由」に於いて為すべきであり、それこそが民主主義と自由権の、本来求められるべき有り様である。現政権が自由を怖れるのであれば、一層自由であらねばならないだろう。禁止法が無いとの指摘に対して、そのような法が無くとも自由はそれを駆逐できるのだ、と言い返すべきであろう。「われわれが同意する言論ではなく、われわれが憎悪する言論を守るために」、その自由は存在し、そのような自由であるからこそ、憎悪する言論は自由に包囲されるのである。日本国憲法十二条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の規定が、当初その公共の福祉を人権の上位にある社会全体の利益と解釈する外在制約として解釈されたものが、それではあらゆる人権が社会全体の利益のために制限され得るので相互調整のための衡量原理として内在制約として解釈され直し、再びそれではあまりに調整余地が狭すぎるのではないか、と社会利益や国家利益を含める方向の解釈へと、その揺らぎを見せているが、まずもって優先すべきは自由権を不断の努力によって保持し続けることであり、濫用してはならないのであって、同時に何を濫用とするかをも含めて討議されるべきである。そのためには、己の敵と規定したものの言動そのものをも、いったんは市場に陳列した上で、その市場で淘汰されるべきであり、それは究極的には市民(敢えて国民とは言わない)が、歴史的タイムスパンで見た際、バックラッシュを挟んだとしても、長期的にはより民主的でより自由であることを形成するだろう、という民主主義の本質的根源に依拠するものであり、その市場を制限しろという要請は自由に為されるべきだが、その要請そのものは自由の濫用にも成り得る。況して討議を最初から放棄していれば猶更である。確かに愚劣で聞くに堪えない言動はあるだろう。そういったものをも包含してこそ、自由が所与に自然権として存在するそれであり、特定の何者かから自然権を剥奪することではないはずだ。そうであるからこそ、自由は自由であるが故に自由の監獄に囚われているのであり、その監獄は常に自由であることを要請し続ける。許せないそれを制限することではなく、許せないそれを自由であらしむるためにこそ、思想の自由市場が存在するのであって、統制が進んでいる、自由が失われていると感じるならば、猶更に、徹底して、抵抗的に自由を求め、自由であるべきである。そして自由は常に緊張を生み、個としての市民に負荷を掛け続ける。その負荷に堪えかねて「規制を」と叫ぶとき、それは自由が所与であることを捨てる瞬間である。
 
 
 
■関連まとめ
【呪詛】自由権と基本的人権とグランデの一件と其の他諸々 
果たして危機にあるのは民主主義の「何」なのか
【備忘録】平等と信仰と民主主義的何か

注)記事化要望を頂いたのは上記まとめの一番上のものである。十分にお応えできたかは定かではない。

大衆運動としてのナチス、

 大衆の無関心がファッショを呼び寄せる、という言動がしばしば聞かれるが、これが誤りであることを以下に簡単にまとめてみよう。
 
 もともとワイマールドイツの議会制移行後の投票率は常に極めて高い水準で推移している。1919年の83.o%をスタートに、もっとも落ち込んだ時期で1928年の75.6%、ナチスが本格的に勃興する1930年代は常に80%以上、1933年は過去1年間で3回目の選挙にも関わらず、88.8%と最高値を示している。※史料により小数点以下の差異があるがどの史料も概ねこの数値
 そして、1919年の選挙において、ボイコット戦術を展開した共産党に対して、社会民主党は37.9%の得票を得ることになった。明らかにワイマール期のドイツは「革命」でも「労働者政権」でもなく、「議会制統治」を選択している。事実社会民主党は明らかに労働者代表政党と言うよりは、大衆政党としての性格を持っていた。「抑圧する独裁権力機関」対「抑圧される労働者階級」といった状況が生起したわけではなく、寧ろ資本主義化・工業化の進展によって勃興した「大衆」という名の存在を、共産党は明らかに最初の選挙で見誤っていた。大衆は議会制を求めたのである。
 共産党は選挙ボイコットから戦術を転換し、1920年選挙の2.1%を皮切りに得票を次第に伸ばし、1932年の年内2回目の選挙では寧ろ16.9%と社会民主党に迫る勢いを見せ、30年代は常にカトリック中央党を上回る勢いを見せていた。このことも議会制という体制における体制内政党(合法政党)として支持されたことを意味するだろうし、ナチスが1924年の得票6.5%から1928年の2.8%へと下落した後、1930年代の選挙で躍進することになる。1920年代後半は好景気により支持が落ち、資金難で党大会が中止に追い込まれる有様であったが、1924年選挙から1928年選挙までの間、共産党もまた12%から10%へ伸び悩みを見せていることから、好景気が過激・先鋭な主張を望まなかったことが窺える。
 その点に於いて、共産党同様ナチスが合法的に政権を「獲りに行く」と判断したヒットラーの決断は、大衆政党として「正しかった」判断と言えるだろうし、また、そのような選択をしたからこそ大衆はナチスを「選択できた」とも言える。1930年代初頭のナチスと共産党の伸張は、明らかに1929年に波及した世界恐慌による大衆生活の窮乏が大きな要因になっていると考えることができる。右傾化・左傾化以前に、職の問題であった。1929年に失業率8.5%を記録して以降、加速度的に失業が増大し、1932年には29.9%が失業者となっている。
 

 この時期に何が進行していたかは以下が参考になる。「ドイツ近代史/木谷勤・望田幸男編著/ミネルバ書房」より引用する。
1928年末のルール鉄鋼争議が示しているように、労働争議は妥協のできない「勝利か敗北か」が問われる争議となり、それは同時にワイマール共和国の正統性が問われることを意味していた。だからヘルマン・ミュラー内閣の失業保険引上げをめぐる対立は、彼の退陣の原因ではなく契機であって、保守勢力と産業界の1924年以降の一貫した政治的意図の結果である。
 社会国家とともに公衆衛生、医療行政、社会的矯正などの制度や理論が発展していったが、社会国家の正当性が危機に瀕するについれ、社会改善のための制度や理論は社会防衛論に転化し、「異常」者や「異質」分子を共同社会から排除するイデオロギーに、そして最後はナチの人種イデオロギーにも根拠を与えることになった。(P.114)

 この後ブリューニングがその経済政策において、景気回復よりも全体主義統制経済への布石や、憲法上の大統領権限を毀損するような政策に打って出たことは、当時のワイマールドイツにおいて、ナチスがそれを変容させたのではなく、寧ろそれ以前から土壌に存在したものであるとも言える。また、従来の「保守勢力」と指摘されているのは、ユンカーや官吏等であって、ナチスはそれとは明らかに異質な、労働者をも含む広汎な層を支持基盤としていた。確かに労働者層は相対的には社会民主党や共産党の支持が強かったものの、それでも1930年には党員構成で最多を占めたのは労働者であり、他に手工業者や農民なども相当の比率を占めていた。ナチスの党員構成は明らかに党員の年代構成が若く、単に「新しい」政党であるだけでなく、「若い」政党であり、1920年代後半の混乱期にその基盤が広がっていったことは、確かに大衆政党であったことを意味するだろうし、同時に従来の「保守勢力」への叛乱でもある。
 ワイマールドイツで特筆すべき点は女性解放であるが、従来は「女性に相応しくない」とされたスポーツや、様々な職種への社会進出が進んだのは事実である。戦前は「女性を働かせるのは恥」とされ花嫁修業に充てられた婚前期間は、ワイマール期はそのインフレの加速とその後の不況により「養う余裕がない」こともあって「婚姻退社」を前提とした社会進出を促進していったのである。この過程で平行して「性と生殖の分離(婚外交渉・婚前交渉)」が広がり、また堕胎数増も進んだ。離婚件数も伸び、離婚を恥とする旧来概念への挑戦として、寧ろ好意的に受け止められもした。このような女性の解放は、同時に「性モラルの低下」「家族崩壊」として保守勢力や教会関係者からは攻撃の対象ともなったが、ナチスの「母性像」はこのような背景があったところに後乗りしただけ、とも言える。事実ナチスは女性の人権や母の尊厳など顧慮もしなかったが、上記の女性解放に「批判的」な女性団体・保守勢力とは明らかに手を組める主張であったし、母性賛美の点ではその主張は大差あるものでもなかったのである。このあたりは同著の第三章を丸々参照頂くと、理解が進むだろう。ナチスの価値観・思想はある意味では雑多な寄せ集めで支離滅裂ではあったが、それは確かに大衆の様々な運動の「ある局面」「ある主張」とは共同できるものでもあり、また大衆の政治的熱狂により、そこに収斂していったのである。そのような雑多で支離滅裂な主張・思想を超克する、およそ唯一といっても良い原理が「指導者原理」であり、それに必要だったのがヒットラーそのものの存在と言える。
 ナチスは当初より旧来の保守勢力(ユンカー等)からは寧ろ嫌悪の目で見られることもあった程度に「急進的過激派」であり、決してその保守勢力を基盤として登場したわけではない。ファッショがそもそも大衆運動に立脚する所以であり、議会制への移行と平行して登場した「大衆」は、寧ろ旧来の保守勢力とは異なる存在でさえあった。「皇帝は去ったが将軍は残った」という言葉があるが、これはいささか簡略に過ぎる。正しくは「皇帝は去ったが将軍・官僚・ユンカーは残り、大衆が生まれた」というべきだろう。1919年~1930年に至るわずか10年の激動の変化は、旧来の保守層を激しく動揺させたと同時に、新たな大衆は政治には一貫して高い関心を示していた。社会主義系統の新聞に加えて大規模なマスメディアとしての新聞・ラジオが普及することで労働者「階級」にさえそれが浸透することで、寧ろそれらの「階級」においてさえ選択肢は確実に増えていった。その中に、ナチスも存在したのである。
 
 ユンカーはまだしも「官僚」と書くとあまりピンと来ない向きもあろうが、ここでもう一冊ご紹介したい。「ファシズムへの道 ワイマール裁判物語/清水誠著/日本評論社」である。この著者の言葉として、まえがきに記載された「それらの訴訟において、旧帝政以来のイスに座りつづける裁判官たちは、おおむね、旧貴族・軍人・政治的テロ犯人に対しては寛容な、そして、民主主義者・共和主義者・労働者に対しては苛酷な態度を取り続けた」(P.3/1971年朝日新聞夕刊への寄稿より引用)との評価は、同著を読めば概ね「正しい評価」と言うことができるだろう。
 憲法は変わったが、司法官僚・裁判官はそのまま残り、それらは帝政期から引き続き残っていたが故に、当然に「革命勢力」や「共和主義者」へは、寧ろ憎悪を持っていた。その結果、憲法の精神以前に、司法の場ではワイマールドイツの発足当初より、しばしば「保守勢力」を擁護する判決がくだされ、結果としてそれは「背後からの一突き」論を補強し、また「反共イデオローグ」としての勃興勢力であるナチスを利する結果にもなったのである。「我が闘争」が収監とは言い難いような収監期に記述されたことは有名であるが、そもそもナチスのファッショを支えたヒットラーをそのようにしたのは、ナチスだから「ではなく」、もともと保守勢力が反共という点で、また新しい女性といった「旧来保守勢力」を嫌悪する体質を帝政期のまま引きずっていたことに起因するものであり、それはナチスの浸透に伴って、同著で以下のように記載されるような状況となる。

 だが、この「法的基準」はその名に値しなかった。それは規範として定着し事前に名宛人に明示されるものではありえなかったから。そこでは「裁判」が行われるのではなく、裁判官による政治的処分が存在したに過ぎない。(P.270)

 
 ファッショを生み、育てたのは、確かに大衆運動であり大衆の積極的政治参画であり、同時にそれを見事にアシストしたのは、本来それとは相容れなかったはずの「保守勢力」であったのであり、それは「右傾化」や「保守化」とは到底言い難いものであった、とさえ言えるかもしれない。いかに「民主的」憲法であれ、それを擁護する基盤となるべき司法がこの有様で、その体制で政治を決すべき有権者たる大衆がナチスを結果として選択したことで、ワイマールドイツは崩壊したのである。

■引用文献
ドイツ近代史―18世紀から現代まで

個人としての人間宣言

 「今日私は、米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思う。」
 この一節から始まる有名な演説があります。誰もがその名は知っているであろうマーティン・ルーサー・キングの「I Have a Dream」と呼ばれる演説です。
 「われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。」と指摘されたその約束手形は、演説の中で残高不足の小切手と称された上で、「だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれわれは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのだ。」と続きます。
 
 残念ながら、私は高潔な人物でもなければ、賢慮を持ち合わせているわけでもありません。それでもなお、キング牧師の言葉と同じものを、見出さなければならない一節があります。
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 これは日本国憲法前文に掲げられた、有名な一節です。キング牧師が「白人と同じく黒人も」と問うたそれと同じように、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」ことを「日本国民は、国家の名誉にかけ」宣誓しました。日本国憲法のこの宣言文は、その原稿において、或は日本国民の総意ではなかったかもしれません。しかし、それはキング牧師が必ずしも全黒人の代表者であったわけではないことと同様に、そこに大きな意味はありません。
 
 或は、日本国憲法以前にも、次のような一節がありました。
 「兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。」
 水平社宣言と呼ばれる宣言の一節です。この一節の崇高なる点は「かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ」という点に、或は集約しても良いかもしれません。
 
 確かに昨今の人種差別言動や、或はジェンダー規範や、或は性的少数者や、或は障碍者、数えればきりがないほどの社会的不公平が存在し、そこには「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」が日々、朝に昼に夕に、浴びせられるか、存在そのものが無かったかのように切断処理されていく現状は、依然根強く残っています。しかし、「正義の銀行が破綻している」などと思いたいわけもなく、また「政治道徳の法則」は普遍的なものであり、また「人間を冒涜してはならなぬ」という言葉は、今なお色褪せているわけではないでしょう。
 だからこそ、大久保で、名古屋で、鶴橋で、抗議の声を上げることは妥当であり、それらの諸理念の実現を求める運動の一つとすることができるでしょう。しかしながら、その中において、「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」と呼んで差支えないようなものも、存在する事実を認めなければなりません。「キチガイ」「知恵遅れ」「ゴキブリ」「ニート」「社会不適応者」「アニオタ」「ロリコン」といった言葉がそれです。残念ながら、これはたまたまその日に目に入ったので、有田和生氏にそれを問うと、返答は「人の心にナイフを刺す人間を人間扱いできるか!」であり、また「在日の友人たちが殴られれば体を張り守るし戦う。お前のようにみてるだけの卑怯な生き方はしない。」とのものでした。確かに差別主義者は心にナイフを刺し続け、平和と安寧を破壊し続けてきました。それは事実です。しかし、同時に私は「人間扱いできるか」という言葉に対して「人を人として扱うべきだ」ということを主張したにも関わらず、「在日の友人」といった、瞬間的に範囲が極端に狭められた問題だけに焦点をスライドしたわけです。理解に苦しみます。ヘイトスピーチが向けられるのは在日諸民族だけではないし、可視化されずらい社会的差別など、差別する側も或は善意として行うだけに一層厄介であるにも関わらず。
 
 これは、デイトレフ・ポイカートが「ナチス・ドイツ ある近代の社会史 ナチ支配下の「ふつうの人びと」の日常」において、「50年代の世論の意識が、ユダヤ人虐殺の「比類なさ」に集中したことで、ほかの犠牲者の多くは忘れられた。戦後のドイツの世論はそれをあっさりと片づけてしまった。世論は犠牲者の特定のグループには贖罪の意を表明したが、このグループこそ、ナチズムの犯罪によって、ドイツ人の視野から消えてしまった人々であった。それに反して、NATOの公敵の一部であるロシア人、ポーランド人、共産主義者にたいする犯罪や、引きつづき烙印を押された集団であった、ジプシー、同性愛者、身体的・精神的障害者、強制的断種者、社会に適応しない者への犯罪は「忘れられた」。」(同著P411)と指摘された状況と、酷似している側面があると指摘したい。自分は在日問題だけを指摘したかったわけではありません。あの差別主義者は或は部落へも差別言動を行い、或は左翼と看做せば攻撃的言動を行ってきた事実があります。しかし、「在日」にフォーカスをあてることで、あたかも「視野から消えてしまった」集団もいます。
 確かに、或はLGBTとの連携をして「見せたり」することもあるのは知っています。しかしそれは、何らの免罪符にもならないでしょう。差別主義者の中に在日の存在がいるのと同様に、そのようなことは、欠片もその言動の正統性を担保しません。
 「なら虐げられている人を守ってみろよ。傍観者!」とも言われましたが、自分は確かに日本国籍者という意味においてはマジョリティであり、この社会の構成者の一員であり、有権者である限り、どのような政府であれ統治であれ、その責任を負うべき立場にあります。同時に、両性愛者であり、異性装趣味もあります。それらのアイデンティティをそれとして自己に引き受けるまでに、多くの自己欺瞞と葛藤と過ちを重ね、またそれを公表すれば好奇の目で珍しい玩具を手に入れたかのように扱われ、或は嘲笑され、或は要らぬ同情をされたこともありました。その意味では、他の少数属性者の人と同等・同質と言うつもりは毛頭ありませんが、傍観者であるつもりもなく、虐げられてこなかった、とも言いません(同時に自分の過去の過ちについても、過去自ら言及の通り、虐げる側であったことも事実です)。
 周知の通り、ナチスがガス室に送ったのは、ユダヤだけではなく、性的少数者や障碍者、或は社会不適応者だった事実があります。このことの意味は、特に差別の問題を扱うにあたり、極めて多くの示唆を与えてくれます。
 
 「今日はゴキブリがたくさん来るな。コックローチで追い払うかな。」という表現の妥当性はそこにあるでしょうか。「朝鮮人をガス室に送れ」と叫ぶ差別主義者に対して、「ゴキブリをコックローチで追い払う」或はより直裁に「ファシストや歴史修正主義者は死ね」と返すことが、どこまで妥当と言えるでしょうか。有田和生氏の言う「ゴキブリ」に私も含まれるでありましょう。「意見を異とする」だけで見てるだけの卑怯者として決めつけて、「人間扱いできるか」どうかを裁定することができるのですから。「人間扱い」すべきかどうかの裁定、人間扱いすべきでない存在の非人間化、非人間を殺傷することに躊躇ないことを意味しかねない表現、コックローチが殺虫剤としての意味しか持たないことが明白な表現を、そこに重ねることができるでしょう。勿論、今のところ、ガス室のように計画的実行が為されている訳ではありません。同時に、あと100年程度前に、当時のドイツに生まれていたら、或はガス室送りになっていたかもしれません。その事実に突き当たったこともあり、自分は過去の過ちから、自らのアイデンティティの肯定とともに、脱却できました。
 その内容から騒然となったアドルフ・アイヒマンは、とても凡庸で、知性が高いわけでもなく、高官になれるような学歴があるわけでもなく、「陳腐な人間」で「凡庸な悪」と評されました。だからこそ、「誰もがアイヒマンになり得る可能性がある」として指摘されもしたわけです。欧州で未だ根強い反ユダヤ主義、或は米国で未だ根強い白人至上主義を持ち出すまでもなく、ある一つの正義は、時として第二、第三のアイヒマンを生むことを、一体誰が否定できるでしょうか。
 
 ヴォルフガング・ヴィッパーマンの「議論された過去 ナチズムに関する事実と論争」で指摘されているように、「共産主義者たちはかれら(筆主注:トロツキスト及びトロツキストと目された者)と戦うことに全力を挙げ、なんのためらいもなく、相手をゲシュタポに売り渡した。1939年以後、スターリンの指令によって、ソ連に亡命していた共産主義者たちさえもが、直接ゲシュタポに引き渡された」(P.220)にも関わらず、東ドイツでは「かつての抵抗運動が現代政治の道具として利用されただけではなく、その歴史的役割がこのうえなく過大評価されてきたことを指摘しておこう。東ドイツで一般におこなわれていた、一方(筆主注:西ドイツ)にファシズムを、もう一方の側(筆主注:東ドイツ)に反ファシズムを置くという二分法的な見方は―残念ながら!―歴史の現実と合致しない。ドイツの抵抗は個々人の問題で、一口でいえば、国民なき抵抗であった。それは国民の大多数からあからさまに拒否されたのである。」(P.221)といったことは、容易に、残念ながら、容易に出現します。スターリンが、或は東ドイツが築いた社会は、密告と弾圧と抑圧により全体主義的統制を色濃く反映したものでした。だから共産党が、或は共産主義が悪い、というわけではありません。そうではなく、ファッショを否定して見せたところで、同種のことは、形を変えて出現し得る、またその当事者にもなり得る、そしてそれはまさしく「個々人の問題」なのです。
 私たちは、未熟で誤謬は常に犯すでしょう。だからこそ、ある一面の不正義への告発が、同時に別の不正義を齎すことは、根源的問題として拒絶されねばなりません。前者が肯定されるが故に、後者が無条件に許されるわけではないのです。
 
 アマルティア・センが「不平等の再検討 潜在能力と自由」において、エチオピアのかつての皇帝統治とその打倒において、「だが、皇帝も、また飢餓が荒れ狂っている時に流血を伴う政変によってついに皇帝を追放した反対派も、善についての他者の見解に対して寛容であるという原理を受け入れることはなかった。実際、それぞれの陣営は、他者の目的に何の慈悲を施すことなく、自分たちの目的だけを追求し、共に生きることを願って寛容に基づく政治的解決を求めることには全く関心がなかった。寛容を求める正義の政治的構想からすれば、このような状況で正義についてのいかなる判断を下すことも困難であったろう。(中略)こんなに制限の強い政治的構想では、正義はなかなか受け入れられないだろう。」(P.121)と書いたように、公平と正義を求めるそれが、必ずしも寛容と平等を齎すとは限らないのです。「世界中の人目を引くような不正義の多くは、「政治的リベラリズム」や「寛容の原理」を唱えることが容易でもなければ、特に助けとなるわけでもない社会的状況の中で起きている」(P.122)ことを考慮しなければなりません。
 
 もちろん人の集団あるいは個々人の意思や情念は、それとして認めたくない恥部を認める必要性を突きつけることもあるでしょう。石橋湛山が「直訴兵卒の軍法会議と特殊部落問題」と題して書いた論説の中に、「申すまでもなく裁判は最も公正でなければならぬ。勿論今度の軍法会議においても、その結果において何ら公正を欠くことがなかったであろうことは信ずる。が問題はその形式だ。裁判は、ただに判決において公正であるのみならず、またその形式において、何人が見ても、なるほど公正だという感を与えねば権威がない。(中略)而してもし被告にその所懐を思うままに述べしめ、あるいは弁護人を付する事により、不幸にして軍隊内部の面白からざる事情が曝露するとも、おそらく陸軍の信用はこのためかえって厚くせらるるとも、少しも傷つけられなんだろう。」(「石橋湛山評論集」岩波書店P.156~157)とあるように、過ちがあれば過ちとしてそれを率先して是正することを「何人が見ても、なるほど公正だ」という感を与えることは、その判断・結果の妥当性を高めることはあっても、決して損なうことはないでしょう。
 「人間扱いできるか」ではなく、「人間として、その社会の公正さに照らして糾弾する」ことが、求められる公正さであり、或は正義の政治的構想であるべきでしょう。それは、時に長い道程になることでしょう。何が正義であるか、ただその根本でさえ、個々人に相違があります。差別主義者に正義がある、と言うわけではありません。同時に、差別の不当性告発の動機が正義であれ、「なるほど公正だ」という言動を、果たしてできているかどうか、それはまさしく「個々人がそれとして引き受けるべき」ものであります。
 
 個々人の集合体として、社会が構成され、国家が形成されている以上、それを避けて通ることなど、できようもありません。有田和生氏は私に「傍観者の卑怯者」と決めて返答しましたが、仮に私が氏が守りたいとして例示した在日であり、声挙げられぬ者であり、その表現だけはどうしても看過し得ないとして問いを立てていたとしたら、同じ回答を氏は返したでしょうか。それとも利敵行為を働く「守る必要のないゴキブリ」として処理するのでしょうか。
 公正と平等を求める声は、本来「社会の不寛容に対する告発」であり、「寛容の要求」であるはずではないのでしょうか。自分のツイッタープロフィールはほぼすべて現実のそれとは無関係な記載をしてあるので、一体自分がどのような存在か確認もせず、或はその必要さえ感じず、「反差別言動の些末な表現に異を唱えるネトウヨのゴキブリ」として判断したのではないでしょうか。勿論自分も決して品行方正で綺麗な言葉遣いをしたわけではありません。寧ろ挑発さえ含めた表現だったことは事実です。しかし、内容については撤回の必要は認めません。一方で、しばしば指摘される「寛容の不寛容」を実践してはいない、と言えるでしょうか。
 「これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれは、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。」
 このキング牧師の言葉は、差別言動という不協和音に対して、それを「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」を以て応酬することを求めた言葉でしょうか。いつの日か、今は差別をしている白人とも、共に手を取って歩めることを、それこそが合衆国が約束した「自由」であり「平等」である、それはきっと実現する、という「この信念」が「差別の告発」としてこの言葉に結実したのではないでしょうか。
 
 確かに差別主義者の言動は看過できないものでしょう。同時に、そうであるが故に、その不協和音に対置するものが、果たしてそれで良いのか、個々人の問題として常に問われているのではないのでしょうか。
 「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。」という、高邁にして高貴な理想に対して、一体どれほど差別を糾弾する側は心中に居るアイヒマンを意識しているでしょうか。私も人間です。恨み辛みもあれば、赦せない人も居ます。だからこそ、いかにそれが「人として」駄目であるか、問いたいとも思います。「人間扱いしない」ことではなく「人間扱いすること」によって、如何に個々人という人間の総体としての「社会」において、それが不正義であるかを問いましょう。
 何等の組織があるわけでもなく、決して学があるわけでもなく、非才無力な個人として、この愚かな人間という存在が、明日にはもう少しだけその愚かさが無くなると、それを希望としましょう。「赦さない」ことと「人間として認めない」こととの間には、エリコの城塞の如く、巨大な隔たりがあります。そしてそれは心中のアイヒマンのラッパの一吹きで容易に崩れ、超えてしまう一線でもあります。安易なラベリング、スローガンの多用は有田芳生議員が2007年に書かれた「何か悪政があればすぐに「ファシズム」という言葉を使うことは、知的怠慢であるだけでなく、画一主義(コンフォーミズ厶)へ陥ることだ。日本の政党は「マニフェスト」などを強調しながら、そこに政治哲学がない。いつまでも是正されない最大の欠陥だろう。アーレントはフランツ•カフカが述べたことを引用している。
 真理を語ることは難しい。真理はなるほど一つしかない。だがそれは生きており、それゆえ生き生きと変化する表情を持っているからだ。」(有田芳生の『酔醒漫録』2007年2月18日)と言う言葉の通り、知的怠慢に陥っていないでしょうか。
 私は、私たちは、或は不正義を糾弾するという正義のために、もっと本質的根源的存在として、人間は愚劣であれ何であれ、人間であり血が通い、心を持ち、生きているのだ、という事実を、しばしば忘れたがるものです。しかし、近代的人権思想が国や制度を超えて、人類の普遍的価値である、と規定されているその普遍性は、私や、私たちが決して神ではなく、任意勝手に裁定者であることを認めません。不正義の告発は社会に対して為されるものであり、裁きは司法によって行われる、その支えがあればこそ、自由と公正、政治的正義の実現が為されるのではないのでしょうか。人間は、神にもなれません。そして英雄も殉教者も、民主主義にとって必要ではありません。
 
 私がどのような存在か、或はどのような肩書きか、あるいはどのような属性か、そのようなことは、人権の普遍性の前には、あまり意味があるものではありません。名前といった記号でさえも、或は意味がないでしょう。普遍的人権という真理とされるもの、或は正義とされるものが、生き生きと変化する表情として「ゴキブリをコックローチで対処する」ような表現や「人間として扱えない」といった表現も含めるとしたら、普遍的人権はあまりにも哀しいものです。
 私は、或は私たちは、社会的不正義の告発に対して、「私もまた、同様に個として人間であり、人間として生き、人間としての権利を持っている」という言葉を言わねばならないのかもしれません。その時「人間扱いできるか!」というそれは、誰の心中にもある凡庸なアイヒマンの亡霊を、抑制すべきそれとして気付くことができるのではないでしょうか。
 敢えて言葉を選びましょう。人間は人間として、その尊厳は基本的人権とともに守られるべきであり、物のように扱うべきではなく、そしてその尊厳を踏みにじる場合は、人間として対応する、と。そしていつの日か、差別主義者の憎悪のそれを、人類は超克するのだと。そのために、まず自らが人間であらねばならないでしょう。綺麗事では差別は無くせない、ともよく言われます。確かにそうかもしれません。しかし、綺麗事そのものを放棄するして構わないわけではないでしょう。だからこそ、失われかけている綺麗事を問います。差別主義者もまた、人間です。切り離して切り捨ててしまえるものではなく、確かに厳然と存在する社会の一部であり、その愚かな行為は人間であるからこそ行われているのだと。
 確かに、反ヘイトデモで救われた、心の支えになった人も決して少なくないでしょう。そして同時に、その言動故に、そのような人にそのような言葉で代弁されたいと願わない人もいるでしょう。或はそういう人は見捨てて前に進むべき、との判断もあるかもしれません。もしそうであるなら、私はそうやって見捨てられていく、切り取られた後に残ったところで、別の道を模索するとしましょう。その判断を嘲笑して頂いても、無益と謗って頂いても構いません。これは、差別主義者を赦すでも寛容になるでもなく、私個人が人間性を回復し、人間足らんために、そういう選択をします。そして、微力無力であれ、私自身が納得し、是と判断したことを、できる範囲でやっていきます。私のように何等持ち合わせていない存在は、このように様々な先達の言や研究を、引用し理解するよう努めることしかできないかもしれませんし、それも誤っているかもしれません。しかし、これらの先達の到達点が今現在飛び交っているそれであるとは、思いません。愚かな個人として、拒否したいと思います。もっとももともと代弁するつもりも守るつもりも手を取るつもりも会話するつもりもない、無力な個人が拒否したところで、何一つ影響は無いでしょう。心中のアイヒマンを愛でて、反差別言動を続ければ宜しいと思います。その果てに何があるのかわかりませんが、そこが知的怠慢の画一主義でないことを祈りたいとは思います。

― 暫く、或は永久に会えないかもしれない、友人に捧ぐ

◆引用文献
「ナチス・ドイツ ある近代の社会史 ナチ支配下の「ふつうの人びと」の日常」
デートレフ・ポイカート著/木村靖二・山本秀行訳/三元社

「議論された過去 ナチズムに関する事実と論争」
ヴォルフガング・ヴィッパーマン著/林功三・柴田敬二訳/未来社

「不平等の再検討 潜在能力と自由」
アマルティア・セン著/池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳/岩波書店

「石橋湛山評論集」
松尾尊兊編/岩波文庫

※手元にあるものが岩波書店版なので部分改訂が入っているかもしれません

◆参照ツイート

◆傍証先
差別反対でありながら「ゴキブリ」などと連呼、野間タソやきっこおじさんを擁護する有田和生さんとのやりとり
有田ヨシフとその弟、有権者をゴキブリと呼ぶ
あのね有田の弟だけど

◆参考資料
Newsweek 日本語版」2014年6月24日号
世界で増殖する差別と憎悪
社会 寛容さの喪失とSNSで世界にヘイトスピーチが蔓延する
日本 「反ヘイト」という名のヘイト
Newsweek日本語版への抗議」(のりこえネット)
Newsweek批判への紫音さんの反論

性表現/性視線に対する疑義

というツイートにちょいとばかりちっちゃな反響がありましたので少しばかり。
これ「女性差別」でなく「異性愛者男性」も「同性愛者」もごっちゃにする歴然とした「性差別」ですからね。
このツイートの前にRTしてる某氏のツイートの「女だから」「言えない雰囲気」とかで収斂させちゃいけないんですよ。
(だから繰り返し「女性議員」の抗議という報道にも疑義を呈してきたし、男性議員も反対していたよね、党利党略はそれとして)
「結婚しろ」「結婚してるの?」というそれは、それが経済事由から縁がないからとか主義信条からとかする必然性がないとかそもそも異性愛者でもないとかいろんな理由があり、それは個別個人の自由なんですよ。
で、同時に「子供」の有無は、それとして価値観の問題から病理的理由まで、さらにいろいろあるんですよ。
「だから」女性差別だけにとどまるものではなく「社会全体の問題」ということを繰り返し言ってきたわけです。
同時に「結婚=子供」等の概念も破砕すべき固定概念ではあるし、同時にそう考える人が居ても別にそれは「他者に押し付けない限り」において自由でもあります。この「他者」には配偶者、扶養者だろうがなんだろうが、パートナー全てです。法定婚だろうが事実婚だろうが関係ありません。
そもそも「女性への差別」という命題に収斂することそのものが「異性愛至上主義且つ婚姻=出産至上主義」でしかなく、これは同性愛者や養子縁組者、シングルファザー・マザーへの蔑視も透けて見えるわけです(敢えてファザーを先に書きます)。
そもそも何ら関係のない、もしくは忖度する必要のない私的生活の事情の結果を、公的場に持ちだした挙句にそれそのものが批難に値するかのような言動がクソッタレな代物なのです。
真剣に少子化を懸念するのであれば、同性婚の養子縁組だろうがシングル親だろうが(敢えて性別を指定しませんが)、関係ありません。
今もって「同性愛の親に育てられる子供は不幸に違いない」と決めつけてかかるそれ自体が児童虐待に値するし、同性愛差別にも値するということは、まったくもって理解されておりません。そのあたりは「「同性愛が感染して増える」的言動見てつらつらと思う」にもちらっと触れております。性自認の確立は生まれたその瞬間に意識されるわけではないのですから。
同時に異性愛者の同性愛嫌悪と同様に同性愛者の異性愛嫌悪もまた、このような自認確立前の児童にとっては不幸をもたらすでしょうから、そういった固定概念の偏見化そのものが掣肘されるべき代物であります。

これは同時に、そういった固定概念的それが批判されるに値することであることを示唆するとともに、そういった価値観が表出されるものそれ自体を否定することを意味するわけではありません。
性愛表現の規制を訴える側はしばしば「性表現」そのものを批判の対象に挙げるわけですが、そこで列挙されるものは少なからず批判されるものがあります。
そして同時に、そういった規制の文脈から「外れた」ところに位置する漫画等のそれが幼少期の同性愛者にとっていかに「救い」として作用してきたかは十分に考慮される必要があるでしょう。少女漫画における同性間性愛暗示・明示(それが女性同士であれ男性同士であれ)が、異性愛表現に溢れる社会において、その存在の救いになってきたことを、自主規制を含めて規制すべきとする論者はいかに考慮してきたでしょうか(この一行については空論ではなく、見聞きした実体験を含めて、そう断言しておきます)。
個人的には「まったく考慮されてきたとは思いません」が回答です。
障碍者性教育を「過激」として断罪してしまった事例は記憶に新しいところですが、社会における「多数者の規範」や「多数者の当然のモラール」は、少数者にとっては等価ではありません。
だからこそ、下記のようなことも言うわけです。

当たり前ですが、少数者の権利のために多数者が犠牲を強いられる「べき」ということではありません。
強いて言えば、解放の文学と規制の文学とでも言いましょうか。
性規範というものが極めて「政治的社会的規範」に直結する道徳律そのものであることを認識した上で、「どうしても伝えたいメッセージなのか否か」を「読者」が恣意的に作家を判断し断罪するのは自由ですが、その自由を行使する故に「自主規制」を促すことそのものに、自分は反対します。
「結婚しろ」「子供をつくれ(敢えて産めとは言いません)」の言動がいかに暴力的言動かを考慮すれば、そういった道徳律そのものが「自由社会」と「任意選択」に対して、自明として「空気としての同調圧力を生む」結果になるのは、例を引くまでもないことです。

個々の表現されるそれそのものには当然に批難されるものもあるでしょうし、批難して然るべきものも決して少ないとは言えないでしょう。同時に、その批難が「自分以外の属性を踏みにじっていないか」については寧ろ批難する側そのものが考慮するべきでしょうし、そうであるからこそ「表現規制に反対する」道理も理論だって武装されることもありましょう。
表現規制反対の声が「しずかちゃんの入浴」あるいは「のび太さんのエッチ」にだけ収斂されて、「のび太のブリーフ/ボクサーパンツ」を指摘し得ないのであるとすれば、それこそセクシズムの再生産に過ぎないのであって、所与の前提条件がまったく異なります。

と書いたのはそういった前提があってこそであって、「平等に性表現を規制する」ということを「自主的」であったとしても現状で求めることは、それが「異性愛者以外」に対して社会において存在が「平等に許される」存在であることの認知回路の一つを遮ることにもなります。
規制する側はそもそも「同性愛表現そのものが不道徳」といった理路でそれの制限を「当然に正当化する」ことは、過去の都条例や国会審議を見ても自明すぎるほど自明であって、いかにヘイトスピーチが溢れようが、特定の思想を以て「自明に断罪する」ことに異議を唱える理由でもあります。気分でつけたり外したりするレインボーアイコンに異議を唱えるのと同程度に。いかにそれが現場で連携していようが、です。同性愛者団体の権利運動に同性愛者自身が批判を出すことは、総連や民団の運動に在日半島出身者の系譜が異議申し立てを行うのと同程度に、当事者の間では普遍的に存在するものです(同時にそれらが権利獲得に寄与した役割を否定するわけではありません、とわざわざ注釈を書かないとそういったことすら読めない人が多数存在することそのものが差別なんですよ)。

その上で、敢えて以下のことを述べたいのです。

可視化されることの正否/或はネットの海に浮かぶ可視化というノアの箱舟

差別反対でありながら「ゴキブリ」連呼し、きっこおじさんを擁護する有田和生さんとのやりとり
こういうものは毎度ながら、「反差別」ならなんでもありかよ、と思うわけです。
自分は「のりこえねっと」のことはそれほど信も置いていないし、「C.R.A.C」のことも別に信を置いていない。
そういう態度だから自分が書く何かにいかほどの何があるのかも皆目見当もつかないし、意味があるのかもわからない。
従って、「Newsweek批判への紫音さんの反論」でまとめて頂いているものも、スルーされようが構わないし、「反差別」の大義名分の下でいろいろな動きがあるのは知っているものもあるし知らないものもあるし、デモに参加するしないが差別に対する意思表示のリトマス試験紙になるとも思わないし、当然に声を上げえない抑圧された存在がいるだろうことも、その存在を理由にして「なんでもやってよい」にはならないとも考えている。
だから、こんなことも書いたりはする。

で、その上で、実際のところ、別に現場に出て行っている人はそれはそれでリスク負ってやっていたりするわけで、自分の知己の範囲は少なくとも暴言暴行とは、寧ろ無縁の人だったりもする。
ここ一両日での都議会のセクハラ野次なんかの一連の流れを見ていても、実際のところ案外長期的にはどうにかなるかなぁ、と思わないでもない。
(あれは誹謗中傷に類するものだとは思うが、一応こう「野次」と呼称しておく)

というわけで、オンラインだろうが街頭だろうが議会だろうが、差別だなんだはそれこそ人が存在する場のどこにだって存在してしまっているのだけど、それはそれとして、可視化されることで得られるものもあると思う。

この記述については、概ね過去はそれとして会社で学校であるいは議会でまたは家庭で葬られて表に出てこなかったか取捨選択により問題視されてこなかったものが、”あの”記者をもってしても触れずには置かせない程度には周知される状況になったことを意味しているのだし、今回の「野次」についても山のように「過去似たようなことを言われた」とか「もっと酷いこと言われた」とか次々出てくるあたり、可視化されることで「アカンものはアカン」と誰かしらが指摘し、またそれが「問題」として取り上げられやすい環境になったことも意味していると思う。
個々の日本人が持っている差別心。それはきっと他のどこの国のどんな人にだって、やはり存在するもので、だからこそ「隠しおおせずに可視化できる」ことの意味と、それに「おかしい」と指摘する存在がいることが、どれだけ距離が離れていようが存在することが可視化されることの安心や心強さ、絶望の回避は、いかに酷い言説が溢れていようとも、やはり重要なことだろうと思う。
もっとも、それ故に差別する側も「同類が居る」と嬉々としてしまうのだが、その負を以てしても、この正の面には到底適わないと思う。

世界はきっと敵ではないし、あなたを見捨てない人もいるのだ、ということの可視化は、過去踏絵を踏みながら自力で探し当てる砂浜の砂金探しだった行為を、即時的に心の支えを見つけることができる、ということなのだから。
そのためにどれだけくそったれな言動を見る羽目になるとしても、そのことだけでも、自分の幼少期とはまったく時代が変わっているし、良くも悪くもその状況がある以上、負の面ばかりを見たりしていては勿体ない。
そう言った意識の上で、敢えてこういうことを言いたい。

マルクス・レーニン・共産主義についての拙稿

 犬沼氏から下記を頂戴したので拙稿を投下しておくことにする。

マルクスの搾取論が間違ってたわけ

 大元はこれ。口は滑らせるもんじゃないですね、という好例であります(汗

 さて、予め断っておくと、「進歩史観を憎悪する問題 ツイート追加」ここのコメント欄にも書いたように、未来決定的(あるいは予言的)歴史観というのは、まったく個人的理由と動機により賛同しないので、決定論的階級闘争史観はまったくどうでも良いし評価もしていません。
 同時に、マルクスが想定しレーニンが継承した(ことにしておく)「労働」と「価値」の設定についても、「現代」においてまったく現状に合致していないとも考えるし、或は「暴力革命論」のようなものに至っては唾棄さえしています。
 と、ここまで読んで頂ければご理解頂けると思いますが、個人的にはマルクス「経済学」といった幻想はまったく評価もしていません。まぁソ連や東欧、或は中国人民共和国やら北朝鮮人民共和国やらの「人民共和国」という名の高度官僚集中独裁体制もまた評価していません。もっとも、それらの政体が実現した「人民共和国」における官僚制度が、マルクスやレーニンが当初想定したような解体をまったく伴っていなかったので、それらは「共産主義」の実現どころか、下手したら「共産主義へ向けた第一段階すら実現しなかった」と、その信奉者から批判もされるでしょうが、そもそも「共産主義」そのものが到底現実適用不能なものだと考えていますので、座学は座学で頑張りましょう、という結論であります。

 その前提の上で、上記の発端のツイートに戻ってみることにします。
 実のところ、その共産主義「理論」が言うほど完結的または論理的だとも考えませんし、いろいろと矛盾も孕みまた相当に夢想なものだとも判断しているので、その意味で「不要、遺物」とすることに、些かの躊躇もありません。
 というか、そもそもマルクス「主義」の実践が、権力の発露の一様態でしかない、という点において、革命夢想家の諸氏にはまったく申し訳ないことながら、「政治的イマジネーションの貧困化、涸渇化という現象のその要因として、マルクス主義が存在しているからであり、これを考えるにはマルクス主義なるものが、基本的な意味で権力の一様態にほかならぬという点をおさえておく必要がある」(吉本隆明著「世界認識の方法」/中央公論社1984/P.18)というフーコーの言葉に大いに同意もしますし、「そのディスクールは、単に過去ばかりではなく、人類の未来に対しても、ある真理の拘束力を波及させるという予言的科学でもあるわけです。つまり、科学性と予言性とが、真理をめぐる拘束力として機能しているという点が重要です」(同著P.19)という点にもフーコーの言に大いに同意であり、同時にそれであればこそ否定もし、だからこそ実践し得なかった(予言的拘束ほど理論は現実に適用するには不可能性が内在されていた)、とも考えます。

 さて、では何故、それでもなお「マルクス」や「レーニン」は色褪せずに済む可能性は何処にあるのか。
 ここからはまったく個人的見解であり、或は研究者諸氏や実践者には、ある意味での噴飯物になるであろうことを承知で書いていくが、自分が個人的にそこに見出す可能性は、「主義」やまたは「経済学」、 或は「歴史観」や「階級概念」では「まったくない」ことは断言しておく。上述の通り、自分はそれら総体にはまったくもって賛同も納得もしていないし、また同意もしない。そういうことではまったくなしに、枝葉の部分にこそ、その着目し見直されるべき点もあるだろう、という意味で、「マルクス主義」或は「マルクス=レーニン主義」或は「共産主義」との決別と遺物化と平行して、その枝葉に立ち現れる原点的問題意識こそ焦点になる、とも考えます。そしてそれらの言は今なお、或は他の「主義」として、或は別の「行動」の中に立ち現れる言でもあり、珍しい物では決してありません。
 たとえば、バーゼルにおける国際社会党臨時大会の宣言において「とくに大会は、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、ギリシア間の旧敵対関係の再生に反対するばかりでなく、現在別の陣営に属しているバルカン民族、すなわちトルコ人、アルバニア人に対するどのような迫害にも反対すべきことを、バルカンの社会主義者たちに要求する。だから、バルカンの社会主義者は、これらの諸民族のどのような権利剥奪ともたたかい、ときはなたれた国民的排外主義に反対して、アルバニア人、トルコ人、ルーマニア人をもふくめた全バルカン民族の友好を宣言する義務をおうている。」(レーニン著、宇高元輔訳「帝国主義」/岩波書店1956/P.211)といった、その原理原則をまず率先して自らに「義務」として課そうとする態度は肯定します(その後の進展は別として)。この態度はそれが実践されている限りにおいて、否定すべきではないだろうし、何よりこういった理念はその後の人権の進展にも寄与したはずでしょう(当人達が望む形であったか否かを問わず)。
 また、プロレタリア「階級」というものが、理論上の幻想であったとしても、「機械装置が次第に労働の差異を消滅させ、賃金をほとんどどこにおいても一様の低い水準に引き下げるので、プロレタリア階級の内部における利害、生活状態はますます平均化される。」(マルクス・エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳「共産党宣言」/岩波書店1951/P.51)と述べられたそれのうち、一部は実際に現出している点は考慮されてよいようには思う(実際には一様の低い水準に引き下がったわけではなく、機械装置はおろか職能そのものにおいてさえ置換可能なものが低くなり、置換不可能なものは高くなるといった「利害の深化」が発生しているので、あくまで「一部」ではある)。また、「現存社会内の多かれ少なかれかくれた内乱を追求して、それが公然たる革命となって爆発する点まで達した。」(同著P.55)といった、顕在化しない軋轢が限界を超えるといかに社会不安を惹起するかという点において「それをさせてしまうとさらに酷いものがやってくる」という反面教師的意味で、意味がないわけではないようにも思えます。そういった「革命」騒ぎになる前に社会はその軋轢を「発見」し「向かい合い」なんらかの「妥結点」を見つけるべきで、放置し黙認しあるいは無視するのではなく。
 或は、ラッサールの社会主義に対して述べられた「マルクスは言う、ここには実際「平等の権利」があるにはあるが、しかし、これはやはり「ブルジョワ的権利」であって、他のすべての権利と同じく不平等を前提している。すべて権利とは、実際にはひとしくなく、たがいに平等でない種々の人間に、同じ尺度を適用することである。「平等な権利」が平等の侵害である不公正であるのは、このためである。」(レーニン著、宇高元輔訳「国家と革命」/岩波文庫1957/P.130)と述べられた際に気を付けるべきは権利が「ブルジョワ的か否か」といったマルクスやレーニンが掲げた命題の根幹の部分「ではなく」、形式的権利が平等であったとしても、それが不平等を内在することは実際に存在し得るものであり、同時に「平等でない種々の人間に同じ尺度を適用する」ことの意味合いを推し量ることでもあるでしょう。ただ、個人的にはここから革命やらに展開することは求めもしない。同時にこういった着眼において重要なのは「民主主義」における「形式的平等」であったり、「自由主義」における「外形的権利」というものが、それであるが故に内在的不平等を惹起する、という点を考慮の上で、それが実質面で是正される方向で指向「され続ける」必要がある、というに留めたい。完全に民主主義的平等を、レーニンの言うような形で(武装した人民・兵士により「すべての人」が国家的機能を遂行し、或は順番に統治する形で)実現するのは夢想どころか悪夢でもあり、ましてやそれを「自主的に参加」するなど、理想ではあり得ても現実にはあり得ないでしょう(強制されない限り)。一方で「社会主義のもとでは、「原始的」民主主義のうちの多くのものが、不可避的にふたたび活気づくであろう。」(同著P.163)といった、原則論としての「国民すべてがその「民主主義」に自発的に参加すべき」という理想そのものは「永遠に実現しないが常に求め続けるべき」ものであろうし、それは同時に「民主主義」の本質でもあるでしょう。

 まったくもって身も蓋もない話にはなるものの、個人的には、そう、まったく個人的には、マルクスやレーニンが打ち立てた「理論」そのものではなく、彼らが「民主主義の理想形」として思い描いたもの(それは永遠に実現もせず、また共産主義革命を経るものでもないもの)を、その枝葉の部分で現代になお有効な部分を「摘み食い」することはできるだろう、という意味において、マルクス・レーニン「主義」ではなく、また「マルクス経済学」でも「階級史観」でもなく、その「発端」なり「問題意識」のみをリサイクルすることができる「程度」には無価値ではないだろう、と。
 摘み食いの結果、当然にマルクスやレーニンが追い求めた「共産主義」は永遠に実現しない、ということにはなるわけですが。

 犬沼氏の問いかけに対して妥当な応答になっているようには思わないので恐縮なのだが、マルクスやら(或はエンゲルスやら)からレーニン或は帝国主義や資本論、或は労働と価値をめぐる彼らの誤謬はまったく「どうでも良い」ことではないか、と。それを「思索するに至った意識」という、理論や実践以前の、或は思索・哲学の根源を射程にする、という意味において「のみ」は、まだ捨てなくても良いのではないだろうか、と。いみじくも前部で引用した吉本隆明の「世界認識の方法」において吉本とフーコーとの対談で合意点となっている「縁を切るべき対象としてマルクスとマルクス主義を区別する」(同著P.17)といった感じで、且つマルクス(レーニンでも良いです)が「何を考えていて、何処に欠点があり、何処が着眼点としてあれだけの影響を及ぼしたのか」という点を「のみ」は、有効とは言わないまでも、無効ではないのではないでしょうか。同著で「<プロレタリアートと資本家>という概念なのですが、吉本さんは、この概念と現実とを混合してはならないと明言されています。」(P,130)とフーコーが語った際、同時にそれが「いわゆる<マルクス主義>者とは完全に異なる解釈」と指摘しているのは示唆的ではありますが、その主義主張が「実践的」あるいは「構築された論理的」という意味において、まったく無価値或は誤謬であったとしても、彼の人達が思索した位相が、或は深層が何処にあり、それはどの程度現在も資本主義或は民主主義或は自由主義において内在され是正され「続ける」ものなのか、といったものを考慮する場合において、無価値ではないのではないか、と考える次第です。

P.S.これ共産主義者や研究者から盛大に不勉強なり日和見主義なり剽窃者なりと言われるんだろうなぁ

■参考・引用文献(注:上記引用と増刷・発刊年が異なるものがあります)

保守主義論考 エドマンド・バークと本邦保守主義者の態度

 保守主義。
 この言葉ほど本邦において適当に用いられている言葉も無いだろう。同様に左翼という言葉もまたそうではあるのだが。曰く「文化と伝統を守る」、曰く「国を愛する」、曰く「右翼」、曰く「歴史修正主義者」、曰く「軍国主義者」、曰く「尊皇派」等々。果たして、そのどれもが適当に都度自認として、また批判の言葉として用いられている。昨今では「排外主義者」とも同義に用いられることさえある。しかし、そもそもその「保守主義」という用語について、どの程度の思慮を働かせて用いているだろうか。
 1955年のいわゆる政党合同以降、「保守・革新」という言葉で括られることにより、「保守政党=自民党」「革新政党=社会党・共産党」といった区分がなされ、その分類において一般に進歩的文化人と呼ばれた一群が社会党ないし共産党寄りの発言を繰り返し、また自民党がしばしば戦前について、または先の大戦に対してともすれば是認的言動を行ってきたこともあり、「保守=戦前・大戦容認」であったり、「保守=新しい考えを認めないこと」であったり、といった認識も広がったようには考える。確かに「保守主義」というものの源流を欧州の革命時代におけるアンチテーゼとして確立されてきた経緯を適用すれば、そのような認識も一面では正しかろう。一方で、アメリカを伝統・文化の破壊者として見る立場に立てば、自民党は「親米政党」であり「いつまでも占領期同様の基地体制を維持し続けている」わけであり、「親米保守はおかしい。保守こそ反米であるべき」という見方も立てられよう。その部分だけを見れば、この理屈で言えば「共産党・社民党」も立派な保守であるのかもしれない。しかし、反米保守の立場であってもさすがに共産党や社民党を「保守政党」と呼ぶことは無いであろうことを踏まえると、この立場は「保守主義」の必要要件ではなく、主義の帰結として導かれているひとつの解でしかない、とは言えるだろうし、そうであれば「親米保守」という立場もまた成立する余地はあろう。斯様に「保守」という言葉の定義や運用は個々の主張と結びつきこそすれ、本邦においては体系的に確立した概念では”ない”のではないか、と思えてならない。

 保守主義と呼ぶ際、真っ先に思い浮かぶのがエドマンド・バークであることは異論の無いところであろう。保守主義の父とも呼ばれ、フランス革命に反対の立場を取った人物である。自分も保守主義の原点として彼を位置づけることに異論は無いし、また同時に「保守主義とは何か」を考える際、そこを抜きにしては語れないとも考える。しかし、バークもまた矛盾を孕み、同時に本邦において恣意的引用が繰り返されてきた人物でもあろう。バークがフランス革命を否定した理由のひとつは、それが社会契約論的思考を基盤に置いて展開されたからであるが、バークにとって社会契約論は忌むべきものであった。バークの指摘が正しければ、であるが、社会契約論的方法で構成された統治体系の場合、人民はそれ自身の性向・思想・罪の有無などに関わらず、任意に統治体系を選択することができるのに対して、統治者=君主(当時の統治者)は統治の義務はあれ、人民が気ままに処断できる存在となってしまう。バーク自身は極めて貴族的人物であって、彼が保守したいと切望したそれが「王」「貴族」の権利であり地位であったことは想像に難くない。いわゆる「世襲」がイギリスにおいて封建制・王制の中で特に重要な「財産」であり「権利」であったからこそ、その侵害は「歴史的継承」にあたるのであり、それ故にフランス革命に猛烈な反発を見せ、社会契約論を徹底して批判したのである。一方で、バークはアメリカ独立においては、イギリスではなくアメリカの独立運動を支持している。バークによれば、それはイギリスが「植民地統治権」といったものを振りかざして横暴に振舞っているからという理由であるのだが、そもそも独立しようとした「アメリカ」とは先住民のそれではなく、入植者による「独立」であり、確かにバークが危惧してやまなかったイギリス王族・貴族が「世襲的相続」を行ってきたような財産などがなく、正統に守るべき理由はなかったのであろうが、同時にこのあたりはバークの限界であり、同時に当時の「人間とは何か」という概念的問題の限界でもあっただろう。
 バークの言う「偏見」の尊重、「歴史」の尊重とは、古来より受け継がれてきた習慣・因習であったり、また明確化できないもの(もしくは理論化できないもの、と言っても差し支えないように思う)に対しての肯定であるのだが、これは当時のイギリスにおける「相続」概念(権利)を抜きにして考察することはできないのであり、そこを無視して無理に表面だけを本邦に適用するのはまた過ちをもたらすであろう。そもそもイギリスにおいて「権利の章典」でさえ、その自由の要求は「古来より相続されてきた英国臣民の権利・自由」であるが故に「国王はそれを尊重すべきである」という論理構成となっているため、しばしば本邦においてフランス革命のそれやアメリカ独立戦争のそれと同様に「自由希求の象徴」として捉えられがちであるものの、その根本はあくまで「相続権利を尊重する」という形式であり社会契約論的自由・人権思想とはまるで異なる性質のものである。そもそも「権利章典」自体、「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」という名称であり、そこに「臣民の相続的権利」として規定される自由である、という事実こそ、いかに「相続」が重要且つ根源となっていたかが理解できよう。そして、人民主権が相続的権利ではないが故にフランス革命に反対し、同時に相続的財産でないが故にアメリカ独立においてイギリスを批判する側に立ったのである。
 
 本邦において、しばしばバークを保守主義の父として取り上げ、またその思想を革新思想(所謂左翼的思考)へのアンチテーゼの玉条の如く持ち出すことがあるが、果たしてバークのそれを正しく理解しているであろうか。民族という用語をここで用いることは避けるが、敢えて言うならば、バークがアメリカ独立に際して取った態度をこそ、帝国期の半島支配に対して取るべきだろうし、もう少し手前のところで同じくバークのインド統治に対して見せた「文化の尊重」というバークの理論的骨子の部分における態度と同じように、その支配のあり方を批判的に捉えるべきであろう。しかし、一方で左翼批判の文脈においてバークの理論を振りかざしながら、一方でそのバークの理論の骨子に反するかのように半島支配を「経済発展したのだから」「近代化してやったのだから」と発言するのは、論理的一貫性として欠ける態度と言えよう。もちろんバークの理論を援用したからといって、それを全面的に肯定する必要もなく、同時に一部を用いて発展させ新たな理論に昇華させることは十分に有り得ることではあるが、理論の根幹の部分で背反する論立てを並行して公言するのは、バークの理論を理解していないのではないか、と思えてならない。
 

 そして同時に、自民党がバークの唱える意味においての保守主義かといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。自民党が反革新という意味においては「保守派」の系譜として、ある種の正統な後継であるのかもしれないが、政治的ポジションとしてのそれが思想的それと必ずしも合致するわけではない。社会党と共産党が同じように「革新」に分類されながら決定的に相容れない点があったことは歴史の示す通りだが、思想的意味よりも実践的行動に対しての思想の具現化においての相克でもあった。自民党の場合はそのような対立はしばしば派閥抗争や政策論争の形で党内で行われたわけだが、その程度には党内でさえ相違はあったのであり、中には社会民主主義に近い、保守主義からはいささか距離を置くような政策も見られた。だから自民党を「保守政党ではない」と言いたいのではなく、「保守主義とは何か」を考えずに「反革新だから」と言って安易に「保守主義であるかのような錯覚」を起こすべきではない、ということを忘れてはならないだろう。例えば吉田茂が、岸信介が、佐藤栄作が、田中角栄が、保守主義者であったかどうか。また、その政策を行った自民党という政党が保守主義的であったか、という点については、いろいろと再考の余地があるように思う。
 改憲論議にしても同様で、「押し付け憲法論」というのは確かに移植し縫合した結果としての日本国憲法に対するひとつの態度ではあろうが、それが日本国憲法の「内容」ではなく「手続き」や「経緯の一部」のみを以って不当としながら、同時に「万世一系の皇統こそ日本の伝統」という場合、形式的には日本国憲法は大日本帝国憲法の改憲手続きを経て、陛下の詔書を以って、陛下臨席の下での大日本帝国衆議院・貴族院において採択・公布されている事実に対して、どのような態度と言えるだろうか。「皇統」という点においてはバークの偏見論に沿った保守主義的態度と言えるかもしれないが、同時に先帝陛下が関与する形式を経て公布されたものを軽視する、というのはその皇統に対しての態度と矛盾しないだろうか。もちろん「皇統」という系譜が重要なのであって、「天皇」という「個」「一代」のそれは誤ることもあるのであるからそれほど重要ではない、という立場もあろう。しかし、自分の見ている限り、そのような論立てで「押し付け憲法論」を正当化する論は見たことがない。恐らく、ではあるが、「陛下を戴く国体」と「自身の主張」との間で整合性が取れないからであろう。天皇の過ちを正す、ということは輔弼する臣の態度として必要な態度でもあるだろうが、昨今の「保守」を標榜する集団が「皇統」「天皇」は尊重し敬愛されるべきであり、よもや「過つ」などという批判は想像の埒外であるか、そうでもなければそこを切り離すことでしかこの問題を存立させ得ない、といういずれかではないか。もうひとつ反米だから、という理由も立てることができるし、また一方で左翼的だから、という理由も立てることができるが、保守主義者であるならば、そのいずれの論を採るにしても、日本国憲法制定過程における形式的手続き的意味における先帝陛下の関与を避けて通ることはできないのである。日本国憲法の社会契約論的性質をバークの理論によって批判することは容易いし、またバークの言う偏見論としての意味合いにおいて批判することもできるだろうが、同時にバークの理論において最も重要な「相続的権利」という点においてはどうか。本邦の国体において、そのような意味合いにおける最も象徴的相続継承は他ならない皇統であるわけだが、その一代の御世において行われ、他ならない先帝陛下が関与したそれが過ちであったとするならば、先帝陛下そのものも批判されねばならないだろう。この撞着には自民党でさえも囚われていると言えるだろう。
 また、日本国憲法と合わせて大きく手を加えられたものに皇室典範があるが、ここで最も重要な改正事項は「皇族会議」に代えて「皇室会議」を規定したことである。これは戦前の皇室会議を「国民の代表機関的意味合いも含めた」会議へと転換するものであったが、「天皇」という憲法上の位置づけは統治体系の主権者による改変としてその選択に委ねられるとしても、皇位継承といった問題はどうなのか、という大きな問題を孕んでいる。皇族会議は本質的には「皇室」という、語弊を承知で言うならば一族内の会議であったのに対して「皇室会議」はまったく異なる性質を持つものである。そもそも皇室会議において出席できる皇族の員数規定から、会議の決定は皇族の意向は無視しても可能であるものとなっている。天皇の「憲法上の位置づけ」としての問題からこの規定を妥当することもできるだろうが、こと「皇統」を最重要視し絶対護持を声高に叫ぶ者が、恐らくは日本国憲法よりもより重要であろう皇室典範におけるこの会議の存在に対して、あまりにも無視していることをどう考えれば良いだろうか。原則として不文律で長嫡子順の継承を基本とはしているが、「皇室会議」においてこれを覆すことは不可能ではない。バーク的に言えば、保守主義の根幹たる「相続的権利」に対する侵害とも言える。皇室財産に対する皇室外からの関与も同様である。とかく第九条ばかりを槍玉とし、問題視し、それが故に本邦の根幹が揺らいでいるかのように叫びながら、この態度は不可解でさえある。さらに言えば、この皇室典範改正についてはGHQ主導というよりは、寧ろ本邦の側が主導して行ったことでもある。明治帝からの伝統、という点に限ってさえ、このような問題は不可分に付き纏っている。

 もちろん人間である以上矛盾は孕むものではあるし、必ずしも首尾一貫することがあるとは限らない選択が必要になる局面もあるわけなので、それそのものがあることが必ずしも問題であるとは限らないこともある。しかしながら、昨今の保守主義を標榜する一群の中で、バークを論拠に据えて論じる一部の論者があまりにも恣意的無理解にバークを流用し、似ても似つかない主張を繰り返しているのではないか、と思えてならない。自分がしばしば「保守主義の原点は古典的保守主義にあり」というのは確かにバークを念頭に置いてはいるが、さりとてバークの理論をそのまま直接に本邦に適用できるとは考えないし、補助線としての原点にはなり得ても、全面的に適用するのは愚でさえあるとも考える。然しながら、バークのそれを主張の論拠に据えるならば、せめてバークの理論は極めて欧州君主・貴族的それが「前提」となって論じられていることを念頭に、果たしてその論が自身の主張根拠になり得るのか、ということをよくよく考えるべきであろう。自身の主張根拠のために表面的にバークの理論を継ぎ接ぎするのでは、結論ありきの話であり、まともな論にならないことは自明でさえある。もっとも、日本国憲法を否定し大日本国憲法に立ち返って再度自主憲法を制定すべき(もしくは大日本帝国憲法を復旧適用すべき)、と言う論者は、大日本帝国にバークの理論が影響を与えているという指摘が一部にあることは再考すべき点であろう。

日章旗、ナショナリズム、レイシズムなどなど

自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 
書く経緯となった発端はこのツイート。

もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。

■「日本」と「太陽」と「日章旗」
日章旗について触れる前にこれについて触れておく。
「日本」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。天岩戸伝説に見てもわかるように太陽神である。農耕が広がった社会において、世界中で見られる太陽信仰の一種と言えるだろう。
皇祖神としてのそれは別としても、もともと「日本」において広く太陽は信仰の対象であった。
「大日女(おおひるめ)」という別名からもわかるように、豊穣祈願にも関係する女性神である。
こういった風土的背景もあり、いわゆる「日輪(現代の日章旗ではない)」の意匠は定着しやすい土壌があったものと考えられる。
いわゆる源平合戦期において「赤地に金輪」「白地に赤輪」が用いられたと言われているが、一般に「錦の御旗」と呼ばれるものは「赤地に金輪、銀輪」である(日之御旗、月之御旗)。
その意味で、本来「専制国家体制」としての「国旗」を設けるとしたら、「赤地に金の日章」という選択肢もあったはずだが、明治国家体制の中でいわゆる「日章旗(白地に赤の日章)」が用いられることになる。
これは、戦国期には船籍を表すものとして「白地に赤の日章」が普及したことや、江戸期において、いわゆる「旭日(赤の日章)」が意匠の定番として用いられるようになったことなども関係しているのではないか、というのは自分の推測である。
なお、琉球においても日章の意匠は船舶や石碑などに用いられているとされるが、これが国旗としての意味を持っていたか、については定かではない。おそらくは太陽信仰の一貫として、だったのではないだろうか。
しかし、これは近代的意味での「国旗」という明確な位置づけのものが存在しなかった前近代という時代を考慮すれば、無理に国旗と位置づける必要もないものであろう。そもそも江戸期においても「くに」と言えば一般には「藩」だったのであり、「日本国」というより広い領域を意識するのは、対外関係上が主であったと考えられるので、琉球に限った話ではない。
江戸も末期となるまで「国旗」と明確に位置づけるものがあったとは現段階では考えづらいが、少なくとも安政期には「日本総船印は白地に日之丸幟」「大船には御国総標日之丸幟」と徹底するよう幕府が決定していることから、これを実質的に「国旗としての表れ」と考えることはできるだろう。安政期はいわゆる「異国船」の来航が相次ぐ時期でもあり、他国船との識別の重要性は喫緊の問題であったであろうことは容易に想像される。
このことを考えると、「日章旗」が帝国主義国家としての「大日本帝国」の国旗としての象徴ではあっても、そもそも日章旗が国旗としての意味・位置を確立していくのは、むしろ帝国主義・覇権主義に「曝されていた時期」と考えることはできるように思う。
もっとも、幕末期において「植民地化の危機」がどの程度存在したか、については現代では「それほどの危機はなかった」とする研究結果も出てきてはいる。これは現実的危機と感覚的危機との間の乖離はあろうが、当時においてはそれらの危機も相俟って、「異国」に対しての「日本」が意識されるようになりつつあった時期でもあり、その意味では「国家」が大きく意味を持ち始める時代であったことも確かではある。
このような流れを見る限り、明治~昭和初期における帝国主義的拡張の時代に“も”掲げられた日章旗ではあったが、同時にそれ“以前”から用いられたものでもあるとは言えるのではないだろうか。

■「日本」と「日本人」と「日章旗」
明治維新を経て大日本帝国が成立していく過程で、いわゆる「琉球処分」や「旧土人保護法」などが政策となるが、これはそれらの地域・民族が当初成立時の「日本」という領域の「外」であり「異」であると認識されていたからに他ならない。琉球処分時においては、果たして「琉球」とは「日本なのか」という点は議論された点でもある。
また「旧土人」という呼称からして、果たしてアイヌは「日本なのか(日本人なのか)」についても、その認識の程は伺えよう。
この点において、「日本」という「国家領域」と「日本民族(大和民族)」という「民族範囲」は、既にそのズレを生じていたと言える。その意味で、「単一民族国家」というのは極めて幻想の産物であるわけで、「国籍としての日本人」と「民族としての日本民族」は、大日本帝国成立の当初より差異が生じることになる。
この「日本とはどこまでか」「日本人とはどこまでか」を巡る議論は、その後半島への進出においても「日鮮同祖論」が立ち現れ、また満州進出においては「満鮮史」として立ち現れるなど、その拡張先を「歴史を一つにするもの」として「日本」を拡張していく中での口実にもなっていった。
「朝鮮籍」「台湾籍」といった本籍制度と「日本国」という国籍、いわゆる「国」「属地」「民族」の微妙な位相の差異は十分に認識しておかなければならないだろう。
その上で、一周して、「日章旗は日本の象徴である」に戻した際、その射程は「どの位相を指して『日本』と規定するのか」という問題はついて回ることになるだろう。
また、確かに植民地としての朝鮮、台湾という視点が存在する一方で、志願兵制度を通じた朝鮮人日本兵や台湾人日本兵の存在もあり(最末期には徴兵制も在り)、当然彼らは戦中「日本」の軍や軍属などとして、時に大きな犠牲を出しながらも、確かに「日章旗」を国旗とする大日本帝国の「臣民」として存在した。また、独立運動が一巡した後の、必ずしも独立を謳わない自治運動は、果たしてそれを「日本」としてのナショナリズム(国民化)の一部としてみるべきか、それとも「朝鮮」または「台湾」としてのナショナリズム(民族自立)の一部としてみるべきか、非常に微妙な問題でもある(もしくはパトリオティズムなのかリージョナリズムなのか、といった認識も在り得る)。
半島では「親日協力者」といった痛烈な非難が浴びせられることもあるが、「臣民」としては「大日本帝国」の領域において、また「民族」としては自治を求める傾向はエスニシズム(民族)としての側面とナショナリズム(大日本帝国帰属)としての側面を持つであろうし、その中でまた支配民族としての大和民族(日本民族)が持つエスノセントリズムとしての自民族優位・優越主義とは競合する側面を持ちつつ、逆に「日本」という領域の延伸としての植民地の「同化政策(皇民化政策)」は、別の意味合いとしてのナショナリズムであるだろうし、同時にそれは汎アジア主義(大アジア主義)の変質・変容の結果としての「アジアの盟主たる日本」という存在の「内における境界」と「外における境界」の相違による緊張を齎したとも言えるかもしれない。
このとき、「日章旗」が象徴する「日本」という「存在(≠土地としての領域)」は、果たしてどこまでを指し示すことになるのだろうか。

■ナショナリズムとパトリオティズムと
明治維新において、またその後の政策において、「日本」という形而上的アイデンティティを上からの国民国家として形而下へ規定していく過程は、民衆革命を経ての国民国家形成とは異なるように思われるが、その際に作用したのは「日章旗」よりもむしろ「国体観」ではなかっただろうか。
人為的強制的に構築されていく「日本人」という「皇民化」は、内においては大逆事件を経て概ね頂点に達すると見ることはできるかもしれない。佐藤春夫の「愚者の死」における「日本人でなかった誠之助。立派な気ちがいの誠之助。有ることか、無いことか、神様を最初に無視した誠之助。大馬鹿な誠之助。ほんにまあ、皆さん、いい気味な。その誠之助は死にました。誠之助と誠之助の一味が死んだので、忠良な日本人は之から気楽に寝られます。おめでとう。」というフレーズにおける「日本人」は、少なくとも当時において、「共和主義者」「社会主義者」などは排除されるべき存在として、ここで「日本人ではなかった」と表現されることにより、逆説的に「(天皇に※筆者補足)忠良な日本人」として規定されることになる。大逆事件で被告弁護を行った平出修は、これを日本の思想史上最も重要な事項として認識していたそうである。まさにその通りであると言えるように思う。
いわゆる「国民」の「創造」過程において、イデオロギーとしてのナショナリズムは、必要に迫られたものでもあり、また自発的発生を見たものでもあり、同時に大きな弊害を持つものでもあった、とは言えるだろう。
例えば、「生まれ育った地」への愛着と言う点でパトリオティズム(愛郷主義)は人として抱いたとしてもおかしくはないのであり(もちろんそれを持てないからといって負い目を感じる必要もない)、同時にパトリオティズム自体は、むしろ旧来の「民族」「文化」「言語」「宗教」といったナショナリズムがしばしばそれを利用する装置を有する同質化としてのそれとは異なり、「自由」「平等」といった「共同体を支える価値」を共通理念とした共同体主義としての意味合いを与えられる場合もある。この意味合いにおいて、例えば「在日」と呼ばれる存在が「生まれ育った日本(もしくは日本の中の一部)」へ愛着を持ってもごく当たり前のことであるし、同時に「民族的ルーツ」として、「日本ではない存在」を規定しても少しも不思議ではない。それは同時に並立し得るものであると言えよう。
ただし、である。この場合のパトリオティズムは概ね「市民共同体主義」と言えるだろうとは考えるが、結局のところ、多かれ少なかれ何らかの「同質化」の要請から免れることはできない、という点は認識されねばならないだろう。例えば、「アメリカ人」は「作られる」ということを挙げれば良いだろうか。というよりも、そもそも「自由」「平等」もしくは「人権」というコンテクスト自体は、西欧文化・歴史を背景として成立している側面もあり、その意味においては、「文化」「民族」「言語」「宗教」といった、ナショナリズム的背景を「一切持たない」共同体を貫く平準なコンテクストは存在し得るのか、といったより本質的問題に突き当たらざるを得ない。
ソビエト連邦や中華人民共和国の実際がそれにあたるのか、という点は考慮から外すとしても、近代国家の超克を目指した共産主義の理念が現実に展開された結果、「共産主義」というコンテクストを軸とした国家は、市民共同体主義的パトリオティズムに通底するものはあるだろうが、それらは結果として「民族」概念をしばしば抑圧し、また「宗教」を否定してきたことは、歴史的事実でもある。共産主義にとって「国家」という存在自体が「過程」の存在であり終着点ではない、という反論は有り得るし、それらの国家は共産主義を「体現しなかった」と抗弁することももちろん可能ではあるが。

■ひとつのナショナリズムの否定がナショナリズムでないことを意味しない
今年沖縄に「琉球民族独立総合研究学会」なる団体が発足した。これは敗戦~アメリカ占領期~本土復帰の過程において、一部ではかなり深刻な葛藤を生じた「日本」は果たして「復帰する先」なのか、という問題の、ある意味での終着点ではあろう。
これは当然ながら「日本」という領域からの離脱の可能性の検討であると同時に「日章旗」の否定をも意味することは疑いようもない。この学会自体は政治運動というよりも学術目的である組織であるようではあるが、趣意書には「琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族は独自の民族」「日本人は、琉球を犠牲にして「日本の平和と繁栄」を享受し続けようとしている。」といった文言が踊る。疑いようもなく「琉球ナショナリズム」と言って差し支えないように思う。もちろんこれは現状において「日本」という「領域」の「内」における問題であり、「国民」という意味では「日本」に含まれる部分におけるそれではあるので、「在日」の問題とはイコールでは、もちろんない。それと同時に「帰属する共同体」という意味において、金明秀氏の言うところの「一般的なナショナルアイデンティティ」としての問題でもあるだろうと思う。「琉球民族」という用語の持つ意味合いにおいて、それを積極的に用いている状況は、それをナショナリズムの発露として意識しているのかいないのか、定かではないが、自覚的に用いているにしろ無意識に用いているにしろ、やはりナショナリズムの一形態ではあると判断して差し支えないようには思う。
「国家の解体」「国家の否定」と言うのは易しいが一方で「地球市民」なる概念が、国家を超えるある種のコンテクストを持った共同体概念であるならば、それは時に「国家を超える」さらなる「同質化」を齎す可能性さえあるだろう。場合によっては、「国家の否定」が極端な「グローバリズム」を具現化してしまうことさえあるかもしれない。逆にアナキズム的権威権力否定においても、しばしば「民族アナキズム」に陥ってしまうように、なんらかの共同体を有さざるを得ず、まったくの個人で孤立しての存在というのはある意味で人間性の否定でさえあるだろう。「ヒトは社会的動物である」故に。そして、「共同体」である以上、なんらかの権威・権力というのは、その多少はあれ発揮されざるを得ないのは、本質的に同一思考同一感情の人間が一人として存在しない以上、何らかの調停ないし妥協は、生存の上で必ず必要となる点で自明であるだろう。
本質的問題として、「地域共同体」としての地域社会の構成員が必ずしも国籍者に限らない現状があるわけではあるが、一方ではその地域社会の上部構造として国家の法体系があり、国家の法体系をどう求めるか、という点は、その一点において、とても「ナショナル」なものでもあるだろう。
例えば、日章旗の否定を、あくまで「権力の象徴の否定」として捉えるのであれば、それは「日章旗」に限らずあらゆる国旗なり国家なり、より小さい領域での象徴であれば校旗なり校歌なり(または社歌や社旗でも良い)、あらゆる権威の表出たる象徴の否定はできるだろうが、「“日本”の象徴としての否定」であるならば、それは優れて「ナショナル」な問題であって、その時点である種の「政治的共同体の成員として、その共同体の統治機構に対する要求」として表出せざるを得ないのではないか。そのとき、否が応でも「共同体の構成員」とは果たして「何」なのか、という問題は生じるだろう。コンテクストの中におけるアイデンティファイの問題として、その言動を「どの立ち位置で行うか」という問題は極めて重要なものにならざるを得ない。少なくとも現状ではそうだろう。
「在日」と呼ばれる存在が「日章旗」を否定する場合と、「日本国民」が「日章旗」を否定する場合と、それぞれにその意味合いは自ずと異なるものにならざるを得ないのは、たとえその意図が同一であれ、そもそもの「共同体」の「内」なのか「外」なのかの違いは、好むと好まざると存在する。それは「日章旗」が先般「法律」として慣習法を脱して制定されたように、その「改廃の権利」を有するのは「内」の存在でしか有り得ないからだ。
日章旗を「踏み絵」として利用する場合、それは極めて「ナショナル(≠ナショナリズム)」な問題にならざるを得ないのは、そういった点が指摘されることにはなろう。
確かに地域共同体構成員としての「在日」という存在は、その共同体として確かに構成員ではあるが、同時に「政治的権利」としての発議を、現実的現状的場において実践的に行い得るのは「日本国民」だけであって、自由権としての表現において「否定」することは自由ではあるが、政治的法律的にそれを左右するのは、現在時点において「日本国民」だけなのであって、それは否定し得ない。
ナショナリズムを国家主義、国民主義はたまた別の意味合いとして用いるか、によってその認識が異なる点はあろうが、例えば「国籍外」の「あらゆる居住者」に国民と同等の政治的権利を認める、という政策を実施するとした場合、その政策は極めてナショナルな問題ではある。もちろん「ナショナル」な問題にコミットすることが「ナショナリズム」を意味するわけではない、のではあるが、そういった政策を実施することは実質的には二重国籍を持たせて政治的権利を「付与する」ことと変わらない状況にはなるだろう。その場合、「国」という領域に対する政治的参画という意味合いにおいては実質的「国民化」ではあるわけで、「国民化」という包摂は、その意味合いにおいて「ナショナリズム」足り得るだろう。
「健全な」ナショナリズムが存在し得るのかどうか、という提起は当然あるとしても、国連憲章における自決権原則も基本的には国民国家の存在を前提としている以上、現状においてそれを有意に超越し実践的足り得る論理構造と実践形態を持たないのであれば、ナショナリズムという「用語」をいくら否定したところで、現実的には「ナショナリズムの過たない実践」を目指す方が建設的なのではないか、という疑念は否定し得ない。
また、日章旗の否定が半島におけるナショナリズムと結合した際、それもまたひとつのナショナリズムの表出ではある。しかし、「在日」という存在は必ずしも半島におけるナショナリズムに包摂されるとは「限らない」という点において、結局のところ「日章旗」を踏み絵とした運動が、「日本であれ韓国または北朝鮮であれ」その対象から「在日」という存在を都合よく取捨選択できる存在となることはしばしばあるだろう。

■日章旗とレイシズム
国民や民族といった共同体構成要素の各規定が人為的にならざるを得ないのは、国家形態の抱える内在的問題ではあるのだが、同時に不可避の問題でもあり、加えて国家形態を無くさない限りは解決不能とも思える問題ではある。
このとき、日章旗が日本社会を統治する政府の象徴であるとして(それは同時に主権者たる国民が引き受けるべきそれではあるが)、過去に自省すべき歴史がある場合、それは象徴として否定されるべきなのか、という問題の提起については疑問ではある。現在、敗戦を境として明治維新以後の歴史は帝国主義の歴史とほぼ同じ期間を「日本国憲法」を憲法とした歴史として「日章旗を掲げて」きたのである。
ひとつの国家において、なんらの恥ずべき点もなく自省すべき問題も存在しない、といったことは、それが人間の営みである以上有り得ないのであり、その度ごとに国旗を改廃していくべきなのだろうか。それとも国旗を廃止すればそれで自省の「象徴」になるとでも言うのだろうか。
日章旗を拒絶し廃止しない限り反省があったと見做さない、という態度は、それはそれで有り得る態度だろうとは思うが、個人的にはそこには「王の首を刎ねれば全てが良くなる」といった言説と同じ類のものを感じ取ってしまう(そしてしばしば日章旗を踏み絵にする言動は天皇廃止論とリンクすることがある)。
それは問題の本質が何なのか、ではなく「目の前から排除すれば事足りる」という、どちらかというと本質を蔽う態度にもなりかねないだろうとも思う。同時にそこに自覚的である場合、そこから先は主張なり運動なりの「構成」と「要素」を巡る包摂と拒絶の「境界」の問題にはなるだろうけど、その主張自体はなんら否定されるべきものでもない。そこに同意するかどうかは別の問題となる。
ここでひとつの問題として、「日本」における近代以降とレイシズムの問題は植民地(この場合沖縄やアイヌをここに加えても良いだろう)を巡るそれに加えてそこにもうひとつの位相が存在する。
差別問題の”象徴”とも言える被差別部落の問題である。先に大逆事件が内的皇民化のひとつの頂点として挙げたが、『愚者の死』を書いた佐藤春夫は「熊野、紀州新宮が経験した戦争とはあの大逆事件でしかない」(「文学者たちの大逆事件と韓国併合」P.116)とまで言い切っている。これは戦後生まれであることを留保した上での言説だが、近代以降のいわゆる「国民化」は実際における差別の問題と、常に接しながら行われてきたとは言えるだろう。新宮の事件は、大逆事件と連動した部落出身者への敵視と攻撃であった。
そのような「忠良な国民」の創造の過程を経ながら、おそらくは「国民とは何か」について、あまり真剣に自己の問題として引き受けてこなかったのではないか、という問題の提起は十分に有り得る。敗戦時の現地居留方針や半島出身者の帰還事業に付随する問題、半ば棄民政策とも言える海外移民の問題。これらはしばしば都合よく切り分けられ、時に切り捨てられ、時に利用されてきた事実がある。
愛国者を自称する連中が部落差別を平然と持ち出した点において、あの集団が「特定の民族」を対象とする行動に留まらず、日本国憲法への広範な攻撃として認めざるを得ない状況ではあった。人権理念、「平等」としての国民概念への攻撃である。
日本国憲法改正が遡上に乗っている時勢はひとまず今後の問題として、あの集団が「日章旗」を「国家主義」としてのナショナリズムの表意として用いるのに対して、「日本国憲法」を有する「国民主義」としてのナショナリズムを対置しそこに「日章旗」を掲げる、という理屈は、少なくともそれを「ナショナリズム」の問題として捉えた場合、十分に成立し得るように思える。
もちろん「日本国憲法」の理念を、その理念を十全に実際化しているか、という点での問題提起はあるだろうが、だからといって日本国憲法下で日章旗を掲げて経た歴史に対して「日章旗を否定しなければ」という投げかけは、結局のところ「象徴があろうがなかろうが十全には実践し得ない」日本国憲法というところに帰着しはしないだろうか。「日章旗を否定しないから駄目なのだ」という問いは、果たして「象徴に囚われて本質を実践し得ないことの言い訳」にさえ成り得るように思えてならない。
「中韓の感情が」「在日が包摂されない」という「理由」によって日章旗を否定せねばならない、とやってしまうことが、結局は日本社会における「差別」というより広汎な問題を隠蔽しかねない危惧は指摘されるべきだろうし、そもそも「どのような旗を掲げるべきか」「掲げないべきか」といった問題は、その象徴するところが日本社会であり統治機関としての日本政府であるとするならば、そこに主権外の存在を「象徴として」都合よく剽窃するような行為は、その当事者から逆の意味で拒絶されてしかるべきだろうし、それこそ「お前のナショナリズム闘争に巻き込むな」ということにも成り得るとも思う。
「日章旗」が「煽り」の意味を持つのは、もともと「旗」という象徴性記号性故でもあり、逆にそれに×をつけようがそれが「旗」である限りにおいて、逆説的意味での「煽り」の効果を持つのであり、扇動的だから排除すべき、という言説において「旗を掲げる」という行為のそれ自体は滑稽にも思える。否定する方向で固執するあまり、結果として反転しているだけではないか、と。
仮に現在の国旗が「戦後に日章旗から変更された」と仮定しても、結局掲げられる旗が異なる結果になっただけ、というオチは十分に想像できるのであり、「日章旗だからレイシズムと連結するのだ」とか「日章旗があるからレイシズムがなくならないのだ」といった話には到底乗れるものではない。同時に「日章旗を改廃する」という主張と意思表示については、それを「他者に強制しない場合」において、十分に尊重されねばならいだろう。それが民主主義の基本原則でもあるからだ。議論の封殺、主張の封殺は最大限排除されるべき、民主主義足り得るための制約というのもまた、日本国憲法における理念の一つではあろう。同時に差別する側が「される側に原因が」と言って出自などを理由に挙げることのそれ自体もまた、日本国憲法の理念に対する重大な挑戦である。このとき、それを法規制すべきかどうか、について「される側」の被害の問題があるとしても、慎重でありたいとも思う。これに対して「ではそれをなくすために何の努力をしたんだ/するんだ」という反論は甘受して、それでもなお。これは利己主義的であることもまた自覚はしているが、それでも。

■まとまらないまとめ
個人的には日章旗の改廃は、求めていない。それを自分に納得させてくれるだけの論拠を提示されているとも考えない。
冒頭に書いたように、元来この島で文明を育ててきた遠い昔の同胞が、素朴な太陽信仰を持っていたことも否定したくはないし、否定しようもない。その上で、帝国主義と浪漫主義がある種の共犯性を持った部分があったように、その象徴するものが内包する「物語」の問題として捉えるのであれば(歴史とは常に「語られる」存在でもある)、そこに新たな意味を持たせ、物語を紡ぐこともできるだろう。むしろ、日本国憲法を有し日章旗を掲げながら、その理念を十分に実践化し得ないからこそ、いまだに日章旗に「歴史」としての物語のみが付与されてしまうのではないか、とさえ感じる。
自分は保守主義を称してはいるが、同時に排外主義にも否定的である。日本生まれの日本育ちであり、その意味においてマジョリティである(他の属性は無視する)。そして、国家主義としてのナショナリズムではなく共同体に緩やかに包摂するものとしての国民主義的ナショナリズムについては、その活用を誤らなければ十分に理念の問題として有用だろうとも考えるし、「日本」という概念への対峙は、引き受けるべき問題だろうとも考える。
もちろん日章旗が意匠として優れている、といった点や、生まれてこの方掲げられてきた旗をそう易々と放棄してたまるか、といった心情的問題も当然に持ち合わせてもいる。同時に過去の過ちを「断絶させない」が故に、象徴を変えるべき「ではない」とも考えている。象徴を断絶して「変わりました」「改心しました」などという言説を信じるほどにはお人よしではない、というのもある。
確かに権威権力の強制性の発露としての象徴=旗、というのはあるのかもしれないが、自分としては象徴を「変えない」が故に過去の問題を「連綿と続いてきた歴史の蓄積」として捉えることから免れ得ない、という意味でも日章旗を「掲げ続ける」ことに積極的意味はあろう、と思うのである。象徴を改廃して「過去とは決別しました」という態度が是とされた社会に生まれた場合、今と同じように「免れ得ない問題」として捉えられるかどうか自信がない、とも言えるかもしれない。

P.S.ところで自分のツイッターのアイコンは金明秀氏の嫌悪するところの日の丸アイコン(通称梅干)なのだが、これについては自分がナショナリズムに十分に絡めとられている自覚があるということと、日章旗をあの集団が掲げていることに対しての、ナショナリズムの発露としての嫌悪の表出であることは断っておきます(誰に?いや、なんとなく)。

以下参照・参考文献。

「<日本人>の境界」小熊英二


「文学者たちの大逆事件と韓国併合」高澤秀次


「日本イデオロギー論」戸坂潤

日本神話 (1970年) (岩波新書)
「日本神話」上田正昭


「本音の沖縄問題」仲村清司

ヘイトスピーチへの対処署名について

ヘイトスピーチに対する相応の対処が必要な状況であることの認識は広まりつつあるように思います。
左翼、人権派はもとより、民族主義右派からも批難され糾弾されている彼らの行動は、党派・政治的ポジションの問題を超え、カウンターを生じさせています。
また、重ねて言いますが、彼らの行動は対象国に対して本邦への国際社会における批難行動を正当化させ、本来謂れ無き批難をもあたかもそれが正当であるかのようなロジックの要諦にも成りつつあります。
このような状況を放置することは、本邦の道義・倫理に悖るだけではなく、実政治上も弊害にしか成り得ません。

宛先:東京都公安員会
東京都公安員会ヘイトスピーチ・デモの排除を目指して、新大久保から。

上記オンライン署名はすでに2100名の署名を集めています。
自分は当該事象に対して「ヘイトスピーチ規制法」のような新規立法を求めることについては否定の立場であり、その点においてもこの署名請願内容は現行法・現在組織における対処を前提としている点で、十分賛同するに足る内容であると考えます。
 
党派・立場にかかわらず、当該事象へ反対の立場を取るという一点において共通項があるのであれば、署名する意味はありましょう。
 
微力ながら自分も実名にて署名させて頂きました。
拙Blogの読者の中にも、賛同できる方もいるでしょう。
是非とも賛同・署名の程、勝手に当署名主催者に代わって、読者の皆様にご依頼するものであります。

「朝鮮人をガス室に送れ」が愛国者の言動なものか

続く「嫌韓デモ」 国会で排外・人種侮蔑デモ抗議集会開催

ここのところ新大久保やら関西方面やらで”愛国者”と自称するレイシストどものデモが劣化の一途を辿っていることは度々報じられていることであるが、とりあえず表題の「朝鮮人をガス室に送れ」は看過しがたいにも程がある(それ以外にも座視し難いものは多多あるが)。

「ガス室」がナチスの民族絶滅政策のひとつであったことは論を俟たないところではあるが、この言動はそれをモチーフにしている点に異論はあるまい。
かつてより自分はナチスの戦争犯罪(及び国内犯罪 ※ユダヤ絶滅政策は国内政策の意味合いも強い)と日本の戦争犯罪(及び植民地政策の瑕疵 ※ナチスドイツは植民地を基本的には持たなかった点で大きく異なる)の差異において、例えば南京事件や半島統治政策において、ナチスの絶滅政策と日本の統治政策・戦争犯罪とは異なる位相であることを度々表明してきた。これについては今でもそう考えているし、同一視することや同一列線に並べることは、ホロコースト犯罪の重さを一般戦争犯罪や他の植民地政策の瑕疵と同様の位相に落としてしまう点において、否定してきたのであり、左派・人権派がそのような同一視を行ってもそれには否、としてきた。
確かに文化政策・民族政策において、民族アイデンティティの根幹にかかわる政策がまるで無かったとは言わないが、それにしてもそれは存在そのものを許容しない絶滅政策ではなかった、と。これは大日本帝国を後継し、その責を負うものとしても、否というべきものであると考える(同一化政策の是非は別。もちろん慰安婦とホロコーストを同列視するような言動はホロコーストを軽視し過ぎている)。

然るに、未だに過去の戦争犯罪・統治政策に対して様々に言われることが頻発し(それは隣国の政治政略上の要因も大きい)、より積極的にカウンター戦略を展開していかなければならない局面に入っているにも関わらず、上述のようなホロコーストを彷彿どころか「そのまま」展開させるような言説など、百害あって一理もなければ、ますます隣国の政治政略に「反省していないどころか悪化しているし復活もしようとしている」という謂れのない批難に論拠を与えることにも成りかねない。
そうでなくとも特定民族への排斥政策は、「追放政策」であっても民族差別、人種排斥政策と言われる時代にあって、ホロコーストを想起させるシュプレヒコールなど、語るに落ちる。
相手が道義に悖ることを行えば、それを逆手に倫理的・政治的優位を図り、以って国際世論において本邦に優位・有利な状況を構築するのが、国際政略上の要諦であるにも関わらず、である。

自分も中国の膨張する帝国主義・覇権主義政策や韓国の極端で歪なナショナリズム、また北朝鮮の拉致・核政策等の無法・不法・国際決議違反・恫喝外交には決して賛同もしなければ、左派崩れの阿呆のように本邦が何がなんでも悪い、陛下・天皇という存在が全ての元凶、といった腐った論に与するものではないが、さりとてこのような後弾全開の本邦の品格・道義・倫理を貶める言説を公然と、しかも悦に入って声高に叫ぶものなど、それこそ排斥されて然るべき言説であろうと考える。
自分等のルサンチマンのために本邦全体のそれを貶める言説を繰り返すそれは、どちらが一体「反日売国」の類なのか。
隣国に媚びるのは亡国の道だが、国際社会の中で、最早単独でどうこうできる時代ではないにも関わらず、本邦は愚か「自分」だけが気持ちよければ良い、といった言動で、斯様な言説を行うことに何の「国益」があろうか。